朝日が昇る前に
翌朝、朝日が昇る少し前に目覚めた私は、エマを起こさないようにそっと彼女の腕から抜け出すと、ピッチの死体が眠っている廃墟に向かった。ほのかに明るくなり始める東の空を見ながら旧市街を歩く。部隊のみんなはまだ眠っており、昨日の宴会で散らかった鍋や酒瓶が広場に散らばっていた。
「ナヲー」
「あら、早起きですね。ナヲも一緒に来ますか?」
ナヲはまるで定位置だと主張するように私の首元で丸まると、そのまま器用に寝息を立て始めた。よく見ると口もとに食べ残しがついている。こやつ、さては宴会の残りを食べていたな。そして満腹で眠たくなったから、私の首に巻きついたのだ。まったく、私はナヲのベッドじゃないんだけどね。
わがままな獣の頭を撫でながら部屋に入ると、気温が低いおかげで、ピッチの死体は綺麗な状態で残っていた。
「さてと……じゃあ呼びますか」
髪の毛を何本か引き抜いて魔力を込めた。魔力糸に絡められた髪の毛はそのまま宙に浮かび、蛍のような光に包まれながらゆっくりと窓のほうへ向かう。
「本には長ったらしい呪文が書かれていましたが、彼なら適当に呼んでも届くでしょう……せいっ」
波紋のように光が広がると、宙に浮かんでいた髪の毛は溶けてなくなった。
錬金術だ。サルトリア魔術学院を去って以降も、時間があるときに復習をしているから、伝言を送る魔術ぐらいなら私でも使える。
すぐに光をかき消すような暗い霧が天井から降りてきた。冬の外気よりもさらに冷たい夜の霧。胡散臭い新聞屋が現れる合図だ。
「やあメヴィちゃん。君から呼んでくれるなんて初めてじゃないかな。今日は記念日にしようか」
「お久しぶりですルドウィックさん。起きているか心配でしたがタイミングがよかったですね」
「君が呼ぶならいつでも飛んできてあげよう。それと、僕のことは親愛を込めてルディと――」
「呼んだ理由はコレです。取引をしましょう」
ピッチの死体を指差した。ルドウィックさんが不満そうな顔をしたけど無視だ。
「以前、優秀な魔術士の体を探しているって言っていましたよね。すでに死んでいますが、これは魔女の死体です。役に立つんじゃないですか?」
「“菌糸の魔女”か。学院を荒らした報いを受けさせようと思っていたけど、手間が省けたみたいだ」
ルドウィックさんが獲物を見つけたように鋭い目つきをしている。この人、やっぱり本性は獣だね。隙を見せたら噛みつかれそう。
「本当は生きているほうがありがたいけど……君ってば随分と派手にやったねえ。臓器が集まっている胸元がぜーんぶ吹き飛んでいるじゃないか」
「仕方がなかったんですよ。私の魔術で綺麗な死体を残せって言うほうが難しいです。それで、あなたの“目的”に役立ちますか?」
「それは試してみないとわからないが、おおいに期待できると言っておこう。ちなみに、その首もとで眠っている獣にも興味がそそられるんだけど?」
「ひええ、この子はあげませんよ」
身の危険を感じたナヲがびくっと体を震わせた。怖いよね、この人。でも大丈夫。ナヲは私が守ってあげます。
「その獣、混ざりものだよ?」
ルドウィックさんが意味ありげに笑った。まるで「気付いているんだろう?」と言いたげに。まあ私だってルル婆の弟子だから、ルドウィックさんの言わんとしていることはわかる。だってナヲ、人間みたいに賢いし。
「ナヲは私の家族です。手を出したら、怒ります」
「おっと、それは恐ろしい。君を怒らせると何が起きるかわからない。ついでに教えておくと、その獣は魂の記憶が失われている。見たところ随分と大食いな人物だったみたいだけど、あまりにも獣と混ざりすぎてその習性ぐらいしか残っていないみたいだ……いやはや、興味深い」
「その目をやめてください。ナヲが怖がっています」
「飼い主に困ったら僕に言ってね?」
「絶対に言いません!」
カラカラと笑いながら、ルドウィックさんは夜霧を広げてピッチの死体を飲み込んだ。いつも彼が何もない空間へ消えるように、ピッチの死体が夜霧の中へ消えた。一般的に自身以外の肉体に干渉する魔術は非常に困難といわれているけど、一連の高等魔術をルドウィックさんは会話の片手間に行使した。やっぱりこの人は底が知れない。
「ルーミラの実験はどれも秘匿されている。だからこそ、その獣、もしくは君自身に計り知れない価値がある。君の身に宿す神秘や浪漫を、いつか僕にも見せてほしいよ」
そしてピッチの死体に向けていたものと同じ目で私を見てくる。人を人とも思わぬ魔女の目だ。きっと彼が人間らしい感情を乗せて見つめる相手はメルメリィ教授だけなんだろう。
「さて、取引成立だ。ピッチの死体はありがたく頂戴した。それで君は、僕に何を望むんだい?」
明け方の空よりも青い魔女の瞳。全てを見透かす怖い目。
あなたは、その目で何を見ていますか。何を考えているんですか。知りたいような、知りたくないような。きっとろくでもないことだろうね。そして、あなたにとっては大切なこと。
ねえルドウィックさん。最近、少しだけあなたの気持ちがわかるようになりました。
メルメリィ教授に寄り添うことで、あなたも安心していたんじゃないですか。自分の力に押し潰されないために。
「私は――」
◯
廃墟を出るとすでに朝日が昇っており、部隊のみんなが出発の準備を始めていた。遅くまで飲んでいたのにみんな早起きだ。私を見ると明るく挨拶をしてくれる。
部隊に指示を出しているのはエマだ。私の代わりに準備を進めてくれていたらしい。
「メヴィ、どこに行っていた?」
「ちょいと野暮用です」
「その内容を聞いているのだ。お前は目を離すとすぐに無茶をする」
「ひええ、信用がない……ピッチの死体を処理していました。エマが心配するようなことはありませんよ」
エマがちらりと私の腰に視線を向けると、有無を言わさずに鞄を開けて治療薬の本数を数えた。そして数が減っていないことを確認すると納得したように頷いた。世話焼きなところがやっぱり姉みたい。まあ年齢差を考えると、姉というよりは……おっと、睨まれちゃった。
出発の準備はそれほど時間がかからなかった。みるみるうちに片付いていく光景を横目にしながら、ポルナード君に話しかける。
「ポルナード君は別行動です。何人かつけるのでカタビランカに向かってください」
「もしかして、また僕に気を使ってるんですか? 大丈夫ですよ! 僕だってちゃんと戦えますから!」
どうやら先の戦いで一皮剥けた様子だけど、彼には本当にカタビランカへ向かってもらう任務がある。
「気合いを入れているところ悪いですが、これは隊長命令です。ちなみにフィリップ隊長が狙ってくるかもしれないので気を抜かないでください」
「うへえ……それってもしかして、戦場よりも危険だったり?」
「するかもしれませんねえ。信頼していますよ」
「貧乏くじじゃないですか。まあいいや、メヴィ隊長の無茶振りには慣れてますので、任せてください」
頼もしい返事だ。視線がちらちらとエマに向いているけどね。というか、そんなに無茶振りをした記憶はないです。
「私たちは多分、もうカタビランカに帰れません。軍と義勇兵が目を光らせていますので。だから隠密に長けたポルナード君に、街や王都の情報を集めてほしいんです」
「了解です。ちなみに誰が同行してくれるんですか?」
「オリバーの部下、ラシード斥候部隊です」
テントに顔を向けると、ラシード率いる斥候部隊が手を振った。彼らも最古参ではないけど長い付き合いだ。準二級や三級を中心にしているから実力もある。彼らならばポルナード君を守ってくれるはず。
「さあ私たちも片付けを手伝いましょう。出発まで時間は残されていませんよ」
エマとポルナード君の背中を叩いた。いよいよ西方蛮族の本拠地、プーレリアに侵攻だ。最大の障壁だったピッチは死んだけど、まだまだ西方蛮族の兵力は大きい。対して私たちは四十名ほどの小規模な隊。冷静に考えれば勝てるはずがない。
でも進むのだ。立ち止まる時間はないのだ。私たちは多くの願いを託された。アルジェブラさんが、オリバーが、戦場に散った仲間の無念が、私たちの背中を押す。
さあ戦おう。そして殲滅しよう。たとえ非人道的だと後ろ指を差されようとも、誰かがやらねばこの戦いは終わらないというなら、私たちが終わらせる。少しでもパラアンコが栄光の道へ進むために。
「総員、出発です!」
決死の覚悟で私たちは旧市街を発った。




