Scene1:『全宇宙に衝撃!パパ完全体への驚異の進化』
山というものは、父を試すために存在している。
なぜなら、木々の根は足元を絡め取り、苔むした岩は妙な角度で脛を殴り、湿った土は白衣の裾に対して容赦がない。
だが、それでも私は進んだ。
そう、これは父として、最後の娘に会いに行くための旅路だからである。
いわば、父性スタンプラリー最後の押印所。
ここでハンコをもらえば、七つ揃った玉が光り、
神龍が『その願いは私の力を超えている』と即答する。
そんな気もする。
——まあ、白蛇の神に関する願いを、竜の神に委託するのも酷な話かもしれない。
税務課の窓口で、保育園の入所調整に関する苦情を申し立てるようなものだ。
『お気持ちは分かりますが、担当課が違います』
そう言われたら、こちらも引き下がるしかない。
神龍は悪くない。
たぶん、窓口が違う。
……まあ、要は山奥に娘が住んで居るので、そこに向かってるだけだが、言い方は重要だ。
たとえば、原料を高級バターから安い植物油に変えての原価削減であっても企画書にはこう書く。
『動物性原料への依存を低減し、持続可能な植物由来素材への転換を推進』
すると不思議なことに、利益率を上げたいだけの話が、急にSDGsの顔をしはじめる。
——私は、そういう技術に異様なほど長けている。
……山腹の森は深かった。
真昼だというのに、頭上の枝葉が光を細かく砕き、足元にはまだ夜の湿り気が残っている。
山そのものが、長い時間をかけて隠してきた皺のような小径を、私は白衣の裾を引っかけながら進んでいた。
——そして。
その奥に、遺跡はあった。
崖肌に半ば埋もれるように、古い石の門が口を開けている。
柱には蛇のような文様が刻まれ、雨と苔に削られた祭壇の跡が、山の湿気の中で静かに眠っていた。
ここで何が祀られているのか、
どんな神が、どんな願いを聞くのか。
——ふむ。
おそらく、我が娘である。
古来より人は、理解できぬものを神と呼ぶ。
ならば、理解できぬほど愛らしい娘もまた、神と呼んで差し支えない。
この論法に穴はない。あったとしても、苔で塞がっている。
私は胸を張り、門の奥へと踏み入った。
洞窟の中は、ひんやりとしている。
外の木漏れ日が背後で薄れ、かわりに壁面の鉱石が、淡い白光を帯びている。
足音が、石の床に落ちるたび、奥へ奥へと反響した。
——今日は祝福の日だ。
私は最後の娘に会い、父としての大いなる旅路に一区切りをつける。
全娘訪問。
全娘再会。
全娘父性確認。
これが完了した暁には、私はもう、ただの白衣の男ではない。
幾多の試練を越え、娘たちと向き合い、時に蹴られ、時に巻かれ、時に焼かれ、時に完全に人間としての尊厳を戸棚の奥にしまわれた男。
——すなわち、超父性・ゴッド・超父性パパである。
なお、身勝手の極意については、父になる前から標準搭載済みだ。
その称号を得るにふさわしく、私は洞窟の中央で足を止めた。
奥には、丸く開けた広間がある。
その中央に、白いものが見えた。
岩ではない。
もっと大きく、もっと滑らかで、もっと静かなもの。
螺旋を描いて重なる、巨大な白蛇の胴。
幾重にも巻かれたそれは、洞窟の床に置かれた玉座のようだった。
——その中心に、彼女はいた。
小さな上半身をすっと起こし、目元を伏せている。
白い蛇体の上に腰を据えた姿は、まるで岩座に座す女神。
そう、我が娘にして神格の蛇。
【LC-09 ヤオ・パイシャ】。
白蛇の下半身を持つ、のじゃロリ賢者である。
「……とうとう、ワシの所にもやって来たか」
ヤオは目元を伏せたまま、あからさまに口元を歪めていた。
だが、私は知っている。
娘というものは、嬉しすぎると一周回ってうんざりした顔をするのである。
つまり歓迎の表情だ。
「他の娘から聞いておったが……なるほど。噂通りじゃな」
ふふ。
来た。
これは歓迎である。
明言はされていないが、歓迎に違いない。
年頃の女というものは、嬉しいときに『嬉しい』と言えないものだ。
特に年長者ぶった白蛇娘などは、その傾向が強い。
……たぶん。
私は一歩前へ出た。
白衣の裾を払い、胸を張る。
洞窟の反響を計算し、声がもっとも格好よく響く角度へ顎を上げて両腕を広げた。
「ふふふ、我が娘ヤオよ。キミで最後だ」
ヤオの眉が、ぴくりと動いた。
「これでようやく、全娘との“父としての再面接”が完遂する」
声が壁を打ち、奥へ広がる。
いい響きだ。
洞窟は、父の名乗りに向いている。
「すなわち……この物語も、いよいよ最終回が近いということだ!」
決まった。
完璧な宣言である。
父として、物語の区切りとして、そして再会の挨拶として、これ以上ない。
私はそう確信した。
その瞬間、ヤオが静かに言った。
「……おいお主、ちょっと待て。
背中のそれはなんじゃ?」
……む。
私の名乗りに対して、第一声がそこか。
いや、仕方あるまい。
真に美しいものは、名乗りすら中断させる。
ヤオの視線は、私の背へ向いていた。
そこには、白衣にしがみつく小さな存在がいる。
ふわふわの毛。
小さな螺旋角。
ぴこりと動く耳。
そして、世界のすべてをまだ『だいたい抱っこで解決する』と信じていそうな、無垢な瞳。
私は、くるりと体を半回転させた。
ネネが見えやすい角度に。
さらにもう半回転。
計一回転。
つまり、発表会である。
「ふふふ。愛らしく、そして美しいだろう?」
ネネは、白衣の襟に顔を押しつけたまま、
「ふひゅぅ」
と、意味のわからない音を出した。
完璧だ。
このタイミングでその鳴き声。
私は天才かもしれない。
いや、この子が天才なのかもしれない。
あるいは、父娘の絆がすでに舞台演出の域に達しているのかもしれない。
「この純白の毛並み。神秘の角。蹄による環境適応力。そして、この無垢な瞳に秘められた、深淵なる感情密度」
私は、ネネをそっと抱え直した。
小さな身体が、私の腕の中でむにゅっと沈む。
なんという軽さ。
なんという温もり。
なんという、守られるために生まれてきたような存在感。
私は声を張った。
「これぞ我が最新娘……!
LC-13、ネヴィーナ・オフチェルカ。愛称、ネネだ!」
洞窟に、しばし沈黙が満ちた。
ネネがまた、
「ふえっ」
と鼻を鳴らした。
——勝った。
何に勝ったのかはわからない。
だが、こういうとき人は勝利を感じるものだ。
「つまり、私はこの子を得て、
ついに“完全体パパ”となったのだ」
言い切った。
洞窟の空気が、ほんの少し重くなった。
いや、厳かになったのだろう。
父性とは、ときに空間の湿度すら変える。
ヤオは、しばらく黙っていた。
伏せていた目を、ゆっくりと開く。
白い蛇体の一部が、すう……と床を撫でるように動いた。
石の上を鱗が滑る音が、細く、冷たく響く。
「……美しいかどうかはさておき……。
また、増やしたのか?」
増やした。
実に簡潔な表現である。
しかし、その言い方ではまるで私が、戸棚の奥から予備の皿を出すような感覚で娘を増設しているかのようではないか。
誤解である。
重大な誤解である。
「違うのだ、ヤオ」
私は即座に首を振った。
「話せば長くなる」
「では短く話せ」
「いつのまにか出来ていた」
「短すぎるわ。
なんじゃその、『別れた彼女のお腹に、オレの子が!?』みたいな話は」
ヤオの尾が、すう、と半周した。
逃げ道を塞ぐ動きではない。
たぶん。
だが、地形的にはだいぶ塞がれている。
「つまりだな」
私は咳払いした。
「この子は、私が意図して設計・構築した存在ではない。
第三実験室の精創型プロトコル試験場にて、核を用いぬ魔導炉から自発的に出現した、いわば奇跡のような——」
「要するに」
ヤオが遮った。
「放置しておった実験設備が、勝手にお主の罪状を一件増やしたのじゃな?」
「言い方ァ!」
「では言い換えよう。
管理不備で、育児責任が一件追加された」
「さらに悪化した!」
私は思わず声を上げた。
なんという切れ味。
あまりにも端的。
端的すぎて、こちらの美談編集が追いつかない。
「違う。いや、事象だけ見れば近い。だが違うのだ。これはもっとこう……生命の神秘というか、父性の召喚というか、魂が私を選んだというか」
「"浮気相手の香水を嗅ぎつけられた夫"みたいな顔をするでない」
「していない!」
「しておる」
ネネが、私の腕の中で、
「ふきゅ」
と笑った。
やめなさい。
そのタイミングで笑うと、完全にヤオ側についたみたいになる。
ヤオは、ゆっくりと息を吐いた。
怒鳴りはしない。
責め立てもしない。
ただ、白い尾が洞窟の床を静かに這い、私の周囲に丸い境界線を作っていく。
それは拘束ではない。
話し合いのための、穏やかな円卓である。
その円卓が蛇で出来ているだけだ。
「……お主」
ヤオの目が、細くなる。
「相変わらず、己の所業を屁理屈に包むのが上手いのう」
「褒め言葉として受け取ろう」
「褒めておらぬ」
「では、伸びしろとして受け取ろう」
「受け取り方だけは無駄に前向きじゃな」
ヤオの尾が、さらに半周した。
白い鱗が、洞窟の淡い光を受けて、静かに艶めいている。
私は、その美しい円の中心に立っていた。
腕にはネネ。
正面にはヤオ。
退路は背後。
ただし背後は、白蛇によって上品に封鎖されている。
——なるほど。
これは、歓迎ではない。
いや、歓迎の一種ではある。
久方ぶりに訪ねてきた父を、娘が落ち着いて座らせ、まず事実確認から始めようとしているのだ。
なんと理性的な娘だろう。
なんと頼もしいことだろう。
私は、深くうなずいた。
「よかろう、我が娘よ」
「なにがじゃ」
「この"完全体パパ"のこれまでの歩み、聞かせてやろう」
「まずその名称を捨てよ」
「完全体を!?」
「そっちではない」
ヤオは、静かに目を閉じた。
口元には、ほんのわずかな歪み。
呆れと諦めと、ほんの少しの懐かしさが混じった顔だった。
そして、白い尾の先が、私の足元をとん、と叩く。
「お主、まずは座れ」
その声音は穏やかだった。
だが、拒否権の存在しない穏やかさだった。
「話は、それからじゃ」
——to be the next scene.




