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献身欲求  作者: 畑中みね
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カタビランカは変わった

 

 長い旅を終えた私たちはカタビランカに帰った。

 街は異様な空気に包まれていた。すでにサミダラ要塞の陥落は伝わっているらしく、「次はシャルマーン本土に侵攻するのでは」とか「今度こそ西方蛮族を制圧しよう」とか血生臭い言葉が街を飛び交っている。


 戦争が焼くのは街だけではない。権力者の言葉が良心や常識、恐怖を感じる心まで燃やし、そうして生まれる同調圧力が熱波となって群衆を狂わせる。戦争は人の心をも焼いてしまうのだ。

 そんな戦いの匂いを嗅ぎつけたのか、戦いを生業にするような者が街に集まっている。傭兵と思しき騎士。怪しげなローブを羽織る魔術士。布教に精を出す邪教徒。困窮して奴隷に落ちた者。強者との戦いを求める者。

 カタビランカは変わった。以前よりも人が増え、以前よりも流通が盛んになり、そして以前よりも物寂しくて殺伐とした街になった。


「私は先に報告をして来るわ。二人はゆっくり休みなさい。ああ、フィリップがすでに帰っているでしょうから、捕まらないように気をつけてね」


 そう言ってアルジェブラさんが駐屯基地に向かった。その後ろ姿はどこか夢見心地というか、ふらついて危うげな様子であり、エマが険しい目つきで彼女を睨んでいる。


「……おかしいと思わないか?」

「おかしいですよねえ。私もそう思います」

「メルメリィ教授と戦った夜から弓騎士殿の様子が変だ。どうにも生気が感じられない」


 アルジェブラさん、どうしちゃったんだろう。彼女は勘違いされがちだけど戦闘狂だ。パラアンコが繁栄するためならば喜んで侵略に荷担する。だからサミダラ要塞陥落の報を聞いて奮起し、今こそ戦おうと武器を振り上げる市民たちの姿はアルジェブラさんにとって喜ばしいものだと思うけど、彼女の顔色は晴れない。


 長く戦場にいるとおかしくなる人は多い。サミダラ要塞の戦いのとき、即席砦にいた兵士はひどかった。戦場でのストレスや少ない配給による空腹、敗色濃厚な戦いへの不安、塹壕のなかで媒介する感染症と、それらを治すために渡される質の悪い治療薬。極限状態のなかで壊れゆく兵士を何人も見てきた。

 だからこそアルジェブラさんが心配だ。一人で抱え込んでいなければいいけど。


「また今度、祈祷士に診てもらいましょうか。多分私たちが言うまで診療所に行かないと思うので、休暇が終わる前に連れて行きましょう。腕の良いシスターを知っているんです」


 さて、街を散策しながら義勇兵の寮に帰ろう。良くも悪くも活気づいた街を歩いていると、道端の露店から「へい嬢ちゃん! 珍しい魔導書が入ったんだ、見ていきなよ!」と声をかけられた。私が魔女の弟子だと知らない、最近街に来た商人だ。魔導書には『著者 メルメリィ教授』と書かれており、嫌な記憶が蘇る。


「さっさと帰るぞ」


 エマに手を引かれた。露店の店主が「冷やかしかよ」と悪態をこぼすのが聞こえた。

 サミダラ要塞の戦いは終結しているし、フィリップ隊長が帰っているということは、部隊のみんなも寮にいるはずだ。久しぶりにみんなと会いたい。無事な姿を確かめたい。そして全員で祝勝会を開こう。ポルナード君も呼んで盛大に騒ぐのだ。


「やあメヴィ、ようやく帰ったか。随分と長い旅だったな」


 寮に近づくと門兵のザックに話しかけられた。彼は初めてカタビランカに来た時に本部の門番をしていた義勇兵だ。雨乞いの魔女によって相棒のアインが殺されてからは一人で門を守っている。最初こそ私のことも怖がっていたが、私が無害で善良な性格だとわかってからは仲良くなった。

 ちなみにザックはパシフィックさんの部隊に所属しているらしいけど、彼らが一緒に行動しているのを見たことがない。本当に同じ部隊なのか怪しいぐらいである。


「久しぶりに帰れて安心していますよ。もう馬車での旅は勘弁です」

「シャルマーンの戦場に行ったと聞いたときはついに命運が尽きたかと思ったが、五体満足で帰還とは驚いた。やはり魔女の弟子ってのはすごいもんだな」

「恐縮ですう」


 ルル婆の教えがすごいんじゃなくて、私が頑張った結果だと思う。でも一応謙遜しておいた。私は謙虚な人間なのだ。

 ザックの隣にはもう一人、義勇兵が立っている。髪を後ろに撫でつけ、落ち窪んだ瞳で周囲をにらむ姿は一見すれば浮浪者のようだけど、彼は私を見た瞬間、ぱぁーっと嬉しそうな表情を浮かべた。


「ご無事でなによりです、メヴィ隊長! アルジェブラ姐さんも!」


 彼はオリバー。私の部隊の一員であり、ウサック要塞で一緒に城門を破壊した古参兵の一人だ。ポルナード君とよく一緒にいる光景を見かけるから多分仲が良いのだと思う。


「オリバーも元気そうで良かったです。みんなはどこに?」

「そろそろ隊長が帰ると思って、宴会の買い出しに行ってます! 要塞戦でたんまり稼いだんで期待してください!」


 エマが不思議そうに首を傾げた。なぜ私たちが帰るのを知っているのだ、と言いたいのだろう。ふふん、私も知りません。きっと目に見えない絆的な何かで結ばれているのだ。もちろん、私とエマもだぞ。なぜかエマが身震いをした。


「ああ、それから隊長に会いたいってんで待たせている人がいます。えらい別嬪な嬢ちゃんでしたよ」

「私とどっちが綺麗でしたか?」

「パシフィックなら隊長を選ぶでしょうね」


 嬉しくないわい。でも別嬪な嬢ちゃんとは誰だろうか。義勇兵は基本的に男所帯だから女性の知り合いは少ないんだけど。


「とりあえず会ってみますか。それじゃあオリバーはまた後で。ポルナード君が逃げないように捕まえておいてくださいね」

「任せてください! あいつを捕まえるなんざ地下街の大鼠を探すより簡単でさぁ!」


 祝勝会の準備はオリバーたちに任せるにしても、お酒の準備ぐらいは手伝おうかな。たしか寮に秘蔵の葡萄酒が残っていたはずだ。戦争によって食糧難が続くこの情勢、葡萄酒一本でも目が飛び出る値段がするんだけど、こういう暗いときこそ思い切り楽しまないとね。


 オリバーと別れて寮に向かう。街を歩いているとたまにフィリップ隊長を支持するような声が聞こえた。議会席を獲得したとは聞いていたけど、彼の影響力はすでにカタビランカまで広がっているらしい。さすがに噂が回るのが早すぎる。きっとフィリップ隊長が裏で動いているのだろう。

 考え事をしているとエマが突然立ち止まった。


「どうしました?」

「お前に用がある、というのは奴か? あの格好は魔術士だろう……結構()()()ぞ」


 寮の入り口に立つ小柄な人影。私は納得した。ああ、たしかにオリバーの言うとおり「別嬪な嬢ちゃん」だ。

 一見すれば少女に見えるほど整った顔立ちをし、さらさらとした髪を風にたなびかせる()()

 ひねくれ人形(ドール)ことセルマだ。そういえばすっかり忘れていたけど、ルル婆が会いたがっているとルドウィックが言っていた。


「彼はルル婆の使用人です」

「輪廻の魔女殿の? それは……大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。たぶん」


 セルマはなぜか両腕に真っ白な生き物を抱えている。屋敷の図鑑にも見たことがないから、たぶん新種の獣かな。ふわふわとした生き物を抱えるセルマはちょっと可愛らしい。

 近づくとセルマが私たちに気づいた。思い過ごしかもしれないけど、どこか安心したような顔をしている。


「お久しぶりですメヴィ。元気にしていましたか?」

「便利にこき使われていますよ。ルル婆の修行とどっちが楽かと考えるほどです」

「それはよかったです。あなたが怠けていないかとルーミラ様が心配していましたから」

「なにも良くないですよお」


 酷い言い草だ。もっと私の安全を心配してほしい。


「とりあえず中に入りましょう。待ちくたびれてしまいました」


 寮の中は相変わらず誰のものかわからない装備や洗濯物でごった返していた。部屋から溢れ出したごみが廊下を塞いでいるせいでまるで迷路みたいだ。そんな寮の中をセルマが勝手知ったる様子で進んだ。


「あれ? セルマはどうして私たちの部屋を知っているんですか?」

「親切な男性が教えてくれました。パシフィック、という男です」

「……一応言っておきますが、その男の恋愛対象は歳下です。気をつけてください」

「私は男ですよ?」


 うーん、どうだろう。パシフィックさんなら気づいていない可能性があるし、気づいたうえで狙っている可能性もある。というか道中の街で別れてから会ってないけど、パリータの面倒はちゃんとみているだろうか。少し心配だ。

 寮の階段をのぼっていると、部隊のみんなが話しかけたそうに私たちを見ていた。どうやら無事に帰れたらしい。死んだのは……いや、数えるのはやめておこう。せっかくセルマが会いに来てくれたのに気分を下げたくない。

 部屋に入るとセルマは勝手知ったる様子で椅子に座った。それからぐるりと室内を見渡した。


「殺風景な部屋ですね」

「そうですか? 色々な家具が置いてあると思いますけど」


 部屋の端にはエマが騙されて買った魔導具があるし、壁にはエマの実家から送られてきた絵画を飾っている。他にはエマが折ってしまった剣とか、ポルナード君が忘れていったお守りとか。部隊のみんなが勝手に置いていくお酒もあるし、エマがいつの間にか買い始めた魔女新聞もある。家具とはいえない物も多いけど、殺風景ではないはずだ。


()()()()()()()()()()


 セルマはなぜか悲しそうに目を細めた。おかしな人形だ。エマの私物がこんなにたくさんあるのに。


「その帽子はどうしたんですか?」

「魔導地下街で買いました。魔女の弟子っぽいでしょう?」

「ええ……そうですね。ルーミラ様よりもよほど魔術士に見えます。そうだ、あとで魔導地下街にいきましょう。メヴィが欲しいものを買いますよ」

「本当ですか!? 言質は取りましたからね!」


 何を買ってもらおうかな。特に欲しいものはないけど、せっかくだからお言葉に甘えよう。


「さて、先に用事を済ませておきましょう。私の要件はこれです」


 セルマが見覚えのある首飾りを出した。ああ、まっずいかも。そういえばマダムに貸したまま忘れていた。というか忙しすぎて色々なことを後回しにしてしまっている。


「勝手に手放したのはもちろんですが、なぜあのような品のない連中に渡したのか、納得のできる説明をしてください」


 ひええ、恐ろしい。明らかに怒っている。セルマは意外と怖いからなあ。

 でも今回は私、悪くないもん。地下街の情報を集めるためにはマダムの協力が必要だったし、首飾り以外に私が差し出せる物はなかった。それに後で返してもらうつもりだったから問題ないはずだ。


「えっとですねえ――」


 とりあえず事情を説明した。あやふやな部分はエマが補足してくれた。たぶん、ちゃんと伝わったと思う。

 セルマはしばし難しい顔をしながら考えた。人間のように悩み、考え、怒るセルマを見ていると、彼が精霊だということを忘れてしまいそうになる。


「理解しました。今回はエレノアが関わっていたようですし、大目に見てあげましょう。次からは私に心配をかけないでくださいね」

「セルマ、心配してくれたんですか?」

「……あなたの面倒を見るように言われていますので」


 つん、とそっぽを向くセルマ。知っているぞ! これは照れ隠しというやつだ!

 まるで私の心を読んだかのようにセルマが睨んだ。私は話を逸らすためにセルマが抱えている生き物について尋ねた。


「気になっていたんですけど、その子はいったい?」


 イタチのように長い胴体を持つ獣。柔らかそうな毛がセルマの腕に沈み込んでいる。ふわふわしていて凄く触りたいのだけど、セルマが真面目な話をするから我慢していたのだ。


「新しく発見したサルファの獣です。屋敷の近くで拾いました。よければメヴィに預けようと思いますが、どうですか?」

「私に?」

「どうも私のことを怖がっているようで、捕まえようとすると逃げるのです。かといって野に放つわけにもいかないので、メヴィさえ良ければ飼ってください」


 言われてみれば獣は小さく「ナヲー」と鳴きながらセルマの腕の中で震えている。動物的な直感がセルマを怖がったのかな。そーっと指を近づけると獣が匂いを嗅ぎ、ペロペロと小さな舌先で指をなめた。利口で可愛らしい子だ。


「本当に飼うつもりか? 我々は義勇兵だ。寮にいる時間も短い。面倒をみられないかもしれないぞ」

「ですがエマ、癒しは必要だと思いませんか?」


 びっくりさせないように優しく獣を抱き上げると、羽のように柔らかい感触が腕を撫でた。野苺のように小さくて赤い瞳が不安そうに私を見上げている。二、三回撫でてからエマの近くに寄った。彼女は「うっ」と声にならない呻きを上げると、しばし迷ってから手を伸ばした。三角形の耳がエマに撫でられて形を変える。


「大丈夫ですよ。サルファの獣は賢いです。帝国では獣使いと呼ばれる職が軍で採用されるほど、この子たちは人間の世界を理解しています。もちろんこの子を戦わせるつもりはありませんが」

「……まあいい。お前が何かを欲しがるのは珍しいからな。二人で面倒をみていこう」


 やった、飼っていいって。言ってみるもんだ。


「ちなみに、その獣はとても食いしん坊です。油断していると保存食をすべて食べられますので注意してください」

「ハッハッハ、その心配は無用だ。先にメヴィが食べ尽くすからな」


 お前、食いしん坊なのか。獣の鼻先をちょんとつつくと、小さな口から鋭利な牙が見えた。噛まれないように気をつけよう。

 獣はぶるぶると体を震わせると、長い胴体を器用に使って私の体をよじ登り、マフラーのように首もとで丸まった。獣の体温がじんわりと私を温めてくれる。これからの冬は寒くないかもしれない。そう思うとなんだか心まで暖かくなった。


「あのー、ちなみにマダムってどうなりました?」


 ふと思い出してセルマに尋ねた。彼は無表情なまま、わずかに視線を鋭くして答えた。


「言うまでもないでしょう。輪廻の魔女が住まう街に踏み入った時点で、彼女らの運命は決まっています」


 そっか、そっか。パシフィックが言っていたとおりだ。花街の王は勇敢にも魔女に挑み、力及ばず散ったのだ。

 私はマダムのことをよく知らないけれど、彼女が大きな影響力を持っていたのは間違いない。特に花街の力関係は崩壊し、次の統治者を決める争いが始まるだろう。パシフィックさんはどうするのかな。花街を気にかけているようだったし、彼がうまく花街をまとめてくれたらいいな。


 一代で花街を統治した夜の女王。狡猾で、残忍で、そして大の男も顔負けなほど大食いだったマダム。花街の料亭で腹を空かした獣のように料理をたいらげるマダムの姿を思い出しながら、私は獣の頭をなでた。




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