表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/10

第1章―3 鉱山の調査

管理小屋の中は、外から見た印象よりも狭かった。


 壁際にはつるはしや金槌、予備のランタンが整然と並べられ、反対側の棚には坑道の記録をまとめた帳面が積まれている。中央に置かれた机の上には、何度も広げられたために端が擦り切れた坑道図と、飲みかけの茶が置かれていた。


 奥には小さな暖炉があり、湿った薪が音を立てながら燃えている。火の温かさよりも先に、濡れた作業着と土、それから油の匂いが鼻に入ってきた。


「狭くて悪いな」


 ガレスは壁際に立てかけていた椅子を引き出し、エメラへ勧めた。


「俺しか使わない詰所だ。客を迎えるようにはできてない」


「十分ですよ」


 エメラは椅子へ腰を下ろした。


 ダンテは肩から机へ飛び移り、坑道図の空いている部分へ座る。


 ガレスが一瞬だけダンテを見た。


「本当に喋るんだな」


「さっき喋っただろ」


「いや、聞いてはいたんだが……改めて見ると不思議でな」


「俺からすれば、人間が喋ることの方が不思議だ」


「どういう理屈だ?」


「魔獣には魔獣の常識がある」


 ダンテは当然のように答え、前足を揃えた。


 ガレスはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


「なるほど。そりゃそうかもしれんな」


 張り詰めていた表情が、ほんの少しだけ緩むが、それも一瞬だった。ガレスは机の上に広げられた坑道図へ手を置いた。


「グレゴールの旦那から、どこまで聞いてる?」


「北、東、南の3つの坑道で、ここ最近、不自然な崩落が続いていること。昨日の北坑道を含めて、支柱は事前の点検で異常なしと判断されていたことです」


「カールのことは?」


「聞きました。半年前、鉱石を持ち出そうとしたとして解雇されたと」


 ガレスの眉間に、深い皺が刻まれた。


「そうか」


 短く答えた声には、割り切れない感情が滲んでいた。


 エメラは机上の地図へ目を落とす。グレゴールの事務所で見たものより簡略化されているが、その代わり、北坑道内部の構造が詳しく描かれている。採掘中の区域、古い通路、換気用の縦穴、支柱を交換した時期まで、細かな書き込みが並んでいた。


「現在、採掘は?」


「全て止めてる」


 ガレスが答えた。


「北だけじゃない。東と南もだ。昨日みたいなことが、どこで起きるか分からないからな。鉱夫たちには帰ってもらった。今いるのは俺と、各坑道の責任者、それに警備の人間だけだ」


「オズワルドさんとフィンさんも調査を?」


「ああ。東はオズワルド、南はフィンが見てる。何か見つけたら、すぐ連絡を寄こす手筈だ」


「全ての採掘を止めると、街への影響も大きいのでは?」


「大きいなんてもんじゃない」


 ガレスは苦い顔をした。


「ヴェルディアは、この鉱山で食ってる街だ。鉱石が止まれば、運び屋も加工場も商人も仕事がなくなる。1日や2日ならまだしも、長引けば街全体に響く」


 だからといって、人命を危険にさらしたまま採掘を再開することもできない。その判断を迫られる立場にいるガレスの顔には、昨夜から積み重なった疲労が色濃く残っていた。


「焦って再開して、また誰かが埋まる方が問題だ」


 ガレスは自分に言い聞かせるように続けた。


「鉱石は掘り直せる。設備も直せる。だが、人間はそうはいかん」


「昨夜の5人は、全員ガレスさんの部下だったんですよね」


「ああ」


 ガレスは視線を地図へ落とした。


「長い奴は、俺が責任者になる前から一緒に働いてる。若い奴もいた。まだ鉱山に入って2年目だ。俺が配置を決めた。俺が、あそこなら安全だと判断した」


「点検では異常がなかった」


「それでもだ」


 ガレスの太い指が、机の端を強く掴んだ。


「何かを見落としていたんじゃないかと、ずっと考えてる」


 責任者である以上、事故が起これば自分の責任だと考えているのだろう。エメラにも、その感覚は分からなくはなかった。


 自分がもっと早く気づいていれば、自分にもう少し力があれば、そう考え続ける苦しさを、エメラは知っている。


「見落としがあったかどうかを、今から調べるんです」


 エメラは静かに言った。


「最初から誰かの責任だと決めるためではありません。次の事故を防ぐために」


 ガレスは顔を上げ、少しの間エメラを見つめる。


「若いのに、妙に落ち着いてるな」


「そう見えるだけです」


「そうか?」


「内心では、分からないことばかりで困っています」


 横からダンテが鼻を鳴らした。


「こいつは、困っていても顔に出ないんだ。無理をしていても出ない。だから面倒なんだ」


「余計なことを言うな」


「事実だろ」


 ガレスが再び小さく笑った。先ほどよりは自然な笑い方だった。


「いい相棒だな」


「もちろんだ」


 ダンテは胸を張った。


「そこは否定しないんだな」


「事実だからな」


 エメラは苦笑し、それから話を戻した。


「崩落した支柱について、詳しく教えてください」


 ガレスは頷き、地図上の崩落地点を指した。


「昨日崩れたのは、入口から約50メトルの地点だ。主要な坑道としては浅い位置にある。人も資材もよく通るから、支柱の確認は特に念入りにやっていた」


「最後に点検したのは?」


「先月だ。だが、日常的な目視確認なら毎日してる。昨日の朝も異常はなかった。ひび割れも、腐食も、岩盤のずれもだ」


「支柱は木製ですか?」


「ああ。この辺りで採れる硬い樹木を乾燥させて使ってる。簡単には折れん。それに支柱は1本で天井を支えてるわけじゃない。横木と組み合わせて、圧力を分散するように設置してある」


「その構造が、一度に崩れた」


「そうだ」


「支柱の交換記録は残っていますか?」


 ガレスは棚から分厚い帳面を取り出した。表紙には黒い指の跡がいくつも残り、角が丸く擦り減っている。ページをめくると、日付と作業内容、担当者の名前が細かく記録されていた。


「崩れた場所の支柱は、3年前にまとめて交換している。耐用年数から見ても、まだ問題が出る時期じゃない」


「交換を担当した人は?」


「俺と、昨日助けられた連中のうち2人。それから……カールだ」


 ガレスの手が止まった。


「カールさんも」


「ああ。あいつは支柱を組むのがうまかった。木の癖を見る目があったんだ。曲がり方や乾燥具合を見ただけで、どの向きに荷重を掛ければいいか分かった」


「長く働いていたと聞きました」


「12年だ」


 グレゴールからは10年以上と聞いていたが、ガレスは明確な年数まで覚えているようだった。


「俺とは、その前からの知り合いだった」


「鉱山へ入る前から?」


「ああ。カールは隣の村の出身でな。若い頃、一緒に荷運びの仕事をしたことがある。その後、俺が先にこの鉱山へ入って、数年遅れてあいつも来た」


 ガレスの視線が、少し遠くなる。


「真面目な奴だった。無口で、愛想はよくなかったが、仕事を途中で投げるような男じゃない。危険な場所へ若い鉱夫を行かせるくらいなら、自分が行く。そういう奴だった」


「左腕の火傷も、事故で人を助けた時のものだと」


「知ってるのか」


「グレゴールさんから聞きました」


「あの時もそうだった」


 ガレスはゆっくりと頷いた。


「支柱が焼けて崩れかけた坑道に、取り残された鉱夫がいた。誰も中へ入れない状況で、カールだけが飛び込んだ。あいつは腕を焼かれながら、その鉱夫を引きずり出した」


「鉱山の勲章だと言っていたそうですね」


「ああ。馬鹿な奴だろ」


 口ではそう言いながら、ガレスの声には親しみがあった。


「治療すれば、もう少しましになったかもしれない。それなのに、見せつけるように袖をまくって働いてた。若い連中に『危険を甘く見るな』と教えるためだと言ってな」


「そんな人物が、鉱石を盗んだ」


 ダンテが言った。


 ガレスの表情が再び曇る。


「俺も、最初は信じなかった」


「解雇された時、ガレスさんはその場に?」


「いや」


 ガレスは首を横に振った。


「東坑道の奥で作業をしていた。戻ってきた時には、もうカールは組合を追い出された後だった」


「本人とは話せなかったんですか?」


「家へ行った」


「会えましたか?」


「扉を開けなかった」


 ガレスは低い声で答えた。


「中にいるのは分かってた。娘が泣いている声も聞こえた。俺は何度も戸を叩いた。事情を話せ、何があったんだと聞いた。だが、あいつは何も答えなかった」


「その後、街を出た」


「ああ。翌朝には家が空になっていた。娘も一緒に消えた。どこへ行ったか、誰も知らない」


 小屋の中に、薪の爆ぜる音が響いた。ガレスは机の上へ置いた拳を見つめている。


「今でも、分からん」


 絞り出すような声だった。


「あいつが本当に盗んだのか。それとも、何か事情があったのか。聞くこともできないまま、半年だ」


「カールさんが解雇される少し前、変わった様子はありましたか?」


 エメラが尋ねると、ガレスは腕を組んだ。


「変わったといえば……変わっていた」


「どのように?」


「1人で動くことが増えた。以前は必ず組を作って坑道へ入っていたが、半年前くらいから、何かと理由をつけて単独で奥へ行くようになった」


「どの坑道ですか?」


「主に東だ」


 ガレスは坑道図の端に、東坑道を示す簡単な線を書き足した。


「東坑道で、新しい銅の鉱脈が見つかった。まだ規模は分からなかったが、質はかなり良かった。最初に見つけたのがカールだったこともあって、調査と管理を任せていた」


「カールさんだけに?」


「最初は何人か付けていた。だが、途中からあいつが1人でやりたいと言い出した。人が増えると鉱脈を傷つける可能性がある、と」


「不自然だとは思わなかったんですか?」


「思ったさ」


 ガレスは苦々しく答えた。


「だが、鉱脈を見る目に関しては、カールは俺より上だった。あいつがそう言うなら、何か理由があるんだろうと……信じてしまった」


「その頃から、性格も変わりましたか?」


「口数がさらに減った。顔色も悪かった。何日も眠っていないような顔で出勤してくることもあった」


「薬品の匂いや、見慣れない傷は?」


 ダンテが尋ねる。


 ガレスは少し驚いたようにダンテを見た。


「薬品……」


 記憶を探るように目を細める。


「そういえば、一度だけ妙な匂いがしたことがある」


「どんな匂いだ?」


「甘いような、苦いような……鼻の奥に残る匂いだった。酒でも薬草でもない。カールの作業着からしていた」


 ダンテの耳がわずかに動いた。


「洗脳や意識を鈍らせる薬の可能性もあるな」


「そんなものがあるのか?」


「ある。人間は、人間を操るために色々なものを作るからな」


「魔獣も似たようなことをするだろ」


「俺の一族はしない」


「お前の一族以外は?」


「知らん」


 ダンテは素っ気なく答えた。


 エメラは地図を見ながら考える。新しい銅の鉱脈、カールの単独行動、体調と性格の変化、そして、突然の盗難と解雇。


 それらが今回の崩落と無関係だとは思えなかった。


「北坑道にも、カールさんは出入りしていましたか?」


「ああ。東の担当になった後も、資材の確認や点検で時々来ていた。あいつは3つの坑道全てに詳しい」


「古い通路も?」


「俺と同じくらいには知ってるはずだ」


 ガレスは地図の奥を指した。


「北坑道には、50年以上使っていない区画がある。岩盤が不安定になって閉鎖された場所だ。地図には残っているが、入口は岩で塞いである」


「完全に通れない?」


「そのはずだ」


「そのはず、か」


 ダンテが繰り返す。


 ガレスは立ち上がった。


「話しているだけじゃ、何も分からんな。現場を見てもらった方が早い」


「お願いします」


「中へ入る準備をする。ランタンは持っているか?」


「あります」


「予備も持て。坑道の中で灯りを失うと、方向感覚まで狂う」


 ガレスは棚から鉱山用の丈夫なランタンを取り出した。続いて、革製の頭部を守る装具と、厚手の手袋をエメラへ渡す。


「魔術師でも、落ちてくる石には勝てん」


「ありがとうございます」


 エメラは素直に受け取り、身につけた。ダンテが頭部の装具を見つめる。


「俺の分は?」


「必要か?」


「俺の頭も大事だ」


 ガレスは少し考え、棚の奥から小さな革袋を取り出した。


「これなら頭に被せられるかもしれん」


「袋じゃないか」


「大きさが合うのは、それくらいしかない」


「俺の威厳が損なわれる」


「石が当たるよりましだろ」


「俺は避ける」


 ダンテは即座に拒否し、エメラの肩へ飛び乗った。


「落石があったら知らせろよ」


「お前より先に気づく」


「頼りにしてる」


「当然だ」


     ◇


 北坑道の入口には、太い木材で組まれた門が設けられていた。


 昨夜までは自由に出入りできた場所だが、今は警備隊員が2人立ち、許可のない者が入らないよう監視している。


 ガレスが責任者の証票を見せると、隊員が門を開いた。


「内部の状況は?」


 ガレスが尋ねる。


「変化はありません。崩落地点より奥には誰も入れていません」


「分かった。俺たちが入った後も、誰も通すな」


「承知しました」


 坑道へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 外の冷たい風は途切れ、代わりに湿り気を含んだ重い空気が体を包む。ランタンの炎が岩壁を照らし、凹凸のある影を作り出した。


 足元には、鉱石や道具を運ぶための細い軌道が敷かれている。


 ところどころに小さな水たまりがあり、靴が触れるたびに水音が響いた。


「思っていたより広いですね」


 エメラが言った。


「ここは主要通路だからな。荷車同士がすれ違える幅を取ってある。奥へ行けば狭くなる」


 ガレスの声が、岩壁に反響する。


 外ではそれほど大きくない声でも、坑道内では何度も重なって聞こえた。


 ダンテはエメラの肩から下り、地面を歩き始めた。


 鼻を低くし、空気と地面の匂いを交互に確かめている。


「何か分かるか?」


「土、油、鉄、人間、汗」


「普段の鉱山の匂いか」


「それに、焦げた匂いが残っている」


 ダンテは崩落地点の方向へ顔を向けた。


「街で会ったフードの男と、よく似た匂いだ」


 エメラの表情が引き締まる。


「同じものだと思うか?」


「近づけば分かる」


 坑道を進むにつれ、昨夜の痕跡が増えていった。


 壁際に積まれた砕石。


 床へ落ちた工具。


 救助の際に使用した木材。


 そして、エメラが術で生み出した根の一部も残っている。


 役目を終えた根は既に光を失い、普通の木のように坑道を支えていた。


 ガレスがその根へ手を触れる。


「改めて見ると、とんでもない術だな」


「応急的なものです。長期間、坑道を支え続けられるわけではありません」


「それでも十分だ。これがなければ、救助の途中でまた崩れていた」


「今日中に、正式な支柱へ交換した方がいいでしょう」


「ああ。そのつもりだ」


 崩落地点は、鉱夫たちの手によってある程度片づけられていた。


 だが、破損した支柱や天井の岩盤は、事故直後の状態を残すために手を付けず保存されている。


「ここだ」


 ガレスが立ち止まった。天井を支えていた横木が折れ、片側へ大きく傾いている。


 床には折れた支柱が並べられ、破断面が確認できるようになっていた。


 エメラはランタンを近づける。


「これは……」


 支柱の中央付近が、黒く変色していた。単純に圧力で折れたものではない。


 木の表面が焼け、細かな亀裂が放射状に広がっている。だが、火事が起きた形跡はなく、焼けているのは狭い範囲だけだった。


「支柱が燃えたんですか?」


「いや。昨日、救助が終わってから見つけた」


 ガレスが答えた。


「火が回ったなら、周りにも跡が残る。だが焼けているのは、この部分だけだ」


 エメラは手袋を外し、黒くなった木へ指を触れた。


 煤のようなものが指先へ付着する。鼻へ近づけると、苦い焦げ臭さの奥に、金属を熱したような匂いが混じっていた。


「ダンテ」


「ああ。同じ匂いだ」


 ダンテが破断面へ鼻を近づける。


「街で嗅いだ男の服に付いていたものと、かなり近い。ただ、こっちの方が強い」


「術を使った痕跡でしょうか」


「そう考えるのが自然だ」


 エメラは支柱の周囲を調べた。


 床 岩壁 隣の支柱。


 やがて、黒く焦げた支柱の根元近くに、細い線が刻まれていることに気づく。


 傷にしては規則的だった。


 数本の線が交差し、小さな円を作っている。煤と土で隠されており、ランタンを斜めから当てなければ見落としてしまうほど薄い。


「ガレスさん。この傷に見覚えはありますか?」


「傷?」


 ガレスがしゃがみ込む。


「いや……昨日までは気づかなかった。道具が当たった跡じゃないのか?」


「それにしては整いすぎています」


 エメラは線の上へ指を滑らせた。


 微かだが、マナの残滓がある。


 術が発動してから時間が経っているため、ほとんど消えかけている。それでも、自然に発生したものではないことは分かった。


「小規模な魔法陣です」


「魔法陣?」


「おそらく、支柱の一部分だけへ強い熱と衝撃を与えるためのものです」


 ガレスの顔色が変わった。


「誰かが、支柱を折ったというのか」


「断定はできません。ただ、少なくとも自然にできた線ではありません」


「爆発させたのか?」


「爆発と呼べるほど大きなものではないと思います」


 エメラは破断面を見た。


「広範囲を壊すのではなく、支柱の芯だけを脆くする。その後、坑道の振動や荷重で自然に折れたように見せたのでしょう」


「そんなことが……」


「可能です。坑道の構造を理解している人物なら、どの支柱を弱らせれば崩落を起こせるかも分かる」


 ガレスは黒く焼けた支柱を見つめた。


 握った拳が震えている。


「じゃあ、やっぱりカールが……」


「まだ決めつけない方がいい」


 ダンテが言った。


「坑道を知っている人間は、カールだけじゃないだろ」


「だが、あいつなら、この場所の構造を知ってる」


「知っていることと、やったことは別だ」


 エメラも頷いた。


「それに、この魔法陣を作るには、鉱山の知識だけでなく魔術の知識も必要です。カールさんは魔術を使えたんですか?」


「いや」


 ガレスはすぐに答えた。


「少なくとも、俺が知る限りでは使えない。簡単な魔道具を動かす程度のマナはあったが、魔術師じゃない」


「なら、別の人物が関わっている可能性が高い」


「カールが場所を選び、魔術師が仕掛けた可能性もあるぞ」


 ダンテが冷静に付け加える。


「ああ」


 エメラは否定しなかった。


 まだ、どちらの可能性も残っている。


「この印は、ほかの崩落地点にも?」


「分からん」


 ガレスは首を横に振った。


「東と南には、すぐ知らせる。支柱を燃やしたような跡と、妙な刻印がないか確認させる」


「お願いします。ただし、線には触れないように伝えてください」


「危険なのか?」


「魔法陣には、調べようとした者へ反応する仕掛けを組み込むことがあります」


 エメラは刻まれた線を慎重に観察した。


 この小さな陣そのものは、既に力を失っている。


 だが、同じ術者が別の場所へ何を仕掛けているかは分からない。


「悪趣味だな」


 ダンテが言った。


「見つけた者まで巻き込むのか」


「証拠を残したくない術者は、そうする」


「エメラもできるのか?」


「知識としては知っている。ただ、使いたいとは思わない」


「お前らしいな」


 エメラは立ち上がり、周囲を見渡した。


「ダンテ。匂いは、ここで途切れているか?」


「いや」


 ダンテは坑道の奥へ顔を向けた。


「続いてる」


「奥へ?」


「ああ。薄いが、同じ焦げた金属の匂いが流れてきている」


 ガレスが眉をひそめる。


「昨日の崩落より奥は、採掘場所があるだけだ。今は誰もいない」


「確認してもいいですか?」


「もちろんだ」


     ◇


 3人は崩落地点を越え、北坑道の奥へ進んだ。


 先ほどまで広かった主要通路は次第に狭くなり、岩壁の圧迫感が強くなっていく。


 一定間隔で取り付けられたランタンは、採掘停止に伴って火を落とされていた。ガレスとエメラの持つ灯りだけが、暗闇を切り取っている。


 足音が響く。


 水滴が落ちる。


 遠くで岩が小さく軋む。


 それ以外の音はなかった。


 人が働いていない鉱山は、まるで巨大な生き物が息を潜めているようだった。


「普段は、もっと騒がしいんですか?」


「ああ」


 ガレスが先頭を歩きながら答えた。


「つるはしの音、荷車の車輪、鉱夫たちの声。場所によっては、隣の奴と話すのも苦労するほどだ」


「今は静かすぎるな」


 ダンテが言った。


「自分の足音が、後ろからついてきているように聞こえる」


「怖いのか?」


「俺が怖がるわけないだろ」


「そうか」


「確認しただけだ」


 ダンテは何事もなかったように前を向いた。


 しばらく進むと、通路が2つに分かれた。


 右は現在も使われている採掘区画。


 左には古びた木製の柵が置かれ、立入禁止を示す札が下がっている。


 ダンテは迷わず左へ向かった。


「匂いはこっちだ」


「そっちは閉鎖区画だ」


 ガレスが言った。


「いつから閉鎖されているんですか?」


「俺が入るより前からだ。少なくとも50年は使われてない」


「理由は?」


「鉱脈が尽きたことと、岩盤が脆くなったことだ。掘り進めても利益がない上に危険だから、入口を塞いだと聞いている」


 エメラは柵へランタンを近づけた。


 厚く埃が積もっている。


 だが、柵と岩壁が接する部分だけ、不自然に埃が薄かった。


「最近、動かされています」


 ガレスが目を見開いた。


「何?」


「ここを見てください」


 床には、柵を引きずった細い跡が残っている。


 古い傷の上に、新しい傷が重なっていた。


 さらに柵の留め具にも、最近付着したと思われる油が僅かに光っている。


「誰かが出入りしてる」


 ダンテが柵の隙間へ鼻を入れた。


「焦げた匂いが強くなった。それに、人間が何度も通った匂いがする」


「見張りは気づかなかったのか」


 ガレスが低く呟く。


「この場所は採掘区域から外れてる。作業中でも、人が近づくことはほとんどない。奥へ行く理由がないからだ」


「だから隠れるには都合がよかった」


 エメラが柵へ手を掛ける。


「動かします」


 3人で柵を脇へ寄せた。


 奥に現れた通路は、主要坑道よりも遥かに狭く、天井も低かった。


 支柱の多くは黒ずみ、ところどころ腐食している。床には砕けた石が積もり、長い間放置されていたことが分かる。


「気をつけろ」


 ガレスが声を低くした。


「ここから先は、安全の保証がない。足元だけじゃなく、天井も見ろ」


 ガレスはつるはしの柄で岩壁を軽く叩いた。


 音を聞き、空洞や亀裂がないか確かめている。


 数歩進むごとに立ち止まり、安全を確認する。


 エメラも周囲の岩と、古い支柱の状態を観察しながら後へ続いた。


 ダンテは体が小さいことを生かし、少し先まで進んでは戻ってくる。


「まだ続いてる」


 何度目かの確認で、ダンテが言った。


「匂いが段々濃くなっている。ここを使っていたのは間違いない」


 通路の壁には、昔の採掘跡が残っていた。


 つるはしで削られた無数の窪み。


 鉱脈の位置を示していたであろう色褪せた印。


 その中に、明らかに新しい傷が混じっている。


「止まってください」


 エメラが声をかけた。


 壁の低い位置に、黒い線が刻まれていた。


 崩落地点で見つけたものより大きく、複雑だ。


 円の中に複数の角が組み合わされ、その周囲を細い線が取り囲んでいる。黒い塗料のようにも見えるが、近づくと微かに赤い光が線の奥を流れた。


「まだ動いている」


 エメラは距離を取ったまま、陣を観察する。


「触るなよ」


 ダンテが言った。


「分かってる」


「お前は、調べるとなるとすぐ近づくからな」


「今回は近づいてないだろ」


「念のためだ」


 ガレスは魔法陣を睨みつけた。


「これも、支柱を壊したものと同じか?」


「構造は似ていますが、こちらの方が大きい」


 エメラはランタンの角度を変える。


「火属性の術式が中心です。おそらく、一定範囲へ熱と衝撃を発生させる。ただし、それだけではありません」


「ほかに何がある?」


「外側の線が、中心の術式を守っています」


 ダンテが首を傾げる。


「守る?」


「無理に消そうとしたり、線を壊したりすると、術が即座に起動する仕掛けです」


 ガレスが息を呑む。


「触っていたら?」


「この通路の支柱が焼かれていたかもしれません」


「俺たちごと生き埋めか」


「その可能性があります」


「やはり悪趣味だ」


 ダンテの尻尾が低く揺れる。


 エメラは魔法陣の各所を目で追った。


 線は壁の凹凸へ紛れるように描かれている。正面から見れば不規則な傷にしか見えないが、少し横へ移動すると、離れていた線同士が重なり合い、1つの形を作った。


「相当慣れた術者です」


「分かるのか?」


「坑道の壁は平らではありません。その凹凸を利用して、特定の位置からしか全体が見えないようにしている」


 陣の中央付近には、小さな数字のような記号が刻まれていた。


「4……?」


 ガレスが読み上げる。


 共通語の数字で、確かに「4」と記されている。


「4番目に仕掛けた魔法陣ということか?」


「その可能性もあります。ただ……」


 エメラは魔法陣から少し離れ、通路の奥を見た。


「単独で使う術式に、わざわざ番号を付ける必要はありません」


「つまり、同じものがほかにもある?」


「少なくとも、これより前に3つ」


「昨日起きた崩落と、先週の3件」


 ダンテが言った。


「数が合うな」


「でも、崩落地点に残っていたのは、もっと小さい陣だった」


 エメラは考え込む。


「これは崩落を起こすためだけのものではない。別の大きな術式を補助している可能性があります」


「補助?」


「複数の魔法陣を離れた場所へ配置し、中心となる術を強化する方法があります」


 ガレスの顔が強張る。


「これが4番目なら、まだ何かを起こすつもりだということか」


「分かりません。ただ、既に目的を達成しているとは考えにくい」


「どうしてだ?」


「目的が崩落だけなら、証拠になるこの陣を残す必要がない。それに、仕掛けが複雑すぎます」


 坑道を崩すだけなら、もっと単純な方法がある。


 支柱を削る。火薬を使う。岩盤の弱い場所を狙う。


 それなのに、術者は時間をかけて複雑な魔法陣を複数配置している。


 崩落そのものが目的ではない。


 あるいは、崩落は別の目的を隠すために起こされた。


 エメラの中で、形の見えなかった疑問が少しずつ輪郭を持ち始める。


「解除できるか?」


 ガレスが尋ねた。


「時間をかければ。ただし、今ここで触るのは危険です」


「放置しても危険じゃないのか?」


「今は休止状態に見えます。外部からマナを送られない限り、すぐには動かないはずです」


「誰かが遠くから動かせるのか?」


「補助陣であれば、中心となる魔法陣から一斉に起動させられます」


「中心……」


 ガレスが暗い通路の奥を見る。


 焦げた金属の匂いは、その先から流れてきている。


「奥にあるのか」


「可能性はあります」


 エメラは魔法陣の位置と形を紙へ書き写した。


 その間、ダンテは周囲の匂いを調べ続けていた。


「エメラ」


「何かあったか?」


「魔法陣の下を見ろ」


 黒い線のさらに下。


 床すれすれの位置に、小さな矢印が刻まれていた。


 矢印は、通路の奥ではなく、3人が歩いてきた方向を指している。


「戻れ、という意味でしょうか」


 ガレスが言った。


「警告か?」


「警告なら、もっと分かりやすく書くはずだ」


 ダンテは矢印の先へ歩き始めた。


「匂いは奥へ続いているが、こっちにも別の匂いがある」


「別の匂い?」


「新しい油と、金属だ。崩落地点の近くで嗅いだ」


 3人は来た道を少し戻った。


 だが、目立った分岐はない。


 右側は岩壁。


 左側も岩壁。


 古い支柱と、崩れ落ちた石が積もっているだけだ。


「何もないぞ」


 ガレスがランタンを掲げた。


「この先は、さっき通った」


 ダンテは地面へ鼻を近づけ、ゆっくりと歩いた。


 やがて、古い崩落跡の前で止まる。


「ここだ」


 通路の片側が、大小の岩で完全に塞がれている。


 崩落してから何十年も経っているのか、岩の隙間には乾いた土が詰まり、表面には薄く苔が生えていた。


「ここは昔の横道だ」


 ガレスが言った。


「閉鎖区画がさらに奥へ続いていた頃の通路らしい。崩れた後、危険だからそのまま埋めたと聞いている」


「地図には?」


「記載されているが、行き止まり扱いだ」


 エメラは崩落跡へ近づいた。


 見た目には、長年動かされていない岩の壁だ。


 だが、足元へ手をかざすと、僅かに空気が流れている。


「風がある」


「風?」


 ガレスも手を近づける。


「本当だ。冷たい空気が出てる」


「完全に塞がっていません」


 エメラは岩の隙間を観察した。


 大きな岩の間に、小さな空洞がある。


 そこから細い風が流れ、ランタンの炎をわずかに揺らしていた。


「この奥に空間があります」


「だが、これを動かすのは危険だぞ」


「岩そのものを動かす必要はないかもしれません」


 エメラは壁の端へ視線を移した。


 そこだけ岩の色が僅かに違う。


 古い土を塗りつけ、周囲の崩落跡へ似せてあるが、表面の質感が均一すぎる。


「これ、岩じゃない」


 エメラは指の関節で軽く叩いた。


 硬い音が返ってくる。


 しかし、自然の岩とは響き方が違う。


 内側に空間のある、板のような音だった。


 ガレスが目を見開く。


「扉か?」


「おそらく」


 表面を覆う土を慎重に払い落とす。


 少しずつ、人工的に削られた石板の輪郭が現れた。


 周囲の岩壁と見分けがつかないよう加工された、石造りの扉だった。


 扉の右端には、金属製の蝶番が埋め込まれている。


 石と土で隠されてはいるが、金属そのものは新しい。


 油も塗られている。


「50年前から閉じられている扉には見えませんね」


 エメラが言った。


「最近、誰かが作ったか、古い扉を付け直したか」


 ダンテが隙間へ鼻を近づける。


「この奥だ。焦げた金属の匂いも、人間の匂いも、全部ここから来ている」


 ガレスの表情から、迷いが消えた。


「開けよう」


「罠があるかもしれません」


「分かってる。だが、ここまで来て戻るわけにはいかん」


「俺も同じ意見です。ただ、慎重に調べましょう」


 扉には取っ手がなかった。代わりに、中央付近へ小さな窪みがある。


 エメラは触れずに形を確認する。魔法陣らしい線はない。ダンテも異常な匂いは感じないと言った。


「押して開く仕組みかもしれません」


 ガレスがつるはしの柄を窪みへ当てた。


「俺がやる。2人は下がってろ」


「一緒に押します」


「だが——」


「何か起きた時、ガレスさん1人では対処できません」


 エメラは杖をすぐ手に取れる位置へ置き、石扉へ手を添えた。


 ダンテは少し離れ、低い姿勢を取る。


「変な匂いがしたら、すぐ言う」


「ああ。頼む」


 ガレスとエメラが力を込めたが、最初は扉は動かなかった。


 さらに力を加えると、内部で何かが外れる、鈍い音がした。その直後、石扉が僅かに奥へ沈む。


「動いたぞ」


 ガレスがつるはしの柄を差し込み、隙間を広げた。石と石が擦れる重い音が、静かな坑道へ響く。


 扉はゆっくりと内側へ開いた。その奥から、冷たい空気が流れ出す。


 ランタンの炎が大きく揺れた。闇の中に、下へ続く細い通路が見えた。


 壁は自然の岩肌ではなく、工具で平らに削られている。足元には新しい靴跡があり、何人もの人間が繰り返し出入りしていたことが分かった。


「こんな場所が……」


 ガレスが呆然と呟く。


「俺は20年以上、この鉱山で働いてきた。それなのに、こんな通路があるなんて知らなかった」


「最近作られた可能性は?」


「いや」


 ガレスは壁へ触れた。


「削り方が古い。通路そのものは、ずっと前からあったんだ。だが、手入れされている。崩れた場所を直し、扉を付け、使えるようにした奴がいる」


 ダンテが扉の奥を睨む。


 背中の毛が僅かに逆立っていた。


「エメラ」


「分かってる」


 焦げた金属の匂い。


 術を使った後に残る、濁ったマナの気配。


 そして、何かが腐り始めたような、微かな甘い匂い。


 それらが、暗い通路の奥から流れてきている。


 先ほどまでとは比べものにならないほど濃い。


「この先に、誰かいるのか?」


 ガレスが低い声で尋ねる。


 ダンテはしばらく鼻を動かした。


「今、この近くに人間はいない」


「では、先へ進めるな」


「待ってください」


 エメラは杖を握った。


 体の奥に残る疲労を確かめる。


 昨夜使ったマナは、まだ完全には戻っていない。


 それでも、引き返すという選択肢はなかった。


「この先に何があるか分かりません。魔法陣を仕掛けた術者が戻ってくる可能性もあります」


「だから急ぐんだろ」


 ガレスが言った。


「あいつらが次の崩落を起こす前に止める」


 その目には、北坑道を預かる責任者としての覚悟があった。


 エメラは頷く。


「行きましょう。ただし、俺より前には出ないでください」


「お前はまだ本調子じゃないんだろ」


 ダンテがエメラを見上げる。


「無理をするなとは言わない。どうせ聞かないからな。だが、限界が来る前に言え」


「ああ」


「本当だな?」


「約束する」


「信用はしてないが、聞いておく」


 ダンテが先に扉の奥へ足を踏み入れた。エメラがランタンを掲げ、その後へ続く。


 ガレスもつるはしを握り直し、通路へ入った。3人が中へ入ると、背後で石扉が小さく軋んだ。


 まるで長い間閉じられていた何かが、再び口を開いたような音だった。


 通路は緩やかに下っている。ランタンの光が届く先には、まだ終わりが見えない。暗闇の奥から、焦げた金属の匂いがさらに強く流れてくる。


 その匂いに混じって、低く唸るような振動が、足元から僅かに伝わってきた。


「何かが動いている」


 エメラが呟いた。


「ずっと奥で」


 ダンテの耳が前を向く。


「機械じゃない。魔術だ」


 ガレスが息を呑んだ。3人は顔を見合わせる。


 そして、光の届かない坑道の奥へ向かって、慎重に歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ