戦うしかないのだ
深い森だ。背の高い木々が空を覆い、まだらな影を地面に落とす。視界が悪く、障害物も多いため、慣れていなければ戦いづらい地形だ。西方蛮族の英傑を何名も討ち取った、パラアンコ軍のバーミュル開拓部隊は、こんな森の中を獣のように走り回ったという。先の戦いで隊長が死んじゃったけど、生きていれば戦況は変わっていたんじゃないかな。
「もうすぐ旧市街に着きます。何人か先行させて様子を見てきてください」
「了解です、メヴィ隊長」
指示を出すと、オリバーが数名の斥候を率いて部隊から離れた。この辺りは西方蛮族の支配地域だ。いつ敵と遭遇してもおかしくない。
「ああ、そうだ。ポルナード君はいますか?」
「はい、なんでしょうか?」
名前を呼ぶと、少し名残惜しそうな様子でポルナード君が来た。どうやらエマと話していたようだ。邪魔しちゃったかな。
「パラアンコ軍基地で私たちに責任をなすりつけようとした者がいるはずです。もう少し進んだら、ポルナード君はそちらを調べるためにカタビランカへ戻ってください」
「軍がアルジェブラさんの死を利用したってことですか?」
「裏で糸を引いたのが軍かはわかりません。どこぞの新聞屋みたいな厄介者かもしれないし、フィリップの息がかかった者かもしれません。私は後者だと思いますけどね」
「フィリップ隊長が、ですか……?」
ポルナード君は半信半疑といった様子だけど、あの男ならやりかねないと思う。特に今回のようなパラアンコ軍関連の厄介事はフィリップ隊長が一枚噛んでいる可能性が高い。彼とアルジェブラさんは仲が悪かったし。直接的な原因はピッチだけど、その死に価値があるならフィリップ隊長は迷わず利用する。彼は、そういう男。
でもフィリップ隊長に恨まれるようなことはしていないし、どっちかというと女狐のほうかな。うん。この一件が片付いたら、そろそろ彼女の対処も考えよう。
「ポルナード君も気をつけてくださいね。あなたには魔導具屋を任せるつもりなんですから」
「ああ、あれってまだ続ける気なんだ……もし本当にフィリップ隊長の仕業なら、もう僕たちはカタビランカで暮らせませんし、魔導具屋も廃業じゃないですか?」
「やり方はいくらでもありますよ。プーレリアを制圧したら、そこを私たちの拠点にしたっていいです」
エマに肩をポンと叩かれた。斥候が戻ってきたらしい。
「ただいま戻りました! 旧市街は無人で、敵の気配はありません!」
「ご苦労様ですオリバー。それじゃあこのまま旧市街に入りましょう」
西方蛮族はパラアンコ軍の拠点を攻めるのに夢中なのかな。両軍ともにここが正念場だとわかっているだろうし、きっと今頃は激しい戦闘が起きているはずだ。そのうちに私たちは敵の本丸を叩くってわけ。もしも軍属だったらこんな勝手は許されないけど、この辺りは身軽な義勇兵の特権である。まあ、もう義勇兵ではないかもしれないけど。
ちなみに「西方蛮族を滅ぼす」という目標はみんなに伝えている。エマとポルナード君以外は「メヴィ隊長についていきますぜ!」と賛成してくれた。エマはもともと部隊の方針には口を出さない主義だし、ポルナード君も自己主張をしない性格だから、実質的に全員の賛成を得られたと思っている。まあ仮に反対されたら私一人で戦うつもりだけどね。どちらにせよ西方蛮族を滅ぼすことには変わりない。だってアルジェブラさんに頼まれたから。
馬を走らせること数刻、私たちの部隊は荒廃した街に到着した。ここは自然を司る魔女によって飲み込まれた旧市街だ。冗談のように太い根っこや幹が街の至るところに生え、今もなお魔女の爪痕を残している。
「地盤が緩んでいるから崩落に気をつけろ」
「場所によっては森よりも歩きづらいですね。オリバー、斥候をもう一度出して周囲の警戒を。特に魔術士を中心にして魔導元素の流れを監視してください」
「了解です!」
威勢よく返事をしたオリバーが数名の魔術士と斥候を連れて街の外周に向かった。他の仲間にも指示を出していく。交代で休息を取りつつ、手の空いた者は馬の世話や食糧の管理、怪我人の手当てをしてもらう。砦を脱出する際に積める限りの食糧を持ち出してきたけど、この人数では数日しか持たないだろう。早めにどこかの街で補給をしないといけない。
「やけに敵の警戒をしているな。いくら西方蛮族の支配地域といえども、こんな旧市街に潜んでいないんじゃないか?」
「たぶん、そろそろだと思うんですよねえ」
「何がだ?」
空を見上げた。雲一つなく、寒々しい冬の青空が広がっている。
耳をすませた。生き物の気配はない。野生の獣はおろか、鳥のさえずりすら聞こえない。
空気を嗅いだ。わずかに湿っぽい。嫌な、匂いだ。枯草が足元を滑っていく。
「アルジェブラさんの死は、伝わっているはずです」
「ああ……菌糸の魔女か」
エマはすぐに察してくれた。私と一緒にサルトリア魔術学院の事件を見たから、彼女にもわかるはずだ。恐ろしく有能で、おぞましい、あの菌糸たちを。
「ピッチは我慢強い性格ではありません。種が破壊されたとなれば、必ず自分の目で確認し、後始末をしようとするはずです。そして、彼女の真骨頂は待ち伏せでしょう」
「自ら攻めるのではなく、敵が罠にかかるのをじっと待っている、か。厄介だな」
魔女が来る。必ず来る。
見逃してくれるはずがないし、西方蛮族を滅ぼすなら、ピッチとの戦いは避けられない。
「どこから来る?」
「旧市街に潜んでいると思っていましたが、今のところ気配はありません。でも私たちのことを見ているはずです」
「ふむ、やりにくい相手だ。エレノアのように正面から殴りかかってくれたほうが戦いやすい」
魔導元素に異変はない。道中に種は植えられていなかったし、街に到着しても異変は見つからない。台風の目に入ったような静けさが街を覆っている。
でも、いる。私の勘がそう告げている。だから構えておく。どれだけ準備をしても不十分なほど、魔女とは理不尽な存在だから。
「あら、オリバーが戻ってきたようです」
馬に乗ったオリバーの影が遠くに見えた。逆光になって表情は見えない。
でも、元気そうだ。ぶんぶん、と手を振っている。
「よく考えると、オリバーとの付き合いも長いな。ウサック要塞の生き残りは奴とポルナードだけだ」
「いつも宴会でポルナード君を歌わせていたビクトールを覚えていますか? 実は、ポルナード君が歌わされる空気を作っていたのは、ビクトールじゃなくてオリバーなんですよ」
「ハッハッハ、私も気づいていたさ。あいつは小細工が上手い。お前の秘蔵酒もよく盗んでいたぞ」
「ええ!? 初耳です! というか知っていたなら止めてくださいよ!」
ぱからぱからと音がする。まだ魔女は現れない。心臓が早鐘を打つ。嫌な感じ。
傾いた太陽の方角から、冷たい突風が駆け抜けた。思わず体を抱きしめると、指先が氷のように冷えている。どうしてこんなに寒いんだろう。いつの間にかナヲがいない。辺りを見渡しても姿がない。
「そういえば、前にオリバーから頼まれたんですよ。どうか僕たちを連れていってくださいって。たとえ死んでも、側にいさせてくれって」
「まるで遺言みたいじゃないか」
「まったくですよねえ」
太陽が雲に隠れた。眩しいほどの逆光が弱まり、ずん、と周囲の空気が重くなる。魔導元素の流れも変わった。でも、そんなことは気にならなかった。
だんだんとオリバーの影が近づいてくる。彼は大げさなほど手を振っていた。上半身ごと、ゆらゆらと。
「……オリバー?」
オリバーの馬が私の前で止まった。彼の顔は、目元から上にびっしりと菌糸が生えていた。
「メヴィ隊長! 特に異変はありませんでした!」
唇を吊り上げてオリバーが笑った。彼の後ろにいる魔術士たちもまた、同じように菌糸まみれだった。
私は苛立った。これは、私の判断ミスだ。
「やってくれますね」
自分でも驚くほど早く、腐敗の棘でオリバーの頭を撃ち抜いた。まるで危険を察知した体が勝手に動いたかのようだ。いつの間にか命を奪う動作が体に染みついていた。それがいかに不道理なことか、オリバーの体が馬から落ちてから気づいた。
私が合図を出すよりも早くエマが走り出し、残りの魔術士たちを斬った。恐ろしいことに、オリバーや魔術士たちの体からは血が流れない。この一瞬で体内をすべて菌糸に食いつくされている。
「オ、オリバー!? メヴィ隊長、これは一体……」
私たちの様子に気づいた部隊のみんなが動揺している。特にオリバーと仲が良かったポルナード君は青ざめた顔で私を見た。
「エマは部隊のみんなを落ち着かせてください。退却の判断は任せます」
オリバーの死が合図だったかのように地面が揺れた。亀裂の間や大樹の根本など、広場のいたるところから菌糸があふれ出した。あっという間に白く塗り変わる旧市街。ぶくぶくと膨れあがった菌糸がぼふん、と胞子を吹き出し、雪のように小さな粒が地面に降り注ぐ。
魔女は屋根の上に立っていた。ちぐはぐな靴下を履き、色とりどりの花が咲いた帽子をかぶり、ダボダボなコートを羽織った、西方蛮族の魔術士。タレ目がちな瞳が私を睨んでいる。学院では何度も話したことがあるけど、敵として対峙するのは初めて。
「久しぶりだねメヴィ。やっぱり学院で君を始末しておけばよかったよ。本当なら今ごろパラアンコ軍の拠点は崩壊していたはずなのに、まさか君のような小娘が弓騎士を倒しちゃうなんて思わなかった」
西方蛮族の魔女、ピッチ。格上の相手なのは言うまでもない。ルル婆やエレノアと同じく、顔の右半分に魔女の呪痕が刻まれ、彼女の感情に呼応して心臓のように脈打っている。
「ルル婆の教えが良かったんですよ。なんたって私は一番弟子ですから。弟子は師匠に似るのです」
「本当にその通りだと思うよ。輪廻の魔女は人格破綻者だからね」
魔女と争うのは無謀だ。でも、今なら戦える気がする。アルジェブラさんから受け継いだ呪痕が私に勇気をくれる。
「さあ戦おう。そのために君は来たんでしょ?」
ピッチが構えた。同時に無数の菌糸人形が現れて広場を囲む。エマや部隊のみんなも構えた。菌糸人形の相手はみんなに任せよう。
「ピッチが私を狙う理由は西方蛮族を守るためですか?」
「もちろんそうだよ。正確に言うなら、カーリヤ族を守って兄様に褒めてもらうため、かな」
私たちは戦うしかない。互いの目指す道が交差しているから。ピッチは西方蛮族を守るため。私はアルジェブラさんとの約束を守るため。
道が違えば学院に通う生徒として仲良くなれたのかな。できれば友達になりたかったな。でも、そんな未来はあり得ないんだと思う。私たちはみんな、譲れない何かを持っている。
「ままならないものですね」
戦うのだ。そして叶えるのだ。仲間がそう願い、私がそうしたいと思うから。




