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歪の檻に囚われた、彼女の末路  作者: 天代智
疑心
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真 side 3



 ゴクリと誰かの喉が鳴ったところで、私はその場で挙手をした。


「自己紹介をしませんか? この状況ではいつ解放されるのかもわかりません。それもこの人数です。さすがに呼び名くらいは知っておかないと不便だ」


 二、三人程度なら「あなた」や「君」くらいでも会話は成立するが、七人ともなると誰かを呼ぶ時、不便に感じる。十人、二十人が集まっているわけではないし、一度の自己紹介でそれぞれが覚えられる数だろう。


 もちろん、私から言い出したのだから、最初に名前を明かすつもりだった。それをすかさず、「じゃあ、言い出しっぺのあなたからどうぞ」と、向かいに座る鈴木から投げやり気味に振られた。目覚めてすぐの頃、彼が自己紹介を提案した際、私は苛立ち気味に拒んでしまった。それを根に持っていたのだろう。


 私はやや出鼻をくじかれた気持ちで名乗った。


「私は佐藤真です。全国で有名なあの佐藤に、真実の真でマコト。愛知県T市の精神病院で医師をしています。それでこちらが……」


 言いながら、視線を隣にいる美香へと向けて、挨拶を促した。


 私の意図に気づいた美香は、顔を上げて「あ」と口を開き周囲を見渡すも、すぐに口を噤んでしまった。


「美香?」


「……っ」


 挙動こそ不審ではないものの、怯えたような視線はキョロキョロと泳いでいる。まさか、この中に犯人がいるのか?


 いや、違う。美香の視線は明らかに、ここにいる男性へと向けられていた。割と小柄な鈴木にさえ恐れを抱いていたんだ。後の二人……とりわけ太った男性は、彼女にとって恐怖の塊だろう。


 開いた胸元が見えないよう、ブラウスを掴む美香の手が、ギュッと強くなった。


 私は震える美香の肩に手を回すと、


「こちらは、早瀬美香。精神保健福祉士……ケースワーカーで、クリニックで働いている。元同僚で、私と交際しています」


 と、彼女の代わりに周りへ告げた。抱く恐怖を肩代わりできるのなら、いくらでもそうしよう。実際はこのくらいしか代わってやることができないのが、とても歯痒かった。


 美香は声を上擦らせながら、後に続いて「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「はやせ……みか?」


 そこでウルミが怪訝そうに、美香を見た。この反応は何だろう? もしや美香を知っているのか?


「どうかしましたか?」


「いえ……何でもないわ」


 気にしないで、とつけ加えて、ウルミは視線を逸らし黙り込んだ。


 ウルミの反応が気になるところだが、気の強い女性だ。今、問い詰めたところで答えてくれそうにないな。仕方ない。


 この順番だと、次は美香の隣に座る老年の女性になるか。ちょうど時計回りになるし、彼女のようなタイプはこちらから促さないと名乗らないだろう。


 そう思い、私が手を挙げようとした、その時……


「改めて名乗りますけど、私は鈴木です。覚えやすいでしょ? 定職についていないフリーターです」


 ちょうど鈴木が、ひらりとやる気のない挙手をしながら自己紹介をした。後に何かを続けるかと思いきや、「次、どなたかどうぞ」と勝手に促すので、「待て、待て」と、私は横槍を入れた。


「鈴木君。君、下の名前は?」


 すると、鈴木は小首を傾げながら、やや挑発的に私を見た。


「それ、言う必要あります? ここには私たちを監禁した犯人、もしくは協力者が潜んでいるかもしれないのに?」


「ひいっ」


 犯人、という単語に、老年の女性が頭を抱えるようにして上体を伏せた。


 他の三人も、何も言わないものの、目尻を吊り上げながら自分以外の彼らを見回している。


 鈴木の言う通り、その可能性は充分にあった。犯人の目的がわからない以上、本名を名乗ることで身の危険を高めることに繋がるかもしれないからだ。もちろん、その危険性を考えなかったわけではない。だが、犯人が私達を意図的に集めたのであれば、ここで本名を隠すことに意味はない、そう思ったんだ。


「わかった。呼び方は各自、名乗れる範囲で構わない。本名じゃなくてもいい。ただ、お互いの認識だけはできるようにしておきたい」


「いいですよ。まあ、何度も言いますが、私の場合、鈴木は本名ですけれどね。ちなみに、鈴木は全国名字人口順ランキングで第二位に輝く、あの鈴木ですからね」


「ああ、悪かった、悪かった。君のことは鈴木と呼ぶよ」


 よく口が回る青年だ。まるで泳ぎ続けないと死んでしまう魚のようだ。


 鈴木の自己紹介をぞんざいに切ったところで、美香の隣でなおも怯え蹲っている女性を窺った。私が声をかけるよりは、美香から促した方がいいだろう。


 美香の肩から手を離しながら視線をやると、彼女は静かに頷いて女性の肩を優しく揺らした。


「ひぅっ」


 女性は一際大きく肩を震わせた後、恐る恐るといった様子で上体を起こしながら、先ほどの美香同様視線を泳がせた。額からは多量の汗を流し始め、白衣の袖口で左右に拭っている。酷い怯えようだ。


 次第に、向かい側に座るウルミが女性を急かすように、組んだ足先を揺らし始めた。わかってやっているのか、いないのか。どちらにしても、これでは却って逆効果だ。


 すると隣に座る美香が、女性だけに聞かせるような小声で囁いた。


「怖い……ですよね。私もです。だから名前も、無理に言わなくてもいいと思いますよ」


 その優しげな言葉と美香の微笑みに、女性は気を許したらしい。彼女は大きな呼吸を三回ほど繰り返した後、前にした互いの両手を握り締めつつ、自身の名前を口にした。


「さ……いえっ。ショウコ。私は……ショウコ、です。みょ、名字は言わなくて、いいんですよね?」


「ええ。ショウコさん」


 私が頷きながら、かつ確かめるように名前を呼ぶと、ショウコはキツツキのように首を振った。


「な、名前の漢字や、職業も言わなきゃ、だ、駄目ですか?」


「呼び方さえわかれば結構ですよ」


 そう言うと、自分の役目は終わったとばかりに、ショウコは胸を撫で下ろした。


 よかった。美香がいなければ穏便に事が進まなかったかもしれない。私は安堵するとともに、恐怖を抱えつつもそれを押しのけ、持ち前の優しさを他人のために発揮する美香に、鼻が高くなった。


「次は私ね」


 貧乏ゆすりを止めたウルミが、高くもややハスキーな声音で名乗り出た。


「美しく潤うで、潤美よ」


 口角を上げながら、これ見よがしに前髪を掻き上げる。ただそれだけの仕草だが、施した化粧や纏う衣服も相まって、夢魔のような印象を抱いた。


 潤美は以上といわんばかりに、両腕と、細く長い脚を組み直した。依然、名字と職業を言う気はないらしい。


 美香と違って、潤美は白衣のボタンをすべて留めていない。当然、体の前は開いており、ボコンと浮き出た鎖骨の下では深い谷間を作る胸元と、ストッキングすらつけていない素足が、太腿のあたりまで露わとなった。


 パンティはぎりぎり見えない彼女の下肢を、それまで目線を床に落としていた隣の太った男性が、食い入るように見始めた。おそらく女慣れはしていないだろう彼に、これで視線を外せと言う方が無理な話だ。いい歳をした私でさえ、彼女が白衣を着ていなければ目のやり場に困ったことだろう。


 今や余裕を含みつつも毅然と振舞っているような潤美だが、自分の前で組んでいる腕には、指が鷲の爪のように強く食い込んでいる。誰にも気を許さないという意志の表れだ。


「では、次の人。お願いします」


 もはや順番などない自己紹介。私は潤美の隣に座る太った男性に振った。


 会話どころか声すらまだまともに聞けていない彼だが、招集の呼びかけにはこうして素直に応じてくれた。


 当初は口が利けないほど恐怖を感じているのかと思ったが、その割に怯えている様子はないように見える。彼なりにこの状況を把握しようと冷静に見定めているのかもしれない。


 自身の親指の爪を齧りながら、男は周囲を睨みつけるように見渡すと、


「ひらたいらへいべい」


 と、想像以上に低く、籠もった声音で、呪文のような言葉を口にした。


「え? なんだって?」


「平が四つで、ひらたいらへいべい、だよ。知らないの? ヒヒヒッ」


 私を小馬鹿にするように、広い背中を丸めて、息を吸いながら肩で笑う。いわゆる引き笑いというやつだ。口元を手で覆いつつも、口角がこれでもかと上がり、頬にびっしりと蔓延る吹き出物が横皺によって今にも破裂しそうなくらいに押し潰されている。冗談を言ったつもりなのだろう。


 結果的には、その冗談が通じず誰が聞いても面白くなかったわけだが、もしかしたらこの不穏な場を彼なりに和ませようとしてくれたのかもしれない。残念ながら、美香、そして他の二人の女性が、この男から離れるようにそれぞれ半身ほど身を引いていた。


「わかったよ。たいら君」


 まだなお、愉快そうに笑う彼に、私はわざと反応せずあしらった。彼はあからさまに不機嫌顔を作るも、しぶしぶといった様子で口を噤んだ。反論もないので、今後も彼のことは平と呼ぶことになるだろう。


 最後に残るのはこのアルコール臭を全身から漂わせている初老の男性だ。まだ両瞼が半分ほど閉じている状態だが、平同様こちらの声掛けには応じてくれた。


「あなたで最後です。お名前は?」


 尋ねると、瞼はそのまま、彼は唇だけを動かした。


「武藤だ。別段、珍しい名字じゃない。仕事はしていない」


「ムトウ……武藤さんですね」


 鈴木のように無駄な会話を挟むわけでも、平のように冗談を口にするわけでもなく、シンプルに名前だけを答えた。声はかなりしわがれているが、意外にも、同性の中なら彼が一番好感を持てた。


「げふっ」


「ちょっと、やだ。きったないわね」


 最後にアルコール臭を含んだげっぷを豪快にしなければ、の話だが。潤美がしっ、しっ、と武藤を追いやるように手で払った。


 何はともあれ、これで全員が集まった……と、考えていいのだろうか。手分けしてこの建物内を探索したとはいえ、くまなく調べたとは言い難い。実際に行動したのも、七人中三人だけだ。特に三階は中に入っただけで終わっているようなもの。犯人が隠れているとしたらそこかもしれない。



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