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波音と雪蓮、約束の帰還
お嬢の独り言
「……臨安の港を包む霧の中に、見慣れた帆影が見えた瞬間、私の胸元の和田玉が、これまでになく熱く拍動した。
燕青おじさん。あんたがいない間に、この街は香りに包まれ、そして……一つの時代が静かに幕を閉じたわ。
私は、師師様の最期の言葉が刻まれた『雪蓮の便箋』を、大切に懐へ仕舞い込んだ。
小大さんが命を削って彫り上げた梨の木の波紋、文さんが再現した月影の色。
そのすべてが、今、海を渡ってきた男を迎えようとしている。
『……お嬢! 留守の間、勝手なことばかりしてたんじゃねぇだろうな!』
船の舳先から飛び降り、相変わらず乱暴な声を上げるおじさん。
けれど、彼は一歩大地を踏みしめた瞬間、ぴたりと動きを止めたわ。
潮風の匂いを突き抜けて届く、あの清冽な雪蓮の香りと、私の胸元で放たれる和田玉の『声』に気づいたのね。
『……おじさん、お帰りなさい。
あんたが探していたもの、そしてあんたを待っていたもの……全部、私が預かっているわ』
私は、あえて涙を見せず、師師様と約束した通り最高の笑顔で迎えた。
おじさんの瞳が、驚きと、悟りと、そして深い深い安らぎで揺れている。
『……そうか。……そうだったのか、お嬢』
おじさんは私の頭に大きな手を置いた。その手は、かつてないほど優しく、震えていたわ。
『燕よ、春の風に乗って、自由な空へ帰りなさい』
その言葉を伝えるのは、もう少しだけ、静かな場所に着いてから。
でも、今のこの香りと光が、すべてを物語っている。




