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歪の檻に囚われた、彼女の末路  作者: 天代智
美香
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真 side 2



 考えながら捲っていると、最後のページで指が止まった。それは長い黒髪の女性が首を吊りながら、鬼によって嬲られている絵だった。女性の表情は苦悶に満ちており、三階で首を吊っていた例の人形を連想させた。気味が悪くなった私は、机を叩くようにファイルを閉じた。


 鈴木が別のファイルを調べながら、私に語りかける。


「鬼って諸説ありますよね。もちろん、真っ先に思いつくのは人間のような四肢を持つ、顔が怪物みたいな人ならざるもののことだと思うんですけれど。虎柄の腰布を巻いて、頭に角が生えていて、金棒を持っている、恐ろしくて、力があって、慈悲のない怪物。私が鬼と聞いて真っ先に思いつくのはそれです。ですが、大昔の……ええと、なんとか朝廷時代の体制に従わない人たちのことも、鬼って言ったらしいですね」


 いちいち回りくどいな。何が言いたい? と、私は要点だけを話すよう目で訴えた。


 鈴木は仕方ないと言った様子で続きを語った。


「要は人なんですよ。人間。人が化け物を忌み嫌うのではなく、人が人を忌み嫌うんです。嫌う理由は大抵、些細なことからです。しかしそれだけでは人を追いやれないし、迫害もできない。またそこに、他の人間が群がるのも、人はよしとしません。では、どうすれば彼らを遠ざけることができるのか? そこで化け物の出番です。鬼という人ならざるものがいれば、都合がいい。危険な場所や危険な人物から大切な人間を守るため、人々は架空の化け物を使うんです。『あそこには鬼がいるから、近づいちゃいけないよ』と言ってしまえば、それだけで十分効果があります」


 そして鈴木は、診察室向こうのトイレに向かって指をさした。


「今まさにそうでしょ。はじめは平君も言葉の通じる人間でした。でも、豹変してからは、化け物を相手にするかのように、私たちは彼を閉じ込めましたよね。自分にとって危険な人物だからこそ、遠ざけました。だから人間と鬼ってこう、紙一重なのかなって」


 そう言って、ファイルの中から適当に紙一枚を取り出し、その表と裏を交互に見せた。


「私のようなゲイはまさにそうですね。真さんからすると男を好きになる私は理解できないでしょうが、私からすると女を好きになるあなたたちの方が理解できない。例えば、美香ちゃんのことは綺麗だな、可愛いなって思うけれど、結局はそれだけなんですよね。平君のように、美香ちゃんのふっくらとしたおっぱいを触りたいとも思わない。でも、あなたたちはそこに惹かれるんですよね。彼女のような丸みを帯びた人間に対して性的欲求を覚える。それが正しい。人としての本能であり、自然の摂理であり、常識だ。だからこそ、そこに反する私は、異常なんでしょう。昔からマイノリティは嫌われる定めなんです」


 鈴木はどこか諦めているかのように語った。今でこそ、メディアを通して、LGBTの存在についてよく目にするようになったものだが、十二年前はまだ彼のような同性愛者は自身の性癖を大っぴらに明かすことすら難しかっただろう。


 ゲイであることが母親に伝わり、家から追い出されてしまったことを鈴木はあっけらかんとして語っていたが、当時は彼も相当苦しんだことだろう。


 私は鈴木に同情の念を抱いた。


「精神障がい者に対する人々の目も、昔は厳しかった。きっと、君たちのようにね」


 今度は私が語り始めた。


「今でこそ精神疾患に対する認知度は高くなり、クリニックをはじめとする病院へ相談しやすくなったものだが、昔の日本は精神障害を自宅の一室や敷地内の小屋に閉じ込めて監禁するという私宅監置があった。後にそれは廃止され、精神病院が増えていったが、対処はとしてはあまり変わらず、精神障がい者を長期に渡って入院させた。それほど、精神障がい者に対する偏見は根深かったんだ。このクリニックも、当時は建設するだけで近隣住民からの反対があったことだろう。私の祖父の代でも、クリニック設立には苦労したと聞く」


 その祖父が建てたクリニックは十年以上も前に閉鎖され、祖父が亡くなった後はその土地と建物を父が相続した。現在、父が開業しているクリニックとは違って、祖父が建てた場所は立地が悪いらしい。土地も建物も持て余しているというから売ればいいと言っているのに、なかなか手放そうとしないから不思議だ。祖父の想いが詰まった場所が、よほど大切なのだろう。


 鈴木が「ふうん」と相槌を打つと、


「じゃあ、昔の住民からしたら、精神科は鬼が棲む巣窟みたいなものに見えていたんですかね。だとすると、うつ病の私も鬼ってことになるのか。その上ゲイだし。世間様は厳しいなぁ」


 落胆したように肩を竦めた。


 そして鈴木は目線を上げると、机の上に飾られている額縁を指さした。


「そういえば、ここのクリニック。真さんと同じ佐藤さんってお医者さんが、開いていたみたいですね」


「え?」


「ほらここ」


 鈴木が指をさしたまま、もう一方の手で懐中電灯を持ち、額縁を照らした。


 私は驚愕した。その額縁には医師免許証が飾られており、名前の欄には「佐藤 真司郎(しんじろう)」と記されていたからだ。


「そんな、馬鹿な……」


 わなわなと震える私に、鈴木が訝しむように「どうしました?」と声をかける。


 私は額縁から丸くさせた目を離さないまま、口だけを動かした。


「これは……これは私の……祖父の名前だ」


 どういうことだ? なぜ、ここに祖父の名前があるんだ? まさか、このクリニックは祖父の……? いや、あり得ない。祖父のクリニックは父が所有しているんだ。その所有物が犯罪の現場にされているなど、あり得ない。あり得ない……だが……!


 脳天に雷が落とされたかのような、強い衝撃を受けた。鼓動もだんだんと早くなる。汗も頭から、滝のように溢れ始めた。


 これははたして偶然なのか? 廃墟と化した祖父のクリニックを、たまたま犯人が美香たちを監禁するために選んだのか? それとも……


 そこで私は、あることに気がついた。


「鈴木君……」


「何ですか?」


「君が通院している……病院の名前は?」


「病院の?」


 鈴木は怪訝そうに聞き返すも、私の質問に答えた。


「今通っているのは峰内山精神病院です。初めて受診したクリニックのお医者さんが、そこを紹介してくださったんですよ。えーと……名前、何だっけ。最後が"こころのクリニック"っていうのは覚えているんだけどな……」


 私は額縁から、ゆっくりと視線を動かして鈴木を見た。


「佐藤こころのクリニック、か?」


「あ~、はいはい。確かそんな感じでした」


 私は懐中電灯を落としそうになった。美香と鈴木の共通点は、父のクリニックだった。美香は医療従事者として関わり、鈴木は患者として関わっていた。


 では、他の彼らは? 武藤はアルコール依存症だが、病院には関わっていない。だがもしも、その家族が関わっていたとしたら? 平もそうだ。あの体型とコミュニケーション能力からして、普段から引きこもっているのだろう。そういった子どもを持つ親が、精神科を受診することはある。潤美も睡眠薬を大量に所持しているという話だし、ドクターショッピングをしている可能性だってある。ショウコは病院自体を拒んでいるようだからわからないが、もしかすると彼女の夫に受診歴があるのかもしれない。


 信じたくはない。だが、仮説はするすると立てられていく。


 もう一度額縁に視線を戻すと、私はそれを手に取った。本当にこれは祖父のものなのか、手に取って確かめたくなったからだ。


 私は額縁から医師免許証を取り出すため、裏板を外した。するとそこには、とんでもないものが隠されていた。


「み、美香……?」


 出てきたのは、美香が写る写真だった。それも一枚や二枚ではない。十枚以上はある。私は一枚を手に取った。


 その写真はどれも不自然に見えた。まず被写体の美香がカメラの方を向いていない。ピントもずれており、ところどころ撮影者と思しき指が写り込んでしまっている。何より、どれ一つとして彼女は笑っていない。


 まるで、盗撮だ。そのせいで写真に写る美香の顔が、三階にいる彼女とは、どこか雰囲気が違うように見えた。


 そしてそれらの中に一枚だけ、美香と私の父の二人が並んで立っている写真があった。左側に美香、右側に私の父だ。父が開業しているクリニックの前で撮ったのか、建物上にある横看板が美香たち頭上にある。


 よく見ると、それは二人だけで撮られたものではなく、もう一人か二人、他の誰かと一緒に撮られたもののようだ。ようだ、というのは、美香と父が二人だけになるように左横半分が切り破られていたからだ。だから本来、「佐藤こころのクリニック」とあるところが、「佐」はもちろん「藤」の字の半分まで切られてしまっている。


 さっき食べた乾パンが、胃からせり上がってくるようだ。私は口元を押さえながら言葉を漏らした。


「ストーカー、じゃないか……」


 まさかこれは……私の父が? だが、しかし……いや、そうだとしたら?


 私はハッとした。私は美香の浮気相手の顔を見ていない。覚えているのは、相手の背が高いことだけだ。


 それが、もしも……もしも私の父だったとしたら? そうだとしたら、美香は浮気をしていたのではなく、父により手を握ることを強要されていたのではないのか? 父は美香にとって職場の上司であり雇用主だ。その権力でものを言わせて、美香に手を繋ぐことを強いていたとしたら?


 思い返せば、あの時の美香は手を繋ぐ前、やたらと周囲を気にしていた。あの時の表情が、恥ずかしそうにしていたのではなく、本当は困っていたのだとしたら?


「そんな……だとしたら、私は……私は……」


『どうして、信じてくれないの?』


 美香の悲痛な声が頭の中でこだまする。


「美香が、危ない……」



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