1-3 さいきんの異世界転生
次の日の朝もグラディスがやってきた。
今朝もアリスが目覚めて少し落ち着くのを計ったかのように部屋に入って来た。
グラディスは昨日と同じように慣れた手つきで机の周辺を整えると、今日は特に悩むことなくアリスが選んでいたドレスの背中の紐を結った。
今日のドレスは少しアリスには似合っていない。
誤謬を恐れなければ、王女にとっては、王女然たるアリスの端整な姿に対しては、相応しくない貧ぼらしい服装であった。
派手なセレブがジャージを来てるみたいなちぐはぐさだ。
「王女殿下。そのお召し物で良いのですか?」グラディスもそう感じたのか王女に問いた。
「楽なのがいいの。良いにおいもするし。」アリスが答える。「毎日着たって良いくらいなの。洗ったらすぐ棚にもどしなさいよ?」
「はい。」特に反論するでもなく、グラディスが返事を返した。
「「パーン!!」」
突如、アリスが口走った擬音と、グラディスの頬がアリスの両手でサンドイッチされるようにビンタされた音が同時に響き渡った。
なんで叩いたし!?!?
「今日もステキにして!外には出ないけど!!」アリスは意地悪くそう言って鏡台の前に座った。
「承知いたしました。王女殿下。」グラディスはかしこまって答えるとアリスの後ろに立った。
鏡台を二人で覗きながら、グラディスがアリスの髪を梳く。
グラディスの頬がめっちゃ真っ赤に腫れている。どんだけ強くひっぱたいたんだよ?
グラディスが王女の明るい黄金色の髪を櫛でなではじめた。ほっぺたをひっぱたかれたにもかかわらず、グラディスは昨日よりご機嫌で、小さな鼻歌が聞こえる。
自分に聞こえてるということは、アリスにも聞こえているわけで、アリスもグラディスに合わせてハミングをはじめた。
幸せでステキな時間。
その心地よい時間は、王女のハミングがだんだん盛り上がっていき、最終的にワーグナーのごとく派手なオペラたらしめ、グラディスを苦笑いさせるまで続いた。
空気読めよ王女。
アリスの髪を結いあげると(グラディスはカリスマ美容師だとつくづく感心する。)、グラディスは昨日と同様アリスが起こしたネオアトランティスに促され、食事の準備のため部屋を出て行った。
アリスは例によって机の上から本を一冊抜出し、ベッドの上で読み始めた。
自分も手持無沙汰になったので、なんか変わってないかなと、コンソールを何の気なしに開けてみた。
自分の数が減っていた。
昨日33000以上あったはずの自分が32913になっていた。
アリスの防御反応のせいか、はたまた、細胞としての寿命のせいだろうか。
実質ほとんど減ってはいないが、少し焦る。
細菌とはいえど生き物、一抹ならざる恐怖を感じた。
まさに一寸の虫にも五分の魂というわけだ。虫ですらないが。
アリスには申し訳ないが少しだけ自分を増やすことにした。生存本能的なやつだ。
アリスは、自分の中の病原菌が増殖を再開したとも知らず、ベッドに腹ばいになって足をバタバタさせながら難しい本を読んでいる。
少しだけ自分の数値を増やしてみると、今日は簡単に自分の数値を増やすことができた。
昨日の分裂から、細胞が次に分裂できるまでの期間、いわゆる細胞周期を過ぎたのだと思う。
慎重に、少しづつ増やすことで左下の数値をぴったり33000に戻した。
この増殖ですら、どれだけアリスの負担になっているかが分からないので怖い。昨日アリスが気絶するまで16000増やした訳で、今回はそのおよそ200分の1だ。
一方で、やっぱり死ぬのは怖い。
アリスに負担をかけないで自分も生きる方法を考えようと思う。
そう考えた自分は残っているスキルポイントを使用して【感染】系のスキルをとることにした。アリス以外の身体に宿って、そこでうまく数を増やし、生命を維持できないかと考えたわけである。それならこの子に負担はいくまい。
取得可能な【感染】系のスキルは、【血液感染1】【接触感染1】【経口感染1】の3つだ。ポップアップにはこうある。
【血液感染1】『感染率が最も高い。ただし血液が相手の体内に取り込まれる必要がある。』
【接触感染1】『他の個体の皮膚から感染可能。感染率は極めて低い。』
【経口感染1】『感染率がきわめて高い。口内より体内に取り込まれる必要がある。』
迷わず経口感染を選ぶ。
『スキルを取得しますか? スキルポイント1→0 Y/N』
YES
【経口感染1】の文字が赤く変わり、隣に【経口感染2】の文字が現れる。
【経口感染2】のポップアップを覗くと『感染力UP』とだけ書いてあった。やはり、数値はスキルのレベルの様だ。
ともかく、これで感染を行えるようになったわけだ。そんなわけで【経口感染】のチャンスを待つことにした。
チャンスはその日の夜に来た。
「おやすみ。ネオアトランティス」
昼日なか、ひとしきり本を読み通したアリスが飽きてきたのと眠くなってきたのとで床に就こうと立ち上がり、鳥かごに布をかけに向かった。
「アリス、おやすみ。アリス、おやすみ。」ネオアトランティスがオウム返しする。ここではグラディスの名前を出さないあたり、ネオアトランティスはアリスとグラディスのことをきちんと認識しているようだ。
アリスは鳥かごに布をかけると、布をすこしめくって、指先を鳥かごの隙間から中に入れる。
今だ。
慌てて自分の一部をアリスの指先に滲み出させる。
なんかこれ、すごく大変。角質を抜けにくいのかな?こりゃ、世の中のよくある細菌の経口感染の経路が糞尿や吐しゃ物に限定されるわけだ。
ネオアトランティスが昨日もやったように体を器用に曲げてアリスの指を甘噛みした。
そして、無事に自分の一部がネオアトランティスに取り込まれた。
その瞬間ポップアップが登場した。
『感染しますか →スキルを選択してください /N』
スキルのリストから【経口感染】を選択するとすぐに『成功しました』とポップアップが出て消えた。
意識をオウムの中に分割された少量の自分に合わせてみる。
ネオアトランティスのほうの視点に立った瞬間、王女から得ていた感覚は薄れ、霞のようにあやふやになってしまった。人間だったころに意識も体も一つだったせいか、アリスとネオアトランティスの両方の視点を同時に得ることはできないようだ。
ネオアトランティスの中はアリスより少し暖かい。ネオアトランティスの視覚を通じて、鳥かごにかけられた布の隙間からアリスの可愛らしく綺麗な顔が見えた。鳥の視覚のせいか少し綺麗に見える。
コンソール中のステータスバーもアリスのものからネオアトランティスのものに変化していた。
30000以上あった左下の数値も28に変化している。
今回は28個の細菌がネオアトランティス内に居るということだろう。これは自分がネオアトランティスの中にどのくらい居るかという感覚とも一致している。
感染成功したみたいだ。
って、痛いっ、痛い!
痛いのはネオアトランティスじゃない。
痛いのは自分だ。
大した痛みではないのだが、この状態(細菌)になって初めての本体への痛みに狼狽する。アリスに見惚れている場合でなくなったので、慌ててネオアトランティスの五感をシャットダウンし、細胞としての自分自身の感覚に集中する。
あああ!
ネオアトランティスに移り住んだ数十個の自分の細胞たちが、白血球に攻撃されている!
『反撃しますか? →Y/N』
状況を認知した瞬間ポップアップが出現した。
即座にYes。
どうも、攻撃された場合は、その対象にたいして反撃を試みることができるようだ。
反撃と言っても、白血球の中や周りでプルプル震えるだけだが。
数が少ない云々の問題じゃない。単純に反撃の威力が弱い。
そういや、反撃力を向上させるみたないなスキルがあったな。【抵抗】だっけか。ただ、取ろうにもスキルポイントが枯渇している。
結局その日は、大量の白血球がやってきてすべての自分たちを蹂躙して終了した。
ネオアトランティスの中での数値が0になった瞬間、自分ははじき出されるようにアリスの中に戻った。
不謹慎だが少し面白くなってきた。
次の日もネオアトランティスに感染を挑むことにする。
たぶん明日の朝、再びアリスは指を鳥かごにつっこむはずだ。
夜のうちからじわじわと指先に自分をにじませておこう。
翌朝、グラディスが来て一通り王女の身だしなみを整えると、やっぱりアリスはネオアトランティスに「おはよう」と挨拶してから鳥かごに指を突っ込んだ。
「おはよう、アリス。おはよう、グラディス」律儀なオウムは二人に挨拶を返すと、王女の指をついばみにかかる。
『感染しますか →スキルを選択してください /N』
【経口感染】を選択。
おはよう、ネオアトランティス。
今回は5000くらいで行くんでよろしく。
正直5000なんか行ったところろで白血球のほうが全然多いわけで、最終的にこちらが全滅するのは間違いないのだが、当初の目的はどこへやら。本来の趣旨が、ひとつくらい白血球を倒してみたいというゲーム感覚の目標に変わっていた。
それに白血球を倒すと【解析】のスキルで何かが起こるかもしれない。
早い話がすこし退屈なのだ。細菌には娯楽がなさすぎる。
もちろん、白血球に数を減らされるよりも速いスピードで増えるという正攻法もあるが、鳥とは言えど、ネオアトランティスにもアリスの時のような危害をあたえたくない。アリスより重量が小さい分、下手な増殖はアリスよりも致命的な結果を生みかねない。
『成功しました。』
結局4000近い細菌がネオアトランティスに取り込まれる。さあ、来い白血球。リベンジじゃ。
粘膜から体内に侵入し、気を抜くと体内にばらけて行ってしまいそうな自分たちをスクラムを組むようにまとめ上げて白血球の襲来に備える。
こちらからは攻撃できない。
なぜと言われても困るが、そういう仕様なのだ。
やがて白血球たちがやってきた。
『反撃しますか? →Y/N』
Yes
十分も待つことなく、第二戦目が始まった。
白血球が一つ一つ自分たち細菌を包み込んでは消化していく。とてもゆっくりした戦いだ。
対するこちらも細菌を集め応戦する。そして、ざっと自分の分布している状態を確認し、自分を捕食中の一つの白血球に狙いを定めた。周囲の細菌をその白血球に集めて取り囲み、封殺しようとする。
白血球を取りかこんでいる細胞のうち、直接白血球に触れている細菌たちがじわじわと白血球に取り込まれていく。これに対し、こちらは防御するでも逃げるでもなく自ら白血球の内側へ、暴れながら(プルプル震えながら)突入していく。
しばらくすると、白血球の中に十以上の細菌が取り込まれ、白血球は薄く大きく引き伸ばされてきた。
最初のほうに取り込まれた自分たちのいくつかはもうすでに息絶えている。
それでも、自分たちは白血球に増々群がり、押し合いへし合いしながら白血球の内側に向かって侵入していき、白血球をさらに薄く引き伸ばしていく。
そして、細胞というには大きく希薄に広がった白血球はその機能を停止した。
勝利だ。
ひとつの白血球を倒すのに二時間くらい。地味で遅い戦いだった。
ちなみに他の白血球戦にはすべて負けた。自分達の数はすでに1000を割っている。そのうちすべて狩られて0になるだろう。もちろんアリスの中の数を合わせれば、まだ25000近く居るので、生存に支障がでることはない。正直ここで負けて減った数よりも、感染のために指先ににじみ出たり、【経口感染1】のスキルでネオアトランティス内部に侵入するときの行動の代償として消費した細胞数のほうが減った量としては多かったりする。
まあ、今は、とりあえずは勝利の達成感に酔っておこう。
残念ながら白血球を倒しても何も起こらなかったな、と思った矢先だった。
『解析が終了しました。 白血球:【免疫A(固有)】【免疫B89316(固有)】を取得可能です。』と勝利からは時間差でポップアップが出現した。
来た来た!
【解析】の効果だ。
【免疫A(固有)】【免疫B89316(固有)】のどちらも、白血球の持っていたスキルっぽい。二つのスキルの文字が、取得できるスキルと同じ色をしていたので、選択してポップアップを表示させる。
【免疫A(固有)】『自分以外の細胞と異物のすべてに攻撃を行い、せん滅する。』
【免疫B89316(固有)】『89316に類する細胞から攻撃を受けず、攻撃を与えない』
【免疫A】は、白血球ぽいスキルだ。(固有)ってのはその細胞特有のスキルって意味のようだ。【免疫B89316】は・・・良くわからないな。妙な番号が付いていてなんか怪しい。
【免疫A】を取ったものだろうか。自分からほかの細胞を自主的に攻撃できるようになれば【解析】の効果も捗るというものだ。
少し悩んだが、ネオアトランティス内の自分の数がそろそろ0になりそうになってきたので、【免疫A】を取得することに決める。
このタイミングでスキルを取らないと【解析】したスキルは取得できないものとみた。
現にコンソールのほうには【免疫A】も【免疫B】も追加されていない。
【免疫A】を選択する。
『スキルを取得しますか? Y/N』
幸いスキルポイントは要らないようだ。
ん?
まてよ?
『自分以外の細胞と異物のすべてに攻撃を行い、せん滅する。』?
自分以外の細胞ってどこまでだ?
自分はアリスか?
アリスは自分か?
自分はネオアトランティスか?
ネオアトランティスは自分か?
アリスはネオアトランティスか?・・・これは違うか。
自分とアリスが別人(菌?)とすると、アリスの細胞も攻撃対象になるってことではなかろうか??
これ、ダメじゃない?
少なくともアリスかネオアトランティスのどちらかの細胞には攻撃を開始する気がする。むしろどっちの細胞も攻撃しはじめる可能性が高い。
慌てて選択を解除する。
あ、そうか。
【免疫B89316】『89316に類する細胞から攻撃を受けず、攻撃を与えない』
こっちだ。
89316がネオアトランティスなんだ。
これを持っていればネオアトランティスに関する細胞には攻撃しないし、逆にネオアトランティスの免疫細胞からも攻撃されない。
ネオアトランティスの免疫細胞はこのスキルを持っているから、ネオアトランティスのほかの細胞を攻撃しない。そういうシステムなのだろう。
さらに言えば89316はネオアトランティスではなくてオウムという一括りなのかもしれない。例えば同じ番号に属する個体同士では、輸血しても問題が起きないといった体系までスキル化されているのではないだろうか。
【免疫A】は取らずに、【免疫B89316】だけを取得する。
アリスは89316ではないから、【免疫A】を取ってしまうとアリスの細胞を攻撃してしまうだろう。
スキルを取った瞬間、ネオアトランティスの白血球の攻撃が止んだ。考察は正しかったらしい。こちらの数はもう20しか残っていなかったが、ギリギリのところでネオアトランティスにとどまることができた。
初感染だ。
少し、ネオアトランティスの中の自分の数が心もとないので増やすことにする。とりあえずは40にしよう。
ネオアトランティスに変化は起こらない。
数が少ない。
明日には全滅してしまっているのかもしれないが、そもそも増やしたくてもこれ以上は無理なようだ。
これで、すべての細胞が一度分裂するところまでが一回の増殖の上限なのが確定した。つまり、一回当たり2倍までしか数を増やせないわけだ。
アリスの時の経験から察するにその後1日くらいは増殖はできないだろう。
まあしょうがない。少しづつ増えていくとしよう。
だいたいの感染手順は理解できた。
所持している【感染】系のスキルの感染経路で感染したい相手に侵入→白血球とバトル→白血球を倒して【解析】スキルで白血球のスキルを解析→【免疫B】を取得して感染相手の中で、白血球の攻撃を受けないようにする。
この感染方法がはたして正攻法なのかは解らないが、この方法なら白血球を相手にしなくて済むので、相手の免疫機構にダメージを与えなくて済む。白血球に全滅させられないように感染相手の中で数を増やしつづけたりしなくてもよいので、宿主への負担も少ない。
問題は、【感染】の際にその代償として自分の数を消費してしまうところだ。
ゲームで言うところのMPとHPが一緒にされているようなものだ。しかも、寝て起きたら勝手に回復しているようなこともない。むしろ減っている。おまけに下手に回復をすると宿主が死ぬ。
もちろん自分の数が0になることは自分の存在の消滅を意味する。
これがゲームだとしたら意外とバランス取れてるな、このシステム。
しばらくは、アリスとネオアトランティスに負担をかけることになりそうだ。何か上手いこと考えないといけない。
改めてコンソールを開けてスキルを確認すると、大項目に【免疫】の項目が追加されていた。下位の構成を開くと【免疫B89316】の項目が連なっていた。
ふと右側の空欄だったフォームに記載があることに気が付いた。
一番上に「ネオアトランティス」との表記が増えている。
この欄は感染者リストか。
自分のコレクター魂がくすぐられた気がした。それとも、細菌としての本能が、だろうか?
この欄をいっぱいにしてみるのも楽しいかもしれない。
せっかくなので迷惑をかけない範囲で新しい人生を、いや、菌生を送ってみようか。
何の因果か、前世で寝る間も惜しんで細菌について調べていた人間が、今度は実際に細菌の立場に立って細菌を経験できるってのも少しばかり乙なものだ。
こうして、自分の置かれている状況にようやく少しだけ前向きになれたタイミングで、
レベルが上がった。




