Epilogue:『それでも、父でいたい』
しゅん……しゅん……
小さな湯気が、静かにたちのぼる。
さっきまで私が吊されていた天井からは、
かすかに鎖が揺れる音が残っていた。
床には、うっすらと煙の名残。
炙りと罵倒がくり広げられたラボの一角は、
今や穏やかな沈黙に包まれていた。
私は、椅子に腰かけていた。
九重も、私の向かいの席に座っている。
ただ、互いに言葉はなかった。
時間だけが、しずかに流れていた。
——……こと。
九重が、茶器のフタをそっと外した。
玉露の香りが、ふわりと立ちのぼる。
無言のまま、湯を注ぎ、
小さな湯のみを私の前へ差し出した。
私は、それを見つめた。
じん、としたものが、喉の奥に滲んだ。
「……ありがとう、九重」
そう口にした私に、九重は目も合わせず、ただ、
「かましまへん」
とだけ言って、お茶をすすった。
——私は思うのだ。
たとえ焼かれようと、吊されようと。
こうして娘と、茶を交わせる。
それだけで、父としては本望ではないか。
しばしの沈黙のあと。
九重が、ふと口を開いた。
「……ウチが旦はんに契約されてから、
だいぶ、たちますなぁ」
その声には、いつになく“奥行き”があった。
「正直、最初はアホくさ思てましたえ。
おかしな術師やなぁ、って。
ほんまに、ようこんなんで生きとるなぁって」
私は、黙って聞いていた。
「けど、まあ。
おもろいもん見られるかもしれへんし……
ちょうどヒマやったしな」
「ウチの本体は、封印されてもう動かれへんから。
このくらいの、遊びやったらええかな、って」
九重は、淡く笑った。
「それが、まさか。
こんなけ長いこと付き合うことになるとはなぁ」
茶の表面に目を落としながら、ぽつりと。
「けどまあ、なんやかんやで……
こうして、お茶淹れてるあたり」
「……面倒見てるの、そんな嫌やないんやろなぁ。
ウチがここまで世話焼く性分やったとは……
正直、自分でも思うてまへんでしたわ」
私は、ゆっくりと頷いた。
「それはつまり、“家族としての情”だな。
君もまた、父性に目覚めつつある——」
「いや、そないな方向ではないけど」
私は、口元に笑みを浮かべた。
「ふふ……だが、確かに。
血でなくとも、契約でなくとも、
こうして茶を囲むことで、我々は家族になるのだ」
九重は、それには何も言わなかった。
ただ、湯のみの中に揺れる茶の表面を、
じっと見つめていた。
——やがて、ぽつりと。
「せやけどまあ、飽きるまでは、
旦はんの面倒くらい、見たげまひょ」
私は、その言葉を胸の中で反芻した。
それは、彼女なりの……。
たったひとつの、肯定だったのかもしれない。
私は、記録帳を取り出す。
愛の軌跡。
娘たちとの歩みを綴る、大切な記録。
ペンを走らせながら、心の中でつぶやく。
「……私は、働いている。
吊られても、焼かれても。
すべては、娘たちのために」
「そして……」
「彼女たちがいつか、こう言ってくれる日を夢見て」
「“パパ、今日もおかえり”と」
だから私は、書き続ける。
家族という幻想にすがりながら。
それでも……父でいたいと、願いながら。
——the episode’s end.




