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歪の檻に囚われた、彼女の末路  作者: 天代智
美香
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真 side 1



 ・・・・



 美香を守ると心に誓ったはずなのに、それができない歯痒さのせいか。それとも、経験したことのない極限状態からくる緊張感のせいか。私が私でなくなっていく。腹の奥底から、この世に出してはいけないものが這い上がってくるような、不思議な感覚があった。


 この感覚は何だろう。まるで自分の中に、自分ではないものが巣くっているようだ。


『鬼よ』


 ショウコの言葉が頭に浮かんだ。馬鹿馬鹿しい。鬼などいるものか。この異様な空間にいるせいで、頭が変な思考へ傾こうとしている。きっとそうに違いない。


 私は階段を下りながら、頭を小さく振った。


「ん~、私が言うのもなんですけれど……」


 後ろから続く鈴木が、私の様子を窺いながら声をかけた。


「美香ちゃん。きっと浮気はしていませんよ」


「何?」


 階段を下りる足が止まり、私は鈴木を振り返った。鈴木はぎょっとした様子を見せたものの、すぐに笑みを貼り直して根拠のない意見を口にする。


「男の勘といいますか。私なんかしょっちゅう、男に浮気されて振られるんですけれど、浮気している人間って問い詰められると、だいたい目が泳ぐんですよ。でも、あなたに問い詰められていた美香ちゃんは寝耳に水って感じの反応でした」


「それは君の経験則だろう」


「でも、サレ男としての経験値は高いですよ」


 そんな経験値、決して誇れることではないだろう。鈴木はなぜか自慢げに言った。


 だが、鈴木の言うようことも一理ある。数日前に問いただしたはずのことに、さっきの美香は初めて知ったという反応を見せていた。タイムスリップをすると、数日前の出来事にも影響があるのか? この時代の私は、美香を問い詰めなかったのか?


 わからない。当時の美香も、なかなか認めなかったんだ。他の人間のいる前では、余計に認めたくなかっただけなのかもしれない。


「まあ、仮に美香ちゃんの罪がそれで合っているとして、です。彼女を問いただしたあなたの罪は何ですか?」


「私……?」


「ええ」


 鈴木は私の顔に向かって、照明を当てた。


「あんなに力強いビンタを披露しておいて、自分だけ罪を犯していないとは言わせませんよ。まさか、美香ちゃんに暴力を振るったのも、今回が初めてじゃなかったりして」


 そう言われて、私は思わず目を泳がした。


 十二年前、私は美香に手をあげてしまった。その時のことを合わせるのであれば、暴力はこれが初めてではない。だが、この時代の私が美香に浮気を問いただしていないのであれば、私はまだ美香に手をあげていないということだ。


「手は、あげていない。今回が初めてだ」


「本当に?」


「くどいぞ。それに、私は理由もなしに手をあげることはない」


「では、理由があれば手をあげてもいいんですか?」


「美香が悪いっ」


 私は鈴木を睨んだ。余裕がないせいか、感情が上手く抑えられない。私は言ってしまった後で、口元を覆った。


 すると、鈴木は自分のこめかみに指先を当てて、トントンと叩いた。


「真さん、頭ガチガチですね。それで本当に精神科医ですか?」


「なんだと?」


 私はさらに鈴木を睨んだ。しかし鈴木は臆することなく言葉を続けた。


「私が通う精神科の主治医は、一方的に相手が悪いと決めつけたりしませんよ。もしかしたら、その先生が特殊なだけかもしれませんが、今の真さんはただ感情任せに怒って相手のせいにしているようにしか見えません。本当に大切な彼女なら、見たことだけを責めるのではなく、なぜそうしたのかと、相手の意見も聞くべきじゃないですか? たとえ、相手がどんなに真っ黒なことをしていたとしてもね」


 浮気の現場をこの目ではっきり見たというのに、それ以上に何を聞けというのか。私は当時の記憶を思い出し、奥歯を噛みしめた。


「君は……私を苛立たせるために一緒に来たのか?」


 すると、鈴木は自分の前で手を振った。


「いやいや。一人じゃ危険だろうなと思ったからですよ。心配なだけです。さ、早く一階へ行きましょう。三階は女性陣だけなんですから」


 そう言って、先へ進むよう私を促した。


 その後は特に問題なく一階へ下りると、私はすぐ左手の診察室の方へ向かった。


「あれ? 平君に用があるんじゃないですか?」


 鈴木が不思議そうに声をかけるが、私はそれに答えなかった。


 私は潤美が言っていた平の様子を、改めて考えた。平はこの「1」の診察室を照らしてから、少し上に懐中電灯を向けて、最後に処置室を見たという。この一連の動きに、何かがあるのだろう。


 試しに、ロビーから診察室と処置室の間を適当に懐中電灯で照らしてみる。すると、処置室側の天井に何かが設置されていたような痕跡を見つけた。長方形で中にはコネクタのようなものが剥き出しになっている。何だろう、これは。


 そう思いながら、今度は処置室内を照らした。そこは診察室裏側から覗いた時と同じく、壁に沿うように割れた薬品保管庫と診察台があるだけだ。特に何かがあるようには見えない。見えないが……何だろう。この違和感は。何かがおかしい。


「そういえば私、ここの診察室はちゃんと調べてないんですよね」


 そこへ、鈴木が後ろから、隣の「1」の診察室を照らしてそう言った。私も鈴木と同じだ。この「1」の診察室は調べていない。中に入って真剣に調べていたのは潤美だけだろう。


 もしかしたら、潤美が気づいていないだけで、平が何かに気づいたということもある。先に入った鈴木に続くように、私は「1」の診察室の中に入った。


 潤美が調べていたファイルや書物は、最初に見た時と微妙に位置が変わっていた。一冊ずつ調べて、他の空いているスペースに読んだものを積んでいったからだろう。私は特に選ぶでもなく、机の上に置かれた一冊のファイルを手に取った。そこには、統合失調症やうつ病など、精神疾患についてわかりやすく記載された書類が収められていた。きっと患者やその家族に向けて作られたものだろう。それぞれの疾患の説明や人体に現れる症状、治療法など、要点が上手く纏められている。このクリニックの院長は、さぞ患者と家族思いの人間だったのだろう。


 手にするファイルを閉じてから、別のファイルを手に取ると、鈴木が「これを見てください」と言って、彼が手にするファイルを開いて見せてきた。


「な、何だ……これは?」


 思わず口をついて出た。私は鈴木からファイルを受け取ると、パラパラとページを捲った。そこには絵柄の異なる鬼の絵が、一枚一枚収められていた。前半は鬼単体で描かれたものが多く、後半は人間を食べたり、拷問したり、殺したりと、残酷なものが多かった。


 上でショウコが鬼だと鬼だと騒いでいるが、彼女の言う鬼とこれは、何らかの関係があるのか?



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