真 side 4
「あれ? 武藤さんは?」
同じく振り返った鈴木が、首を傾げた。あちこち辺りを照らしてみるも、武藤はいない。
彼が座っていただろう椅子の横には、スイッチの入った懐中時計が扉の方を向いて置かれたままだった。
私たちは顔を見合わせると、すぐに懐中電灯のもとに向かった。
「武藤さんっ。武藤さんっ」
武藤の懐中電灯を手に取りつつ、大声で名前を呼んでみても返事はない。
一階、二階同様、部屋の角にはトイレがあるが、そこにも彼の姿はなかった。三階のトイレには窓がないから、外へ出られるはずもない。
何かを探しに行った? いや、それなら懐中電灯を持っていくはずだ。一階にいる彼らのもとへ戻るにしても、これを持っていかない意味がわからない。
何より、私たちに声をかけることなくこの場を離れたことが変だ。まさか、武藤の身に何か起きたのか?
嫌な予感がした私は、駆け足でここから出ようとした。それを、鈴木が腕を掴んで制止する。
「待ってくださいっ。向こうから何かが聞こえてきますっ」
言われて私は耳を澄ました。すると、階段の方からカツン、カツン、という足音が聞こえてきた。硬い何かが当たるこの音は、先ほど一緒に階段を上がった武藤の足音とは、異なるように思った。
私たちは懐中電灯のスイッチを切ると、息を潜めて扉横の壁際に身を隠した。もしかしたら、犯人かもしれない。心臓が早鐘を打った。
足音は三階の扉前で一旦止まると、明かりだろうものを左右に向けた。こちらの出方を窺っているのか?
私は扉向こうにいるだろう人物に対し、懐中電灯を向けてスイッチを入れた。
「誰だ!?」
「きゃあっ」
女性の悲鳴があがった。いきなり照明を当てられたことで目が眩んだのか、“彼女”は両腕を自分の顔の前に翳した。
「ご、ごめんなさい……」
小さく謝る声を耳にして、私は懐中電灯を下ろした。
「えっ、美香?」
なんと、現れたのは美香だった。一階で待つように言っておいたはずなのに、なぜここへ?
「一人か? どうして来たんだ?」
周りに誰もいないことがわかるや否や、私は美香を窘めた。犯人が潜んでいるかもしれないこの状況で、なぜ一人で出歩くのか。その行動に驚くとともに、彼女に対してやや怒りを覚えた。心配だからこその怒りだ。
それは美香もわかったのだろう。彼女はもう一度、謝った。
「つい、心配で来てしまったの。それに、武藤さんを呼ぶ声が聞こえたから……。武藤さんに何かあったの?」
そういうことか。美香の性分からして、いてもたってもいられなくなってしまったのだろう。優しいのは彼女の長所だが、今はもう少し自分を大切にして欲しいものだ。
私はため息を吐くと、武藤が残した懐中電灯を見せた。
「懐中電灯を置いたまま、姿を消してしまったんだ」
「嘘……」
美香が信じられないといった顔で、口元を手で覆った。
「美香がここへ来る時に、武藤さんは見かけなかったのか?」
「いいえ。見ていないわ」
「だとしたら、屋上か?」
私が懐中電灯を向けるよりも早く、鈴木が階段を上っていた。私も後に続いたが、半分ほど上がったところで鈴木が例の南京錠を照らした。
「見たところ、鍵はかかっているようですけれどね」
ピタリと歩を止めた鈴木の二段下で、同じく懐中電灯を向けると、六つの鍵はすべてかかっていた。
一応、一個ずつ触れて確かめるべきか? と、私がもう一段階段を上がったところで、下にいる美香が、
「じゃあ、入れ違いってこと……?」
と、私たちに向かって投げかける。即座に答えたのは鈴木だった。
「それは無理があるんじゃないですか? この建物ってそんなに広くないし、階段もここだけでしょう? 外には避難口があるみたいだから、きっと外階段もあるんでしょうけれど……三階も二階も、避難口は封鎖されていた。ね? 真さん」
「あ、ああ」
それは私もこの目で確認した。どちらも板の上に釘が打たれていた。工具がないことには剥がせないだろう。
すると鈴木が、「うーん」と唸った。
「どうした?」
「いや、おかしいなと思って……」
「何がだ?」
「もしも、ですよ」
鈴木は前置きをしてから、
「もしも、武藤さんが姿を消したのが犯人のせいだとしたら、叫ぶなり暴れるなりしますよね。少なくとも、物音はするはずです。真さんは何か聞こえましたか?」
そう尋ねられて、私はハッとした。そうだ。椅子で休む武藤から目を離し、再び武藤のいる方を見るまでに、派手な物音も声もしなかった。
私の沈黙を肯定ととった鈴木は語りを続けた。
「そう。神隠しでもない限り、少なくとも音が聞こえるはずなんです。しかし実際、耳にした音はこうして階段を上がって来た美香ちゃんの足音だけでした。特に美香ちゃんはヒールを履いている。対して武藤さんは革靴だ。音の違いくらいわかるでしょ」
言っている意味はわかる。しかしそうすると、彼の言いたいことは……
「武藤さんは本当に消えたと言いたいのか?」
鈴木はやや口角を上げた。そして、懐中電灯を南京錠から私の足先へと移し、
「真さんのように靴下を履いているだけなら、忍び足で物音を立てずに姿を消すこともできると思いますよ。でもそれは、自発的に行ったということですよね? じゃあどうして、彼はそんなことをしなくちゃいけなかったんですかね?」
と、私を問い詰めるように鈴木は顔を近づけた。
あくまで、彼は神隠しのようなものを推したいらしい。馬鹿馬鹿しい。人間が消えるわけないだろう。自分のタイムスリップという超常現象を棚に上げながら、私は内心鼻で笑った。
だが、まっすぐに向けられるこの視線は、我々医師に対する患者の“お試し”に近いものを感じた。逸らしたら負けだ。
私は彼に視線を合わせたまま、
「人が、消えるわけがない」
と、答えた。
耳にした鈴木は「そうですね。杖を振る魔法使いでもいたら、話は別ですけれど」と言いながら階段を下りつつ、今度は美香に向かって質問する。
「ちなみに、美香ちゃん。二階は探されましたか?」
そう尋ねられた美香は、困ったように眉をハの字にさせると、「一階から、そのまま上がってきてしまったから……」と申し訳なさそうに答えた。
目の前に、自分と同じ背丈の男が立ちふさがり、
「見ていないんですね?」
「ご、ごめんなさい……」
なおも問い詰められた美香は、目を伏せて謝った。
「おいっ」
私はすぐに階段を下りると、鈴木の肩を掴んで美香から引き離した。
鈴木は悪びれた様子なく、両手を上にして降参のポーズをとった。
「責めてないです。ただの確認。それに、触れていないでしょ?」
「そういう問題じゃない」
私は語調を強めた。
「聞いて何が悪いんですか?」
「美香は男が怖いんだ。尋ねるだけなら、もう少し配慮をしてくれ」
「普段なら配慮くらいしますよ。私だって責めたいわけじゃない。でも、こんな状況ですよ? その上、人が一人いなくなったんだ。こっちだっていっぱいいっぱいなんですよ」
「それはわかる。だからといって……」
私と鈴木が言い合いを始めたところで、その様子を見ていた美香が居たたまれなくなったのか、
「わ、私……二階を見てくるわっ」
と、走り去っていった。
「待て、美香っ」
私は階下に向かった美香を追いかけるべく、鈴木を押しのけた。
鈴木は「はあ」とため息を吐きながら、私の背中に向かって、
「じゃあ、そっちは二人に任せるんで。私は本当に屋上の南京錠が閉まっているのか、それを確認してから向かいますね~」
と、大声で言った。
「頼むっ」




