最終話:光が戻る日――別れと再会、そして未来へ――
『エレノア……そなたは大した者だ』
一面に広がる美しい花畑。
そこに、わたくしはクロノス様と共に立っていた。
『そなたと共に、またこの景色が見られるとは……。さすがは我の選んだ乙女よ』
嬉しそうなクロノス様の声が、わたくしも嬉しかった。
今にも崩れそうだった花畑を再生できたのは、奇跡だったと思う。
『そなたの体も、クロノ家の者が大切に守り、治療を続けてきた……。そなたはやがて、目を覚ますだろう』
「ありがとうございます。全て、クロノス様のおかげです」
深々と頭を下げてお辞儀をする。
そして頭を上げたとき、わたくしはクロノス様がとても優しい眼差しでわたくしを見ていることに気が付いた。
どうなさったのだろう?
「クロノス様、どうかされましたか?」
そう尋ねると、クロノス様はわたくしを優しい眼差しで見つめたまま、言った。
『別れのときがきた』
「え?」
『そなたが目覚めれば、我はもうそなたに会うことはないだろう。もう奇跡が起きることもない』
クロノス様の言葉に、驚いた。
どうしてですか、と問うと、クロノス様は苦笑した。
『そなたの体の時間を止めた……。毒の回りを遅くするためだ。そうすることで、時間はかかったが、クロノ家の者たちの治療が間に合ったのだ……』
けれどそのせいで、クロノス様は力を使い果たしてしまったのだという。
だからしばらくの間、眠りにつかなければならなくなってしまったのだ。
「もうここでお会いすることもできないのですか?」
『あぁ、そうだ。少なくとも、そなたが生きている間に、我が力を取り戻すことは無理だろう。もう奇跡は起きず、クロノス・ダイアリーはただの手帳に戻るだろう。だが、会えずとも、我はずっとそなたを見守っている……』
『クロノス様っ……』
クロノス様の姿が、ゆっくりと消えていく。
わたくしは、まだたくさんクロノス様とお話したかった……。
『まだ行かないでくださいっ』
消えかけのクロノス様へと、精一杯手を伸ばす。
だけどわたくしの手はクロノス様へ届かなかった。
『エレノア……我が選んだ、愛しい乙女よ……。未来は、そなたの手で選ぶのだ。我は……いつでも……そなたを見守っている……』
その言葉を残して、クロノス様の姿は完全に消えてしまった。
そして――。
わたくしは、目を覚ます。
わたくしが目覚めたとき、そこにいたのは、優しい眼差しの一人の男性だった。
「エレノア様? エレノア様、目が覚められたのですか?」
その方は、ずっとわたくしの手を握っていてくれたようだった。
もう片方の手が、優しく涙をぬぐってくれる。
「大丈夫ですか、エレノア様……」
「は、はい……あの……」
この方は誰だろう?
どうしてわたくしに付き添ってくれているのだろう?
いろいろな疑問が沸き起こる。
クロノス様とのお別れもあり、感情の制御ができなかった。
「どうして、泣かれているのですか?」
わたくしの涙をぬぐいながら、その方はわたくしに優しく聞いた。
わたくしはその方に、もうクロノス様に会えなくなってしまったことを告げる。
するとその方はわたくしを抱き起すと、優しく抱きしめてくれた。
「クロノス様……感謝いたします。エレノア様を守ってくださり、ありがとうございます。僕に、エレノア様を返してくださり、ありがとうございます……」
クロノス様への感謝の言葉と、優しい口調に、わたくしはこの男性が誰なのかということに気がついた。
心にしみる優しい言葉――声変わりをして低くなった声のおかげで、以前よりももっと、彼の言葉はわたくしの心に、体に、しみていった。
「ウイリアム殿下……」
名前を呼ぶと、彼――ウイリアム殿下は、はい、と頷いた。
「エレノア様……あなたが眠りについて、五年経ちました……。今では僕も、あなたと同じ年齢になりました……」
五年前、ウイリアム殿下の身長は、わたくしよりも低かった。
だけど今は、確実にわたくしよりも頭一つ分は背が高いだろう。
わたくしを抱きしめる逞しい腕は長く、手も大きい。
ウイリアム殿下がこんなにも素敵な男性になるなんて……きっと今は、可愛らしい婚約者の方がいるのだろうと思う。
けれどそれは仕方がないこと。
わたくし自身が、わたくしのことを忘れてくださいと、お願いしたのだから。
「エレノア様……僕はずっと……あなたを待っていました……。僕にはあなたを忘れることなんてできませんでした。あなた以上に愛せる女性は、僕には現れることはないのです。だから……」
だから、僕と結婚してください。
僕の妃になってください。
ウイリアム殿下はそう言い、涙で潤んだ瞳で、わたくしを見つめた。
「目覚めたばかりのあなたに、こんなことを言うなんて、非常識な男だと思われるかもしれません……。だけど僕には、あなたしかいないのです。あなたを、あなただけを愛しています。昔も、今も……それから、この先も……」
「ウイリアム殿下……」
わたくしは先程ウイリアム殿下がわたくしにしてくれたように、指先で彼の涙をぬぐった。
そして、わたくし自身も涙を流しながら、彼に微笑んで。
「はい。わたくしもあなたを愛しております」
一番大切な人に、自分の素直な気持ちを伝えた――。
それから月日は流れ、わたくしはウイリアム殿下と結婚をし、ウイリアム殿下は国王へと即位した。
わたくしたちの間には子供が生まれ、その子供が成人し、わたくしたちの髪に白いものが混じるようになった頃――成人した子供が妻を娶り、ウイリアム陛下は子供へと王位を譲った。
そして――。
「おばあさま、わたくし、おてがみをかいてきましたの!」
離宮でのんびりと暮らすわたくしたちの元に、孫娘が会いに来てくれた。
孫娘は最近字が書けるようになったらしく、文字を書くのが楽しくて仕方がないらしい。
「わたくし、こんやくしゃにも、おてがみをかいていますのよ! むこうからは、あまりおへんじをいただけないのですけれど」
少し唇を尖らせて、孫娘は言った。
この孫娘の婚約者は、彼女と同じ年に生まれたクロノ公爵家の長男だった。
「ねぇ、おばあ様からあなたにプレゼントがあるの。おばあ様の実家のクロノ公爵家の物なのだけど……あなたが大事に使って、いつかあなたがクロノ公爵家へお嫁に行くときに、持って行ってくれないかしら?」
そうお願いすると、孫娘は少し驚いたようだったけれど、すぐに笑顔で頷いてくれた。
「かまいませんわ! わたくしがおばあさまからうけついで、およめにいくときに、もっていきますわ!」
明るい笑顔の孫娘に頷き、わたくしは大切な手帳を彼女に渡す。
「この手帳は、わたくしがクロノ公爵家のおばあ様から受け継いだものなの。あなたもこの手帳にたくさんあなたの気持ちを綴って、そしてまた誰かに渡してね」
わたくしは幼い孫娘に、神の宿る手帳を渡す。
彼女は少し不思議そうな表情をしていたけれど、すぐに笑顔になって、お礼を言ってくれた。
「エレノア、クロノス様の手帳、あげてしまったのかい?」
孫娘が帰った後、ウイリアムに声をかけられたわたくしは、頷いた。
「あの手帳は、クロノ公爵家のものですから。あの子に託しましたの」
文字を書くのが大好きな孫娘――彼女はもしかしたら、クロノス様と出会うことができるのかもしれない。
彼女にできなければ、彼女の娘が、孫が――いつかまた、クロノス様を目覚めさせるかもしれない。
「わたくし、とても幸せでしたわ。いいえ、これからもずっと、幸せですわ」
ウイリアムの手を握りそう言うと、彼は昔と変わらない優しい眼差しのまま、私を見つめて微笑んだ――。




