籠庭にいるのはふたりだけ
体を重ねた日から数日。
わたしはシュロ様と婚儀を挙げることになった。
どうやらシュロ様は、わたしの心が決まれば婚礼の儀式をやろうと着物を用意してくれていたみたい。白無垢を着るのは二度目だけれど、今回のものはなんだか別物に見えた。
生地の質とか、そういうのじゃないの。でもなんと言ったらいいのかしら……前よりとても、綺麗に見えた。
お城の方々に綺麗に着飾ってもらって、少しはマシに見えるようになったけど、やっぱり痩せている。細くなってしまった体は貧相に見えた。
でもシュロ様はそんなわたしでも、とても綺麗と褒めてくれた。
体を重ねた日のことを思い出し、わたしは頬を赤らめる。
あんなふうになったのは初めてだったから……思い出すだけで、恥ずかしくなってしまうのだ。
綿帽子をかぶっているからバレないと思ったのだけれど、シュロ様はそんなわたしに気づいて悪戯っぽい笑みを向けてくる。
「どうかしましたか、桔梗?」
「……なんでもありません」
「本当に?」
「……お願いいたします。察してください」
蚊の鳴くような声でそう言うと、シュロ様は嬉しそうに笑う。そして、そっと口づけをしてきた。
固まったまま目を丸くしていると、私の唇から紅が移ってしまったシュロ様の顔が見える。
それが妙に艶めいていて。余計にあの日の夜のことを思い出してしまった。
何をどうやっても思い出してしまうなんて……!
わたしがさらに顔を赤くしているのを見て、シュロ様はそっと手を取ってくる。
「必ず幸せにします、桔梗。……行きましょうか」
シュロ様の手はやっぱり冷たくて心地良い。
そんな温度を感じながら、わたしはコクリと頷いた。
「はい。……わたしも、シュロ様を幸せにしてみせますね」
あなた様がわたし以外の人に、目を向けることがないように。
そんな邪な気持ちを、胸にしまい込んで。
わたしはシュロ様と一緒に、婚礼の儀をしたのだ。
この世界での婚礼の儀は、人間のものほど堅苦しいものではなかった。
はじめにやる、お互いの盃に入ったお酒を飲ませ合う、という儀式は格式張っていたけれど、それが終わると皆外に出て騒ぎ始めた。
思わず唖然としていたけれど、シュロ様はそれを見て「彼らなりのお祝いなんですよ」と言ってくる。
言われるがままに外に出ると、空に虹がかかっていた。
「わあ……っ」
「おやおや。虹とはまた、粋な計らいですね」
「とても美しいです! 虹とは、このように美しいものなのですね!」
虹なんて初めて見た。それに、遊郭という鳥籠の中でそれを見たとしても、眩しすぎて障子を閉じていたと思う。
だって、外に出たい気持ちが強くなってしまうから。
余計に苦しくなってしまうから。
でもここは、そんな息苦しさとは無縁で。
籠は籠でも、いろんな自由がある素敵な籠だった。
……ああ。心境一つで、ここまで変わるものなのね。
虹がかかる空に手を伸ばし、わたしはそう思った。
それからも宴は続き、お城の中にはたくさんのあやかしであふれていく。誰もかれもが花や贈り物を置いていってくれて、気づけば小さな山ができていた。
その量には少し困ったけれど、嬉しさのほうが大きくて。「御前様」という敬称で呼ばれると、余計に嬉しさが増す。
だってそれって、シュロ様の奥方様だって認めてくれているってことでしょう?
皆が祝福してくれる。それがとても幸せだった。
――そんな楽しい時間も終わり、夜になる。
湯浴みを終えたわたしは、シュロ様と同じ寝床につくことになった。
部屋には褥が一式だけ置かれていて、ああ、本当に夫婦になったのだなと強く実感する。その上に、シュロ様はあぐらをかいて待っていた。
ドキドキしながらとなりにちょこんと正座すると、シュロ様が笑う。
「ふふふ。そんなに緊張しなくても……っ」
「で、ですが、その……定義上は、初夜ですし……」
「そういえばそうですね」
シュロ様はふむと頷くと、わたしのほうに手を伸ばしてくる。抱き締められて、心臓が跳ねた。
シュロ様はえいっと、いう可愛いかけ声とともに、褥の上に寝転がった。
いきなりだったのでびっくりしたけれど、でもシュロ様は楽しそう。子どもみたいな顔をしたシュロ様を見ていると、なんだかわたしも嬉しくなった。
それに、シュロ様の新しい顔が見れたし。
もっともっと、いろんな顔が見たい。
そう思う。だからわたしはぐっと体を持ち上げ、シュロ様に接吻をした。
冷えた温度が唇を伝ってくる。
突然口づけをされたシュロ様は、わたしの予想通りとても驚いていた。
でもシュロ様は直ぐに表情を緩ませると、わたしの頭を抱えてさらに深く口づけをしてくる。
「ん、んんっ!?」
「ふふふ……この場でそんなことしたら、あおっているととられても仕方ないですよ? 桔梗……?」
いつもより数段色っぽい顔をしたシュロ様が、わたしのことを見下ろしてくる。
びくりと肩が震えたけど、怖いとかそういうわけじゃなかった。むしろ、どこかで期待していた自分がいて驚いてしまう。
同時に、これが本当にわたしなんだと気づき嬉しくなった。
これが、わたし。
高嶺の花でも、お人形でもない。本当のわたしがきっと、これなんだわ。
ふわふわと曖昧だった自分という存在がようやく、形になった気がした。
そう感じたわたしは、シュロ様の首筋に腕を絡める。
「シュロ様……大好きです。だから、シュロ様になら……そういうふうにとられても、良い」
「桔梗……あなたの口から好きという言葉が聞けて、すごく嬉しいです」
わたしも好きです、大好きです。愛していますよ。
そう言い、シュロ様はわたしの着物に手を伸ばす。
二度目のそれは、前よりずっとずっと甘くて。
溶けてしまいたいくらい、幸せだった。
***
自身の着物を整え、桔梗に褥をかけ直したシュロは、襖を開き縁側に腰掛けた。
ああ、今日は良い日だ。良い日な上に、満月まで上っている。
まあるい月を眺めながら、シュロは笑みを浮かべる。
そんな月を眺めていると、ふと過去の記憶が蘇ってきた。
「……まさか桔梗が、少し離れている間にそんなことを考えてくれているなんて、予想外でしたが……掃除をし終えた報酬と考えたら、むしろもらい過ぎなくらいですねえ」
そうつぶやき、シュロはくすくすと笑う。
ひと月の間、シュロが桔梗のもとを離れたのには、それ相応の理由があった。
それは――報復である。
報復をするためだけに、シュロは桔梗がいた国に降り立っていた。
シュロは神である。国の守り神である。桔梗がいた国を見守り、人々の生活を監視するのが役割だった。
彼がなぜそんなことをしていたのかというと、以前この国のために身を投げた妻の遺言があったからだ。
『この国を、守ってね?』
水の巫女と呼ばれたシュロの妻は、干からびた土地に雨を降らすためにその身を投げた。
当時のシュロはまだ神ではなく、湖を守る神霊程度の存在で、彼女を止める力も雨を降らせるだけの力もなかった。
しかしあのときの言葉があったからこそ、彼は千年もの間この国を守るために尽くしてきたわけだ。結果、神にまで成り上がってしまったというのだから、笑える話である。
「長いようで短いような。そんな千年でしたね……」
お陰様で、今じゃ一城の主だ。眷族も増え、やることは極端に少なくなった。
でも、とシュロは思う。
妻が……妻がいないと、意味がない。
この国が今こうして繁栄しているのは、あの日の雨があったからだ。しかしこの国の者たちはそれを忘れていく。それは悲しかったが、この国に執着があるであろう妻の魂はきっと、また流れてくるはず。
その一心で、シュロは仕事を続けた。
そしてようやく、ようやく見つけたと思ったのに。
「まさか……遊女にされて、虐げられているなんて。思いませんよね」
そうつぶやくと、変な笑いがこみ上げてきた。ふつふつと怒りが湧き上がり、唇が歪む。
明るく美しい妻は、遊女という生業のせいで抜け殻のようになっていた。それがひたすらに痛ましくて、苦しくて。シュロは、人間界に降り立ってしまう。
今のシュロは神だ。神が人間界に降りると、なんらかの影響を及ぼしてしまう。そのため、神が降りることはあまり良いことだとされてはいなかった。あまり干渉できなかったのも、そのせいだ。
しかしそれを破るくらい、シュロは焦っていたのである。
妻と過ごした久方ぶりの時間は、とても楽しかった。昔からよく聞いていた琴の音も、そして見た目も。何も変わらなかったのだ。だからこそ余計に腹立たしかった。
なぜ。なぜ彼女が。
自身の世界に戻ったシュロは、国主に対してある要求を下す。
『桔梗という遊女を、我がもとに』
でなければ加護を与えないと言ったのだが、シュロは分かっていなかったのだ。人間というものの浅ましさを。
シュロが求めた女が気になったらしい国主は、シュロの要求をつっぱね彼女を自身の妻にしようとしたのである。
こちらが干渉できないことを分かっている。その醜さに、吐き気がした。こんな者を守っていたのかと思うと、憎くて憎くてたまらなくなる。しかも小賢しいことに、何人もの術者を使い神であるシュロを跳ね除けようとしたのだ。
だからシュロは。
誓約違反ということで――国を守るという役目を放棄したのだ。
「……ん、シュロ、さま……?」
「……桔梗、どうしました?」
そこで、シュロの意識は現実へと戻ってきた。
振り返れば、桔梗が目をこすりながらこちらをぼんやりと見つめている。どうやら、目が覚めてしまったようだ。
先ほどまでの剣呑な雰囲気を振り払ったシュロは、滴り落ちそうなほど甘い笑みを浮かべて桔梗に近づく。
シュロを見つけた桔梗は、ぽろぽろと涙をこぼしながらシュロに抱き着いてきた。
「いかないで……どこにもいかないで……」
「……バカですね、桔梗は。どこにも行きませんよ」
「……ほんとう? ほんとうに、ほんとう……?」
「はい、もちろん」
桔梗のほうこそ、もうどこにもいかないでくださいね。
そんな言葉が喉元まで出かかったが、すんでのところで止めた。意味のないことだからだ。
今必要なのは、桔梗の不安をできる限り取り除いてやることである。
そう。だって桔梗は、どこにもいけない。龍玉を飲んだ彼女の寿命はシュロと同じになったし、それに……桔梗にはもう、行く場所がないのだ。
だってあの国は――シュロが沈めてしまったのだから。
腕の中で泣き続ける桔梗の瞼に口づけを落としながら、シュロは唇を歪めた。
「大丈夫、大丈夫ですよ……だから泣かないで、桔梗」
――ああ、綺麗な桔梗。あなたは何も知らないでいて?
わたしの醜い部分も、わたしがしてきたおこないも。知らないままでいて?
そのためならわたしは、なんだってするのだから。
桔梗を閉じ込めるための強固な花籠を作りながら、シュロは甘い甘い笑みを浮かべた。
「あなたのことは、わたしが必ず幸せにしますよ――」
――そうして、籠庭にいるのはふたりだけになった。
最後のほうは話を分けるかどうか悩んだのですが、シュロ視点を一気に読んで欲しいなと思いましたので一緒にしてしまうことにしました。
ネタバレになるため、隠していた「前世」「ザマァ」のタグを付けさせていただきます。
最後までお読みいただいた方々。どうもありがとうございました!