7. 湯けむり魔導温泉と二円の至福
連日の長旅と魔物との連戦で、さしもの三人も疲労の色を隠せなくなっていた。鎧の隙間には砂が入り込み、ライラックの自慢の髪も少しばかりパサついている。
「トール……もう一歩も動けないよ。いま私の目の前にハンバーグの山が現れても、三段目までしか食べられないかもしれない……」 「それは重症だね、ライラック」
トールが苦笑しながら地図を広げようとすると、傍らで無表情にタブレット(魔導式)を操作していたリーマルが、眼鏡をキラリと光らせた。
「ご安心ください。ちょうどこの先に、極上のリラクゼーションスポットがあります。その名も『魔導公衆浴場・スパラダイス』。現代日本の『スーパー銭湯』の技術と、この世界の『古代治癒魔法』が融合した、文字通りの天国です」
辿り着いたその場所は、ファンタジー世界には不釣り合いな自動ドアと、ネオンサインが輝く巨大な建物だった。入り口の券売機を見ると、『入浴料:8円』という、相変わらずの価格破壊が起きている。
「8円!? リーマル、これ、一桁間違えてないかい?」
「いいえ。平日の昼間割引を適用すれば、さらに2円安くなるのですが、あいにく今日は祝日ですから。……さあ、行きましょう。タオル(魔力吸収型・貸出料1円)も用意してあります」
三人はそれぞれ男湯と女湯へ別れ、しばしの休息をとることになった。
トールが暖簾をくぐると、そこには広大な大浴場が広がっていた。床は滑り止めの魔法がかかった大理石で、浴槽からは七色の魔力が混じった湯気が立ち上っている。
「ふぅ……。極楽だ……」 ジャグジー(魔動噴流)に身を委ね、トールは一息ついた。
1円の電気風呂で筋肉の疲れを癒し、5円のサウナで汗を流す。この世界の温泉は、ただ温かいだけでなく、魔力の循環を整える効果があるらしい。
しかし、この三人の旅に「ただの休息」などあり得なかった。
「助けてくれ! 誰か、料理に詳しい者はいないか!?」
脱衣所から響いてきたのは、この銭湯の支配人の悲鳴だった。
トールが慌てて(腰に1円の貸し出しタオルを巻いて)飛び出すと、そこには半泣き状態の支配人と、深刻な顔をしたリーマル、そしてなぜか既に風呂上がりで「コーヒー牛乳(2円)」を飲み干しているライラックがいた。
「どうしたんだい、支配人さん」
「ああ、聞いてくれ! 実は、この銭湯の目玉である『地獄の源泉釜』に、巨大な『アイス・サラマンダー』が住み着いてしまったんだ!
奴が冷気を放つせいで、露天風呂が全部氷漬けになってしまって……。奴を追い出すには、奴の好物である『心まで燃えるような熱々のメシ』を食わせて、満足させるしかないんだが、うちのシェフはみんな冷気にあてられて寝込んでしまったんだ!」
「心まで燃える熱々のメシ、か……」 トールは、自分の拳を握りしめた。料理人の血が、風呂上がりの体温と共に沸騰するのを感じた。
「支配人。……その仕事、僕が引き受けよう」
調理場に立ったトールは、リーマルがどこからか調達してきた「特選・激辛スパイス(3円)」と、この銭湯の名物である「温泉蒸し野菜(詰め合わせ5円)」を並べた。
「リーマル、火力を。最高設定で頼む」 「了解。魔導コンロ、リミッター解除。……出力、最大です」
トールがフライパンを振る。 今夜のメニューは『溶岩流風・激辛麻婆豆腐どんぶり』。
ただ辛いだけではない。リーマルが1円で仕入れた「熟成豆板醤」の深みと、トールが丁寧に下処理した「ドラゴンミンチ」の旨味が、激しい炎の中で一体となっていく。
仕上げに、温泉の熱で完璧な半熟になった「地獄の温泉卵(1円)」を中央に鎮座させる。
「ライラック、運べるかい?」 「任せて! よだれで消火しないように気を付けるね!」
凍り付いた露天風呂の真ん中、不機嫌そうに丸まっていたアイス・サラマンダーの前に、その黄金に輝く「熱景」が差し出された。
サラマンダーは、立ち上るスパイスの香りに目を見開くと、一気にどんぶりに食らいついた。 その瞬間――。
「ギュオオオオオオオーン!!」
サラマンダーの体から、猛烈な熱気が噴き出した!
辛さと旨味の熱狂が、奴の冷気を内側から焼き尽くしたのだ。満足げに腹をさすりながら、サラマンダーはそのまま地下のマグマ層へと帰っていった。
みるみるうちに露天風呂の氷が溶け、心地よい温度の湯気が復活する。
「おお……! 奇跡だ! 露天風呂が直ったぞ!」 支配人は歓喜し、三人を「終身名誉入浴客」に認定した。
騒動が収まった後。 三人は、風呂上がりの休憩室(マッサージチェア10分1円)で、改めて自分たちのための「夜食」を囲んでいた。
「ふぅ……やっぱり風呂上がりのカレーうどんは最高だね」 トールが、10円で作った具だくさんのカレーうどんを啜る。
「私はこの、瓶入りのフルーツ牛乳(3円)との組み合わせが至高だと思うんだ。……トール、これ、あと5本飲んでもいい?」
「いいけど、お腹壊さないようにね、ライラック」
「ちなみに今回の騒動の報酬として、支配人から『回数券100枚』をいただきました。実質、この街にいる間はゼロ円で風呂に入り放題ですよ」
リーマルが、束になったチケットを扇子のように仰ぎながら、冷徹なまでに完璧な収支報告を行った。
窓の外には、帝都の夜景とはまた違う、温泉街の穏やかな灯りが広がっている。 「安くて、温かくて、美味しい」
そんな当たり前で贅沢な幸せが、わずか数十円で手に入るこの世界。
三人の肌は、温泉の効果でいつもより少しだけツヤツヤと輝いていた。
「さて……明日の朝食は、温泉蒸しの飲茶セットといこうか」 「賛成! 肉まん10個ね!」 「在庫の確認をしておきましょう。1個2円以下なら『買い』ですね」
湯けむりの向こう側、次なる冒険に向けて、三人の胃袋は早くも次の「美味しさ」を求め始めていた。




