第4話:一軍カーストの崩壊。そして、世界一優しい私の特等席
2年B組の教室は、登校直後から異様な熱気に包まれていた。
「おい、マジかよ……」
「嘘だろ、あいつ本当に音無か……?」
クラス中の視線が、教室の最奥、窓際の席に座る俺――音無崇広に集中している。
いつもなら机に突っ伏して気配を消していた場所。だが今の俺は、背筋を伸ばし、新調したスマートな仕草で読書をしていた。
すっきりと整えられた黒髪、分厚い眼鏡の奥に隠されていた切れ味の鋭い瞳。ただそこに座っているだけで、教室の空気を支配するような圧倒的な存在感を放っている。
「崇広、くん……あの、おはよう」
隣の席の女子生徒が、顔を真っ赤にしながらおずおずと話しかけてきた。昨日までは俺の名前すらまともに呼んだことのなかった女子だ。
「ああ、おはよう」
俺が少しだけ目線を合わせて微笑むと、彼女は「ひゃいっ!」と短い悲鳴を上げて顔を覆ってしまった。
(……変わりすぎだろ、みんな)
これが『外見』の持つ暴力的なまでの力か、と内心で苦笑する。
だが、そんな平穏な空気は、教室の入り口が激しく開け放たれたことで一変した。
「おい! 音無!!」
現れたのは、美咲をそそのかして嘘告を主導した一軍男子のリーダー格――松坂だった。
後ろには、昨日廊下でスマホを落として逃げ出した腰巾着どもを引き連れている。
松坂は俺の豹変した姿に一瞬気圧されたようだったが、周囲の注目を集めている手前、引くに引けないといった様子で俺の机を強く叩いた。
「てめえ、昨日美咲を泣かせただろ! 幼馴染の分際で、ちょっと見た目変えたからって調子に乗ってんじゃねえぞ!」
松坂の大声に、教室中が静まり返る。
遅れて教室に入ってきた美咲が、「ちょっと、松坂くん、やめて……!」と止めに入ろうとするが、松坂はそれを無視して俺を睨みつけた。
俺はゆっくりと本を閉じ、松坂を見上げた。
その瞳に宿る冷徹な光に、松坂の身体がピクリと強張る。
「松坂。朝からうるさいぞ。犬の遠吠えはドッグランでやってくれ」
「んだと、てめえ……っ!」
「美咲を泣かせただと? 勘違いするな。俺は彼女に、仕掛けられた『罰ゲーム』の対価を支払っただけだ。……それとも何か? お前たちが裏でコソコソ撮ろうとしていた動画の件、今ここでクラス全員の前で大画面に映してやろうか?」
俺がポケットからスマホを取り出すと、松坂の後ろの男たちが「ひっ……!」と息を呑んだ。
昨日、一葉の権限で生徒会の防犯ログと廊下の監視カメラのデータを押さえてある。彼らが悪質なハラスメント行為を行おうとしていた証拠は、すでに完璧に揃っていた。
「お、お前……そんなの……」
「一軍カーストなんていうくだらない狭い世界で、誰かを踏み台にして王様気取りか。お前らのやっていることは、ただの幼稚なイジメだ。他人の尊厳をオモチャにして笑うような奴らが、よくもまあそんなに偉そうに吠えられるな」
俺の言葉は、冷酷なまでにロジカルで、そして容赦がなかった。
周囲のクラスメイトたちの視線が、次第に松坂たちへの「軽蔑」へと変わっていくのが分かる。立場は完全に逆転していた。
「な、舐めるなよ音無! 美咲だって、お前みたいな陰キャとこれ以上一緒にいたくなかったから乗ったんだよ! そうだろ、美咲!?」
松坂が救いを求めるように美咲を振り返る。
しかし、美咲は青ざめた顔で激しく首を振った。
「違う……! 私は、そんな……っ! タカヒロ、私は本当に――」
「支倉さん」
美咲の言葉を遮ったのは、教室の入り口から響いた、鈴を転がすような、だけど冷徹な声だった。
「ひ、椎名、さん……?」
そこに立っていたのは、生徒会長の椎名一葉だった。
凛とした佇まいで教室に入ってくると、彼女はまっすぐに俺の隣へと歩み寄り、当然のように俺の肩に手を置いた。その瞬間、クラス中から「ええっ!?」という驚愕の声が上がる。
「松坂くん、およびそこにいる生徒たち。あなたたちが昨日、音無くんに対して行おうとした迷惑行為について、生徒会および職員会議で正式に議題に上がっています。放課後、指導室へ来なさい」
「な、指導室……っ!?」
「それから、支倉さん」
一葉は美咲に、感情の籠もらない冷たい視線を向けた。
「彼が『絶交』と言った意味を、まだ理解できないのですか? あなたが踏みにじったのは、彼の十年の信頼です。今更被害者のような顔をして彼に近づくのは、不快ですのでやめていただけますか?」
「あ、う……あ……」
美咲の口から、掠れた声が漏れる。
一葉の圧倒的な正論とオーラに、美咲は一歩も動けず、ただ涙を流すことしかできなかった。
「行くよ、タカヒロくん。朝の打ち合わせの時間だから」
「ああ、助かったよ、一葉」
俺はカバンを持って立ち上がり、一葉と共に教室を後にした。
背後では、完全にプライドを粉砕された松坂たちの狼狽える声と、美咲の小さな、だけど深い嗚咽の音が響いていた。
※ ※ ※
放課後。
夕日の差し込む生徒会室で、俺はソファに深く身体を沈めていた。
朝の騒動、そして授業中もずっと注がれ続けた好奇の視線。
演じるのをやめて強気で振る舞ってはいるものの、やはり精神的な消耗は激しかった。何より、かつて大切だった美咲があそこまで無残に崩壊していく姿を見るのは、俺の心にも暗い影を落としていた。
「はぁ……」
思わず、深い溜め息が漏れる。
「お疲れ様、タカヒロくん」
いつの間にか、一葉が俺のすぐ目の前に立っていた。
彼女はトレイをテーブルに置くと、俺の隣に、朝よりもさらに密着するような距離で腰掛けた。
「……一葉。朝は色々とありがとうな。あいつらの処分まで動かしてくれて」
「いいのよ。私は生徒会長として当然の罰を与えただけ。……それに、何より」
一葉はそっと、俺の膝の上に自分の手を重ねた。
「私の大切なタカヒロくんを傷つける有象無象は、私が絶対に許さないから」
彼女の瞳には、昼間の冷徹さとは打って変わって、深い、深すぎるほどの愛情と、ほんの少しの『独占欲』がギラリと輝いていた。
「一葉……」
「タカヒロくん、まだ心が痛む? あんな女の子のために、あなたの綺麗な心が傷つくなんて、私、本当に耐えられないの」
一葉はそう言うと、驚くべき行動に出た。
彼女は俺の頭を優しく引き寄せ、自分の胸元へと抱き寄せたのだ。
「え、ちょっと、一葉……!?」
「いいから、じっとしてて。……ここはね、タカヒロくんだけの特等席なんだから」
トクン、トクン、と一葉の規則正しい、だけど少し速い心臓の音が耳に伝わってくる。
ふんわりとした女の子の柔らかさと、甘い香りが俺の五感を包み込み、さっきまで脳裏を離れなかった美咲の泣き顔や、一軍どもの不快な声が、嘘のように消え去っていく。
「無理して強がらなくていいんだよ。学校ではあんなに格好良く、強気な男の子を演じていたけど……本当は、今にも壊れちゃいそうなくらい傷ついてるの、私には全部わかってるから」
一葉の優しい手が、俺の髪をそっと撫でる。
「これからはね、私があなたの傷を全部、一つ残らず癒してあげる。あんな底の浅い女の子のことなんて、綺麗さっぱり忘れちゃうくらい、私でいっぱいに追いつめてあげるんだから……」
彼女の言葉は、まるで甘い不毒のようだった。
美咲に裏切られてできた、胸の大きな穴。そこを一葉の圧倒的な、執着に近いほどの愛情が、じわじわと埋めていく。
「……一葉、俺、お前がいなきゃ、本当にダメになりそうだ」
俺の本心が、ポロリと溢れた。
すると、一葉は一瞬だけ身体を強張らせ、それから、今まで以上に強く、俺をギュッと抱きしめ返してくれた。
「ふふ、いいよ。ダメになって。私の前だけで、弱くて可愛いタカヒロくんを見せて。……さあ、今日はこのまま、私のお家に来て? タカヒロくんの好きな料理、たくさん作って甘やかしてあげるからね」
耳元で囁かれる一葉の甘い声に、俺はもう、抗う気なんてこれっぽっちも起きなかった。
支倉美咲、お前がどれだけ涙を流そうが、俺はもう、この世界で一番優しい特等席から離れるつもりはない。
俺の下克上は、真のヒロインによる『極上の独占ステージ』へと移行する。
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