第42話「は、ははっ、俺は振られるのが前提かよ」
走ることはいいことだ。
まず健康面でのメリットだ。
学生の時分であれば、体育なり何かしらの行事なりで半強制的に運動させられるため気付きにくいが、そういった面倒から解放された社会人は学生時代に比べて太りやすい。
大抵は肉体管理を怠った末の結果であり、これに勤労の忙しさと飲み会での暴飲暴食を追加してやればあっという間にメタボボディの出来上がりである。語感はいいが見た目は悪いので決して羨んではならない。
ここまできてようやく己に対する危機感を持ち始めるものの、既に手遅れの上に出遅れで、来月に差し迫った健康診断に恐怖を覚えることになりかねないからだ。ようやく運動しようと一念発起するものの、ろくにサイズも測らずに買った運動着に袖を通せばピッチリで、しかもよくよく考えてみれば何かスポーツをする技術もない。そこで再び考える。
ならばひたすらに走ればいい。
走るだけなら特別な技術も運動能力もさほど重要でなく、とりあえず体力さえ身につければなんとかなるのでオススメだ。それにほらあれだ、学生時にさんざん走らされたから慣れっこだろう。
走ることはいいことだ。
人が走る姿はどうしてか絵になるものだ。大学生の駅伝大会、熱血青春漫画の「あの夕日に向かってダッシュだ!」という演出、チャリティとは名ばかりの芸能人のマラソン等々、例を挙げれば切りがないほどである。しかしながら走るという行ため自体に意味があるのではない。
その先にある人間ドラマを人々は切望しているのだ。
走らないメロスに感銘を覚えることはない。
だから逆説的に走ること=ドラマ性、すなわち青春なのである。
だから俺はその自説に乗っ取って青春しているのだ。
誰に止められるでもなく、誰を留めるでもなく、ただ漠然と棚町を探して快走している俺は間違いなく、場違いなく、青春の塊なのだ。
もっともこれについては本当に適当な自説なので、どこか権威のある学者が研究対象にしてくれないかなと常々思っている。
走ることはいいことだ。
何も考えなくて済む。人は大事な局面ほどごちゃごちゃ考えずに直感で行動した方がいい。思考は判断を鈍らせるし、かといって時はただ待っていてくれない。捕らわれ、そのまま機を逃すのがオチだ。ちょうど正に今の状況そのものだろう。だから勢いのまま飛び出し、棚町に伝える言葉も用意しないまま慢性的な運動不足で足をもたつかせつつ、息を荒らげ、それでも俺は前に進んで行く。転ぶつもりはない。
髪の毛先から滑る汗の滴が俺の瞳を刺激する。思わず目に滲みるが知ったことか。物理的に痛くても精神的には痛くない。よってそのまま無傷である。これ新手(荒手)の精神論な。
さてロリ先輩のお話を一切合切割愛してしまったが、それについては後々語るつもりなので了承してほしい。ともかく今大事なのは、他の要素が介入しないほどの疾走感。打ち切り漫画よろしくテンポよくいかないとな。走りながら脳内で独白している内に件の棚町を見つけた。 校舎を出てすぐ横にある大木の下に身体を丸めてしゃがみこんでいる。
……泣いているのか?
「あ、綾村先輩」
近くにいた伏日が声をかけてくるものの、
「はぁっ、はぁっ」
ここまで全速力で走っていたせいで息苦しくて返事が出来ない。
「わァ、なんか大変そうですネ。お水飲みたいデショウ?」
って伏日、ただ聞いただけかよ。用意してないのかよ。水くれよ。これだから天然は。
「……圭、もう大丈夫なの?」
と、傍らに控えていた頸野が顔を出す。口元から僅かに血の跡が見られる。また吐血したのだろう。大丈夫ってのは俺が言う台詞じゃないか。だというのに、頸野は自分のことより俺のことを心配してくれているのか。
くそっ、情けねぇ。
たかが息切れ程度でなんて情けないんだ俺は。気合いを入れるためにも自身の皮っ面を両手で引っ叩く。一瞬痛みで視界がぐらついたが、不思議と爽やかな気分だ。
「い、いきなりどうしたんですか綾村先輩?」
「……Mに目覚めたの?」
突然の行動に二人は——なぜか頸野は恍惚とした笑みを浮かべている——若干引き気味だ。
「何でもない。ただの蛮行だ」
そう俺は答えると顔を引き結んで棚町の方へと向き直る。
「ちょっとあいつと話をしてくるよ。長くなるかもしれないから先に帰っててもいいぞ」
しかし、俺の言葉に首を横に振る二人。
「これはもしかして愛の告白、という奴でしょうカ!? 綾村先輩、邪魔者を排除しようたっテそうはモンドセレクションが卸しませんヨ。先輩が見事に玉砕するのを見守るのも後輩の役目なのデス!」
「……もしも振られても大丈夫。その時はわたしが慰めの吐血をしてあげるから」
「は、ははっ、俺は振られるのが前提かよ」
苦笑いするしかない。二人が全く空気を読まないからではない。
むしろ逆だ。ここまでお膳立てしてもらった上、更に励まされているのだから。
ならば俺は二人、いやロリ先輩を含めた三人の期待に答えなければなるまい。
ずしりと重圧が肩へのしかかるが、嫌な気はしない。それどころか有り難いくらいだ。
「——よし、そろそろ棚町から盛大に振られてくるよ。見送りよろしく頼む」
「ファイト一括払いデス綾村先輩!」
「……行ってらっしゃいの吐血、こぷっ」
軽口には軽口を。しかし、こういう口を叩ける仲間も悪くはないよな。だから、この関係を守るために頑張らないと。
さてそれじゃあ一丁やりますか。
ここからは先は俺が決めた俺の役目を果たす番だ。ぶっつけでやっつけな本番、開始。
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