第一幕
転生魔導士は勇者物語の始めにしか出てこない。
千年続く勇者転生の儀式。儀式が終われば誰にも顧みられない。王宮の役人には「お前らは戦闘に参加できない落ちこぼれだ」と侮蔑される。
──だが、ある日の帰り道、俺は気づいた。
千年、誰一人として、この術式の本当の使い方を考えなかった。
王家が千年依存してきた装置を、俺が、俺自身のために、一度だけ使う。
儀式の朝は、いつも空気が薄い。
魔力を大気から吸い上げ、術式へと注ぎ込むためだ。塔の最上階、儀式の間に集まった魔導士は十二人。俺を含めて十二人。
転生魔法は、本来、術者一人でも発動できる。だが、一人で発動すれば、術式の負荷が全て術者にかかる。魔力不足で、術者は確実に死ぬ。だから十二人で分散する。これが千年の慣習だった。
「諸君、配置に着け」
ギルド長のガレオスが、しわがれた声で告げる。年は七十を超えている。若い頃に大魔導士と呼ばれたこともあったらしいが、怪我で戦場からは離れたらしい。俺の知るガレオスは、王宮の役人に頭を下げるのが上手な老人でしかなかった。
魔導士たちが魔法陣の周囲に並ぶ。配置には序列がある。第一位から第十二位の順となっており、順に魔力負荷がかかる。第一位はガレオス。通常、負荷の半分以上はここに集中する仕様だが、ガレオスの老体はもう負荷に耐えられない。第二位──つまり俺が、負荷の大半を引き受けるよう、自分で魔力を多めに乗せる。それで、ガレオスの負荷は軽減される。第三位以下は、それぞれの位の分担に従って負荷を引き受ける。
魔法陣の中央には、白い長衣を着た侍女が一人立っていた。腹が、わずかに膨らんでいる。
王家所属の侍女だ。三ヶ月前から塔に住み込みでいる。腹の子の父親は、王家の一人だと聞いた。詳しくは聞かされないが、大半は現国王であると噂されている。
第十二位に、二十代前半の若手がいた。先月入ったばかりだ。顔色が悪い。
「第七節、噛むなよ」
俺は若手の肩に手を置いた。
「噛んだら術が暴発する。その反動は術式の中心の俺に全部来る。お前じゃなくて、俺にだ」
「は……はい」
「噛んだら殴る」
俺は、自分の位置に着いた。隣の第四位が、視線だけで俺を見て、あまり若者をいじめてやるなというように眉を上げた。
「では──」
ガレオスが手を挙げる。俺たちは詠唱を始めた。
詠唱の言葉は古代語だ。長く、複雑。だから、儀式の間の各位置には、台に乗せた魔導書が開かれている。魔導士はそれを読み上げる。意味を理解している魔導士は、俺と、もう一人か二人くらいしかいない。他の連中は、ただ音として目で追っている。それでも術式は発動する。魔力の流れさえ正しければ、意味の理解は必須ではない。
──最も近き胎に、誇り高き勇者の魂を宿らせよ。
その一節を唱えるとき、俺はいつも軽い吐き気を覚えた。最も近き胎、というのは、文字通りの意味だ。儀式の間から最も近い場所にいる、妊娠中の女性。彼女の腹の中の胎児に、俺たちが指定した魂が入り込む。
だから、儀式の間の中央に侍女を立たせる。こうすれば、王宮内の王妃や王女の胎には、絶対に魂が宿らない。王家は、王妃や王女の子に異物を混ぜたくない。だから、わざわざ塔に侍女を呼んで、ここで儀式を行う。千年、そうしてきた。
今日の指定も、いつも通り「異世界より、勇者の資質を持つ魂」だ。指定の魂は、選定の魔道具によって異世界の魂の中から勇者の資質を持つ者を選び、真名を読み取る魔道具によって、その真名を確定する。詠唱の最後、術者はその真名を心の中で唱える。それが術式の指定になる。魔導書の注釈の項にも、その手順は記されている。「指定の魂は、その真名をもって特定する」「真名は、術者の心中で唱えられた瞬間、術式に取り込まれる」──俺は何度も読んだ。
一番難しい第七節に差し掛かる。第十二位を視界の端で見た。若手は唇を震わせながら、しかし正確に詠唱を継いだ。
第十二節、最終節。魔力が一気に集束する。俺の身体の中を、火の通った棒が通り抜けていく感覚。視界の端が黒くにじむ。この感覚は未だに慣れない。
詠唱が終わる。魔法陣が深く光り、ゆっくりと収束していった。
「──成った」
ガレオスが宣言した。
侍女が、ゆっくりと目を開ける。何かが変わった感覚は、おそらく、ない。腹の子の魂が入れ替わったことを、彼女は知らない。本人にも、まだ、何の自覚もない。
その瞬間、儀式の間の扉が開く。
扉が開き、王が入ってきた。続いて王妃、王女と、その夫君である王配。王配は隣国の第三王子だった男だ。さらに三人の上級貴族が後ろに続く。
「おお、勇者転生の儀式は無事終わったか」
王は侍女のほうに歩み寄り、彼女の腹に向かって、深く頭を垂れた。王妃も、貴族たちも、同じように頭を下げた。
この国は常に魔族の侵攻を受け、対抗手段として勇者の転生の儀が行われるようになった。
勇者は、転生する際に、スキルが付与される。各々の能力にあった訓練を積み、十六の歳になると能力を活かした部隊に配属され、魔王軍との戦いに参加する。
勇者は王家に近い場所で生を受け、王家の血筋として戦場に出る。だが、王家の直系ではない。王家所属の侍女の子だ。戦果をあげれば領土が与えられ、領主として民を束ねる立場となるが、基本は使い捨ての駒でしかない。
そうして、力のある勇者を身内に固め、王家は力のある貴族としての地位を確立し、表舞台に立ち続けていた。
その為、毎年のように転生の儀を執り行い、王家所属の侍女の子に転生者の魂を宿らせていた。
ただし、王位そのものは別の系統で継がれる。王位は、第一王女の最初の子が継承する。それがこの国の慣習だった。男系で繋ぐと婚姻外交で王位が隣国に流れる。だから女系で繋ぐ。王女は嫁がず、隣国から王配を迎える。
王家直系の血筋には、勇者の魂は宿らせない。それが王家の鉄則だ。勇者の魂は異世界からの異物であり、純血を正とする王家とは混じることを許されない。だから、塔で儀式を行い、塔に呼ばれた侍女の胎にだけ魂を宿らせる。
千年、この区別は守られてきた。
今、王女の腹の中にも、子がいる。半年前から、街中に噂が広まっていた。
俺は壁際に下がっていた。膝が震えていた。第三位以下の魔導士たちも、思い思いの場所で身体を支えていた。第十二位の若手は、儀式の間の隅で吐いていた。
俺は壁にもたれかかり、こみ上げる吐き気をこらえた。三十二歳の身体に、十二節の詠唱はきつい。だが、ここで吐くわけにはいかない。第二位が儀式の場で吐いたら、ギルドの恥になる。
俺たちが儀式を行わなければ、勇者は生まれない。俺たちが正しい節で正しい音を発しなければ、侍女の腹には誰の魂も宿らない。それを、王も、貴族も、知らない。彼らは結果だけを見て、儀式の前半で俺たちが何をしていたのかすら、見ていない。今、彼らの目に映っているのは、侍女の腹だけだ。
俺は壁にもたれたまま、目を閉じた。
王と貴族が儀式の間を出ていった。侍女は、王宮の侍従に連れられて、退室した。
「ご苦労であった、諸君」
ガレオスがそう告げた。「下がってよろしい」
魔導士たちが、無言で頭を下げて出ていく。俺は最後まで残った。第二位の務めとして、術式の解除を確認しなければならない。第十二位の若手は、第四位に肩を貸されて出ていった。第四位は何も言わなかった。俺も何も言わなかった。
ガレオスが俺の肩を叩いた。
「うむ、今日も完璧であった。さすがだな」
「……いえ」
「次の報酬の交渉、私が出向いてくる。お前は休んでおれ」
「お願いします」
ガレオスは出ていった。俺は床にしゃがみ込み、魔法陣の輝きが消えるのを待った。儀式の間には、俺一人が残された。
「……お疲れさん」
俺は誰にともなく呟いた。
「今日も、誰の名前も、誰の顔も、記録には残らない仕事だ」
魔法陣の光が、ゆっくりと消えていく。
三日後、第十二位の若手が死んだ。
魔力欠乏症だった。儀式の負荷を引きずったまま、自宅の寝台で眠るように死んだという。発見したのは大家の婆さんだった。家賃が遅れているので催促に行ったら、寝台に冷たくなっていたらしい。
第十二位は、本来、最も負荷の軽い位だ。第一位から順に負荷が大きく、末端の第十二位は補助の補助でしかない。先月入ったばかりの若手を第十二位に置いたのは、その軽さを見越してのことだ。
それでも死んだ。
術式に、何かある。
俺は、夜、儀式の間に上がった。各位置の台には、魔導書が開いたまま置かれている。儀式が終われば、書記係が回収して書庫に戻すのが慣例だが、今日は誰も触っていなかった。
俺は、第一位の台に近づいた。ガレオスがいつも立つ位置だ。
魔導書を、最初から読み返した。意味を理解せずに音だけで読み上げる魔導士には、絶対に気づかれない。意味を理解している者でも、詠唱中は魔力注入に集中している。読みながら細部を吟味する余裕などない。
俺だけが、儀式が終わった後の静かな儀式の間で、ゆっくり読み返せる。
見つけた。
術式が、いじられている。
第一位の負荷の一部を、末端──第十二位の位置に流すように、節の繋ぎが変えられていた。書き換えられた箇所は、古代語の助詞一つだけだった。
第二位以下、他の位置の魔導書も確認した。同じ場所が、同じように書き換えられている。古い文字の上に、丁寧に、同じ古代語の筆致で、書き直されていた。
ガレオスだ。
俺は、その節の助詞を、しばらく見つめていた。
ガレオスは、自分の老体に第一位の負荷が耐えられないと知っていた。だから、俺に補助役として多めに魔力を乗せさせるだけでは足りず、密かに第十二位の負荷を増やしていた。第十二位は、毎月、補充される。死んでも、補充できる。第一位は、補充できない。
ガレオスが、第十二位の若手を殺した。
俺は、儀式の間を出て、自分の部屋に戻った。ガレオスを問い詰めるか、考えた。だが、何を言えば良いのか、分からなかった。「お前が殺した」と言ったところで、ガレオスはしらばっくれるだろう。そして翌月から、また同じことを繰り返す。
俺は、ガレオスを問い詰めなかった。
ギルドの記録には「業務中の事故」と一行だけ書かれた。
葬式は出なかった。金がなかったからだ。
ギルドの慰労金は、年間予算の中から「適宜」支出されることになっている。「適宜」というのは、要するに、ギルド長であるガレオスが懐を握っているということだ。
転生魔導士は、戦場に出られない無属性の魔導士が中心だ。他に行く当てがない。それを良いことに、最低限の慰労金しか渡されない。しかも、無属性の魔導士は落ちこぼれの烙印を押され、家からも破門にされることが多い。ほとんどが身寄りのない人間だ。
俺は若手の遺体を、塔の裏手にある共同墓地まで運んだ。第四位と二人で運んだ。土を掘ったのも俺たち二人だった。墓標は近所の木工屋に頼んで板切れを一枚もらい、そこに名前を彫った。彫ったのは第四位だ。俺は彫る気力がなかった。
「家族には」
土を被せながら、第四位が言った。
「どうせ家族も気にしないさ。まあ、ギルドが知らせるだろう」
「知らせなかったら」
「それもガレオスの判断だ」
「全く、救われない仕事だよ」
「俺たちはこれしかできないからな」
第四位は、それ以上何も言わなかった。
俺たちは黙々と土を被せた。日が暮れた頃、ようやく墓は完成した。墓標には、若手の名前と、死亡日付だけが彫られていた。
第四位が、墓標の前に小さな花束を置いた。彼女がどこで摘んできたのか、俺は見ていなかった。
「第七節、最後まで噛まなかった」
俺は墓標を見ながら言った。
「うん」
「いい魔導士だった」
第四位は、しばらく黙っていた。
それから、低い声で、一言だけ言った。
「いくらなんでも、死ぬには若すぎた」
俺は、何も答えなかった。第四位は、それ以上、何も言わなかった。
俺たちは、夕暮れの墓地から塔へ戻った。途中、誰ともすれ違わなかった。




