王弟シャルハム
王弟シャルハムの能力の補足短編です。
赤子のときから、私にとって人間とは不可解な生き物であった。
一番身近で不可解な生き物は母親だ。
とても不思議な生き物だった。
成長するにつれ関わる人間が増える。
皆が皆、顔は笑っているのに伝わってくる感情は嫌な感じのものがほとんどであり、言葉を理解するにつれ混乱した。
口から出る言葉と感情が一致せず、同じ言葉でも人によって見える感情が異なるのだから。
そして、自分以外の人間は感情が見えることが無いことを早々に知った。
言葉を理解しはじめてからは、言葉の意味することと感情の乖離に本来の意味を捉え兼ねた。
だから、教師に言葉の表す意味について執拗に尋ねた。
それは、理解力に乏しく見えたようで、幼い頃の私は王族としては足りない人間だと見做された。
王族としては足りないと見做されていた頃は、ただ容姿を愛でられているだけであったが、言葉と感情の乖離を、そういうものなのだと受け入れてしまえば私が見せる姿は優秀すぎたらしい。
私が幼い身で優秀な様子を見せるようになると、周りから扱いに困る存在として微妙な態度を取られることが増えた。
直系で生殖能力を有するであろう王族でなので居てもらわなければ困るが、かといって大切にし過ぎるわけにもいかない。
男爵家の出である側妃の子であっても王族にはかわりない。
故に直接的に伝えることは憚られた周囲の中途半端な態度は、優秀ならば理解できるだろうと、私自身に身の置き場を考えさせる意図が少なからずあったのだろう。
それは幼子へ向ける優しさが生んだ態度でもあった。
年の離れた第一王子である兄は王妃の子。
王妃の生家である侯爵家と王妃を愛する国王を後ろ盾に持ち、誕生と同時に王太子、次代の国王となることが決定されているも同然だった。
それに、男爵家出の側妃腹の子が優秀さを見せつけ水を差すような真似をしてはならぬと言うことだ。
王妃の出産は難産で、出産後は生死の境をさまよった。それ故、王妃に次子は求められないが、当時、王籍に直系として残っていたのは父である国王と兄。隠居した前国王の三名だけだったため側室として多産の家系である母が迎えられることとなったらしい。
側室の子で国王の第二子となる私は産まれる前から予備として求められていた。
母の生家は裕福とは程遠い暮らしぶりの男爵家。
だからこそ側妃に立候補したのだと聞いている。
血が途絶えるのを防ぐためだけに望まれた子。
王籍に残るものを増やす為に側室として迎えられた母は私という子にも王にも興味を示さぬ人であった。
披露する場もないのに綺羅びやかなドレスを纏い、宝石を身に着け、あくせくと働くことなく飢えることもないから側室という身分を望んだ母なのだと教えてくれたのは誰だったのか。
そんな母にも愛する人は居たのだろう。
私の後に妹を二人産むと、役目は果たしたと、まだ赤子の妹たちを残して予定通り報奨金を手に市井に下ったというが、本当に市井に下れたのかは分からない。
ただ、男爵家には母が手にするのと同額の褒賞金が下賜された事実は残っている。
血の繋がりに寄る情を育まれては困ると、母が市井に下ったとされた時より赤子である妹たちと会うことは阻まれた。
いずれ高位貴族や他国の王族へと嫁ぐことになるであろう彼女たちと同腹だという事実だけで結託されるのを王宮が嫌がったのである。
以降、彼女たちを目にするのは式典の時のみ。儀礼的な言葉を交わすのみで私にとって彼女たちは、ただそこにあるモノとなった。その頃は既に私は口にされる虚飾とは別に、感情が見えるだけでは無く目を合わせれば考えている本心を言葉として聴けるようになっていた。
そこで、これが自分に与えられた能力なのかと納得した。
時折、神の悪戯なのか、人智から外れた能力を持つ者が産まれる。
治癒能力の適正を持つ者が限られるのと同じだ。
それよりも珍しく、滅多に出ないが魅了を持つものが居ることも記録に残っているが、私の持つ能力もそれらと同様なのだろう。
私の能力が魅了と同等に珍しいものかは判断につかなかった。
私が幼いうちに、他人が私と同じように感情が見えるわけではないと悟り、口にすることがなかったように同じように彼らも口にしなかっただろうと考えたからだ。
ただ、魔力を媒介とした能力であることは確実であり、常時魔法を行使していることになるため、成人を迎えるころには膨大な魔力量と魔力の繊細なコントロールを身につけていた。
湿り気を帯びた空気。
カビ臭い地下牢にあるのは簡素なベットと排泄用に蓋付きの容器のみ。
貴人を収容するにはふさわしくない地下牢は、下級貴族の出とはいえ側妃の身分であったものが収監されるにはあり得ない環境であり、それこそが兄である陛下の怒りの表れなのだと理解していた。
劣る様を見せれば侮られ、優れた様を見せれば遠ざけられた時期に、こっそりと訪ねてきた兄上の言葉と心情はいつも一致していた。それは幼い私にとって希望であり憧れであり信仰に近い気持ちを抱かせた。
今でも、私に対する言葉に兄上の言葉と心情が反ることはない。
側妃を迎えることに否定的であった兄上は、当然、側妃との間に子を望んでいない。
義務から寝所へと足を運ぶことは数度。
しかも子が授かり難い日を選んでの最低限。
兄上としては私が妃を娶り。子をもうけることで王族が増えれば良いと考えていたようだが、それこそ火種を再度バラ撒くようなものである。
しかし、王族が足らないのも事実であり、宰相が言うように、次代が王妃が産んだ王子一人だけでは要らぬ諍いを招く恐れがあることは事実。
兄上の側妃となった女からの誘いを受けたのは必要だったから。
もっとも、こちらから仕掛けるつもりが、側妃から誘いかけられるとは思っていなかったが。
側妃に誘われる形とはなったが、それを受けたのは、側妃を迎えた目的が王族を増やすためならば、側妃が宿すのが私の子でも問題ないと考えた結果だった。
もっとも、受け入れたことで私に愛されているなどと思い込むことはともかく、私を玉座にと考えるとは思わなかったが。
この手の思想は一度徹底的に潰したはずなのに不思議なこともあると静観することにした。
その考えが我が子を思う母親としての愛から来るものであるのなら、私が邪魔をするべきではないと考えたからだ。
もっとも、異なったようだが。
捕らえられたときのドレス姿のまま。整えられていた髪は乱れ、全体的に薄汚れている。
「……ど ……どうして」
人の気配に顔を上げた側妃は、私だと認識して声を漏らす。
伝わってくる感情、思考。どれも理解できない。
「高位貴族なら皆知っている。私が兄上に反旗を翻すことはないと。それでも…… ジートルの存在が不安要素となっていたようだが」
ジッと瞳を見つめれば考えていることが手に取るようにわかるが、その人物の絵姿や、その場面を再現するような形で考えることがわかるわけではない。あくまで考えていることが言葉として聴こえるだけだ。
あの女の娘だから特別扱いするのかと呪詛のような考えの渦を聴かせてくる側妃に首を傾げる。
まるっきり心当たりがない。
『あの女の娘』というのはジートルが病的に執心している娘だというのは理解できるが『あの女』というのに心当たりが一切なかった。
まぁ、ジートルが病的に執心している娘の母親だというのはわかるが、記憶にある限り私が兄上以外の人間に傾倒した記憶がない。
強いて言うなら乳母だろうが、乳母は『あの女』になり得ない。
「子に罪はないと情けなどかけず、産まれる前に母子共々始末すれば良かった!! シャルハム様の関心を奪った上に、その娘はジートルを誑かして!!」
側妃の言う『あの女』が居なければ、まるで自分が私の寵愛を受けることができたような考えから離れることのない側妃にため息を吐く。
ここに足を運んだのも、『あの女』をなぜ私の特別だと考えたのか知りたかったからだ。
どうしても知りたいわけではないが、そういった誤解を受けたのは初めてなので興味があったが、私も暇ではない。側妃が旅立つときまでに答えを得られる可能性は低いか。
「貴方は何が欲しかったんだろうね」
びくりと体を震わせ私を見つめる。
兄上の側妃として令嬢自ら名乗りを上げたと聞いていたのに、最初から私への執着へ塗れていた女を眺める。
兄上が側妃を迎えることを望んでいたわけではないため、私に近づく手段として、兄上の側妃という身分を利用したことに対しては、何も思うことはなかったし、兄上の子として王族を増やすには都合がいいと考えたこともある。
名前 ―― なんだったかな。
「…… ミュリアルが王位を継いだ後には、兄上に話をして、側妃殿と共に離宮へと移るつもりだったのだけれどね」
そうでもしないと、兄上が望みもしない側妃と離宮に移らなければならないことになるからな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『あの女』と『シャルハム』と『ナターシャ』
大規模に開かれる王宮での夜会の準備は、普段から王宮に侍女として勤めている者だけでは人手が足りない。
そのため都度、無作為に貴族家を選定し各貴族家から侍女を借り受けることになっている。
そのまま借り受け侍女として夜会の準備などに携わることになる侍女の人身保証は貸し出す貴族家当主が担い、何かあれば当主の首が物理的に飛ぶため、貸し出すに値する侍女が居なければ断ることができるが、侍女として手伝いに出せる年齢の娘がいない経済的に困窮している貴族家は最初から省かれているため、断ることは王家からの信用を失うとも同義でもある。
借り受け侍女としての王宮での仕事は、普段出逢うことのない貴族男性との出逢いの機会の場ともなる。
そのことから、借り受け侍女として仕事をする機会を得られることは喜ばしいことであり、男性側としても貴族家当主が人身保証をした人物か、王都に屋敷を構える貴族家の令嬢のどちらかであることから未だ縁に恵まれていない出会いの場がない役人や騎士にとっては願ってもいない機会となっている。
その侍女も、王宮での夜会の準備のために借り受けた一人であった。
夜会など多数の者が出入りするとき、シャルハムは自分の能力を最大限に解放していた。
視界に人物が入れば、その人物が考えていることへの思いの強さによっては、垂れ流すようにシャルハムの中に声となって聴こえてくるのである。
欲望の強さが大きければ、目を合わせなくても心の中で考えていることを聴くことができるのである。
複数人が視界に入ったときは騒々しいことこの上ないが、シャルハムにとって今更苦になることではなかった。
『一度、バラバラになりたい』
その侍女を視界の端に捉えたときに飛び込んできた声にシャルハムは首を傾げ、その侍女に注目した。
―― バラバラ?
『頭と肩を外して水につけ込んで、ゴシゴシと絞るように洗いたい。胸デカくても良いことなんて無いわぁ。肩こるし、邪魔だし、既製品の服はそのまま着れないし、爺どものいやらしい視線は鬱陶しいし…… めんどくさい。っていうか、バラバラにしたら自分でできないから誰かに頼まなきゃ無理か。腕がひとりでゴシゴシするのは無理だよねぇ。腕は浮けないもの。っていうかくっつけるの大変そうだわ。王宮の仕事って特別手当でるのかしら? そこが曖昧なまま貸し出されたけど、子爵家のご飯よりランクが数段上だから子爵家のお給料が日数分出れば文句はないけれど、もらえるお金は多い方が良いよね。あー、もう肩痛い。本当にやってられない』
聴こえてきた内容をすぐに理解できずに、シャルハムは彼女を凝視し、すっと視線を下に動かし、確かにデカいな。と納得はしたが、そこからバラバラになりたいとい欲求に結びつく思考が理解できないのと、初めて出会った思考回路に、そのまま侍女を見つめた。
その様子を、借り受け侍女に貴族家の娘の立場で手伝いへと入っていたナターシャはじっと見ていたが、シャルハムの視線が少し下がったのを見て、ナターシャは自分の胸元を見て、シャルハムが見つめる侍女を睨み付けた。
ナターシャが側妃へと上がる二年前の出来事である。




