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第1章―6 組織の影

「……ん……」


 エメラは目を覚ました。


 天井が見える。木の梁が組まれた、見慣れない天井だ。緑樹亭の、自分の部屋の天井ではない。しばらく、それを眺めていた。


「ここは……」


 体を起こそうとするが、全身に鈍い痛みが走る。腕が重い。肩が重い。体全体が、深いところから疲れていた。


「起きたか」


 横から声がした。顔を向けると、ダンテが枕元に座っていた。普段はもっとくつろいだ座り方をするのに、今は背筋を伸ばして、じっとエメラを見ていた。


「ダンテ……ここは?」


「緑樹亭の療養室だ。お前、森で倒れたんだぞ」


 ダンテが言った。


「そうか……」


 エメラはぼんやりと記憶を辿る。ファスたちを拘束して、警備隊が来て、そして——。


「ガレスさんたちが運んでくれたのか?」


「ああ。お前、相当マナを使い果たしてたからな。二日も寝てたんだぞ」


「二日も……」


 エメラは驚いた。窓の外を見ると、昼の光が差し込んでいる。穏やかな空気だ。


「ファスたちは?」


「それが……結果的に言うと、ファスには逃げられた」


 ダンテが言った。


「なんだって!?」


 エメラは驚き、体を起こそうとして、痛みに顔を歪める。


「ファス達を連れて行った警備隊は偽物だった。何者かが巧妙に化けていたみたいだ」


「なんてことだ……あの時の逃げる算段は、援軍の時間を稼いでいたのか」


 エメラは拳を握りしめた。あの時、ファスが時間を稼ごうとしていた理由が、今になって分かる。逃げ道を確保していたのではなく、仲間を待っていたのだ。


「俺の鼻でさえも欺かれた。多分かなりの手練れだ。もしあのまま敵の援軍と見破って戦闘になっていたら、危なかったかもな」


 ダンテは悔しそうに言った。小さな体を、わずかに震わせている。自分の嗅覚が欺かれたことが、相当悔しいのだろう。


「それでも……」


 エメラが言いかけると、ダンテが遮るように続けた。


「収穫はあった」


「収穫?」


「魔術師は捕まえることができた。今投獄されていて、あいつが何か情報を知っているかもしれないが……」


 ダンテは一度言葉を切った。


「エメラを連れてこいだとさ」


「何? なんで俺なんだ?」


 エメラは困惑した表情を浮かべた。


「分からない。エメラになら知っている情報を話してもいいと言って、頑なに警備隊の尋問には口をつぐんでいるらしい。エメラが目覚めるまで待つ、ということになった」


「そうか……わかった」


 エメラは深く息をついた。


 しばらく沈黙があった。ダンテは何も言わずに、エメラの顔を見ている。


「ダンテの体の調子はどう?」


「俺様は魔獣だぞ? あんな火球などまともに当たるはずないだろう。全て華麗にかわしたさ」


 ダンテが胸を張って言った。


「(いや、何発か直撃してたじゃん)」


 エメラはそう心の中で思ったが、ダンテのプライドを刺激するのはやめることにした。苦笑を浮かべながら、ダンテの頭を軽く撫でる。


「そうか、それなら良かった」


「……」


 ダンテは何も言わなかった。ただ、撫でられるまま、じっとしていた。普段なら「よせ」と言うのに、今日は何も言わない。


 それだけで、ダンテがどれだけ心配していたのか、少し分かった。


「もう大丈夫だ。ダンテ、準備をしよう。まずはグレゴールさんのもとへ報告だ」


 エメラはベッドから降りようとした。まだ体は重いが、動けないほどではない。杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。


「それから……魔術師に会いに行く」


 エメラの目に、決意の光が宿った。


 あの男は何を知っているのか。なぜエメラを指名したのか。全ての答えが、そこにあるかもしれない。


 2人は宿を出て、グレゴールの待つ鉱山組合へと向かった。


 町の通りは、以前と変わらぬ平穏な様子を見せていた。行き交う人々の表情は明るく、鉱山での事件を知る者は少ないのだろう。市場では野菜売りの声が上がり、パン屋の前には行列ができている。どこにでもある、平和な昼の風景だ。


 だが、エメラの胸には重苦しいものが残っていた。ファスを取り逃がしてしまったこと。そして未だ見えない、黒幕の存在——。


 ダンテはエメラの肩の上で、いつもより静かだった。尻尾の動きも少ない。


 鉱山組合の屋敷に着くと、受付の女性がすぐに二人を応接室へと案内した。扉を開けると、グレゴールが立ち上がり、エメラを迎えた。その隣には、ガレスが座っている。


「エメラさん! 無事で良かった!」


「グレゴールさん、ガレスさん」


 エメラは2人に軽く頭を下げた。グレゴールの顔に安堵の色がある。ガレスは——目の下に隈があり、顔色が良くない。肩が落ちている。


「まずは座ってくれ。色々と話を聞きたい」


 エメラは椅子に腰を下ろした。ダンテはエメラの足元に静かに座る。


「カールさんは……無事なんですか?」


 エメラが最初に尋ねた。


「ああ、ひどく弱ってはいたが、命に別状はないようだ」


 グレゴールが安堵の表情で答えた。


「今は自宅で療養しておる。家族が付き添ってくれている。まだ起き上がるのは難しいようだが、日に日に回復しているとのことだ」


「それは良かった……」


 エメラは胸を撫で下ろした。


「旦那のおかげだ」


 ガレスが静かに言った。


「あんたがいなけりゃ、カールは死んでいた。鉱山もきっと崩落していた。本当に……ありがとう」


 ガレスの声には深い感謝が込められていた。しかし同時に、疲労と悔恨の色も滲んでいた。目の下の隈が、何日も眠れていないことを物語っている。


「ガレスさん……大丈夫ですか?」


「ああ……大丈夫だ」


 ガレスは無理に笑顔を作ったが、その目は笑っていなかった。


「ただ……自分の不甲斐なさを痛感している。カールの変化に気づいてやれなかった。ファスの野郎も。もっと警戒していれば……」


「ガレスさん」


 エメラが静かに言った。


「あなたのせいじゃありません。相手は周到に準備していた。誰でも騙されたでしょう」


「でも……」


 ガレスは言葉を詰まらせた。拳を握りしめ、唇を噛む。その姿に、エメラはそれ以上の言葉をかけなかった。


 グレゴールが重々しく頷いた。


「これは単なる犯罪者の仕業ではない。組織的な動きだ」


「組織……」


「それについて、もう1つ悪い知らせがある」


 グレゴールは机の上の書類を手に取った。


「ファスは、数年に渡って会計を携わっていた。表向きは勤勉で頭の回転も速かった。なので奴に任せっきりになってしまっていた」


「騒動の後に慌てて帳簿を調べたところ……とんでもない金額が流出していた」


「どのくらいですか?」


「少なく見積もっても……金貨で5千枚は超えておる」


「5千枚……」


 エメラは息を呑んだ。途方もない額だ。


「巧妙に隠蔽されていました。少額ずつ、長期間に渡って抜き取られていたんです。採掘道具の購入費、鉱夫への給金、設備の補修費……様々な名目で水増しされた金額が記録されていた。そしてカールを操り、希少な金属を横流ししていたことも発覚した」


 グレゴールは書類をめくりながら説明する。その手が、微かに震えていた。


「送金先は分かっているんですか?」


「それが……特定できておらん」


 グレゴールは別の書類を取り出した。


「この金は、どうやら個人の懐に入っているようではなさそうだ。複数の送金を経由して、最終的には……何かの団体に流れているようだな」


「団体……」


 エメラは眉をひそめた。


「詳細は不明だ。しかし、これだけの資金を必要とする組織……そして、高度な変化魔法を使える者を抱えている組織……ただの盗賊団や犯罪組織ではないであろう。もっと大きな、組織立った集団だと思われる。そして、その組織が……鉱山を潰そうとしていた」


「そういうことだ」


 部屋に沈黙が落ちた。


 ガレスは俯いたまま、拳を握りしめている。グレゴールは書類を見つめ、深いため息をついた。梁の上で鳥が鳴いた。その声だけが、しばらく部屋の中に流れていた。


「エメラ殿」


 グレゴールが顔を上げた。


「あなたには本当に感謝している。カールを救い、鉱山を守ってくれた。この件はまだ終わっていない。こちらで調査しておこう。大事になる、国にも調査を依頼して、真相を必ず突き止める」


「分かりました」


 エメラは頷いた。


「それで、1つお願いがあるんですが」


「何かね?」


「捕まえた魔術師に会わせてもらえますか? 彼が……俺を指名しているそうですね」


「ああ、そう聞いておる。警備隊の正式な聴取では重要部分を伏せ、『エメラに会わせろ』と繰り返すばかりで……」


「なぜ俺なんでしょうね」


「分かりません。ですが、何か重要な情報を持っているかもしれない」


 グレゴールは立ち上がった。


「何か心当たりはあるのかね?」


「いえ、毛ほどもありません。初対面ですし、あの男が何者なのかも全く心当たりがないですね」


「ご案内しよう。警備隊の管轄している牢獄へ」


 エメラも立ち上がった。ダンテが足元でついてくる。


「ガレスさんも……一緒に来ますか?」


 エメラがガレスに尋ねた。


 ガレスは顔を上げた。その目に、決意の光が宿っていた。


「ああ、もちろん。俺も、真実を知りたい」


 4人は屋敷を出て、町の警備隊詰所へと向かった。


 石畳の通りを歩きながら、エメラはダンテに目をやった。肩の上で、ダンテはいつもより前を向いていた。尻尾が、ゆっくりと揺れている。


 あの男は、なぜエメラを指名したのか。


 初対面だ。それは間違いない。しかし——あの戦闘の中で、何かを見た。見て、何かを判断した。そして、エメラにだけ話すと決めた。


 何を見たのか。


 何を知っているのか。


 答えは、この先にある。


 警備隊の詰所は、街の中心部から少し離れた場所にあった。石造りの頑丈な建物で、一階が詰所、地下が牢獄になっている。壁の厚さが外からでも分かるほどで、長年の風雨に晒されながらも、びくともしない重さがあった。


 牢獄へは本物の隊長が案内する。


 わずかな邂逅ではあったが、姿形、立ち振る舞い、全てが偽物と瓜二つだと感じる。いや、こちらが本物だからあちらの方が瓜二つに化けていたのか。どちらにしても、変装の精度が恐ろしい。


 エメラ、ダンテ、グレゴール、ガレス、そして警備隊から1人、言葉の虚実を見抜く魔術を使える者が同行した。


「紹介しよう。こちらはセドリック。我々警備隊の魔術官だ」


 隊長が紹介したのは、細身で神経質そうな中年の男だった。眼鏡をかけ、手には小さな振り子のような魔道具を持っている。表情が薄く、物事を観察することに慣れた者の目をしていた。


「よろしく頼みます、エメラ殿」


 セドリックが軽く頭を下げた。


「こちらこそ。その魔道具は……?」


「これは虚実のフーチと呼ばれる真偽判定の魔道具です。私のマナを通すことで、話者が自分の言葉を嘘だと認識しているかを判別できます。本人が嘘だと分かって話すと、振り子が大きく揺れる仕組みです」


「なるほど……」


 エメラは感心した様子で頷いた。


「では、行こう」


 地下へ降りていくにつれ、空気が変わるのが分かる。


 湿った冷気と、石の冷たさが肌に伝わってくる。松明の明かりだけが頼りの薄暗い通路を進むと、いくつかの牢が並んでいた。足音が石畳に響き、狭い空間で反響する。滴る水の音が、どこかから聞こえていた。


 一番奥の牢に、魔術師の男が座っていた。壁に背を預け、膝を立てた姿勢で——まるで、待っていたかのように。


「……来ましたねい」


 男はエメラを見て、薄く笑った。


「要望通り連れてきたぞ。これで知っていることは全て話すんだろうな?」


 隊長が厳しい口調で尋ねる。


「ええもちろん。だが、1つだけいいですかい」


 男は立ち上がった。鎖の音が微かに鳴る。


「この件の詰問が終わったら、エメラの旦那と2人きりで話させてくだせえ」


「それは……」


 隊長が躊躇する。視線をグレゴールに向けた。


「なんの意図があって2人で話す事を求める? まさかエメラ殿を取り込もうなどと思っているわけではないだろうな」


「まさか」


 的外れだ、というように軽く笑う。


「ただ、あっしの興味本位ですぜ。あとは、まあね」


 男は一度言葉を切り、エメラを真っ直ぐ見た。


「エメラの旦那の力と、それに似た様な力を持つ男に関することでして」


 エメラの体が、一瞬硬直した。


「それはむしろ我々も聞く必要があることではないのか? 調書に記録しなければならないこともあるだろうし」


「分かっていないのは隊長さん、あんたでさあ」


 男は首を振った。


「魔術師が調書に自分の手札を記録されて誰もいい気はしないでしょうよ。戦闘の事でつぶさに記録するには旦那の能力はあまりにも……異質過ぎましてね。あっしが知っている男と同質ならさらに」


 急に男の声が低くなる。


「下手に記録しちまうと……この街が危険になるかもしれやせんぜ」


「っ!」


 隊長はその言葉を聞き、息を呑んだ。グレゴールとガレスも、顔を見合わせる。


「エメラ殿はどうしたい?」


 グレゴールがエメラに視線を向けた。


 エメラは少し考え込むように俯いた後、顔を上げた。


「俺は……この男と2人きりで話をしたいです。聞きたいことが多すぎますが、確かにこの男の言う通り、おおっぴらに話すようなことではないので」


「事件の話が終わり次第、時間をください」


「……いいだろう」


 グレゴールが重々しく頷いた。


「エメラ殿、大丈夫か?」


 グレゴールがエメラを見た。いろいろな意味を含めての「大丈夫か?」だろう。心配と、信頼と、そして少しの不安が混じった眼差しだった。


「ええ、任せてください」


 隊長が鍵束の中から適切な鍵を選び、鍵穴に差し込む。ガチャリ、と音を立てて鍵が開いた。


 エメラ、ダンテ、セドリックが先に中へ入る。ガレス、グレゴールと隊長は何かぼそぼそとやり取りをしながら遅れて牢に入った。おそらく、男の言動について、エメラの安全について、話しているのだろう。


 牢の扉が閉まる。重く、冷たい音が響く。


「まあ、座ってくだせえ」


 男は床に座り直した。エメラもその向かいに座る。ダンテはエメラの隣に、セドリックは少し離れた場所に立ち、フーチを手に構えた。振り子が微かに揺れている。グレゴール、ガレス、隊長は壁際に位置取った。


「じゃあ、話してもらおうか」


 エメラが静かに言った。


「何から話せばいいですかい?」


 男が問う。その目には、わずかな期待と、諦めが混じっていた。


「まず、依頼の内容だ。詳しく教えてくれ」


「……分かりやした」


 一度深く息をついた。覚悟を決めたような表情だ。


「依頼の最初の内容は、鉱石の運搬の補助でしたねい。あっしらのような冒険者には仲介屋がおりやす。まあ、冒険者の世界では一般常識ですがね。そのひいきにしている仲介屋から、鉱山の発掘、調査、運搬補助という名目で依頼を受けたんでさあ。依頼を受けてこの街に来たのが六ヶ月ほど前でしたねえ。その時に、ファスに会いやした」


 セドリックのフーチがわずかに揺れたが、すぐに静止した。


「真実だ」セドリックが静かに呟く。グレゴールが小さく頷いた。


「ファスから提示された条件は、鉱石の運搬、鉱山に魔獣が出た場合の駆除、だと言われやした。内容を聞く限りでは、破格の報酬でしてねい。宿に泊まる金額をこっちが負担しても、割りにいい仕事でやした」


「主には森の中の小屋で仕事をしてまして。先程戦っていたところの辺りにありやしてね。そこでカールに会いましたぜ」


「なんだと!?」


 グレゴールが思わず声を荒げた。怒りと驚きが混じり合い、その拳が握りしめられる。


「それはいつ頃だ!」


「仕事を始めてまもなくでしたねい。特に気にしてませんでしたが、その時はまだ意識ははっきりとしてたように見えましたねい。ただ、怯えてやしたね。ファスになのか、それとも別の誰かになのかは分かりやせん」


「今思えば、ファスに脅迫されていたんでしょうねい」


 苦々しい表情を浮かべた。当時の光景でも思い出しているのだろうか。


「家族のことでも言われてたんじゃねえですかい。『言うことを聞かなければ、娘に危害を加える』とかね」


 エメラ達は、男の話を静かに聞いていた。グレゴールの拳が、小刻みに震えている。ガレスも唇を噛みしめて俯いていた。その目に、涙が滲んでいるように見えた。


「カールには何をさせていたんだ?」


静かに、しかし怒りを含んだ声でグレゴールが尋ねた。


「カールは新しい採掘場所を掘り当てたそうじゃないですかい。そこにファスが目を付けて、鉱石の横流しをしてたんだろうと思いやす。ファスがどうやら他の鉱夫と鉢合わせしないように配置しつつ、念のため別の箇所から夜中に掘っていたようですねい。カールには、その新しい採掘場所で夜通し鉱石を掘らせていたんでさあ。誰にも見つからないように、こっそりとね。疲れ果てていても、休ませてもらえなかったようでさあ」


「それで……カールは衰弱していったのか……」


 グレゴールの声が震えた。拳を壁に押し当て、歯を食いしばっている。


「ええ、おそらく。そして、ある時から薬物を使い始めたんでさあ。疲労を感じさせなくするためにね。最初は疲労回復の薬だと言われてたかもしれやせん。でも、それは嘘でさあ。本当は、意識を朦朧とさせて、操りやすくするための薬だったんですよ」


「そうなのか、グレゴール?」


 隊長が尋ねる。


「ああ、奴は表向きとても優秀でな……ワシらもいろいろと任せっきりにしてしまっておった」


 グレゴールは苦しそうに答えた。声がかすれている。


「まさかそれがここまで裏目に出るとは思わなかったな。ワシの責任だ……ワシがもっと注意深く見ていれば……」


「グレゴールさん……」


 ガレスが声をかけようとするが、言葉が続かない。


「あっしにとってはしょせんカールは他人でしたからねえ。背景も分からんので、下手にたてつくよりもほおっておくのが最善でした。仕事の内容としては通常の業務といっちゃあ何ですが、特に変わりもなく仕事をしてやした。あの小屋に鉱石を運び、そこで他の運び屋に渡す」


「他の運び屋?」


 エメラが反応した。


「へえ、採掘組とは別に毎回3人から4人ほどで小屋に来て、鉱石を受け取るとすぐに去っていくんです。無口な連中でね」


「その部下たちは……今回来た隊長に扮したものとその部下達と同じ顔か?」


「いえ、違いましたねぃ。今回来た連中とは全然違う顔でしたよ。雰囲気は全然違ったから別人でしょう」


「その時点で法に触れている可能性がある、とは考えなかったのか」


 隊長が問う。語気が強い。


「もちろん、あっしも馬鹿じゃないんでね。しかし、冒険者にとって契約は重いものです。ただし、違法行為や契約外の危険まで従う義務はない。あっしは疑いながらも、報告も離脱もしなかった。その判断は間違っていやした。いきなり尻尾巻いて逃げるということは契約不履行ということで、信用を無くしちまうんだ」


 男の言う通りだ。冒険者が職業として成り立つ根拠の1つに、契約の順守というものがある。雇用主が明らかに契約を違反しない限り、冒険者側からは破棄できない。重要な契約には、セイラントの契約書という魔道具を使用することも多い。言律神セイラント——言葉の秩序と誓約の不可逆性を司る古神と言い伝えられている神の名を冠した魔道具だ。互いの同意のうえで契約し、一方的に破棄すれば、契約を一括管理する機関が瞬時に把握できる仕組みになっている。


「鉱石の横流しは、どれくらい続いていたんだ?」


「数ヶ月ですねぃ。鉱石の横流し、稀に現金を渡したりする仕事が続いていましたよ。単調な仕事でしたねぃ。それが……一ヶ月ほど前に変わったんでさ」


 声のトーンが変わった。緊張が混じる。


「ファスは定期的に鳥の魔獣を使って誰かとやりとりをしていやした。しかしある日、鳥の魔獣が運んできた手紙を受け取ってから様子が変わりやした。何度も読み返していましたねぃ。それから、俺を呼んだんです。そして、新たに依頼があったんですねぃ」


「それが……鉱山の爆破か」


「ええ、ほぼ間違いはないかと。依頼の内容は鉱山を爆破すること。崩落させて、全てを瓦礫の山にするくらいの規模にしろって言われたんですねぃ」


「理由は聞いたのか?」


「もちろん聞きやしたぜ。でも、はぐらかされたんです。『知る必要はない』って」


「それでも引き受けたのか?」


「報酬がかなりの金額を提示されたんですよ。金貨で三百枚。前金で百枚、成功したら残りの二百枚」


 男の目がわずかに輝いた。


「そんな大金、見たこともなかったですねぃ。のどから手が出るほど欲しい契約ですがねえ……あっしは覚悟を決めて聞いたんでさ。断るとどうなりやすか、ってね」


 表情が曇る。


「ファスは表情を変えずに言い放ちやした。『爆破の規模が大きくなるだけだ』とね」


 それが意味するものはつまり——依頼を断った場合、街までも全て破壊し尽くす、ということだ。


「なのでね、飛びつきましたよ」


 言葉とは裏腹に、深くため息をついた。


「残念ながら、もうどっぷりと肩まで漬かっちまってると思いやしてね。あっしに残されたことは、この八方塞がりの状況にいかにうまく立ち回るか、ということだけでしたからねえ」


「それから、どうした?」


「何度か魔法陣を使って崩落実験を行ったんですねぃ。最初は小規模な魔法陣で、どれくらいの威力が出るか試したんです。しかし一気に監視の目がきつくなったんでさあ。実験のたびに複数人、あっしの護衛と称した屈強な監視がつきましてねえ。そいつらたち、多少なりとも魔術の知識をもってまして。このまま通常通りに魔法陣を使用したら全てが終わる。それで、最終的には……相克魔法陣を使うことになったんですねぃ」


「相克魔法陣? なんだそれは」


 グレゴールが尋ねる。


「それは、そっちのエメラの旦那、説明してくだせえ」


 男がエメラを見た。試すような目だ。


 試されている——そう思いながらもエメラは口を開く。


「相克魔法陣とは、1つの魔法陣を中心に、5つの魔法陣を等間隔で囲みます。一番威力が出る方法は、現代魔術の基本5属性で準備することです。その5つの魔法陣が反発しあい、数十倍にものぼる威力の魔法を使用することが可能です」


 それを聞き、男がにやりと笑う。


「さすがですね、旦那」


「お前に褒められても、嬉しくはならないな」


 ダンテが横から茶々を入れた。


「魔法陣の設計と配置には自信があったんですよ。だから、この仕事を任されたんでしょうねぃ」


「あの魔法陣は、本当にすごいものだった」


 エメラが男に向けて言った。


「解除するのに、幾重にも張り巡らされたトラップを解除する必要があったよ。でも解除していく中で分かったことがあった」


 エメラは一度言葉を切った。


「アレに鉱山を爆破させる能力など無かったことがね」


 一同がざわついた。グレゴールが驚いた表情で男を見る。隊長も目を見開いている。ガレスは困惑した様子だ。


 その中で1人だけ、笑っている。


「ハッハッハ、旦那、さすがですねぃ」


「種明かしするのもなんですがねい。あの相克魔法陣に刻んだのは振動。徐々にそれが強くなるように仕掛けました」


「ということは……解除が間に合わなかった場合でも、大事故にはならなかった?」


 ダンテが尋ねる。


「通常の起動なら振動し、小規模の地盤崩壊はするかもしれません。しかし大事故にはならないよう準備してたんですがねい。ファスがカールの命を触媒に使ったのは予想外でした」


 男は苦々しい表情を浮かべた。


「魔術を行使する際に使用する触媒は様々ですがね。その反面、コントロールがとても難しく、熟練の者でも完璧に制御できるものは少ない。案の定、あの魔法陣は暴走し始めやした。あっしはあの時点で、いかに逃げようかとだけ考えてましたぜ。ファスを敵に回さないよう立ち回りながら、ねい」


「旦那が止めてくれてよかったですぜい。まさか止められるとは思ってませんでしたがねい。感謝しておりやす。ありがとうございやす」


 そういうと男は頭を下げた。


「あのまま、どこに逃げる手筈だったんだ?」


「まずは鉱山で使用した転移の魔法陣——あれは簡易的なものでしてねぃ。飛べる距離は決まっている。なので予め中継地を作って、また別に飛ぶ。そこでファスの部下と合流し、逃げる算段でした。しかし、転移の途中で猫ちゃんに邪魔されましてねえ」


 そう言うとダンテを見つめる。ダンテは猫呼ばわりが癇に障りつつも、無視を決め込んでいる。しかし尻尾でぺちぺちとエメラに八つ当たりしていた。


「あっしとしても、このままファスと行動を共にしてももう冒険者として終わりだと思ったんで。旦那と戦った所まで誘導したんでさあ」


「なるほど」


 エメラは納得したように頷いた。


「フーチに乱れはない。少なくとも、本人は全て事実だと信じて話している」


 セドリックが静かに言った。


「他に何か知っていることは?」


「俺に化けた奴が来たそうじゃないか。事前に打ち合わせでもしていたのか?」


 隊長が鋭い視線を男に向けた。


「残念ながら隊長さんとは今日初めて会いやしたし、切羽詰まっておりやしたしねぇ。事前に顔合わせなんてしてる余裕もなかったですぜ」


「隊長と共に来たのは何人だった?」


「偽の隊長と、それに4人の隊員がいやした。合わせて5人ですねぃ」


「その中に、鉱石運びの仕事で見た顔はいなかったのか?」


「いやせんでしたねえ。きっと連れてきた部下たちも荒事専門なんでしょうよ。鉱石運びとは別の班ってことですかねぇ」


「ということは、少なくとも10人以上はいる、ということか」


 隊長が腕を組んで呟く。


「鉱石運びが3、4人。今回の偽物部隊が6人。そしてファス……この情報だけではどのくらいの規模の組織か分からんな」


「話は偽物たちがあっしらを連行していた後のことでさ」


 男は続けた。声のトーンが変わる。わずかに緊張が混じっていた。


「森の奥まで連れて行かれやした。そして、ファスが突然怒り出したんです」


「怒り出した?」


「隊長に扮した奴に向かって喚き散らしたんだ。『援軍が遅すぎる! それにこれだけ人数がいたら奴を殺して再度鉱山を破壊することもできたであろう!』ってね」


 フーチは静止している。少なくとも、男はそう信じている。


「隊長に扮した奴は、くるりと振り向いてこう言った」


 男は声色を変えて真似た。


「『あいつを殺すなと上からのお達しが出たのさ』」


「上……?」


 エメラが眉をひそめた。


「ああ。ファスよりも上の立場の者がいるってことだ。ファスはイラついてたよ。隊長に扮した奴の口調が気に食わなかったらしい。『貴様は一体誰だ、俺は西方司令部の幹部、ファスだぞ?』って問いかけたんだ」


「西方司令部……?」


 エメラは聞き慣れない言葉に反応した。


「ああ。あっしも初めて聞きやした。そして、隊長に扮した奴が言ったんですねぃ」


 男は震える声で続けた。


「『失礼しました。西方司令部の幹部、ファス殿、あなたは今回の任務は失敗しましたので、一度任務はこれにて終了です』って。『支部ではエリシア様がお待ちになってます』」


「エリシア……?」


 エメラが反応する。


「ええ。ファスも驚いていましたねぃ。『な、エリシア様だと!?』って。『あなたの帰りを首をながぁくしてお待ちされておりますよ』」


 男は不気味な笑顔を浮かべるように顔を歪めた。


「それを聞くとファスの顔は青ざめて、怯えだしたんですねぃ。あの冷酷なファスが、ですよ」


「怯えた……」


 エメラは眉をひそめた。


「ええ。明らかに恐怖していましたねぃ。『た、直ちに支部に戻るぞ』って、声が震えてましたから。それで——『しかし、その前に』ってファスが言ったんですねぃ」


 男は苦々しい表情を浮かべた。


「『役立たずを処分しなければな』って」


「……」


「俺は慌てましたよ。『あ、あたしですかい!?』って。『依頼にはなから戦闘は入ってなかったんで、それはいいがかりでしょう!』って必死に訴えたんですねぃ。だが、ファスは冷たい眼で言い放ったんです。『鉱山を破壊する依頼を遂行できなかったのは事実だ』って」


「俺は、もう必死でしたねぃ」


 男は拳を握りしめた。


「『それはあんたも同様でしょう! あの冒険者に2人がかりで負けたんだ。あの冒険者が凄腕だって分かっているならもっと増援を呼んでおくなり、周到に準備しておくなりするのはあんたの仕事なんじゃないですかい!? つまり、これはあんたの無能が招いた結果ですぜい!』」


「……言ってしまったのか」エメラが呟く。


「ええ……今思えば、馬鹿でしたねぃ」


 男は自嘲的に笑った。その笑いの中に、今も残る恐怖が滲んでいた。


「その言葉を聞いたファスは、顔全体に怒気をはらんで、懐からナイフを取り出したんですねぃ。『だまれ! この私にそのような口答えは許さん! 貴様絶対に殺す』って」


「それで……」


「『い、命だけは!』って、俺は首から上を守るような形で両手で十字を作って身を守ったんですねぃ」


 男は両手を交差させて見せた。


「でも……ブスリ、って音がしたんですねぃ。ファスのナイフは俺の胸に刺さって、その場で倒れたんですよ。『このゴミが! 私を侮辱する報いだ!』って、ファスが叫んでいるのが聞こえましたねぃ」


 男は目を閉じた。


「それから……隊長に扮した奴が言ったんです。『今のやり取りが無くても殺していたでしょう? ファス殿』って。相変わらずの不気味な笑顔を崩さないままですねぃ。ファスは『きさま……』って言いかけて、『イヤ、いい、先を急ぐぞ』って言い直したんですねぃ」


「ファスでさえ、その人物を恐れていた、と」エメラが言った。


「ええ。失礼な物言いがあったにもかかわらず、それ以上追及することは無かった。そして一行は行方をくらませたんですねぃ……」


 男は深くため息をついた。


「それで、なんであなたは生きているの?」


 エメラが率直に尋ねた。深い傷を受けて、あの状態から助かった理由が分からないからだ。


「あっしの戦い方、覚えてますかい?」


 男は少し笑った。


「あっしは鉱山でも、その後の戦いでも基本的に魔術札を使用して戦ってました。魔術師の戦い方は様々ですが、セオリーなのが魔法陣を使用して魔術を使うこと。都度魔法陣を描くのでは戦闘にて遅れをとるため、体、または武具や道具に魔法陣を刻んでいるものが多いんですねぃ」


「そもそも魔術は属性が自分の適性にあったものではないと発動できないか、発動できても威力が高まらないのが定説ですぜい」


「それは知っている」エメラが言った。


「ここまでが前提として——」


 男は一度息をついた。


「あっしももちろん体にとある魔法陣を刻んでおりやしてねえ……しかし、戦闘には不向きの魔術なんですよ旦那。あっしが刻んでいる魔術はいわゆる……」


 少し間を置いて、言った。


「『死んだふり』ができる魔術なんですよ」


「死んだふり……?」エメラは驚いた表情を浮かべた。


「あっしはこれでも若い頃から冒険者として旅をしておりやしてねえ、何度か命を落としそうになったこともありやす。しかし、この魔法陣のおかげで何度か生き延びることができたんですよ」


「死んだふりって具体的にどんな魔術なんだ? ナイフが胸に刺さってから発動しても遅いんじゃないのか?」


「死んだふり、詳しく言いやすと死ぬぎりぎりの状態で生命活動をあえて低下させ、絶命までの時間を稼ぐものですぜい。はたから見たら死んだように見えやす。が、実は死ぬ寸前の状態になる、いわゆる仮死状態でとどまっておける魔術でさあ」


「この状態が長引いてしまうともちろん死んでしまいまさあ。また、首と胴体が離れたり、仮死状態でさらに追撃されたりしてもダメですがね。だから……この首だけは守るのが鉄則。殺される前後の演技力も必要なんですよい」


 男は首に手を当てながら話す。


「だから、両手で十字を作って首を守ったのか……」エメラが納得したように呟いた。


「ええ。あそこからあっしは殺される、またはあいつらのアジトに連れられるか……どちらにせよ、確実に残金もらってバイバイとはならないのが分かりましたからねえ。だから、死んだふりをして生き延びることにしたんですねぃ」


「賢明な判断だったな」


「特に援軍で隊長に化けてたやつ、男か女かもわかりやせんが、かなりの実力者だと思われやす。あの不気味な笑顔……ファスでさえ恐れていた。あんな奴と戦ったら、あっしは確実に死んでましたねぃ」


「その人物について、他に何か分かることは?」


 隊長が尋ねた。


「森についてから変装を解いたのか分かりませんが、明らかに雰囲気は変わりやしたね。声は……中性的でしたねぃ。男とも女とも取れる声でした。背格好は……中肉中背。特徴がないのが特徴、って感じでしたねぇ」


「変装の達人、ということか」エメラが呟いた。


「ええ。おそらく、本当の顔も声も見せていないんでしょうねぃ。だが、一つだけ覚えていることがありやす」


「何だ?」


「歩き方ですねぃ。音がしないんですよ。足音が。まるで影のように、静かに歩いていましたねぃ。余程訓練された暗殺者かもしれやせん」


 エメラは考え込んだ。変装の達人で、足音を消せる人物。そして、ファスでさえ恐れる存在。

 

「エリシア様……か」


 エメラが呟いた。


「ええ。ファスが恐れていた名前ですねぃ。その人物が、組織のトップなのかもしれやせん」


 男はそう締めくくった。


「ちょっと待て、それなら俺をわざわざ指名して話すほどの内容じゃなかったんじゃないか?」


 エメラが疑問を投げかける。


「確かにそうですねえ」


 男はあっさりと認めた。


「まあ、旦那の魔術に惚れたのが理由の一つですが……こっからが旦那と2人きりで話したいことでさあ」


 何かを訴えるような、真剣な目でエメラを見た。


「よかったら後ろの4人、あ、猫ちゃんは旦那の仲間だろうから聞いてもらってもかまいやせんぜ。ちょいと出て行ってくれませんかねえ」


「分かった、そういう約束だからな」


 隊長はおもったよりもあっさりと承諾した。


「俺は納得行ってねえ」


 ガレスが横から口を挟む。


「こいつはこの街を、鉱山を無茶苦茶にしようとしたんだ。危うくカールが死ぬところだったんだ!」


「ガレスよ、お主の気持ちも分かる。しかし、2人での対話はエメラ殿も求めていることだ。ここはぐっと堪え、我等は待つしかない」


「だけどグレゴールさん……」


「引け、ガレスよ。エメラ殿、話せる範囲で構わんから、後ほどどういった話だったのかを我等にも聞かせてもらいたいが。我々も部外者ではないのでの。構わんかね?」


「はい、大丈夫です。鉱山に関する追加の情報が分かれば、包み隠さずお話いたします」


「……分かった、エメラ殿、よろしく頼む」


 ガレスは心から納得はしていないだろう。しかし気持ちを押し殺し、エメラに託す。その拳は、まだ握りしめられたままだった。


 4人が牢を出た。


 重い扉が閉まる音が、石の壁に反響して消えた。松明の明かりだけが残る牢の中に、エメラとダンテ、そして男の3つの影が伸びていた。


 遠くで水が滴る音がする。それだけが、この空間の音だった。


 男はエメラを見た。先ほどまでとは少し違う目をしていた。試すような目ではなく、確かめるような目だ。


 エメラも、男を見返した。しばらく、沈黙があった。


「さて」


 エメラが静かに口を開いた。


「聞かせてもらおうか」

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