踊る会議と止まない雨
自由の国・パラアンコの王都。国の行く末を左右する議会の一席。フィリップが諸侯貴族も顔負けな貫禄で座っている。まるで昔から議会員だったかのように見えるが、彼はまだ議会員になって数ヶ月しか経っていない。それでも彼のカリスマ性は瞬く間に議会を染め上げ、すでにフィリップの派閥が出来上がるほど影響力を高めている。フィリップが“栄光玉砕”と呼ばれながらも、多数の義勇兵を従えている所以の一端だ。
そんな彼は冷ややかな目で会議を見ていた。彼は退屈していた。眼前で繰り広げられる討論があまりにも杜撰に思えたからだ。
「聞きましたかね? ついに北西のラクーン砦を落としたそうだ。これで帝国との流通が改善されますぞ」
「それは少し気が早いだろう。まだ蛮族どもが西に残っている。奴らを排除せねば商人が寄りつかん」
「ハッハッハ、もはや時間の問題だよ。我らが慈悲で見逃していたものを、まさか奴らから仕掛けてくるとはな。おかげで蛮族どもを駆逐する口実ができた」
「西部解放が実現した暁にはぜひ我が領土に加えていただきたい。かの地の農作物は私の一族以外には育てられんだろう」
「抜け駆けは許さんぞ。最も多くの兵を送り出した我が領土こそ併合に相応しい」
戦場で犠牲になる兵士を数字でしか知らない貴族たち。彼らは自らの利益ばかりを優先し、いかに戦場が過酷であるかを理解していない。楽な戦いならば西方蛮族はとっくの昔に支配されていた。西方蛮族は強い。今もなお戦いが続いているのが何よりの証拠だ。
ゆえにフィリップは思う。やはりパラアンコは一度滅ぶべきだ、と。この腐りきった貴族や商人の集まりを一刻も早く排除しなければならない。そして自分こそが崩れ落ちるパラアンコの最後の英雄となるのだ。彼は想像する。炎に包まれて赤く染まる空。瓦礫に埋まった王都。そこに立つ、血ぬれた剣を握りしめた自分を――。
「やあやあフィリップ殿。戦況はいかがかね。そろそろシャルマーン軍を我が国から追い出せそうか?」
「ハッハッハ、これはローゼンベルク卿。随分と私を買ってくれるじゃないか。あなたがお持ちの魔導私兵団を貸してもらえればすぐにでもシャルマーン本陣に突撃しましょう」
「私兵団などと大層なものではないよ。あれは魔導研究所の残り火みたいなもの。ごく一般的な研究者の集まりだ」
フィリップは思考を中断した。話しかけてきたのは貴族のなかでも大物。かつてシャトルワース領に魔導研究所を作った男だ。今となっては輪廻の魔女に滅ぼされてしまったが、研究所が存在した当時は宰相に並ぶ発言力を持っていた。この男も排除すべき病巣の一つだが、他の有象無象と違って非常に狡猾であり、各所にパイプを繋ぐフィリップですら未だ尻尾を掴めていない。
「フィリップ殿は知っているかね。近頃は王都で面白い噂が出回っているそうだ」
「どんな噂かね?」
「フィリップ率いる義勇兵が勝利を運んでくれる。パラアンコ軍はお飾りだ、とね」
「ガハハ、恐れ多いですな。私はただ剣を振っているだけなのだが」
当然ながらフィリップは噂の内容を知っている。なぜならば彼が意図的に流したから。新聞屋を通じて情報を制限し、軍の活躍はあえて伝わらないようにした。結果として民から多くの信頼を勝ち取り、彼を英雄視する声も増えている。
下地は着々と出来上がりつつある。軍の優秀な人材はある程度引き抜いた。議会での発言力もあり、民からも信頼され、各貴族との繋がりも作った。
「野心があるのは結構だが気をつけたまえ。貴族の中には君を面白くないと思っている者も多いよ」
「ご忠告感謝しよう。ちなみにローゼンベルク卿はどちらかね?」
「無論、フィリップ殿を応援しているよ。君は今のところ沈みそうにない。私は勝ち馬に乗りたいのだ」
あけすけなく言い放つローゼンベルク卿。果たしてどこまで本心か怪しいものだ。彼が密かに魔導研究所の再建を目論んでいることは知っている。フィリップの肩を持つ代わりに、研究所の設立に協力させようと考えているのだろうか。狸め、とフィリップは目を細めた。
「では先に失礼するよ。フィリップ殿もあまり長居しないほうがいい。どうせ今日も建設的な議論はされないだろう」
「ローゼンベルク卿はどちらへ向かわれるのかね?」
「もちろん家族のもとだ。今日は妻と久しぶりに会えるのだ。君も大切な人がいるならば共にいる時間を大切にしたまえ。じきに忙しくなるのだろう?」
ローゼンベルク卿は含みのある言い方をして去った。フィリップは椅子に深く座り直し、卿が残した言葉を頭の中で反芻した。
大切な人。家族。そのような存在を今まで身近に感じたことはない。生まれたときから彼は一人であり、生きるためにずっと剣を握ってきた。時には悪事に手を染めたこともある。否、今も彼の両足は深い泥沼につかったままだ。今さら所帯を持とうなどとは微塵も思わない。
それでも卿の言葉を忘れられないのは、脳裏に花街で拾った女を思い浮かべたからだ。彼女は今、フィリップの命令を無視して西方の拠点にいる。メヴィという存在がいずれフィリップの邪魔になると考え、排除するために。
「愚かしいものだな。私も、君も。この国も」
未だ不毛な討論を繰り返す議会を見下ろしながら呟いた。フィリップの背後には深い闇が広がっている。彼自身すら飲み込みかねない闇。積み重なった怨嗟の塔を背負いながら、彼は今後の動きについて思考を巡らせた。
◯
滝のような大雨の街路に二人の人影がある。チグハグな格好の少女が苦しそうに倒れ、その上に褐色の少女が足を乗せながら鉄槌を向けていた。周囲に住民はいない。そもそもの大雨で外出が少なく、しかも二人の戦闘によって地面や家屋が無惨に破壊されており、住民たちは巻き込まれないように逃げてしまった。
「これ以上は無駄だ。できれば私は魔女協定を破りたくない。諦めて帰ってくれないか?」
ほとんど無傷の少女・エレノア。顔にまで刻まれた呪痕がドクンドクンと脈打っている。まるでいつでも殺せるのだと警告するかのようだ。
雨乞いの魔女・エレノア。
その戦闘能力をピッチは見誤った。神に愛された肉体と幼少期より研鑽された呪痕。魔術士でありながら上級騎士に匹敵する身体能力を持ち、こと正面からの戦いならば無類の強さである。
「それは……私の、台詞だよ。何が望みで、私たちの街を沈めるの?」
苦しげに息を吐くピッチ。まともに鉄槌を食らってしまった彼女は肋骨が何本か折れている。自力で立ち上がれないほどの激痛に襲われ、まともに声を発することすらままならない。
「望みか。慈雨の巫女エレノアとして答えるならば、主が満足されるまで祈るのが役目だ。特に理由などない」
エレノアにとって街が沈むのは結果に過ぎず、あくまでも巡礼こそが目的だ。各地を巡って慈雨を願い、感謝の祈りを捧げることで主の恩寵を得る。
しかし彼女は迷っていた。カタビランカから流されて森に行きつき、そこで見上げた景色が目に焼きついて離れなかった。
「だが、ただのエレノアとして答えるならば……私はもう一度だけ青空が見たい」
「青空?」
「ああ、この辺りは原初の魔女が生まれた場所だろう? ならば呪痕を消し去る方法が見つかるかもしれないと思った。収穫はなかったがな」
エレノアが西部を巡っているのは新聞屋に勧められたからという理由が半分、呪痕を消し去る手掛かりを探すのが半分だ。無論、本当に見つかるとは思っていない。呪痕というものは強大で便利な反面、未だに原理が解明されていないブラックボックス。もしも呪痕を消し去る方法が見つかっていればあの新聞屋が広めているだろう。
「まさか、雨乞いの魔女ともあろう魔術士が……ゲホッ、青空を求めるなんてね。あなたの信条に反するんじゃない?」
「その通りだ。大地はまだ乾いている。だがな、もはや同郷の者は生きておらず、同じ信条をいだく者は私しか残っていない。たった一人の信仰に果たして意味があると思うか?」
雨が降っている。肌を打つような雨粒がエレノアの髪を濡らす。
ピッチは自らを足蹴にする魔女を見上げた。濡れすぼったエレノアの俯き加減な表情は、街灯の影になって一段と暗く、行き場のない亡霊のように見えた。
「私は、少し疲れてしまった。一人で戦い続けるには限界があるのだ」
魔女は本来、自らの指針となる感情を忘れない。常軌を逸した欲望が人を魔女に至らせる。だがエレノアは、そんなアイデンティティともいえる感情すら忘れてしまうほど疲れていた。あの日、見上げた青空が最後の後押しとなったのだ。
「あなた、本当に魔女?」
「魔女だって迷うことはある。それともお前はただの魔術士に負けたのか?」
言い返せないピッチ。今も折れた肋骨のあたりをグリグリと靴で踏まれている。悲鳴を上げないのはピッチに残された魔女としての意地だった。
「……サルトリア魔術学院」
「なんだ?」
「シャルマーンの学院に、呪痕を消す方法について調べている講師がいる。厄介なおまけ付きだけどね」
「それは本当か? 私を追い出すための出鱈目ならば、このままお前の頭を潰してやろう」
「本当さ。疑うなら街を出る前に新聞屋を呼ぶといいよ。あの男、どうやら学院の出身らしいから」
「……いや、やめておこう。ようやく離れた重りをまた背負いたくない」
エレノアは足をどけると、握っていた鉄槌を適当な場所に放り投げた。魔術が解けた鉄槌はバラバラと崩れて瓦礫に変わる。
ピッチの言葉を完全に信じたわけではない。だが元より具体的な目的地のない旅路。少しでも可能性があるならばシャルマーンに向かうのもいいだろう。エレノアの呪痕がどくんと光った。期待に胸を弾ませるように。
「シャルマーンか。我が一族を砂漠に追いやった国の土を再び踏むことになろうとはな。ピッチ、一つだけ忠告をしておこう。もしもルーミラの弟子が現れたら争うな。あれを下手に刺激すると噛みつかれる程度では済まん」
「私だって争いたくないよ。でもね、あの子がカーリヤ族と敵対するなら、私が討たないといけないの。私はピネ・チェア・ドロシー。カーリヤ族長の妹だよ?」
ピッチの意志はかたい。兄の剣となり、盾となって戦う喜びこそが、ピッチを魔女たらしめる。
エレノアはそれ以上なにも言わずに立ち去った。魔女のよしみとして忠告したが、それでも争うならばエレノアは止めない。他人の忠告が意味をなさないのは他ならぬエレノアがよく理解している。
雨雲が北方へ、赤硝国家シャルマーンへ移動する。彼女が学院で厄介者と再会するのはもう少し先の話。




