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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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その羽は、漆黒-⑤


「……何かご用でしょうか」


 数拍見つめあったあと、繊月はたずねた。

 珠佳は道を譲るでもなく、かと言っていきなり食ってかかるでもなく、ただ値踏みするような目を向けてくる。


 あやしくし。というか、もう怪しい。


 ひとまず預かった撥だけは守らねばと包袱(ふろしき)ごときつく胸に抱き締め、ここはやはり先手必勝か、いやしかし相手が悪い気がすると、しばしひそかに葛藤する。

 すると、珠佳がとうとつに口を開いた。


「……今日は商売をしにいらしたの? どちらの、どなたに、何のご用?」

「お客さまのことはお話しできません」


 顔をあげ、繊月はきっぱりと答えた。

 商売人としては基本中の基本だ。人命にかかわるとか、捜査のためでもなければ秘密は守る。


(そもそも、女官なら後からいくらでも調べられるでしょうに)

 

 ますますよく分からない。

 さらに警戒していると、珠佳がのっそりと動き出した。

 近づいてくる。

 白粉(おしろい)の濃いその顔に表情はなく、深夜には絶対に遭遇したくないものだなと繊月は思う。日の下で見ても怖いのだ、夜闇の中ではそれこそ幽鬼か怪異かと錯覚しかねない。

 

 その白い(おもて)が、ふいに笑った。


「肝が坐っているのね。さすが女官長を休養に追いこんだだけあるわ」

「休養を勧めたのは士雲さまです。わたしじゃありません」


 即座に反論すると、珠佳はぴたりと立ち止まる。


「……本当に図太いわね」

「おたがいさまでは?」

「何を根拠にそんなことを言うのかしら」

「先日書庫でお会いしたとき思ったんです。油断ならない人かもって。珠佳さま、あのときあえてこちらが引き下がるよう仕向けましたよね。わざわざ、銀丈さまが来たところで前に出て」


 半分は後になって気がついたことだ。

 この人は銀丈が面倒ごとを避ける性格だと分かって、最適な時に最適な言葉を投げかけたのだ、と。

 同じ台詞を岳晋ひとりに放ったところで効果はうすかったはずだ。彼なら「ならば自分がすべて確認する」と言い出しかねない。

 つまり、みな彼女に踊らされたわけである。偶然居合わせた繊月もふくめて。

 

「……やっぱりあなたがいいわね」


 袖の下でなにやら忍び笑いを漏らした彼女は、「ねえ」と大きく一歩、前に踏み出してきた。

 同時にぐいと腹部に押しつけられるものがあって、繊月はとっさに身を引く。が、左の二の腕をつかまれそれ以上逃げられず、軽くのけぞるようにしながら珠佳の官服に焚きしめられた香のにおいを浴びた。


「これを貸してさしあげるわ。家に帰ってからゆっくりご覧なさい」


 声低く告げられるのと同時に、ぐっとみぞおちにかかる圧が増す。そろりと視線を下ろして確認したその正体は、黒い札――いや、黒い表紙の、手のひら大の細長い冊子だ。


「……なんですか、これ」


 問うと、ぱっと二の腕を解放され、見てみなさいとばかりに顎を振られた。

 警戒しつつ細く表紙を開くと、期せずそれに釘付けになる。


 楽器の台帳だ。

 一枚につきひとりの宮妓の名が書かれ、所有していると思われる楽器が連ねられている。それでいて、管、絃、鼓……と、楽器の種類ごとに並べられているのもすぐに分かった。まさしく、初めて黒曜殿を訪れたあの日に閲覧したかったものである。


 繊月は、目元に力をこめた。


「台帳はなかったんじゃないんですか」

「あの日嘘を言ったのかという意味なら『いいえ』と答えるわ。これは公文書ではないの。わたしが作った私製の台帳」


 くすりと笑われ、頬が引きつりそうになる。本気で図太いではないか。


「意味が分かりません。なぜ今これを、わたしに?」

「いつまでも夜雀騒動が終わらないのよ。崔小雨は何もかも自白しているのに、裏付けができないとかで士雲さまがいっさいその発言を受け入れない。とても困っているの。この先三月(みつき)はほかに注力すべきことがある。足踏みしている場合ではないの」

「三か月……」


 おそらく岳晋の言っていた、皇后の生誕の宴のことだろう。その重要度は確かに、悪戯騒ぎの比ではない。

 集中したいということだろうか。だからこれを、繊月に?


「あなたがそれを見れば何か分かるのでしょう? 早く見つけて差し上げて。ただし、これをわたしが渡したことは決して口にしないで」

「は? 滅茶苦茶言いますね。仮に何か手がかりが見つかったとして、士雲さまにどう説明しろって言うんですか」

「自分で考えなさいな。あなた賢いのでしょう、鴨子ちゃん?」


 はじめて楽しそうな笑みを浮かべ、珠佳は「ではね」と袖を巡らせ背を向けた。


「ちょっと、待って、待ってください。分かりました! 見るのは見ます! すみずみまで見ますよ! でも、これは珠佳さまから士雲さまに直接渡すべきものです! 手がかりが見つかったらお手柄じゃないですか!」


 訴えると、珠佳は肩越しに横顔を見せた。ついさっき浮かべていたはずの明るい笑みは消えている。


「手柄なんかいらないわ。わたし、一日も早く雅芸宮から出たいもの」

「――え?」

「そうそう。それは服の下に詰めていなさい。そうすれば検査をすり抜けられる」


 去り際、珠佳はそう助言を残した。

 そのまま歩きだしたら、もう振り返りもしない。完全なる他人の顔で、雅芸宮の音の渦の中に消えていく。


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