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聖女様の身の上話 ~破~

 ひやひやと、薄氷を踏むような卒業までの日々をどうにかやり過ごし、待ち望んだ瞬間がやってきました。

 当時の私は、東京――日本の首都です、ヴァルオードで言うところのヴァルハラですかね――東京での新生活にわくわくと胸躍らせていました。

 ワンルームのアパートにたったひとり、誰の気配もない。その事実がどんなに私を安堵させたことか! もう下心満載の義父や、穢らわしい欲を隠そうともしない弟に怯えて横にもなれず布団の上でいつ襲われてもいいように膝を抱えてうとうとしなくていいんです。

 ドアを閉め、鍵をかけてしまえば安全安心。これからはベッドに横になって、好きなだけ寝ていいんだ。そう思うと、本当にホッとして嬉しくて。

 ……カノン様、どうしたんですか? そんな泣きそうな顔して……ってカノン様の表情筋ちゃんと仕事してる! 超レア!!

 大丈夫ですよ、すべて、ぜーんぶ! 過去のこと、ですから。昔の話です。これ以上聞きたくないってーならここらでやめときましょか? ……え、続けろって? ランス隊長もまた物好きですねー。聞いて楽しいですかこんな話?


 ちなみに、義父には家を出る時軽く脅しておきました。アンタが出した『条件』とかそれ以降の色々、全部録音してるからね、って。義父、顔面蒼白。身から出た錆です。

 全部は流石にブラフですけど、担任の先生のアドバイスで家にいる時はなるべく録音するようにしてましたから。スマホって便利ですね。

 あんなゲス野郎でも地元じゃそれなりのファミリー企業でそこそこの地位にいる人ですから、この宣告は結構効いたんじゃないでしょうか。




 さて、東京でのわくわく新生活ですが、始まってすぐに希望は打ち砕かれました。

 入社した土建屋がとんでもねーブラックだったんです。……黒の組織? ヴァルオードにもコナソ君いるんですか? 体はオトナ頭脳はコドモ――ってこれじゃあ逆コナソ君ですわ、失敬失敬。中堅の建設会社だったんですけど、労働条件があまりにクソで。……失礼しました、お下品な表現でしたね。


 建前上は8時半から17時、休憩1時間、土日祝休みってことになってましたが、それはあくまで建前でした。朝は会長が年寄りの早起きで7時前には出社してオフィスの掃除とかしちゃってるんで、一般社員は気まずくて7時半以降の出社は事実上不可能。夜は何事もなければ定時退社ってことになってますが、何事もなかった試しはほぼなくて。検査前なんて徹夜で会社に泊まり込みです。

 私は事務職として採用されたはずなのですが、現場のドサ回りから飯場の掃除まで何でもやらされました(私達経理屋は土木や建築の現場に直接出向いて行う事務作業を自虐を込めてドサ回りと呼んでいました)。

 ドサ回りに必要な車の免許取得の費用は自腹。大体、今時下水道工事とかやってるトコなんてド田舎って相場が決まってます。車でもなけりゃやってられませんわそんなん。職務上必要ってーなら会社で面倒見てくれてもええやんと心の底から解せぬ、ってなりました。

 頼みの綱の土日祝休も、オープンハウス見学会とか入っちゃったら潰れます。それでちゃんと働いた分お給料がもらえればまだ耐えられたのでしょうが、残業代は出ません。定額働かせ放題です。

 そんな会社ですから、次々と人が辞めていきます。常に募集はかけていたものの、辞めてく人の方が多いから焼け石に水です。残った人には物凄い負荷がかかります。それで心身を壊して退職していく人がどれだけいたことか。


 心に余裕がなくなると、どんどん病んでいきますね。早朝から深夜まで会社に拘束されて、休みも電話1本で吹っ飛ぶ。運転中10分で昼食をかき込んで、ドサ回りのち山程の仕事。常に書類と数字のことばかりが頭を占めて、いつも何かに追いかけられてるみたいな焦燥感で。

 そういうのが続くと、まず眠れなくなります。せっかくの安心安全のひとりの部屋で心置きなく眠れるはずが、物理的に無理! ってなってって。寝不足特有の頭痛は常にしていて、食事の味もわからなくなる。食べる暇あるなら寝ていたい、ってなって、なけなしの休日はひたすら寝るだけ。でも横になってても熟睡はできなくて、ベッドにスマホを持ち込んで「ブラック会社、やめたい」とか「ブラック会社、過労死」とか延々検索してるの。ブラック会社を辞めた人の体験談とかダラダラ読んだり……それでますます眠りを逃がすという悪循環。

 あの頃は本当に病んでましたね。私は基本的には「自殺ダメ絶対!」の人ですけど、普通の人が自死に至るまでのメカニズムは実地で理解したように思います。




 入社して3日で既に逃げ出したくなったブラック会社勤務ですが、同期のひとりが1週間でバックレても続きました。エース級の主力メンバーがヘッドハンティングされて転職しても続けました。半年足らずで半数近くの人員が入れ替わったけれど、続けました。

 退職する同僚達が当たり前のように使う「実家に帰る」という奥の手は、私にとっては禁じ手でした。私には帰る場所なんてありません。どんなブラックでも佐倉の家で家政婦兼性奴隷よりは断然マシ、その一念で私は会社にしがみつきました。

 でも、専務――会長の息子です、建設会社って同族経営多いんですよね――あの脂ギッシュなエロオヤジに地方出張と称して同じホテルで同室で泊まらされて、愛人にならないかって言い寄られて、断ったらパワハラの嵐。専務は元々セクハラ野郎ではあったのですが……流石に心が折れました。佐倉の男どもと言いコイツと言い、なんだってこんな奴ばかりが生息してるんだろう、って。

 先程も申し上げた通り私は自殺ダメ絶対派ですけど、唯一自死を肯定していた時期があるとすればそれはこの時だけでしたね。




 後に勤務先となる鍼灸整骨院に通い始めたのは、エース級とされていた直属の上司が退職し、彼の請け負っていた仕事の大部分が私に回ってきた頃でした。高卒入社で勤続年数半年足らず、真っ当なカイシャならまだまだ新入社員って呼ばれるはずのお年頃にも関わらず、仕事量と扱われ方は最早ベテラン並。給料だけはちゃんと並の高卒新入社員の額なんですけどねー。

 その頃はまだ「ブラック会社、やめたい」の後に「死んだらどうなる」とかじゃなく、「肩こり、頭痛、癒し」なんてキーワードでダラダラ検索するだけの余裕があったんですね。

 整体院、治療院、隠れ家サロン。様々な癒し場をウェブ上でぐるぐる徘徊し――ふと、白黒の仔猫の写真が目に留まりました。白地多めの、時々黒。お鼻も肉球も愛らしいピンクで、シュッとしたイケメン。

 左目が潰れていましたが、不思議と痛々しさはありません。写真に無理矢理とって付けたみたいな漫画調のふきだしに丸ゴシック体で「マスコットキャットのまさむねです。ご来院お待ちしてますにゃ」なんて書かれているのがシュールです。

 そっかこのイケメン仔猫ちゃんはまさむねっていうのかーと思いながら、そのホームページをチェックしました。ねこ大好きです。実家では飼えなかったし、今もワンルームのアパート住まいだから無理ですけど、隙あらばそこらの野良猫に話しかけたいくらいにはねこ大好き。大事なことだから繰り返しました。

 化石みたいに古風なホームページでしたが、客が知りたいと思うことはすべて網羅されてるって感じの造りです。今時ウェブ予約NGで電話のみという時代にアゲインストな方針も一周回ってクールです。

 場所を確認してみると、都内ではありませんでしたが自宅アパートから電車とバスで1時間といったところでしょうか。充分行ける距離です。私はその場で電話をし、次の休みに鍼灸の予約を入れました。


 鍼灸師のケイ先生にはその時初めて逢いました。ウェイブのかかった黒髪をきっちりポニーテールにまとめたスマートな女性で、背はそんなに高くないけど大きく見えます。姿勢がいいからでしょうね。小気味よくシャキシャキ話す人なのに、視線が合いません。気質的に内気でもなく絶対他人と目を合わせて話すタイプに見えるのに、という疑問はすぐに解消しました。

 ケイ先生は目が不自由だったのです。歩く足取りも鍼を持つ手つきもあまりに淀みなくスムーズだったので、その可能性に思い至るまでに少し時間がかかりました。職種的によくあることだったはずなんですけどね。


 それで、ケイ先生の施術を受けてみて――あぁ鍼灸ってすごいな、って思いました。カノン様のキラキラ魔法の時と同じくらいのインパクトですよ!

 連日の激務でガチガチだった肩や背中がいつになく軽い。お灸は背面とお腹に当てるのですが、じんわりと温かく心地良い。鍼の痛みは想像していた程ではなくて――というより、殆んど痛みはありません。脊柱起立筋が時々ちくっとする程度。それだって、普通の注射なんかより全然痛くない。仕上げの整体は、そんなに強圧しされてる感はないのに、ここ! ってトコをピンポイントで突いてくる。

 その頃は既に不眠の症状が現れていたのですが、施術中に爆睡する程気持ち良かった!

 鍼灸が凄いのか、ケイ先生が凄いのか。多分両方でしょうね。90分程の施術で、身も心もリフレッシュです。


 ちなみに、ホームページの写真のねこちゃんは施術中ずっと私についていてくれました。

 はじめ私はそのねこちゃんが写真のまさむね君と同一人物(同一猫?)だとわからなかったんです。だって、写真の白黒ねこちゃんは仔猫ちゃんだったんですから! 

 腹部のお灸と頭部の鍼でじんわりリラックス~の段階で私のベッドに乗っかってきた牛柄のねこは、ぽってぽての大猫。仔猫ちゃんなんて呼べません。貫禄たっぷりのお猫様です。左目にハンドメイド感溢れる眼帯を着用していて、あれこの子ひょっとして、と、やっと気づいたという体たらくです。

 ケイ先生に訊いてみると、ホームページの写真は4年かそこら前に息子さんが保護した直後の写真で、あれが成長した姿がこのホルスタイン級のワガママボディなまーくんなんだそうで――ちょっとした詐欺にあった気分でした。

 ……え、カノン様愕然としちゃってどーしたんですか? いえ、マークじゃなくて、まーくんです。……はぁぁ!? マークという名の恋人もまた貴女がニホンとやらに残してきた未練だと解釈していました、って……いやいやいやどーすればそんなねじ曲がった解釈になるんですか! そうですか猫ですか、って……そーですよねこですよ、まーくんはぽってぽてな豊満バディの牛っぽいねこです!!


 まーくんは施術中、私の腹斜筋のあたりにずっといてくれて、もふもふなでなでし放題でした。癒しのゴロゴロ音で回復力もUPです。

 ケイ先生曰く、まーくんは初回の患者さんには必ず付き添ってくれるんだそうですよ。営業上手なねこです。

ブクマ評価等ありがとうございます。とても嬉しく励みになります。

続・ミオちゃんの過去話。これをここ(=なろう)でやっていいのか? と躊躇しつつのUPです。

とは言え半分くらいはねこねこしてます。ねこ大好きです。

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