第43話「隣、いいか?」
「棚町」
「あ、綾村くん……?」
振り返った棚町は案の定さめざめしく泣いていた。
その幼気な姿を見た瞬間、俺は黙らざるを得なかった。
ここはどう声をかけるべきなのだろう。会話下手なぼっちによくありがちなのだが、他人と会話する時まず最初に何を話したらいいのか分からなくなる。大体のぼっちは事前に実戦会話マニュアルを作成し、それを脳内で幾度もシミュレーションするものの、けれどもいざ本番となると途端に役立たずになるのがお約束だ。
「いい天気だな。今日はよく晴れている」
「……え?」
これまたぼっちによく見られるのが、だからといって常套句を話すのは苦手ではないことだろう。例えば人と会うと「こんにちわ」、感謝する時に「ありがとう」とか、そういった誰にでも通じる定常めいた会話なら、意外と平気の平左なのである。
はて、ならこの状況の常套句とはいったい何なのだろうか。悩み抜いた末に俺は、
「隣、いいか?」
彼女からの返事がなかったので、俺は許可を得たとばかりに腰を下ろす。無言は肯定と同じである。流石に隣といっても互いの距離は身体二つ分ほど離してある。彼女の排斥反応を我が身をもって体験したことだし、同じ轍は踏むまい。
「…………」
少し待ってみるものの向こうからのリプライはなさそうだ。そこで当初の予定通り俺が話を振ることにする。といっても、何か特別な言葉はいらない。そんなものは用意していても滑るだけだ。だから、あくまでシンプルな俺の気持ちを伝えればそれで正解だ。まあ、それも結構恥ずかしいんだけどな。ともあれ、勿体振らずにさっさと言ってしまおう。
「——俺、明日ティエリア先輩と闘うよ」
「……?」
再び向けられた棚町の顔には、これ以上ないほど猜疑心が浮かんでいた。やはりというか、俺の言葉受けはあまり芳しいものでないらしい。気にせず続ける。
「いやだから、明日の決闘を俺が引き受けてやるって言ってんだ。別に文句ないよな、最初にそう決めたのはお前なんだし。まさか、今更あれは無しにしてくれなんてねーよな?」
あえて挑発的に言う。
とりあえず棚町には元の調子に戻ってほしかったからだ。履歴書の特技欄に罵詈、趣味欄に雑言、資格欄に綾村圭冷遇検定一級と逡巡なく書けるあの強気な棚町に。
頸野も言っていたが、もしかしたら俺はMなのかもしれない。
「い、いきなり手のひらを返して、一体何のつもり? まさかよからぬ事を考えているんじゃ……。そうよ、そうに決まってるっ。おおっ、男っていつもそう。勝手にあたしに期待して、勝手にあたしに幻滅する、これまでだってずっとそうだったじゃない!」
後半の言葉は俺に向けられたものではなかった。
「あの時だってそう。急に呼び出されて告白されたから断ったのに、次の日から放課後、毎日付きまとわれた。それが怖くて、嫌で、あたしは『もう付きまとわないで』って勇気を出して言ったのに……っ!」
「お、おい棚町」
「この事が原因で今度は数々の嫌がらせを受けた。あのストーカー男が言うのよ! 『お前が悪い、誰にでも股を開きそうな面をして俺に期待させるお前が悪い!』って何度も何度も!」
過去を思い出して込み上げてくる何かがあるのだろう、棚町の感情に起因して語気の強さが増していく。心の自傷癖。逼迫。圧迫。未だに蝕み続けるそれらは、俺から彼女を遠ざける。これはよくない傾向だ。
「落ち着け棚町!」
「落ち着いてなんかないっ!」
「見りゃ分かる!」
ああくそ、もどかしい。
基本的に痛みを抱えている人間は面倒くさいものだ。それは癇癪持ちであったり利己主義者であり斜に構えていたり天の邪鬼だったり虚言癖と心の自傷癖を持ち合わせていたり境界線をはき違えていたり薄情であったりとその種類は色々だ。痛みを持つことは社会では恥であり、決して支持を得られるものではない。
それでも彼等は面倒な人間で在り続ける。
いや、そう在らざるを得ないのだ。
皮肉なことにかえってそれが自分を守る盾になるからである。攻撃は最大の防御とはよく言ったものだ。
相手に何かをされる前に自分から先手を打ってやれば、少なくとも傷付くのは最小限で済むという寸法だ。あるいは打算的な考えかもしれないが。
何にせよ、話をするにもまずは俺に意識を戻さないと意味がない。
どうすれば俺に注意を向けられるのか、それだけを考えろ。
もしかしたら棚町は人の温もりを求めていて、いっそのこと俺が遮二無二彼女を抱きしめてしまえばそれで正解なのかもしれない。
……そして、んなこと出来やしないのも分かってる。
異性に対するトラウマがある限り、迂闊な行動は控えるべきなのだ。仮にそれが正しくないことだとしても、本人が嫌がる以上は。
だから伝えるべきはあくまで言葉だ。
それも、飾らず格好つけない無垢で純粋な言葉を。




