2 髪
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「痛い!痛い!痛---い!」
ジュナは涙を滲ませて悲鳴を上げた。
髪を洗った翌日は悲惨だった。どんなに丁寧にブラッシングしても、傷んで滅茶苦茶にからみあった金色の巻き毛のかたまりは、ほぐれてくれない。
「せめてからんだ毛玉を切り取って、枝毛のカットだけでもいたしませんと」
ティアがすすめても、意地になったジュナは決して頷かなかった。
「いや!絶対にはさみは入れない!」
アウド・ヤールは毎日の晩餐の席に、必ずジュナが出席する事を望んだ。そしてジュナの頭を見るたびに、嘲るように唇を歪めるのだ。
髪がちょっぴり伸びて、根元が少しだけ赤褐色になった、ジュナのこんがらがった金髪頭は、はっきり言ってものすごく変だった。
竜族の長の顔を見るたびに、ジュナは怒りがこみあげて来る。
見事に波打つ黄金の髪。
始末に困るジュナの猫っ毛のくるくる巻き毛と違って、手入れもなしに綺麗なウェーブを形作る、濃い金のたてがみ。
男のくせに。
うらやましくて、むかむかする。あの見事な金髪をつかんで、がたがたゆさぶって、はさみでジャキジャキ切り刻んでやったら、どんなにすっきりするだろう。
(ほんっとに腹が立つったら!)
「新しく調合したハーブオイルのパックも効き目がないようですね」
ティアのがっかりした声に、ジュナははっと我に返った。
ジュナより二つ年上の若い侍女は、この元気の良すぎる主人を妹のように思って、親身になって世話をしてくれるのだ。
「祖母に相談出来たらいいのですけれど」
「ティアのおばあさんに?」
「ええ、家は代々村の産婆をしていたんです。
曾祖母から受け継いだ祖母の薬草の知識はたいしたもので、いろいろなハーブの使い方を私に教えてくれたんです。今は隠居して叔父一家と暮らしていますわ」
「お産婆さんっ!いたたっ!」
いきなり振り向いたので髪が引きつれたジュナは、顔をしかめて座り直した。
「ねえ、おばあさん、ここに来てくれないかしら。
残ってくれた人たちの中に、お腹の大きな女のひとが二人もいるの。どうしても自分の土地がほしいってがんばっているけど、心細いはずだわ。ここにはお医者もいないんですもの」
平民は全て領主の管理下にあるシトリアでは、領外への移住が難しかった。無断で土地を離れた者には、重い罰が課せられる。
だが祖母が孫娘に会いに行くというのなら、簡単に許可が下りるに違いない。
「妊婦さんが二人も?まあ、大変。
すぐに手紙を書きますわ。きっと喜んで来てくれます。
祖母はまだまだ元気なんですもの。村にお医者が来たから産婆はもう必要ないと言われ、腹を立てて引退しちゃったのですから」
砦の体裁が整ったので、農夫達は協力して順番に各自の家を建て始めていた。
砦の裏手にまず鍛冶屋が出来て、炉の火が入り、一日中トンカンと槌の音が遠く響く。
ジュナ達も砦の暮らしに慣れるのに苦労していた。すべて人任せにしていた宮廷の優雅な毎日から、いきなり島流しに会ったようなものだ。
戦の事しか頭にない竜の戦士達は、まったく実用本位の砦の外側を作っただけなので、暮らしてみると不便この上なかった。
「お風呂さえないんですよ!どうしたらいいんでしょう!」
女官達は呆然としてしまった。
こうなると、全てを召使いに任せる貴族的な暮らしに慣れた、高位の女官達のほとんどが廷臣達と帰ってしまったのが幸いした。残ったのは大体以前からジュナに仕えていた者達。
『おまけのジュナ』と呼ばれる問題児の妹姫を見捨ててはおけないと思ってくれた者、低い身分から取り立てられたり、事情で家に戻れない者など、不自由な新しい暮らしに、しっかり覚悟を決めた者達だったから。
だが、なかなかうまく行くものではない。
「なぜリリス・デル・ワカナ夫人を女官長になさるんです!成り上がりの田舎貴族ですわ!
私の母は長年女王陛下の侍従を勤めてまいりました。デル・レイナ家のほうが、ずっと身分が上ですのに!」
「身分のせいじゃないのよ、マテリア。
ワカナ夫人はご主人の亡くなった後、大きな荘園を一人で管理していたの。大家族がどうやって暮らしていくか、よくわかってるからよ。
あなた、五十人分のシチューの量や、十日分のパンを焼く数や、トイレの穴をどこに幾つ掘るか決める事、出来る?」
もう身分だ格式だなどと言ってはいられない。女官も小間使いも下女達も、出来る事は全て自分でやっていかねばならなかった。
リリス・デル・ワカナ夫人が残ってくれた事を、ジュナは女神さまに感謝した。
女手一つで大農園を切り盛りして来た四十代の夫人は、小柄な体で辛辣な言葉をぽんぽん言い放題の、元気のいい女性だった。
兵站部のトリムから竜の戦士を二人借り受け、ジムズに牛車と御者を手配させ、重労働に慣れぬ王宮勤めの下男達を追い使って、風呂、トイレ、台所、洗濯場の大改造に乗り出す。
晩餐に集まる竜族とシトリアの人々を合わせると、毎日優に五十人分の食事がいるのに、パンを焼く竈さえ満足にないのだ。
夫人と、彼女の女中頭のマレシアが素晴らしい指揮ぶりを見せて、生活改善の戦の先頭に立ってくれた。
「ほんとに、男どもの抜けてる事ときたら!」
「まったくですわ、奥様。
男なんて戦う事ばっかりで、暮らしのことなんて何にも知りゃしない!
仮にも王女のお住まいですよ!こんな狭い台所でどうしろって言うんですか!三倍に改造して竈を二つ追加します!
洗い場の位置が逆です!残り水は外に引いて、ハーブ畑を作るんですから!ゴミ捨て場が近すぎます!風向きをちゃんと考えてくれなくては!お風呂の水はけは!トイレの消毒は!
ああ、まったく手が足りない!」
様々な命令が飛び交い、大工道具をかかえた男達が右往左往する。
おまけに少しでも開拓民の助けになればと、まだ親の手伝いの出来ぬ小さな子供達も預かって世話をする事になり、砦の中は毎日が戦争のような騒ぎだった。
外壁が完成した砦の中身はジュナ達に任せきりで、アウド・ヤールは竜の訓練に明け暮れている。
過酷な大砂漠横断の旅で半数以下に減ってしまった竜と乗り手を再編成し、定住のための足場を固める。技術畑の部下たちと輜重の大半を砂漠で失ったことが、大きな痛手だった。
三百頭の竜のうち、百頭が傭兵として風の峠の警備にあたる。残った竜のうち、即戦力となるのは百五十頭あまり。
それだけの数でこの新しい領土と砦を守り育てなければならないのだ。
家庭を作り、落ち着き、ゆっくりする暇はまだ誰にもなかった。




