聖女様の身の上話 ~鍼灸の資格を取りたいの!~
フクムラ鍼灸整骨院での2年目の日々は、穏やかに幸福に流れて行きました。
仕事は面白いし、患者さん達もいい人ばかりで――忙しくはありますが、充実した公私共に楽しい日々です。朝起きるのが苦痛じゃないなんて一体いつぶりでしょう。
院はいつだって盛況です。私が院の新メニューとして担当する足裏と内臓整体はすっかり定着し、そこそこ繁盛してました。さらに深くやってもらいたいという患者さんにはサロンの先生方を紹介して、患者さんも嬉しい、サロンの先生方も嬉しいでwin-winです。
レイキは院のメニューに加えるにはちょっと毛色が違うってことで、チナツ先生のオリジナルメニューですが――何せ自費の10分じゃ充分な施術ができませんからねレイキは――でもレイキも口コミでじわじわと広まって、院の患者さん達の間でも静かなブームとなりつつありました。
院には様々な患者さんが訪れます。
大家のオオヤさんは月1回の鍼灸治療、オオヤさんとは別に暮らしている息子さん夫婦はアレルギーのお子さんを連れて来て、お母さんが待ち時間の間にレイキや美容鍼を受けることもあります。
弁護士のホシ先生とデザイナーのメイコさんは、ご夫婦そろってお見えになることはまずありません。どちらか一方が鍼灸を受けに来る時は、そうじゃない方がお家でお子さんを見てるんだそうです。ちなみにホシ先生、頭部の鍼を重点的に受けてたら、うっすらと産毛が生えてきたって喜んでました。鍼灸は血行を促進するからそういうこともあるでしょう。いやー鍼灸って凄いですね! 自称ブルース・ウィリスの名を返上する日も近いか!? 今はぽわぽわの可愛らしい産毛ですが、そのうちボーボーになるかも知れません……ってランス隊長、シンキュウとやらを受けてみたいって? いえあの私鍼灸師じゃないんで私は鍼はまだ打てないんですよ……いえいえ無理です! 違法になっちゃいますから!! つか何でそんな目の色変えてんだよランス隊長……。
レイキヒーラーのチナツさんはケイ先生の鍼灸治療を受け、ケイ先生はチナツさんのレイキを受けるという相互リンクの関係です。チナツさんの夫であるキヨノ会計士は整骨一辺倒です。鍼が怖いんだそうです。一歩間違えば経済ヤクザみたいなナリして可愛らしいことを言うものですキヨノ氏。でもそういう方は結構いらっしゃるんですよね。注射なんかより全然痛くないのに。もったいないなーとは思うけど無理強いはしません。人それぞれですからね。
指揮者の旦那さんとピアニストの奥さんもご夫婦で鍼灸。私は旦那さんの施術をする度頭痛を誘発して難儀しました。ひょっとして、と思って尋ねたら案の定旦那さん頭痛持ち。患者さんの不調をもらっちゃうって割とよくあることだってケイ先生が言ってました。不思議なことに旦那さんがお帰りになるとピタッと収まるんですよねー。
大家のオオヤさんのお孫さんの時は膝窩筋の辺りがかゆいぞ、ってなってスラックスめくり上げてみたら発疹ドバーでヒィィィってなりました。オオヤさんのお孫さん、アレルギー+アトピー。非科学的ってお思いでしょうか? 私も自分の身に起きるまではケイ先生のおっしゃること半信半疑でしたけど。
ピアニストの奥さんの時は拇指内転筋から長母指屈筋めっちゃ痛い、ってなって、ピアニストさん正にそこの治療でお見えになってたんですよね的な――職業病ですね。ピアニストの手指から腕って酷使されますもんね。
ペットショップ勤務のワダさんは時間に余裕がある時は鍼灸、そうでない時は整骨と使い分けています。ワダさんが来ると片目のまーくんは彼女から離れません。まーくんはワダさんが大好きです。おいしいものをくれる人という認識があるんでしょうか。ワダさんもまーくんを熱愛しているので相思相愛です。私はワダさんの施術の時は大抵、腓腹筋から足底筋が重だるくなります。立ち仕事で御足がおつらいのでしょうね。足裏マッサージを強力にプッシュしたら見事にハマって下さって、今では彼女もサロンの常連さんです。
日舞の先生は元々ケイ先生のお師様であるマダムカヨコの患者さんだったのですが、カヨコ先生が高齢の為自分の店をたたむ際、弟子のケイ先生を紹介してくれたのだそうです。
80歳代にしていまだ現役のハセガワさんは週3回の鍼灸。まだまだ踊ります、教えます。芸事には厳しい方ですが私達には優しく、時々サロンで着付なども教えてくれます。私もおかげさまで浴衣くらいは自分で着付できるようになりました。
お裁縫が得意でまーくんに大量のお手製の眼帯を差し入れてくれるミタさんは院長の信者で整骨の患者さん。その夫氏は毎日のように整骨の施術に来ます。ご高齢で引退して時間があるのと、あと整骨は保険が効きますからね。1日200円なら毎日の暇つぶしにもってこいってことなのでしょうか。
かつてブラック会社で私の直属の上司だったカガさんも時々来てくれます。駅で偶然会った時、私が院で働いていることを伝えたら来てくれるようになりました。大手ゼネコンの激務なのでしょっちゅうというワケにはいきませんが、院が開いている時間に間に合えばふらりとやって来てサクッと施術を受けていく、って感じです。カガさん、ブラック会社で一緒だった時はちょっと小太りな気のいいオッサンって感じの人だったのに、転職して色々余裕ができたんでジムとか通ったりケイ先生のアドバイスで食生活を変えたりしたらシュッとした感じのカッコイイおにーさんにクラスチェンジしちゃいました。やっぱゆとりある生活って大事ですね。
サロンの先生方は私の施術者デビューをとても喜んでくれました。特に足裏や内臓整体の先生方は、いわゆるキワモノ枠をメジャーに押し上げてくれたと言って――よく考えたら変則的な手技取得の仕方してましたね私。いきなりそっちからいきますか、みたいな。
実際、私のお試しでいいなと思ってくれた患者さんは、彼女達の施術を受けてさらにハマってサロンにも出入りしてくれるという好循環。そしてその患者さんが美容鍼やフェイシャル、オイルテラピー等にも興味を示してくれるようになったので、私のお試し施術は丁度いい入口として機能したのでしょう。よもやハセガワ師の着付教室やウサミ老師の気功入門までもが定期開催されるようになるとは思いませんでした。最早鍼灸院なのか整骨院なのかサロンなのかイベント屋なのか何なのかわかりません。
最初は苦々しそうだった院長も、時を経るにつれウハウハになりました。何たって院の実入りが増えるわけですからね。まったくもってゲンキンな小猿です。
その頃には私は、サロンの先生方が半ば自虐で言うところのキワモノ枠の施術より整骨のガチ施術の方が割合としては多くなっていました。その上ケイ先生のアシストもとなると、殆んど受付カウンターにいる時間なんてないくらいです。
経理のヨシエさんがその実態を知り院長を叱りつけ、キワモノ枠――足裏や内臓整体の自費治療分を施術した場合、私に幾ばくかのマージンが入るようにしてくれました。ヨシエさん、めっちゃいい人です。
自分で施術をするようになって、私は思うようになりました。私も鍼灸師になりたい、と。
例えば、タクシーに乗って院にやって来た患者さんがケイ先生の施術を受けた後ルンルンで歩いて帰って行ったのを目の当たりにした時などに本当に強く思います。あぁ鍼灸って本当に凄い、私にも鍼ができたらな、って。
今私は鍼を打つことはできません。違法になってしまいますからね。
できたらな、じゃなくて、できるようになるにはどうすれば? 鍼灸師になればいいんです。鍼灸師になるには? 資格を取ればいい。じゃあ資格を取るには?
調べてみたら、鍼灸師の資格を取得するには鍼灸学校に3年通って国家試験を受ける、それで合格すれば鍼灸師の資格が取れる。で、その鍼灸学校に通うには3年間でざっと500万円はかかる、と。500円じゃありません、500万円です。そんな大金ありません。軽く絶望しました。
試験を受けても受からなかったらまた来年~♪ で、もっと必要になるかも知れません。ブラック会社からせしめた解決金とやらは弁護士費用と引っ越し費用、かわいいjazzたんの身請け代などで使った以外はほぼ丸々手つかずで残してありますが、それでも全然足りません。
さぁどうしよう? お金が欲しいとなったら盗むかもらうか稼ぐかしかないわけです。盗むのダメ、イクナイ。もらうのなんて論外。タダより高いものはありませんからね、それは義父の件で重々身に染みてます。
ってことはやっぱり稼ぐの一択。というわけで、私はアパートの隣の部屋の大学生からアルバイト先を紹介してもらい、そこでも働くことにしました。アパート近くのファミレスで、22時からラストの2時まで。院での仕事が多少長引いたとしても22時からならバイクで駆けつければ充分間に合います。隣の大学生さん、自転車の恩もあって二つ返事で骨を折ってくれました。元々は大家のオオヤさんの自転車なんですけどね。
22時からラストの2時までを週3日、院が休みの日曜日は終日。万年人手不足のファミレスなので交渉は楽でした。むしろもっと働いてと店長に打診されました。本業有るから無理ですって断ってましたけどね。
ファミレス深夜の空いたシフトを埋めに埋めつつ、院での給料もなるべく貯金。生活費も極限まで削って1年頑張ればブラック会社での解決金も含めて学校に行けるだけの目途が立つ、と。それはスィートな考えってヤツだぜ、と誰かツッコんでやった方がいい、何なら今の私がツッコミます。でも当時は私もセルフツッコミできないくらいに一点集中で必死でしたし、当然誰もツッコんでくれなかったので無茶なダブルワーク&究極節約生活に突入しました。
……えぇ、カノン様のおっしゃる通り、無謀でした。2ヶ月と保たずにバッタリ倒れました。またしても貧血状態に逆戻り。バイト先で救急車→か~ら~の→病院送りとあいなりました。
その時はぽやぽやしながらも意識はあったようで、救急隊員の呼びかけにもちゃんと答えたし、かかりつけ医としてJK医大のタカノ先生の名前までしっかり伝えたそうなんですね。私まるで覚えてないんですけど。ファミレスでバイト終わって着替えて上がって、バイクのキーを差し込んで回したところまでは記憶にあります。でもその後がすっぽり抜け落ちてて――バイクのキー、で、病院。そんな感じ。まったくもって解せぬ。です。
救急搬送された先では真夜中だというのに知的なアルパカDr.タカノがいてビックリしました。思わずご無沙汰してますとか言っちゃいました。ずっとご無沙汰してたかったわよ、とO木ママみたいなテンションでツッコまれました。つかこの人いつ寝てるんでしょう。大学病院のセンセイも大分ブラックみたいですね。
タカノ先生は事情を知ると、だから言わんこっちゃない、と呆れ果てていました。無理したらすぐまた貧血だよってボク言ったよね、ってO木ママテンションのまま説教されました。世話の焼ける患者ですみません。
評価ブクマ等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。
患者さんの不調をもらっちゃうって割とよくあるよという話です。
別名:だからこそ施術者は自分を万全な状態にしときんさいよの巻。
作中のミオちゃんの不調はほぼほぼ実話だったりします。
機嫌が悪い人のそばにいると自分も何だか落ち着かなくてイライラしてしまう的な感じとでもいいますか。
自分が患者さんの不調をもらっちゃうのと同様に、もしかしたら自分の不調を患者さんにあげちゃうかも知れないわけですからね。自己管理も仕事のうちです……なんてな。




