第3話:控室での孤独と、差し伸べられた手
大広間のざわめきが遠ざかっていく。
王妃殿下の侍女に案内され、わたくしは控室へと向かった。
足取りは静かで、乱れはない。
けれど胸の奥には、重く沈むような痛みがあった。
婚約破棄は、構わないのだ。
けれど、冤罪だけはどうしても晴らさなければならない。
控室に入ると、侍女は深く頭を下げて退室した。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
わたくしは椅子に腰を下ろし、そっと息をついた。
ようやく、一人になれた。
アレクシス殿下の言葉が、耳の奥で反芻される。
『形だけの婚約だった』
『真実の愛に気づいた』
『リリアナを守りたい』
アレクシス殿下は、最初からわたくしを見てはいなかったということだ。
胸が痛んだけれど、涙は出なかった。
わたくしにとって、涙を流すほどの価値が、もうアレクシス殿下にはないのだと冷静に理解する。
それよりも気になるのは、家族のことだった。
両親、祖父母、そして三歳年上の兄――。
兄は、アレクシス殿下の悪い噂を耳にするたびに、わたくしのことを心配してくれていた。
だから、婚約破棄のことは喜んでいるかもしれない。
けれど、わたくしの冤罪が晴れなければ、わたくしは、わたくしが愛する家族に迷惑をかけてしまうことになる――。
「一体、どうしてこんなことに……」
小さく呟いたそのとき、控室の扉がノックされた。
「エレノア様。失礼いたします」
静かな声――扉が開き、第二王子ウイリアム殿下が姿を現した。
「ウイリアム殿下……?」
わたくしが慌てて立ち上がろうとすると、ウイリアム殿下は、「そのままで」と優しく声をかけ、わたくしの前まで歩み寄り、深く頭を下げた。
「ウイリアム殿下……」
「先ほどは……兄上が無礼を働き、申し訳ありませんでした」
「おやめくださいっ……ウイリアム殿下が謝られることではございませんわ」
「それでも、僕はあなたに謝らずにはいられないのです……そして、先ほどの場で何も言わずにいることはできませんでした」
ウイリアム殿下は頭を上げると、まっすぐで曇りのない瞳でわたくしを見つめた。
その誠実さに、胸が少しだけ軽くなる。
「エレノア様。兄上の言葉を、全ての者が信じているわけではないと思います。リリアナ嬢の証言にも、不自然な点が多いと感じている者がいるはずです」
「……そう、でしょうか」
「はい。それに、僕はエレノア様を信じています。真実は必ず明らかにされるはずです」
ウイリアム殿下のその言葉は、わたくしの心に静かに染み込んだ。
けれど同時に、胸の奥に小さな痛みが残る。
「わたくしは、アレクシス殿下がおっしゃったようなことは、何もしておりません。だけど今回のことで、家族に迷惑がかかってしまうのではと……」
ウイリアム殿下は、わずかに目を見開いた。
「今回の件は、全面的にアレクシス兄上が悪いのです。エレノア様に罪はありません。それに、エレノア様のご家族だって、あなたを信じているはずです。ご家族は、あなたを誇りに思っておられるでしょう。迷惑などと、決して思われてはいません……」
「それでも、わたくしは……」
わたくしは、自分の潔白を知っている。
だけど、周りがそれを認めてくれなければ、大切な家族に迷惑がかかるのではないかと……そう思うと、言葉が続かなかった。
ウイリアム殿下は、「大丈夫ですよ」と小さな声でつぶやくように言うと、優しい声でつづけた。
「エレノア様……不安に思われる気持ちはわかりますが、どうか、お一人で抱え込まないでください。僕だけでなく、みんなあなたを信じていますから」
優しいその声音に、胸が少しだけ熱くなる。
涙がこぼれそうになるのを堪えながら、わたくしはウイリアム殿下に、お礼を言った。
そのとき、控室の扉が再びノックされた。
「エレノア様。国王陛下よりお伝えがございます」
入室した侍従が恭しく頭を下げる。
「この後、王宮へお越しいただき、事情聴取を執り行うとのことです。ご家族の方々にもお越しいただくよう、すでにお伝えしております」
「承知いたしました。参ります」
王宮での事情聴取……わたくしはそこで、真実を告げる。
そして、その真実にわたくしが恥じることなど、一つもないのだ。
ウイリアム殿下が静かに頷いた。
「わたくしも同行いたします。兄上の件で、これ以上エレノア様が不利益を被ることのないように」
「ウイリアム殿下……ありがとうございます」
ウイリアム殿下の存在が、心強かった。
婚約破棄は、構わない。アレクシス殿下がそれを望むなら、そうすればいい。
けれど、身に覚えのない不名誉な冤罪だけは、必ず晴らしてみせる――。
その決意を胸に、わたくしは静かに立ち上がり、ウイリアム殿下と共に控室を後にした。
その頃、大広間の隅では――。
「事情聴取だなんて、なんか面倒なことになっちゃったわね。でも大丈夫よ! あたし、上手くやってみせるから!」
「あぁ、そうだ。リリアナ、お前はいつものように泣いていればいい。もしものことを考えて、先に手回しはしておいたから、大丈夫だからな。それに、アレクシス殿下はお前の味方だ。アレクシス殿下が居れば、上手くいくに決まっている! 何といっても、あの方は王太子だからな!」
リリアナ嬢が、父親であるダロウ男爵と声を潜めて話し合っていた。
「本当に、エレノア様なんて……いなくなればいいのに。まぁ、このままいなくなっちゃうだろうけど、ね。そして、アレクシス殿下も、この国の次の王妃の座も、あたしのものになるの。ふふん、楽しみだなぁ~」
うっとりとした表情でリリアナ嬢がそう言うと、ダロウ男爵がニヤリと笑い、頷く。
「あぁ、エレノア様……いや、エレノアを排除し、お前を王妃にして、わしもこの王国で成り上がるのだ。そのためにも、まずはエレノアには姿を消してもらおう。その次は、クロノ公爵家だ。アレクシス殿下の邪魔になるのなら、ウイリアム殿下にも消えてもらいたいものだな」
「うふふ、そうね! ウイリアム殿下があたしの言うことを聞かないのなら、そうしちゃう方がいいわね! なんか、あの子、生意気なんだもん!」
「あぁ、そうだ! そのためにも、まずは面倒な事情聴取を終わらせてしまおう!」
声を潜め、リリアナ嬢とダロウ男爵は自分たちの都合の良い未来を夢見て、顔を歪めて笑っていた――。




