潰れた蒸しパン風情で、失礼致します。
シーチキンのオイルをシンクにぽたぽた捨てるように、まるで私の詩も然り、捨てられ海に流れ着くんだろう。千年も生き長らえたうたたちとは、その図太さと言おうか、しつこさに満ちて、薄荷飴のような爽快感で私にパンチしてくる。
私の詩は、雑草のような青臭さもなければ、化学調味料のような、塩辛さもない。失敗して膨らみきれなかった蒸しパンみたいなむっちりした味わいで、食べきれず、つい横に押しやりたくなるような申し訳なさがある。
せっかくの手作りですから、と言い訳されたから、一応食べますけど? とそこまで遠慮してもらってなにが嬉しい。せいぜい、千年前の随筆を読みながら、低周波治療器を当てがって、亡き先人の言葉を咀嚼しては、これで学習させて頂きました、とばかり性懲りもなく、潰れた蒸しパンを更に量産させる。
そうだな、この蒸しパン、値段をつけるなら、一個八十円というところか、と自嘲するというより、あり得そうな値段に、いや、今回ばかりは完売できそうだと、希望を持ってみるのである。
私は、発酵食品に目がなくて、麹菌を飼っている。この麹菌は、最近、檸檬とドッキングさせられて、新しい生を受けたのだが、これが非常に私の二日酔いによろしい。甚だ、文学的興奮が抑えきれずに、近所の商店街の本屋に、檸檬麹爆弾を据え付けたくなる。本屋のおじちゃん、どう思うだろう。捨てられてしまうんだろうか。心配だから、設置して一分後には取りに伺いたいところだが。
大事な麹菌ですから、スーパーで買ってきたブラジル産の鶏モモ肉に漬けさせて頂くわけだが、恭しく撫でつけられた檸檬麹の香りは爽やかで、これで私も齢千年のうたに匹敵する詩作が敵いそうだ、と麹菌から鉛筆に持ち替える。
切符を切ってもらった
その角をしきりに指でなぞる
私は亡き友のいのちをなぞる
言葉を
なぞる
私は書き写す。うたを。百年前の作家の卵たちがそうしていたように。私には型がある。私はいつだってなぞる。オマージュし、リスペクトさせて頂く。潰れた蒸しパン風情で、失礼致します。




