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献身欲求  作者: 畑中みね


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揺れるアイゼン

 

 サルファの祝福教会が聖地とする街、アイゼン。教会信徒を中心に、一部のカーリヤ族や南方からの移民も暮らしているこの街では、多種多様な人種が行き交っていた。そんなアイゼンでは、住民たちの意識を統一するためにある特別な規則が設けられていた。


「さあ並んで。魔女様の御前だぞ、無礼のないように。魔女様はいつだって我々を見守ってくださっている」


 広場に少女を模した銅像が建てられている。大きさは見上げるほど。銅像は水をすくうような格好で両手を前に出しており、その隙間から綺麗な水が流れている。“腐敗の魔女”メヴィ・ラプタの銅像だ。多くの信徒が列をなしており、彼らは銅像の前で膝をつくと、謝辞を述べてから両手を差し出し、銅像から流れる水滴をすくって口に運んだ。アイゼンにおいて最も重要視されるのが信仰心。そして信仰心を示すために教会主教が定めた典礼儀式の一つがこれである。

 ちなみに、この銅像の存在をメヴィ本人は知らない。彼女が知ると反対するだろうと見越して、秘密裏に作られた。


「アントニウス枢機卿、探しましたよ。こんな所にいたんですか」


 信徒に整列を促していたアントニウス枢機卿は、自身を呼び止める声に振り返った。


「こんな所、とは聞き捨てならんなポルナード。魔女様の偉大さを皆に知らしめるための大切な像だ。きっと魔女様も喜んでくださるだろう」

「いやー、メヴィ隊長は嫌がると思いますけど……」


 ポルナードは苦笑いを浮かべながら、アントニウス枢機卿に書類を渡した。街の治安に関する法案と、魔女狩りの対策についてまとめた資料、そしてカタビランカをはじめとした各都市の調査結果だ。中には一部であるが、軍の作戦機密が記された資料も混じっている。ポルナードの諜報技術の高さがうかがえるだろう。


「パラアンコ軍は西部に展開を広げています。アイゼンが包囲されるのも時間の問題でしょう」

「元より兵力は圧倒的に我々が不利だ。包囲されるのは避けられん」

「それじゃあ座して待つんですか?」

「籠城とて悪い選択ではない。魔女様が帰られるまでアイゼンを守れば良いのだ。奴隷解放運動が国外まで広がっている今、軍も強引に攻めてくることはない」


 それもそうだ、とポルナードは頷いた。籠城する相手と戦うには何倍もの兵力がいる。たとえ軍が数で勝ろうとも、強固に防衛を固めたアイゼンはそう簡単に落とせないはずだ。手札の情報だけを見れば、籠城は有力な手段である。

 ラプタ小隊が帰還するまで時間を稼げば良い。その際にはシャルマーンからの援軍も引き連れているはずだ。

 親愛なる魔女様の帰る場所を守る。それがアントニウス枢機卿にとっての使命であった。ポルナードとて同じ。“部隊の家”を作る。もしくは“彼女”の帰還を待つ。そのために、アイゼンを守る。


「……?」

「どうした?」

「いえ、寒気がしまして……」


 ポルナードは感じ取った。危険が迫っている。戦場で培った直感が警鐘を鳴らしている。想定外の何かが起きて計算が狂ったときの感覚。ポルナードは急に心臓の鼓動が早くなった。

 反射的に音魔術を使って周囲の音を拾った。雑踏の足音、信徒の祈り、アントニウス枢機卿の有難いお言葉、天高く舞う渡り鳥の羽ばたき、露店で呼びかける店主の声……。

 もっと遠くだ。さらに魔術の範囲を広げると、アイゼンの大門近くに聴き覚えのある声が二つある。片方は切羽詰まった声音のパリータ。もう片方は息が荒いアレー。なぜカタビランカにいるはずのカーリヤ族がアイゼンに?

 パリータの、たどたどしい声を拾った。少女は涙ながらに助けを求めていた。兄を助けてほしい、審問官に襲われた、と。


「おいポルナード、本当に顔色が悪いぞ。本当に大丈夫か?」


 ポルナードは最悪の事態が浮かび上がった。隣から聞こえる雑音を無視し、さらに街の外まで魔術を伸ばした。

 そして彼は聞いた。無数の蹄が大地を踏み鳴らす音を。耳が張り裂けそうなほどの数。怒声。鎧のこすれる音。ポルナードには、アイゼンに迫るパラアンコの大軍がありありと見えた。


「……襲」

「なに?」


 地平線。そこに並ぶパラアンコの国旗。ついに始まった。あまりにも早すぎる。なぜこのタイミングなんだ。奴隷解放運動は、パシフィックはどうした。無数の疑問が浮かびながらもポルナードは叫んだ。


「敵襲です! 審問官の――大軍勢です!」


 メヴィが不在のアイゼンに破滅の足音が迫り来る。


 ◯


 平原を埋め尽くすような数のパラアンコ軍、もとい、審問官部隊が侵攻している。その中でも特に守備が固い部隊にローゼンベルク卿はいた。彼は不服そうな表情で馬にまたがっている。


「このような戦いに身を投じるとは……我が家紋に泥を塗るようなものだよ、まったく」


 ローゼンベルク卿が此度の総指揮だ。彼自身も優秀な魔術士として名高く、自ら魔術を行使するつもりはないが、もしも危機が迫れば存分に敵を焼き払う所存である。


「君も戦場に赴くのは本意じゃないんだろう?」


 隣の一際大きな軍馬にまたがる男へ話しかけた。老兵と呼ぶほうが相応しい男は憮然とした態度で答えた。


「……わしは望んで参加しておる。魔女とその部隊を討てればいい」

「西方蛮族、おっと失礼、カーリヤ族の英雄ともあろう男が身を投じるにはつまらない戦いだろう。なにせ本命の魔女はシャルマーンへ向かっているのだ。我々はただ邪教徒を掃討するだけ」

「油断すれば足をすくわれるぞ。奴らの狡猾さは侮るんじゃない」

「ご忠告どうも。君たちの二の舞にならないよう気をつけるよ」


 黒熊・ボルドー。幾度もカーリヤ族に勝利をもたらした英雄だったが、今やひげが無造作に伸び、髪もボサボサで手入れが行き届かず、浮浪者やならず者と呼ばれたほうがしっくりとくる相貌だった。もしもロネ・ドロシーが存命であれば「落ちぶれた姿も似合うじゃないか」と揶揄しただろう。暗い瞳にギラギラとした復讐の光が宿る様はまさに獣。ある意味で黒熊に相応しい姿である。


 プーレリア陥落の後、勝機がないと悟ったボルドーは少しでも多くの戦士を助けるために投降した。何十人というパラアンコ兵に囲まれていながらも、投降する直前まで彼に致命的な一撃を与えられた者はいなかったという。戦意喪失したボルドーは王都で投獄されたのだが、話を聞きつけたフィリップがボルドーの利用価値に目をつけ、邪教徒に復讐させるという名目で審問官に加えた。


「ロネ様の無念、わしが晴らそうぞ」


 気炎十分。老兵が再び戦場へ往く。率いるは審問官の大軍勢。祝福教会と審問官の戦いがついに佳境へ差し迫る。




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