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1-5 さいきんの異世界転生

 アリスが外をうろつきまわっていたのが知れ渡ったのか、次の日の朝食後、来客が現れた。


「エルミーネ卿がいらっしゃいました。」

 グラディスの案内で通されたのはセクシーな美女だった。腰は締まっているのに出るところはきちんと出ている。

 これだよ、これ。

 アリスのように美少女でもなく、グラディスのように可愛いでもなく、まさに大人の美。肌は透けるように白く、背中までかかった黒髪との対比が美しい。優しい感じの美人だ。

 自分、というか男性のひとつの理想を体現しているような姿かたちだ。

 それこそよほど自分に自信がある人間か、勘違いしている人しかアタックしないであろう。

 本人もそれを解っているのか貴族のドレスでありながら、ボディーラインや胸元が協調された上半身からお尻あたりまでピッチリのドレスを着て、申し訳程度にストールを羽織っている。無駄な装飾のないドレスの黒っぽい紫が、彼女の肌の白さと髪の美しさを際立たせていた。性的主張の強いコーディネートは、まるで裸が服を着ているようだった。

 最高っす!!

 自分がこの人に感染できないかなぁとか菌的に卑猥(?)なことを考える一方で、同性なうえアリスである王女はそんな恰好には何一つ興味を示さず、エルミーネと呼ばれた女性に本を持って駆け寄った。

「エル。ここ!なんで水代取ってるのに水路代も取るの?」

 エルミーネは王女への挨拶もままならないまま、渡された本を読む。

「水代は使用した量を農民達が知っております。」谷間の美しいエルミーネが答えた。「一方で水路代とそのメンテナンス代にいくらかかったか農民たちは知りません。そのため、ある程度自由に農民たちから税の徴収量を増やすことができるのです。」

「なんでよ。別に水代でもいいじゃない?」アリスは納得してない様子だ。

 少し前に読んでた本の納得のいかなかった一文についての話かな?

「水の価格が理由もなく変動してしまってはいけません。」エルミーネが説明を始めた。

 この人もしかして家庭教師なのだろうか?にしては無駄にエロい。いや、家庭教師だからエロいのか?

「しかし水路代を増やすのであれば、水の単価を上げることなく増税ができるのです。農民たちは水路の増税について、新しく増えた水路を使い始めた農民たちや、水路の補修を必要とする田畑の主を増税の原因と考えますので、領主への風当たりはそれほど強くはなりません。それが水代と水路代を分けるメリットでございます。」

「うーん??」アリスが納得できない様子でうなり、今度は難しい質問を返した。「本来、農地の作付けに対する比率とかで徴収率を分かりやすく決定するべきではないの?」

「農民達は『割合』などいう概念は理解しておりません。決まった値を収めさせるのが彼らにとっても解りやすくて良いのです。それに、増税の必要が出た際に、水路代の徴収を調整して賄うやり方は我々にとってやりやすいのです。新たな田畑の整備や治水のための増税と言えば理解もされましょう。」エルミーネが答えた。「それに、もし、税が作付けに対する割合で決まってしまうと飢饉などで収穫が少なかった時、税収が減ってしまいます。」

「それじゃ、飢饉のとき農民が大変じゃない。」

「農民より、我々貴族です。木の幹が枯れてしまったら木は死んでしまいます。庭師が木の枝を剪定するように、我々も必要とあらば農民たちを剪定せねばなりません。」

「私たちは木じゃないわ。農民たちも枝葉じゃない。」

「例えです、王女殿下。」エルミーネが言った。「王女殿下は国の事を第一に考えねばなりません。農民がいても我々がいなければ国は動きません。政を行う我々が貧困に苦しんでなぜ国が豊かになりましょうか。」

「食べ物をつくる農民が貧困に苦しんでなんで国が豊かになるのよ?」アリスが食ってかかる。

「王女殿下。農民の替えなどいくらでもいるのです。」エルミーネはにこやかにえげつないことを言った。「我々は国を維持することが使命なのですから、農民たちを活用して国を繁栄させるのは我々貴族の務めです。」

「国ではなくて、私たち貴族のためでしょ?」アリスが反論する。

「王女殿下、我々が国であり貴族です。王女殿下がお優しいのは存じておりますが、農民達は国の礎として厳しく運用していくべきかと存じます。本の知識を理解するだけでなく、王族としての在り方を勉強なさるべきかと。」

 アリスはかなり不満そうだ。「その高いドレスも国の繁栄の一つなのかしら?」

「ええ。」とくに悪びれる様子もなくエルミーネは答えた。「そしてこれも。」と言って、エルミーネはグラディスに持たせていた箱から真っ赤なベリーがふんだんに乗ったケーキを取り出した。

 アリスの目がケーキのベリーにくぎ付けになった。エルミーネがケーキを上げ下げするのにアリスの目線もつられて動く。

「水路代については、水代を安定させるためってことだけは解ったからいいわ。」アリスはケーキにくぎ付けになりながら負け惜しみのような総括を述べると、おとなしく机に座った。


 エルミーネの出現とともに、アリスの日常はベッドの上で本を眺めているだけの療養から、自分が来る前、倒れる前の日常に戻ったようだ。

 エルミーネは基本的に毎日午後昼食後に来る。

 自分にとっても楽しみが増えた。ビバおっぱい。

 エルミーネはやはりアリスの家庭教師だった。主に、王女としての立ち振る舞いやあり方、そのために理解しておくべき法律や税制の仕組みを教えているようだ。若くて美人なのに頭まで良いときたもんだ。

 ときどき、ページをめくるときにこっそり指をなめるので、もしかしたら本当はそれほど若くはないのかもしれないが、そんなのどうでもいいじゃない。まさに才女って奴だ。

 毎回、エルミーネは必ずケーキを持ってやってくる。

 そして、そのケーキはお預けのまま、アリスはエルミーネの授業を受ける。アリスは説明に気に入らないところがあるたびに逐一つっかかっていくので、実に進みが遅い。

 基本的には「王族/貴族はこうあらねばなりません。」と説明があるたび、「なんで?」「それに何のいいことがあるのよ?」と質問攻めにする。

 エルミーネは何かしらの例を交えながら、にこやかに説明するが、だいたいの場合アリスは納得しないで終わる。

 二人とも根っこのところには同じように専制君主主義で「王族や貴族が国民を支配する」という共通認識はあるようなのだが、『支配』に対する二人の温度が大きく違う。この温度差が、アリスがエルミーネの言うことを納得できない原因の根幹にあるようだ。

 意外なことに、がちがちの絶対貴族主義なのはエルミーネのほうで、アリスはどちらかというと国民よりの考え方をしている。

 ほとんどの場合、アリスのねちっこい質問は、エルミーネに王族としての姿勢が間違っているとたしなめらる。その後しばらくアリスが食い下がるが、最終的には平行線のまま解は見つからず、アリスが業を煮やして「まあいいわ」と話をぶった切って終わる。

 さすがに、教科書の行が1つ進むたびにアリスがいちゃもんをつけてくるので、時々エルミーネの笑顔に苛立ちが見え隠れする時もあった。

 ネオアトランティスはどうもエルミーネがお気に入りらしく、エルミーネが来るたびにこの間覚えたばかりの謎ダンスを「エルミーネ、エルミーネ」と繰り返しながら踊った。

 エルミーネのほうはネオアトランティスには全く興味がないらしく、ネオアトランティスのことは全く無視して、アリスに挨拶をすると授業を開始した。

 なぜ、アリスが倒れた後、一週間以上来ていなかったは分からないが、最近は必ず昼食事後にやってきて3時間ほど授業をしたのち、『小道具』のケーキをアリスに与えて帰っていく。

 『小道具』とはどういうことかというと、アリスが満足するような回答が聞けずイライラとしてきた時にケーキのことを話題に出すとすぐにおとなしくなるのだ。そして小道具のケーキは授業が終わるとアリスの腹に収まるシステムだ。

 一度だけ、エルミーネがアリスのストレスの状況が最悪と判断して、「休憩を入れましょう」と言って議論を無理やり打ち切り、ケーキを食べさせたことがあった。ケーキが目の前に出された瞬間、アリスの瞳の怒りの炎は夜空に輝く星に変わり、一人のスイーツ好きの笑顔の女の子が現れたのだった。グラディスがケーキを皿の上にスタンバイすると、彼女がお茶を入れるのを待たずに、アリスはケーキに手を出すのだ。アリスは甘いものが大好きなようだ。

 ハムスターのように行儀悪くケーキをほおばっている間はアリスもおとなしい。あまり品行方正ではないとはいえ王女、流石に物をほおばっている間にしゃべったりはしない。

 ケーキの出現が授業の最後であろうが、休憩と言って途中で打ち切った場合であろうが、エルミーネはアリスがケーキをもぐもぐとおいしそうに食べるのを嬉しそうに眺め終わると、アリスがご機嫌なうちに簡単な宿題を出して帰っていくのが通例だ。


 一度、めずらしくご機嫌なアリスが、一緒に食べないかとエルミーネに半分ケーキを譲ろうとしたことがあった。が、エルミーネが「ワタクシ、糖分はすぐ体についてしまいますので、間食は取らないようにしておりますの。」と断ると、アリスはエルミーネの豊満なおっぱいを凝視した後、自分のささやかな胸を見下ろしてもう一度エルミーネのおっぱいを確認し、ちょっとだけグラディスを見て、ひとつため息をつくと、ケーキをいつも以上に一生懸命に食べた。その後は二度とエルミーネにケーキを勧めることはなくなった。


 午前中は、アリスは城壁の外にこそ出ることはないが、庭や城の外壁近くのあまり使われていなさそうな塔に上ることが多かった。

 この塔のてっぺんからは外壁の向こうの町を眺めることができた。城自体が小高い丘の上にあるようで、教会以外に高い建物のない街は遮られることなく一望できた。

 アリスは部屋から持ち出した小さな望遠鏡で街の人たちの往来を眺めるのが好きなようだ。アリスは望遠鏡で街を除きながら、時々、グラディスにあの人たちは何をやっているのかと訊ねた。

 さすがのグラディスも庭の時とは違い毎回答えることができるわけではなかった。

 するとアリスはそれが何なのかを知るため、よりいっそう出歯ガメに興じるのだった。


 城に子供がほとんどいない。アリスと歳のそう遠くなさそうな若いメイドは居るが、アリスには絶対に寄ってこない。

 そんなこともあってか、アリスの遊び相手と呼べるのはグラディスだけだ。

 ただ、グラディスはメイドなので、アリスとずっと遊んでいるわけにはいかない。アリスにはグラディス以外のメイドは就いていないようなので、アリスの身の回りの仕事はすべてグラディスがこなしているようだ。厨房にあんだけメイドがいたことだし、もしかしたら洗濯とかは分担しているのかもしれない。

 そんなわけで、アリスには一人の時間が多い。

 そういった時間、たいていの場合アリスは本を読んでいるが、たまに思い付いたように体を鍛えだしたりするから面白い。腕立てやスクワットみたいな基本的な運動から、どこで学んだのか、格闘技の型ような運動もおこなう。

 キックボクシングのような打撃系格闘技のシャドーなのだが、シャドーボクシングという言葉のイメージから想像される動きよりもだいぶキレとスピードのある動きだ。あらかじめ防御と攻撃が一体化された動きを組み合わせた型を仮想の相手に対して繰り出すという感じだった。その流れるような動きは一流の格闘家の動きに見えた。

 王女ってのが、ここまでいろいろやらないといけないのか、アリスが特殊な例なのかは分からない。

 どうせ後者だろう。



 そんな感じで普通の日々が続いた。

 自分も細菌としていろいろ試してみた。

 この間決めた方法で増殖をしている限り、アリスは回復しているようだった。気絶以来、しばらくつきまとっていた倦怠感はもうない。

 ネオアトランティスのほうも、変なダンスを憶えて女性たちの気を引こうとするようになった以外の異変はない。

 そしてアリスの中の自分が40000、ネオアトランティス中の自分が5000を超えたので、多少自分の数を消費しても問題がないと判断しいろいろと活動を開始することとした。


 まずは感染活動だ。

 一部の細菌をネオアトランティスの糞に紛れさせた。

 糞に紛れた自分たちは環境の変化に対応できず、徐々に数を減らしていき、そのうち死滅する。増加はできない。どうも自分は生き物の体内でしか増殖できなようだ。ただ、50くらいの数でも環境次第では死滅するまで一日はかかる。

 ネオアトランティスの糞の中ならそのくらいは生きていられる。

 一日一回はグラディスがネオアトランティスの鳥かごを掃除し、自分はごみ箱に捨てられる。

 うまく自分の付着した部分のあるごみが何者かに食べれられれば成功だ。

 ほとんどの場合、そのまま何も起こらず自分は死滅した。一度に数を増やしたり、回数を増やしたりしたかったのだが、そもそもネオアトランティスからは1日(分裂期一回)あたりに全体の数の3%までしか外に放出できないようだった。

 アリスからネオアトランティスに感染ったときはそんな制限は無いようだったので、一次感染者、二次感染者と感染が難しくなっていくルールなのだろう。

 そんな、ある日、ネオアトランティスの糞が偶然何者かの口に入った。明朗に言うとなんかの虫の口に入った。


 『感染しますか スキルを選択してください/NO』


 ほんの数個の自分だったので感染してもすぐ駆逐されるのは分かっているが、もともと感染経路の確保が目的だったのでお試しでの感染だ。【経口感染】を選択する。自分10個中3個が侵入に成功。少しでも長くこの虫の内部にいるため、すぐさま6個まで増加する。

 この虫はたぶんハエかな?飛び立って、城の建物の裏側のごみ箱の周りを飛び回っている。複眼の視覚をどういう形で理解しているのかは分からないが、人間だった時の視界と同じような見え方でハエ視点で物を認識することができた。ただし、色が全体的に赤暗く見える。あと、自由奔放に飛び回るので目が回る。

 これは【操作1】を取ってドローン化したいところだ。

 とりあえずネオアトランティスの糞からハエに感染できることは判った。

 6個の細胞がこのハエの中で生き残る術は無いか考えていてふと気づいた。

 白血球の攻撃がない。虫だから白血球とかないのかな??

 独自に免疫物質を持っている虫もいるはずだが、このハエは違ったらしい。こりゃハエって細菌の感染経路としてはかなり優秀ですわ。増え放題。蚊も似たようなもんだとしたら、感染確率が最高である【血液感染】を媒介できる蚊はとんでもなく恐ろしい感染経路だ。

 コンソールを見ると、ネオアトランティスの下にハエ0000000000000001とすごい桁数のナンバリングがうたれていた。自分が個体名を認識していないと種別名になるみたいだ。

 というわけで、ハエドローン計画のため、長々と余らせていたスキルポイントを使用することにした。


 【操作1】を選択。

 『スキルを取得しますか? スキルポイント1→0   Y/N』

 YES


 さあ、飛ぶがよい。

 飛んでいるハエを操ってみる。

 おー動く動く。楽しい。

 ひとしきりドローン飛行を楽しんだ後、アリスの部屋を目指してみる。ふらふらと、城内を飛び回っていると、通路の先右のほうから良いにおい(ハエにとって)が流れてきて、急にハエドローンはコントロールを失った。一目散にいいにおいのしている厨房に向かう。そっちじゃないって。うーん、宿主に何かしようとする意思があるときはそっちが優先されるようだ。


 とりあえず数日の間ハエドローンで遊んでみて、【操作1】の限界を探った。

 どうやら、無意識に飛んでいるときは割とこちらの思っているように動かせるみたいだ。ただし、背面飛行したりとか唐突に速度を出したりとか、普段やらないようなことはやろうとしても受け付けてくれない。ハエが何かをしたいというときであっても、少しだけ意識に介入することができる。例えば、おなかがすいてごはんが食べたいといったときに、二つあるどっちのご飯を食べるかには干渉することができる。ただし、片方がとても好きなごはんでもう片方はそうでもない場合はハエの好きなほうに飛んでってしまう。

 危険な行為も全く受け付けない。例えば炎に必要以上に近づこうとするとか、わざと人に気づかれるように近づくとかはできない。

 有能なハエドローンだったが、一週間後、突然ロストすることになった。

 この一週間でハエドローンの扱い方がうまくなったので、城の上まで登れないかと、休み休み上のほうへ飛んでいる最中のことだった。

 なんの前触れもなく暗転したかと思うと、激しい痛みが流れ込み、ハエとの感覚共有が遮断された。

 突然の激痛にうろたえつつ、慌ててコンソールを開いて確認するとのリスト上からハエ(略)01の表記が消えていた。

 そして唐突に、ポップアップが出現した。


 『感染しますか スキルを選択してくださいY/N』


 え?え?

 あ!【経口感染】が選択できる。

 これはたぶん何かに食われたな?

 試しに選択してみる。ハエの中に居た200近い自分が感染機会を得ているはずだ。

 『成功しました』やっぱり。

 100くらいの自分が取り込まれた。

 急いで、スクラムを組んで対白血球戦に備える。今回自軍は少ないが、ひとつでもやっつけて【解析】を成功させることが間に合えばいいので、ワンチャンある。

 かくして二度目の白血球戦が始まり、意外とすぐ終わった。

 楽勝ではなかったが、簡単にやっつけてしまったからだ。ネオアトランティスの白血球より弱かったのだ。


 『解析が終了しました。 白血球:【免疫A(固有)】【免疫B37188(固有)】を取得可能です。』


 【解析】スキルの結果が表示される。即座に【免疫A】をキャンセル、【免疫B】を獲得。

 攻撃が止んだ。自分の数残り24。いつもぎりぎりだ。

 コンソールを確認して、自分が何に感染したのかを確かめる。

 「やもり(略)01」と書かれていた。なるほど。飛べなくなったが、宿主としてはランクアップだろうか。いや、感染媒体としてはランクダウンか。


 今度はヤモリラジコンだ。

 ハエのように広範囲を見渡せ、視覚の明るさとか色合いとかも割と人間に近い気がする。

 さて、操縦練習だが、これまたとても操縦しにくい。そもそも、ハエのように自由に操縦ができない。十字キーで操縦するように自由には操縦できないのだ。何かしらの目標を指定してそれがヤモリのご意向に沿えばその方向に動くという感じだ。あっち温かそうですよとかささやきかける感じ。ハエよりも意思がある分、ほとんどコントロールできないということなのだろう。【操作2】とか【操作3】になっていくともっと操れるようになるのだろうか?

 しかもめんどくさいことに、ヤモリは数メートル移動させると必ず休むのだ。ハエも飛び続けると疲れて勝手に休むことはあったが、この子は一回当たりの移動量が少なすぎる。ちょっと動くと周りを確認したくなるらしい。そして、だいたい二回くらいくらい動くと目的地を忘れてしまうらしく、あらぬ方向に動き出すことがある。

 とりあえず、身を隠しながら、あったかいほうへ誘導してみる。

 時間は夜。

 変温動物だけあって暖かさはご所望だったらしく、勧めたほうへ向かってくれた。


 排水路の壁を伝って入ったのは洗濯場のようだ。部屋の片側の壁が無く、代わりに石張りのお風呂のような感じで水が流れ込んでいて、そこが洗い場になっている。

 日が沈んでしばらくたっているというものの、メイドたちがまだ洗濯をしていた。グラディス居っかな?

 ヤモリに心地のよさそうな壁の隙間をおすすめしてそこに収まってもらう。

 グラディスくらいの若い二人のメイドが各々自分たちのノルマであろう洗濯ものを洗濯しながら話をしていた。ガールズトークというよりはOLの愚痴だ。自分たちの上司のどちらが人使いが荒いかという話で盛り上がっていた。

 アリスもネオアトランティスも眠ってしまい退屈だったので、そのままヤモリに居ついてメイドたちの話に耳を傾ける。と、二人の話題がグラディスの上司、アリスのことに及んだ。

「まあ、うちの旦那様でも、王女殿下の下で働くのに比べたらマシよ。」さっきまで、面倒を見ていてるおじいちゃん貴族がすぐ触ってくるという話を憤慨しながら話していた赤髪でやせっぽちなメイドが、さすがに自分の主に対して言い過ぎたと反省したのか、アリスを引き合いに出してフォローを始めた。

「あのリトル暴君には関わりたくないわね。」公爵夫人がたくさんの料理を作らせるくせにほとんど残こすと息まいていた背の低い黒髪おさげメイドが、容赦ない相槌をうつ。

 言われてるぞ、アリス。

「さすがに暴君は言い過ぎよ。そうだけれど。」

「誰も聞いてないんだからいいじゃない。」

 聞いてるぞ。

「やめてよ、私に聴こえてんのよ。忠告はしたからね。なんかあっても巻き込まないでよ。」赤い髪のメイドが予防線を張った。

「はいはい。それより、それより、こないだの事件の時居たんでしょ?」小声になって、黒メイドが赤メイドに顔を寄せて尋ねた。

「居たわよ!!聞いてよ、あいつガキんちょのくせに、ちょー怖いの!」赤メイドがよくぞ聞いてくれましたとばかりに嬉しそうな声を上げる。この話に持っていきたかったからアリスの話題を振ったのかもしれない。にしても、この赤メイド、暴君がどうこうとたしなめておきながら、自分はあいつとかガキんちょとか口走ってるけど、それはいいのか?

 赤メイドはさらにまくしたてるように続けた。「いきなり厨房に入ってきてグラディスにサンドイッチ作らせてさ、その前に座ってずっとこっち睨んでるの。怖いったらありゃしない。で、ちょっと話しようとしたら『殺す!!』とか言うのよ。王女ってあんなんじゃないわよね、普通。」

 それな。

「わっかるわー。」黒メイドが同意する。自分もこっそり同意する。「アミール様とは大違いよね。」

 それも同意。

「やっぱり母親の違いじゃないかしら、ユリシス様もアレだし。」家政婦的によくありがちなセリフだが、自分にとっては情報過多なセリフが赤メイドの口から紡ぎ出された。

 やっぱアミールとは異母兄弟か。母親もアリスみたいだったんだろうか。ってかユリシスって誰?そんな疑問を持ったところで、質問することなんてできないわけで。

 赤メイドは話を厨房での出来事に戻す。「しかも、聴いて!厨房に来る前に、グラディスの奴、王女に殴られて鼻血出してるらしいのよ。」

 本当は頭突きだけどな。どうでもいいか。

「それ見た。」黒メイドが赤メイドを指さす。「鼻に布詰めてやんの。まじひいたわ。」

 あ、思い出した。黒いほうは以前廊下ですれ違ったメイドの一人だ。

「さすがにないでしょ。いくら何でもちょっとだけグラディスに同情するわ。」

「まだ、チビ王女だからまだいいけど、これが男だったりとかしたらと思うとぞっとするわね。グラディスもよく続けてると思うわ」

「まあ、グラディスに相応しいといえば、相応しいのかもね」と赤メイド。

 どういう意味だろう?

「あいつの下にされたらどうしよう。いやだって父様にお願いしても、王女殿下だし仲良くやれとか言われそう。」

「取り合えず、王女にもグラディスにも関わらないようにしといたほうが良いわよ。この間もグラディスの邪魔したら殺すーとか言って。マハルがグラディスにちょっかい出してたからよ。きっと。それが気に入らなかったんだわ。」

 マハル?

「グラディスにも注意ってことね。エルーザみたいになるのは絶対にごめん。」

 エルーザ?

「ま、どうせ。すぐ死ぬでしょ。」赤メイドが言う。「例の王女の病気、お医者様が何人もあきらめてるって噂じゃない。この間も倒れたんでしょ。」

 原因としてとても心が痛い。

「アルト卿が治すって豪語しているらしいわよ?」

「あのマッチョが?」赤メイドが笑う。

「あんた口悪い。」と、いさめながら黒メイドも笑う。

 マッチョは悪口じゃない!

 これまでの会話中によっぽどひどい悪口あったぞ。

「てか、王女、あれで病気とかマジ信じらんないんですけど。」

「王女だからって、ちびっこのくせに態度ばっかでかすぎ。」最初に黒髪メイドの言葉遣いに文句を言ったのは何だったのか、赤メイドはアウトな発言を繰り返す。

「分かるわ。王女じゃなかったらあんなちびっこ簡単に・・・。」と何か言いかけて黒メイドが押し黙った。赤メイドも同じように何かを思い出したかのように話すのを止める。

「・・・・ねぇ。エルーザってどうしてるの。」黒メイドが唐突に先ほど名前の挙がった謎の人物について訊ねた。

「あの事件で前歯二本折られて療養中ですって。」

「療養って・・・生えてくるもんじゃないじゃん。」黒髪が洗濯の手を止めて赤メイドのほうを向く。「あたしだったら生きていけないわ。」

「クソ王女、とっとと病死してほしいわ。」

 前歯折ったって、会話の流れ的にアリスがエルーザって人の歯を折ったってことだよな?

 打撃の練習をしているアリスの姿を思い出すと、メイドに鉄拳を振るっているアリスが容易に想像ついた。そういえばロッシフォールも襲撃とか言ってたっけ。

 えぇ・・・、どういうこと?

 どうもこうも、自分の宿主様、ヤバい人か?

 可愛いは正義的な感じで、ワガママいっぱいの少女としてほほえましく見てきたが、どうもいろいろ許容できない部分がありそうだ。というより、完璧メイドのグラディスが相手じゃなかったら、誰もアリスとはあんな和ましい雰囲気にはならんのではなかろうか。そのグラディスも頭部に結構な打撃うけてるし。まさか、この暴君を止める(隠喩)のが自分が転生した理由だったりしないよな。

 にしても、さすがメイド≒家政婦。たわいのない会話の情報量がすげえ。エルミーネとアリスの税制談義とは大違いだ。

 アリスについてももっと情報を集めたいので、ここにはマメに来よう。メイドたちのゴシップは侮れない情報源だ。それこそグラディスに何とか感染できればもっといろいろ聞けるかもしれない。


 その後、何日かの間、ヤモリのコントロールを試したり、グラディスへの感染を頑張ったりアリスのパラメーター調整の実験をしていたところ、再びレベルが上がった。


 そして、また、アリスが倒れた。


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