Scene0:『これは、神に対する“育児報告”である』
娘に“パパ”と呼ばれたいだけの男が、
今日もまた、神に対して父を名乗っている。
なぜなら娘は、
人の姿をした、神格の残響そのもの。
そもそも“親子関係”が成立していないからだ。
それでも彼は、胸を張って言う。
「これが、穏やかな家庭環境だ」と。
私はかつて、罪を犯した。
そして、今はオシメを替えている。
この二つは、断絶していない。
むしろ、極めて論理的に接続している。
罪とは、責任から目を背けることである。
育児とは、責任から目を逸らせないことである。
——ならば、オシメ交換とは何か。
それは、目を逸らした過去の私に対し、鼻を逸らすことすら許されない現在の私が挑む、極めて実践的な贖罪行為である。
……つまり。
私は今、神学的に正しい姿勢で、うんちと向き合っている。
白衣の袖をまくり、滅菌処理済みの布を手に取る。
ぐずるネネの足をそっと持ち上げて、
——ふむ。
この重み。
この色。
この質感。
そして、この香り。
見事な健康うんちである。
“なぜ精霊であるネネがうんちをするのか”は、不明だ。
本来、精霊に排泄の必要などない。
アクウェリーナや金色姫は、うんちなんてしないのだ。
それは、一昔前の女性アイドル。もしくはVtuberのように。
——いや、Vtuberはうんちしているな。
配信中、不自然に黙り込み、虚無の目で一点を見つめる彼らを、私は何度も見てきた。
あれは回線不調ではない。
生命活動である。
だが、精霊には、性質に依る物質を生み出す能力を持つものもいる。
ネネもまた、“うんち具現化能力”を持っているのだろう。
これは意味のない模倣行動なのか。
それとも、霊質躯を拡張するために必要な、なんらかの生理行動なのか。
あるいは、父性を試すために世界が用意した、最小単位の地獄なのか。
「……よろしい。考えないことにしよう」
私は静かに結論を下した。
考えたところで、目の前のうんちは消えない。
哲学は尻を拭いてくれないのだ。
そこからのオシメ交換は、手慣れたものである。
動作は滑らか。
表情は無。
呼吸は浅く。
精神は遠く。
オシメ交換とは、尊い行為である。
命が命として、今日も健やかに機能した証を受け取り、それを清潔へと還す。
これは、父に許された最も小さな神事だ。
世界の循環を、両手のひらの上で確認する儀式だ。
——ただし。
たとえ尊き循環であろうと、臭いものは臭い。
それが育児だ。
これは儀式であり、試練であり、贖罪であり、ある種の悟りである。
高僧が滝に打たれるように。
騎士が竜に挑むように。
私は今、温かな布と共に、乳児の肛門周辺へと立ち向かっている。
私は、静かに新しい布をあてがいながら思う。
“父”とは、時に世界の秩序を守護する存在でなければならぬ。
たとえ、その戦場が肛門周辺であったとしてもだ。
ネネが、くすぐったそうに身をよじる。
小さな蹄が空を蹴り、ふわりと淡い花の幻が揺れた。
深紫の花弁が一枚、空気の中でほどけるように消える。
その仕草が、まだ開ききらない蕾のようで。
私は、不覚にも微笑んだ。
「……よし、完成だ」
ふわりとオシメを整え、最後に抱き上げる。
ネネは機嫌よく喉を鳴らしながら、白衣に顔をこすりつけてきた。
柔らかな頬が、胸元に押し当たる。
その重みは、まだあまりにも軽い。
だが、不思議なことに、私の両腕から逃げ場を奪うには十分だった。
——さて。
そろそろ私は、次なる娘の元に向かわねばならぬ。
私の娘は、十二人いる。
正確には、十二人と、ベイビーが一人。
この言い方をすると、なぜか私がとんでもない大家族の父親のように聞こえるが、実際とんでもない大家族の父親である。
何も間違っていない。
すでに、十一人とは交流を果たした。
第1話の飛鳥に始まり、第9話のマハー・ティ・シャクティに至るまで。
私は父として、泣かれ、殴られ、罵られ、燃やされ、蹴られ、引かれ、睨まれ、たまにほんの少しだけ許された。
おおむね順調である。
父娘交流とは、そういうものだ。
そして、ついに。
最後の娘の元へ向かう時が来た。
いまだ、再会を果たしていない娘。
正確には、創造してから、ここに至るまで一度もまともな交流を持たなかった娘。
——器のはずが、神を内包した“あの存在”。
蛇神の末端。
神格の片鱗。
そして、自我を持ってしまった“器”。
【LC-09 ヤオ・パイシャ】。
私はかつて、彼女を“素材”として扱った。
……生きていると気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。
言い訳はいくらでもできる。
当時の私は、観測された神性反応を安定保存するために、最適な霊質容器を構築しただけだった。
人格の発生は予測外だった。
自我の定着も想定外だった。
神格記憶との混線など、誰が予見できただろうか。
そう。
いくらでも言える。
だからこそ、言わない。
ネネが、胸元で小さく息をした。
その音で、私は目を開ける。
——そう、これは贖罪ではない。
私はネネを抱き直し、ラボの棚にあるおやつ用のビスケット缶を取り出した。
父が娘に会いに行くのだ。
手ぶらで行くわけにはいかない。
相手が白蛇であろうと。
神性を内包した器であろうと。
私に向ける感情が、好意でない可能性が高かろうと。
菓子はいる。
父娘関係において、菓子は外交である。
今の私は、父である。
かつての“科学者としての私”に、最も見せたくないこの姿で——
私は、ヤオの元へ向かう準備を始めた。
これは、神に対する“育児報告”である。
……すなわち——
”父とは、どこまで許される存在か”を測る、地獄の訪問である。
——to be first scene.




