第175話 ペサ
ライチは胸に焦燥感を覚え、フガークスに声をかけた。
「フガークスさん。あの人、知り合いの子を探しているのかもしれません。今……ちょっとだけ、声をかけてきてもいいですか? 飛車なら、何か手伝えるかもしれないし……あの、追加料金もお支払いしま――」
「まぁ、話を聞いてみよう」
フガークスは即座にそう返すと、肥溜め池オアシスの裏手へと飛車を下ろした。
「ありがとうございます!聞いてきます!」
操縦席から飛び降りると、ライチは一人、女性のもとへ走った。
「――こんにちは!……どうかされましたか?」
ライチに気づくと、女性の顔に浮かんでいた焦りが、一転して安堵に変わった。
「ライチ!ああ、会えてよかった……。ペサが、昼前に『ライチと会ってくる』って出ていったきり、戻ってこないから。ちょっと心配になっちゃってさ」
「大げさだったね」と、続けながら、女性は困ったように笑い、髪を撫でた。
「…………ぇ?」
ライチの思考が止まる。
(ペサちゃんが、俺に会いに? 俺が呼んだ? どういうことだ?)
「遊んでくれてありがとうね。
――で、ペサは、どこにいるんだい?」
不安をその目にたたえつつ、建前上はにこやかに尋ねられた。
女性の問いかけに、ライチは反射的に答えた。
「あの……俺……ペサちゃんと約束、してません……。今日はずっと別のことをしていて……」
(誰だ? 誰かが俺の名前を出して、ペサちゃんを呼んだ?)
口が勝手に話す内容が、耳から脳へと届く。
ライチの血の気が、どんどんと引いていく。
日本でも、六歳くらいの子どもが何時間も行方不明になれば、そこそこの騒ぎになる。
まして、ここはカステリナの郊外村だ。
そのさらに外側は、ゴロツキが集まる、無法地帯。
「ああ……あ、そんな……。嘘だと言っておくれよ」
女性の顔色が一気に赤味を失う。
「ごめんなさい。昼から一緒にいた人も、今近くにいて……。って、俺の話はどうでもいいから、ペサちゃんを探しましょう!俺も一緒に探します。
よく行く場所とか、心当たりはありませんか?」
(落ち着け)
もし万が一ペサに何か危険が迫っているのなら、慌てている時間がもったいない。
「行く場所なんて……。ここに、ちょくちょくライチを探しに行ってるから、来てみたんだ。肥溜めなんて、ゴロツキだって近寄らないだろ? だから、いつも軽い注意しかしてなくて……。ああ、ライチ、どうしよう、ペサが、ああ、ペサ……」
女性の目が、恐怖で虚ろになっていく。
(肥溜め池を覗き込んで……とかは……)
「やめとくれよッ!」
女性が反射的に否定する。
「えっ、あっ、ごめんなさい」
気が動転した結果、ライチの脳内で可能性の一つとして考えていたことが、そのまま口からこぼれてしまったようだ。
あくまで最悪の可能性のうちの一つでしかないのだが、完全に、母親と思しき人に、今伝えるような言葉ではなかった。
(馬鹿。俺までパニクるな。落ち着け……落ち着け)
「『ライチが呼んでる。会ってくる』って、あの子はハッキリ言ってたんだ。アンタが池の中から呼んだりしなけりゃ、覗き込みなんてしない……そうだろ? なあ? そうだよな?」
女性は顔面蒼白のまま、ライチの口から這い出た恐ろしい可能性を、必死にないものにしようとする。
「……うん、そうですよね。あ、もしかしたら、お昼寝のときに俺に呼ばれる夢を見て、遠くまで探しに行って、今ごろ、荒地のどこかで迷子になっているのかもしれませんよ」
ライチは一つ息を吐いて心を整えると、女性の細く荒れた右手を、両手で掬い上げた。
「俺、今日は空飛ぶ道具に乗って来てるんです。だから、空から探してきますよ。
……絶対、見つかりますからね」
「ああ……ああ……神様……」
ライチの言葉を聞いた瞬間、女性は、とうとうその場に崩れ落ちてしまった。
(まだ明るい。荒地には、身を隠す場所もほとんどない)
ライチは飛車の方を振り返った。
(絶対に……見つける)
そして、フガークスのもとへ走り出した。
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「うん。じゃあ探しに行こうか」
ライチから事情を聞いたフガークスは、あれだけ時間を気にしていたのが嘘のように、すぐに飛車を浮かせ始めた。
「……延長になってしまって、すみません……」
ライチが頭を下げると、フガークスは不思議そうに首を傾げた。
「どういう意味? 子どもの身の安全より大事なものって……この世にある?」
「フガークスさん……っ!」
ライチは彼に飛び付きたくなった。
(ううう、同志……!!)
「ありません。その他の些末なことは、見つかってから考えればよし、です。お願いします!」
ライチは今、完全に彼を“心の友”として認定した。
――ヒィーー……
すぐに、飛車は地面から離れていく。
念のためにチラリと肥溜め池周辺にペサがいないか確認するが、確かにこの辺りにはいなさそうだ。
ライチとフガークスは、人影を見分けられるギリギリの高さまで上昇し、広大な荒地の捜索を始めた。
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「ペサちゃーーん!」
目視できる範囲を総当たりするように飛行しながら、必死に呼びかける。
「いないな……。西側は、さっき通りましたもんね」
円形のカステリナ中心街の山手、北側から帰ってきたライチ達。
北門は貴族用の門なので、南にあるいつもの肥溜め池へ戻るには、街を大きく迂回しなければならない。
結果、大きく西に回って、肥溜め池まで飛んできていたのだ。
「だな。西門はオスティアとの行き来で、ずっと人通りがある。いったん、そこは外そうか。衛兵もいるし」
「あとは……郊外村より外の集落くらいしか……」
最悪のパターンとしてよぎっていた、もう一つの可能性を、ライチはとうとう口にした。
(人は疑ったらいけないんだけど……。子どもの足で遠くまで行くよりも可能性が高いのは、ゴロツキの誘拐の方なんだよな……)
「空からなら、ゴロツキのテントの上も通れるかもだし、トラブルも無いかも」
「いいね。飛車の強みだ。行ってみよう」
フガークスが即座に同意する。
飛車は南の荒地から、テント村へと進路を変えた。
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カステリナ中心街の南に、郊外村はある。
そして、郊外村の周囲から防壁沿いに東に向かうと、ゴロツキや流れ者が、入れ代わり立ち代わりやってくる、テント村がある。
(ペサちゃんが、ゴロツキの溜まり場にいるなんて……無理無理無理っ。考えただけで恐ろしい……)
少しでも具体的に考えると、背筋が凍ってしまいそうになる。
ライチは冷たい手汗で濡れる拳を、強く握り込んだ。




