大熊
一人と一匹は並んで歩きながら、話をしていた。
「冬の前に、食べ物を沢山とっておきたいね。」
(前にいっぱい殺したときは流石に食べきれなかったからなぁ。)
「本当に勿体ないことするよね。」
誰かがこう答えた。
(本当じゃよ。)
「本当、本当....。」
一瞬置いてから、ナオミはシャグラスに聞いた。
「え?今なんか言った?」
答えがない。不審に思った彼女が足元を見ると、自分の左横にいたはずの狸の姿がなかった。
「シャグラス?」
後ろを振り返ると、シャグラスは警戒した面持ちでキョロキョロと周囲を見渡していた。
「どうかしたの?」
(今話したの、私じゃない...。)
彼女ははっとした。今まで動物同士で意思疎通ができても、人間と意思疎通ができるのは、シャグラス以外にいないはずだからだ。それが彼女の思い込みだったとしても、今まで何十の動物に会ってきたにも関わらず、彼女の相棒のような動物の話は聞かなかった。
(すまんのう。びっくりさせてしもうて。)
キョロキョロと見渡す彼女らの前に、一匹のアカギツネが現れた。
(わしはアレスという通りすがりの狐じゃ。お主、中々乙な能力を持っているようじゃの。どうじゃ、少しわしと化け比べでもしないかの?)
狐はシャグラスに言った。
(化け比べ?それは戦争ってこと?)
すると狐は驚いた顔で、
(戦争?お主はあの草食動物たちの地団駄のことを申しておるのじゃろう?とんでもない。化け比べなのだから、お主はわしと能力を競うのじゃ。)
(.いや、なんでそんなことしなくちゃいけないの?)
(わからんのか。わしが妖術を教えてやろうというのに。)
「ねえ、この狐なんかあやしいよ。行こう。」
(うん。)
(ま、待って!!待つのじゃ!!実は頼みがあるのじゃ。)
「頼み...?」
(内容にもよるけど。簡単な狩りくらいだったらお手伝いしようかな。)
(そ、そうじゃ。簡単な狩りじゃ。ついてきてくれるかの?)
「それは南?北?南なら行くけど、北ならお断りだよ。」
(南じゃ。南に狩ってほしい動物がいるんじゃ。)
(どうする...?ナオミ...。)
「いいんじゃない?」
岩肌の露出した山岳、体毛の白い老猿が若い猿に言った。
(これは良くないな...。我々は逃げねばならぬかもしれん。)
辺りには靄がかかっている。眉毛についた雫を両手で拭き取りながら、若い猿は尋ねた。
(なぜでしょうか。)
(待て。もう時期靄晴れたら見せてやろう。)
(はい。)
二匹の猿は、靄が晴れるのを待った。どれだけ時間がかかったのかわからない。
(あの国を見よ...。)
老猿が遠く指差したのは、かつてナオミが住んでいた街だった。
(ああ、あの国ですか。最近大分景気が良いですよね。)
老猿は神妙な面持ちで肯定した。
(そうだ。景気がいい。そしてそのことが問題なのだ。)
(どういうことですか?)
(吾輩は何十年もこうして生きてきたがな...。急激な経済成長は衝突の前触れなのだ。それからあの国の中心を見よ。中心だけやたら豪勢であろう。あれはもっと悪い。町民を搾取している証拠なのだ。)
若猿は納得したような様子で、老猿に一つ知恵を見せてやろうと己の推測を聞かせた。
(なるほど。つまり、内紛が起きるということですね?)
老猿はため息を付いて...、違う、と否定をした。
(内紛ならまだよい。こういうときは決まって変な法律ができるものなのだ。中枢は甘い汁を吸うために国民を騙す。その昔、吾輩が人里の近くで群れを率いていたときなどは、「猿の呪いで作物がとれない」と言いがかりをつけて総出で襲いかかってきたものだ。)
(それはひどい...。)
同胞の悲劇を悲しむ若猿を尻目に、老猿はにやりと笑った。
(実際我々は、相当作物をくすねていたがね、盲目に狩人たちを一部の地域に集中させるものだから、アカシカやヒグマ、オオカミが人里や畑で好き放題するようになってしまったのだよ。)
(それで、その国はどうなったんですか?)
老猿は振り向くことなく背後を指差した。
(南を見てみな。)
(南には森しかありませんが...。)
(そういうことだよ。)
老猿はまたため息をついた。
言葉遣いとは裏腹に、一歩足を踏み出す度に横に振れる臀部を前に、ナオミはこう言わずにはいられなかった。
「か、かわいい。」
(おいお主、余計なことを言っていると噛み殺すぞ。)
前を歩くアカギツネのアレスが言った。
「ごめんなさーい。」
しばらく歩くと、小さな滝がある場所についた。
(ここじゃ。ここなのじゃ。)
アレスは滝壺から少し離れた茂みに隠れて、その様子を伺うように指示した。
(もうすこしじゃ...。)
目的もわからず連れてこられた彼女らは、徐々に眠気に襲われてきた。
(ねむ...。来たら教えて...。)
(まったく...。どうしようもないのじゃ。)
しばらくして、じっと息を潜めていたアカギツネが、彼女らに話しかけた。
(ほれ、見てみい。あそこに黒いのが動いておるじゃろう。)
(く、熊?)
(そうじゃ。あれがなかなかの悪さをしおってのう。どうにもわしの群れには手に負えんのじゃ。)
「アレスちゃん、群れいるんだ。」
(ちゃんをつけるな。わしだってれっきとした妖狐じゃ。こう見えて100年くらいは生きてるんじゃぞ。)
(へえ。長生きなんだね。)
(長生きといえばお主こそ長生きであろう。長生きの動物は妖術を覚えて、群を収めるんじゃ。わしはこれが長生きの動物に与えられた使命じゃと思っておる...。ってお主が一番わかっているじゃろうに。言わせるでない。恥ずかしい。)
(へえ...。)
「へえ...。」
さも当たり前かのようにアカギツネはこう話したが、驚いた顔で熱心に話を聞く彼女らを見て、これまた狐も驚いた顔をしている。
「お主まさか...、まあよい。ほれ、熊が行ってしまうぞ。」
(え、偉そうに...。)
渋々ではあるがシャグラスは先程から滝壺をウロウロしている熊を観察した。熊なら、一度狩ったことがある。
「あの熊でかいよ...。」
(うぬ。やつはめちゃくちゃ強いぞ。下流をみよ。ほれ、あそこで水を飲んでる鹿がおるじゃろう?人間よ、あそこに向かって石を投げてみよ。決してわしらの近くに落とすでないぞ。)
「う...、うん。」
ナオミは言われたとおりに、できるだけ投げやすそうな石を拾って鹿の口元に落ちるように投げた。
放物線を描いた石は、川の水をゆっくりと跳ね上げる。鹿がそれに驚き後ずさろうとした瞬間、なんと熊が鹿に体当たりしたのである。
「ひいいいいいい!!!」
(やつはああやって、大きい音に反応して色々なものに襲いかかるんじゃ。しかも尋常でない速度と力量。どうじゃ、狸よ。お主にできるかの?)
(まあやってみるよ...。)
鹿に体当たりした熊は、周囲を警戒する素振りもなく一心不乱に鹿を食い漁っている。
(うぇえ。あれは大腸じゃぞ。うんこたっぷりじゃ。よくあんなものが食えるのう。)
「うえええっ...。」
(おい狸。熊に近寄らずどうやって戦うのじゃ?)
(まあ見てなよ。)
そういうとシャグラスは、意識を集中させ、川沿いの砂利に剣を突き立てた。瞬間、大熊が全速力で剣に突進し、刃先に向かって頭突きをした。
「えっ...。」
(き、効いていないようじゃの...。)
金の剣がぐにゃりと直角に曲がった一方で、熊の頭には傷一つついていなかった。
(く、くそっ!)
シャグラスは、もう一本金の剣を出した。次は滝壺のど真ん中である。シャグラスは熊が溺れることを狙っていた。だが驚いたことに、熊は滝壺の中をじゃぶじゃぶと泳いで、剣出現した場所に到達したのである。そこになにもないことを知ると、熊は首から下を水につけたまま、滝の上に向かって途轍もなく巨大なうめき声を上げたのであった。
(無理だ...。これは流石に...。)
シャグラスはアレスの方を向いて言った。
(むむ...。お主でも無理じゃったか...。)
アレスはちらりとナオミを向いた。
「む、無理ですよ!あんなの!」
彼女は声は潜めたものの、できるだけ強い口調で反撃した。
(そうか...。済まなかったの...。)
狐は残念そうに言った。