見捨てないでくださいね
腹を満たした私たちはパシフィックさんと別れて酒場を出た。夜風が冷たい。それが火照った体に心地よい。酒場からの帰り道、前を歩く二人に話しかけた。
「先に帰っていてください。私はもう少し街を歩いてきます」
「一人では危ないだろう。私もついていこうか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。この街は戦場に近いせいか、感覚の鋭い人が多いようです。ちゃんと私が魔術士だとわかっているはずなので、無闇に襲ってきたりしませんよ」
「それならいいが……何かあれば連絡をくれ」
エマが耳飾りを指でトントンと叩いた。私とポルナード君で作った魔導具だ。これがあれば街のどこにいても連絡ができる。我ながらすごい発明だぞ。頑張ったのは主にポルナード君だけどね。
足のおぼつかないアルジェブラさんと、彼女を支えるエマの後ろ姿を見送ってから、私は来た道を引き返した。初めて訪れた街だから道はわからない。でも匂いはわかる。魔術士が放つ独特の気配を追いながら、私はいくつかの角を曲がった。
「ここでしょうか」
念の為にフードをかぶっておく。顔を見られたら面倒だ。大きめのコートを買って正解だった。深いフードと夜の暗がりが私の顔を隠してくれる。
扉を開けると、店内は落ち着いたバーのような雰囲気だった。見るからに腕の立ちそうな者たちが静かに酒を飲み交わしている。騎士が二、魔術士が四。一番強いのは二級騎士かな。
値踏みをしていると店主が話しかけてきた。中年の渋い男。この人も相当腕が立ちそうだ。
「うちは酒しか出さないぞ」
「飲める歳なので大丈夫です」
「……そうかい」
疑わしげな目をしているけど、追い返したりはしない。私が準二級魔術士だと気づいているのだろう。カウンターに数枚の金貨を置いた。
「そんなに高い酒は置いていない」
「わかっているでしょう。迷惑料です」
店主が面倒な顔で金貨を受け取った。了承したと捉えていいだろう。私は席に座らず、奥で集まっている男たちに近づいた。
数は六人。しかも一人一人が準二級か二級相当。たぶんこの街でもそれなりに名を馳せているのだと思う。彼らの表情からは自信が溢れていた。私は無言で歩み寄る。気づいた一人が怪訝な声を上げた。
「何の用だ」
すぐさま警戒態勢を取るのは場慣れしている証拠だ。他の五人も平然としながら呪痕を構えており、私が見た目どおりの子供ではないと察している。少し面倒だな、と思いつつ私は目的を話した。
「あなたたちの魔導具に噛みつかれてしまいまして。解除してもらえませんか?」
私は左腕をまくった。袖の下から薔薇のような入れ墨が現れ、それらが動くたびに腕から血が流れているのがわかる。
呪い返し。パリータの魔導具を溶かす際に、呪い返しの標的をパリータから私に移したのだ。正直、結構痛い。でもパリータに呪い返しを受けさせるほど私は非情じゃないから間違ってなかったと思う。
「呪い返しの解除方法は知ってんだろ?」
「はい。契約者に呪い返しを解いてもらう必要があるんですよね。まあ無理やり解除してもいいんですけど面倒ですし、サクッと解いてもらえませんか?」
男のこめかみがピクッと動いた。
「人様の契約を勝手に破っておいて随分な言い草だな? 嬢ちゃん、大人の世界ってのは好き勝手が許されねえ。通さないといけねえ筋ってもんがある。帝国の精鋭騎士だって例外じゃないんだ。わかるかい?」
「筋を通すにはあまりにも杜撰な契約だったので。子ども相手に大人気ないと思いますよ」
「足を踏み入れた時点で年齢は関係ねえよ。お嬢ちゃんだって魔術士ならわかるはずだ。パラアンコは自由の国。ここでは年齢の壁なんて無いに等しい」
素直に聞いてくれる様子はない。まあパリータにあんな契約をさせるような者たちだから予想どおりだ。一応、依頼の仕事中に問題を起こすとアルジェブラさんに迷惑かなと思って話しかけたけど、結局は力で解決するしかなさそう。なにせここは自由の国だから。
「それじゃあ別の手段にしましょう。呪い返しの解除方法はいくつかあります。術士に解いてもらうか、もしくは――」
「術士を殺すか、だろ?」
私の気配が変わったのを察したのか、男たちが一斉に魔術を放った。流石はパラアンコの裏社会を生きるならず者。判断が早い。とっさに体を後ろへ倒すと、目に見えない刃が鼻先を飛んで後ろの壁を切り裂いた。
「ひええ、おっかない。いたいけな少女に手加減をしないなんて酷いです」
呪痕に力を込めた。ぼたぼたと黒い液体が右腕から落ちて波紋になり、逃げる間もなく男たちの足元に広がった。夜空よりも暗い色をした水たまり。直後、男たちの足が沈み始める。しゅわしゅわと音を上げながら。
「ああぁぁァァア! 足が、俺の足が……!」
男たちは魔術で抜け出そうとした。でも激痛で集中が途切れ、うまく魔術が発動しないみたい。徐々に黒い湖へ沈みゆく男たち。外まで聞こえるほどの大声で叫んでいるけど誰も助けに来ない。店内にいた他の客もいつの間にか居なくなっている。夜の街では日常茶飯事なのだ。嗅覚の鋭い者だけが生き残る。
「た、助けてくれ! 俺たちが悪かった! 契約は破棄するから、早く!」
「半分ほど沈んでいるのによく叫べますね」
肺が溶けていてもおかしくないのに素晴らしい生命力だ。やっぱり呪痕を刻んだ騎士は頑丈だね。多少なりとも私の腐敗に抵抗するなんて。まあ周りを巻き込まないように手加減しているんだけど。
やがて悲鳴が聞こえなくなった。同時に私の左腕を蝕んでいた呪いも消えた。ずっと感じていた食い破られるような痛みもなくなり、男たちを飲み込んだ水溜まりだけが残る。私はしゃがんで黒い水溜まりに触れてみた。術士本人である私の指は溶けない。
「力こそ正義。私もそう思いますよ。パラアンコではすべて自己責任ですから、騙されるパリータが悪いですし、すぐに逃げなかったあなたたちも悪いのです」
そうだ、悪いのは彼らだ。弱いから死んだ。力がないからパリータという弱者から搾取するしかなく、そして中途半端な自信が自らを殺した。
本当は、ここは戦場じゃないから命まで奪うつもりはなかったんだけどね。でも私の力は手加減なんて器用なことができない。特に最近は呪痕の力が増し、以前よりも扱いが難しくなった。まるで内側に潜む化け物が暴れようとしているみたいに。だから私が望もうと、望むまいと、魔術に触れた時点で彼らは助からないのだ。
ふと水溜まりに映る自分を見つめる。可愛らしい娘がいた。お母様の面影はまったくない。この身に宿る腐敗がもっと強大になったとき、私は化け物になるのかな。でも大丈夫。お母様の教えがある限り私は私でいられるのだ。
黒い水溜まりは床へ染みるようにして消えた。
治療薬を取り出して傷口にぽたぽたと垂らす。とってもしみるけど慣れているから平気だ。ぶんぶんと振って問題ないことを確認してから、カウンターで静観している店主に近寄ると、私が言葉を発する前に彼の口が動いた。
「俺は何も見ていない。用が終わったならさっさと帰りな。こんな街だが駐屯兵はいる。今ごろ通報されているはずだ」
「世渡り上手ですねえ。もう少しお礼を弾みましょうか?」
「いらん。欲を出さないのが長生きをする秘訣だ」
なるほどね。お言葉に甘えて退散するとしましょう。
外に出るとにわかに辺りが騒がしかった。たぶん駐屯兵の足音を聞きつけたよからぬ者たちが巻き込まれないように逃げているのだ。これならフードを外しても問題ないだろう。だって誰も私を見ていないから。
「わっとと……」
ちんちくりんな私は真っ直ぐ歩くのも難しく、誰かに押されて転びそうになった。でも、地面にぶつかる前に聞き覚えのある声が私を受け止めてくれた。暖かくて大きな腕。顔を上げるとエマがいた。
「危ないぞ。ただでさえ小さいのだから気をつけろ」
おそらく宿で着替えたのだろう。鎧を脱いだ彼女はありふれた街娘のように見える。エマだって戦場では鬼のように敵を凪払うのに、騎士じゃない彼女は私と違って普通の女性だ。
「なんでここに?」
「遅いから迎えに来た」
「アルジェブラさんは?」
「宿に帰るとすぐに眠ってしまった。多分疲れていたのだろう」
エマに手を引かれながら人混みを進んだ。大きな手は嫌いだったけど、彼女の手は不思議と安心する。アルジェブラさんとは違った包容力だ。
「エマは、私が悪い子だと思いますか?」
「今さらだな。私の買った高山羊の干し肉をお前が隠れてつまみ食いしているのは知っている」
「そういうことじゃなくて……え、気づいてたんですか?」
意外と目敏い。上手く隠していたつもりなのに。
私が思っている以上にエマは周りをよく見ている。普段から仲間を守ることを意識しているからかもしれない。みんなは私を隊長だなんて呼ぶけれど、エマのほうがよほど隊長に向いていると思う。
もしも私に姉がいたらこんな感じなのかな。そう思うと、私の手を引く後ろ姿がいつもより大きく見えた。
「エマは戦場以外で人を殺したことがありますか?」
「どちらだと思う?」
「質問に質問で返さないでください」
「じゃあ秘密にしておこう。大人の女性とは謎の多いものだ」
「大人の女性……?」
首をかしげるとエマに睨まれた。だってエマのイメージとかけ離れているもん。年齢だけなら大人だけど……おっと、また睨まれた。彼女は私の心が読めるらしい。
進むにつれて人がだんだんと少なくなり、代わりに飲みかけまま捨てられた酒瓶や踏みにじられた魔女新聞、もしくは穴だらけの家屋と、その奥に見える細い人影が目についた。打ち捨てられた街の裏側。やっぱりどこも同じなのだ。人も、物も、使い道のなくなったものから捨てられる。
もしも魔術が上達しなかったら、私も役立たずだと捨てられるのだろうか。それは嫌だな。もう寒いのは勘弁だし、役立たずと捨てられるのも嫌だ。
「私、もっと強くなりますよ。だから、エマは私を捨てないでくださいね」
エマがちらりと振り返った。何か言いたげな目をしている。もしかして私に強くなってほしくないのかな。でも私は強くなるよ。この小さな体で救える数は限られているけれど、少しでも多くの仲間を守るために。エマは繋いだ手を強く握った。
「理想の主が見つかるまで、私はお前の相棒だ。よほど無謀な突撃でもしない限り隣にいる」
「フィリップ隊長じゃないんですから、私は無茶をしませんよ」
「知っているかメヴィ。信用というものは普段の行いによって決まるのだ。そしてお前は信用がない」
「ひええ、断言しなくてもいいじゃないですかあ」
エマが酷いことを言う。でも隣にいてくれるって。嬉しいね。
私は悪い子だ。でも私は性悪説を推しているから、私が悪い子だとしても仕方がないと思っている。だってそれが人間だもの。たとえ自分がどれだけクズで救いようのない性格だとしても、みんな元々は悪人だったと考えれば自分はそれほど悪くないように思える。
理性や規則、もしくは植え付けられた常識が善人の皮を被せるのだ。みんな擬態が上手いだけ。捨てられたがらくたを見た。私はあなたたちと違うよ。エマが私を捨てないから。
「というかメヴィ、もっと他に言うことがあるんじゃないか?」
エマの視線が私の腰と左腕を見た。
「なんのことでしょう?」
「大きな任務や大規模な魔術を使った後、お前はいつもいなくなる。どこでなにをしているのだ?」
「気分転換をしているだけですよお。心配しなくてもエマを置いていきませんから」
そう言うとエマは追求をやめたが、納得はしていない様子だった。本当に彼女は鋭い。次に反動が来たときは気を付けないといけないな。
それから他愛のない会話をしながら宿に帰った。エマはずっと手を握っていてくれた。




