第二部9話 後日談
数日後、三谷恵一を取り巻く「容疑」は、国家の恐るべきペーパーワークによって、最初から存在しなかったかのように綺麗に塗り替えられた。
そもそも事の発端は、繁華街の路地裏で絡んできたヤンキーたちを恵一が返り討ちにした事件だった。
その際、相手の中にプロ顔負けの格闘技経験者が混ざっており、鋭い打撃に思わず身体が過剰反応して「本気」の力を出してしまったのだ。
結果、重機に衝突されたような重傷を負わせることになり、警察もこれを尋常ならざる凶悪事件と判断して全国指名手配に踏み切った、というのが真相だった。
だが、恵一が国家と不可侵条約を結んだ今、その過去の事実すらも法務省と警察庁の手で強引に書き換えられた。
まず、全国の警察データベースから「指名手配犯・三谷恵一」のデータが即座に消去された。
交番や街頭に貼られていた手配ポスターは、上層部からの電撃的な通達によって翌朝にはすべて剥がされ、シュレッダーにかけられた。
現場の捜査員や末端の警察官たちには、統制された「公式の理由」が下りてくる。
『重大な誤認逮捕の恐れ、および真犯人の浮上。三谷氏は事件とは無関係の一般人であり、即時に手配を解除する』
現場は「公安絡みの特権階級か、国家機密案件だな」と察し、それ以上触れることを辞めた。
次に、恵一が本気で叩きのめした格闘技経験者の男の元へは、内閣情報調査室の人間が直接赴いた。
男の病室の机に置かれたのは、彼らが裏で関わっていた違法行為の証拠書類と、見たこともない額の「口止め料」の提示。
そして、拒否権のない無言の脅迫だった。
結果として、男の調書は「深夜、違法賭博のトラブルにより、時速六十キロの暴走トラックに跳ねられたことによる重傷」へと書き換えられた。
男が告訴を取り下げたことで、法律上、恵一が人を傷つけたという事件そのものがこの世から完全に消滅した。
ネット上に拡散していた手配写真やまとめ記事も、国家安全保障上の削除要請に基づき、AIフィルタリングによって数日のうちに検索エンジンやSNSから一斉に自動消去された。
恵一はスマホを眺めていた。かつて自分の顔写真が載っていた警察の公開捜査ページを開いても、そこには『指定されたページは見つかりません』という無機質なエラーコードが表示されるだけだ。
ネットで自分の名前を検索しても、ヒット数は完全に「ゼロ」。
自分が本気で人を壊した事実も、その後に自衛隊の戦車を丸めた事実も、国家という巨大なシステムが書類を数枚書き換えるだけで、綺麗さっぱり「無かったこと」になってしまったのだ。
こうして恵一は平和な日常を取り戻した。
だが、何か釈然としない気持ちに苛まれていた。
このように、国の都合の良いように嘘で全てを塗り固めるようなやり方が気に入らないというのももちろんある。
だがそれ以上に、家族を人質に取るような方法に出てきたことや、あっさり日本政府が降伏したこと。
警察や自衛隊相手に大立ち回りをかました自分のような存在を、平然と許しているような政府の対応も全て納得できなかった。
もちろん警察と一戦交えると決めた段階で、どのような決着になるかを想定できていたわけではない。
だがあまりにもあっけない幕切れに「拍子抜けした」と言った方が近い表現なのかもしれない。
戦うと決めた瞬間から、日本政府を潰すくらいの覚悟をしていた。
恵一にとってこの展開はあまりにも想定外だったのだ。
ともあれ恵一は平穏な生活を手に入れた。
元の会社にはもう戻れないだろう。
だが、政府から振り込まれた大金があれば生活に困るということもない。
『今後の目標もやりたいことも得には無い。しばらくはのんびり悠々自適に暮らしていこう』
恵一はそんなことを考えていた。
第二部完




