名も無き少女の眼鏡ちゃん―女生徒
名も無き少女の独白。朝起きてから一日の心理を描写する、太宰治の『女生徒』は、朝早く目が覚めてぼんやりしちゃってる時に読みたい。そんな作品。
秋になって、朝方、ひんやりと寒くて眠っていられない。季節外れのタオルケットに潜り、
「もう一度眠れ!」
と祈っている。ああもう、だめ。起きてしまえば⋯
そうやってこっそり起きて、眼鏡を掛ける。コンロにやかんをおいて湯を沸かす。
(ああ、起きちゃった。もっと寝ていたかった⋯)
寒さに染みる白湯を。そしていじわるな朝にはこれがいい。そうやって本棚の前に立って、『女生徒』を手に取る。
白湯で眼鏡が曇りながら、目に飛び込んで来た一文。
「眼鏡は、お化け」
眼鏡を掛けた自分が嫌で堪らない、主人公の「私」の、自分の容姿への嫌悪感は、多感な思春期の女の子らしい。
けど。
けれど、私もお年頃の年齢よ。
私は、眼鏡お化けはそれなりに好き。一枚ガラス越しに隔てて世間様と対峙して、ちょうどいいの。
向かい合って、さあファイティン!
なんて、そうはいかないでしょう?
恥ずかしがりやなお年頃。
ヴェールを一枚、ほしいの。
でも、眼鏡お化けは、よく見える。
眼鏡をかけないで見ると、「かすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい」
そうね。
見えないと、お人好しの世界なのよね。印象派の絵みたい。滲んだ色が、優しさと、憂鬱にも思えて、外国の風景を観ているみたいな真新しさがある。
じゃあ、見えない眼鏡が欲しいお年頃ということかな。
名も無き少女の、眼鏡ちゃん。眼鏡をかけないでいると、きっとロマンチックで可愛らしい。情緒が、眼鏡を外した瞬間、解き放たれて、弱さが溢れ出す。そういう少女の、心に触れた時、申し訳ないような。あどけない表情で見つめられて、ごめんとつい口から突いて出そうになる。眼鏡を掛けていて。お化けを纏って。そんなアドバイスは、大人の私だからしてしまうんでしょうか。
夜が明けて、いじわるな朝が終わりそうになる。白湯はとっくに覚めて、なんだか期待外れなマグカップに成り下がったような。そんな朝。




