幕間 ~神託の主と隊長殿・中編~
「ミオ殿は、貴方の思惑などとうに察しておられるようでしたね」
湯が沸くのを待ちながら、カノンがぽつりと言った。そうだな、とランスは頷く。
「あの娘、見かけよりずっと抜け目なさそうだな」
「貴方がつたな過ぎるんですよ」
カノンは蔑むようにランスを見上げ、
「あの流れで入浴を勧められるなど、身体検査以外の何物でもないでしょう。それどころか妙齢の女性であれば、夜伽でも仰せつかるのかと恐々としますよ」
「夜伽とはまた古風な……今は昼だぞ」
「論ずるべきはそこではありません」
カノンはにべもない。こうなると面倒なのだ。ある意味で妻の機嫌を取りよりも難事業だ。
「貴方のそういうところです、私が再三申し上げているのは。
貴方はご自分の影響力というものを過小評価なさっておられる。貴方にその気がなくとも、相手はそうとは受け取らないかも知れません。個人的に私は貴方のその率直さを好いておりますが」
カノンはいかにも貴族らしい言い回しでいつものお小言を続ける。曰く、他者は貴方の背後に『竜騎兵隊』と『アガリエ家』を見るのだとか何とか。
ああうんそうだな、と適当に聞き流しておいて、ランスはふと思いついた風を装って訊いた。
「10年、いや12年か……長かったな。『使命』は無事達成した。お前さんはどうする? 英雄殿のご帰還でヴァルハラに凱旋か? 残念ながら『黒い瞳』の英雄だったが」
「残念?」
カノンの肩眉がぴくりと上がる。彼は何か言いかけ、思い至ったようにとどまって、ニッと口角を上げた。これこそ何か企んでいる顔だとランスは思ったが賢明にも黙っていた。
「そうでした。ユタではそういう評価になるんでしたね、『黒瞳の聖女』は」
歴代『オラクル』に連綿と伝わってきた文献の内容は、時と共に部分的に市井に流出した。
ユタに伝わる『英雄列伝』において、『黒い瞳の英雄』はいわゆる『ハズレ』だ。ユタにおいては力こそ正義。華々しく前線で戦って、何なら魔王の1匹でも倒して欲しい、それでこそ英雄だ、という考えが根強い。
「確かに『黒い瞳の勇者様』に戦闘能力を期待すべきではない、と文献にもあります」
カノンはゆったりとした口調で言った。
「大体、真っ黒な目なんて不気味……いや、珍しいじゃないか」
ランスは素直に口にして、ホラ貴方そういうところですよ、とカノンに指摘され、慌てて言い換えた。
ヴァルオードでは、いや、この大陸において黒瞳は稀少だ。黒髪は隣国で時折見かけるが、瞳までも黒となると――少なくとも生まれてこの方そのような者と出逢ったことはない。
「遠い過去、『悪魔狩り』で絶滅しましたからね。『黒の者』は」
カノンは物憂げに言った。黒い目を持つ者は悪魔に通じているとして、片っ端から処刑した王がかつていた。もう数百年も前のこと……ヴァルオードの黒歴史だ。
「ナンセンスだとは思いませんか。目の色、髪の色、肌の色……そんな上辺だけのことで差別し諍い合うなど。『黒の者』がヴァルオードの神を信仰しないというだけで殺していいという理屈にはなりませんよ」
「いかにもプリーストらしいご高説だな」
ランスは磊落に笑って、
「だったら顔で差別するのもやめてもらいたいものだ。俺などこの顔でどれだけ酷い目にあったものか」
「私は好きですよ、貴方の顔」
カノンはあっさりいなして、続ける。
「『黒瞳』の方々は武器を持ち、魔法を揮って戦う力は無いかも知れません。
しかし彼ら彼女らは各々特化した特殊能力を所持している。『黒瞳』のオラクルは運命の方の性質を見極め彼らの為に尽力すべしと文献にはあります」
「特化した能力、なぁ……?」
ランスは胡乱気な口調でのろのろと、
「ポーション水道はともかく、被服と地図はほぼほぼ趣味の域だろう」
「何をおっしゃいますか」
カノンは魔導ポットを覗き込み、湯が沸いたのを確認して茶葉に注いだ。馥郁とした香りが辺りに漂う。
「貴方の、いえ貴方に限らずユタの方々は戦闘民族ですからそういう考え方になりがちですよね。
けれど、よく考えてみて下さい。ポーションの開発で、己の限界以上の力を発揮できるようになった……深刻な副作用のことは一端脇に置いておきます。
水道が完備されたことで、水に困ることはなくなった。ことに山間のユタではその恩恵は計り知れません。モンド氏以前の生活を想像してご覧なさい、水浴びなど稀に見る贅沢、シャワーなど望むべくもない。
貴方が今お召しになっている制服も、軍略に必要不可欠となった地図もそう。
すべてこの国、この世界にもたらされた奇跡の恵みです」
まあな、とランスは適当に相槌を打った。正直彼は英雄ではない『英雄』には興味が持てない。歴戦の覇者とも名高いジェネラルや、後に時の女王の騎士となった双剣士の話であればわくわくと心躍らせ拝聴するのだが。彼は典型的なユタっ子だった。
カノンはランスの内心を見抜いたかのように口角を上げる。目はまったく笑っていない。
「では、貴方好みのお話をしましょうか。
ミオ殿……私の『運命の聖女』には魔法の素養があります。それも、強力な」
「ほぅ?」
にわかに興味をそそられ、ランスは片眉を上げた。このスキンヘッド野郎は眉無しだろというツッコミは今は受け付けない。
「私の見立てではおそらく『水』と、他一種。まだ調べたわけではありませんが」
「それはそれは」
ランスは居住まいを正す。カノンがヴァルハラから呼び寄せた選りすぐりの鎧騎士でも、複数の魔属性を所持する者は稀だ。と、いうより、先天的に『光』と『水』を持ち、その上さらに『地』まで身につけたカノンが規格外なのだ。
「山道での復路、彼女はヘルコンドルの大群を一掃しました。彼女自身にその自覚はないようですがね」
「ほーぅ?」
ランスは我知らず身を乗り出した。『英雄』がちゃんと英雄している話なら大好物だ。
「さらに彼女は『れいき』なるヒーリング能力と、『つぼ』と称する魔力回復術の使い手です」
カノンの笑みが深くなった。相変わらず目は笑っていないが、ユタの信心深いじーさんばーさんが癒しの翠玉とも崇め奉る緑の瞳が興奮できらきらしている。
「まったく、凄まじいものですよ! 『うちゅうのえねるぎー』とやらを拝借し心身の不調を癒すなど……えぇ、魔法では対処し切れない初期の高山病の症状や便秘等にも威力を発揮するのですからねあの『れいき』とやらは!
『つぼ』なる技の『ゴウコク』攻めの発見も画期的です! 今後はあの魔力ポーションの副作用に悩まされることなく魔法が行使できますよ! 嗚呼やはり神は我々を見放してはいなかった……!」
お、おぅ……と、ランスは若干身を引いた。
元々『オラクル』でなければ魔法か歴史の研究職に就きたかったというカノンが時折見せる興味関心のある分野に対するこのあり余る情熱は一般人には理解不能だ。この状態のカノンを信望者であるじーさんばーさんが目撃したら、すわ悪魔憑きかカノン様ご乱心かと泡を吹いて卒倒するに違いない。
「街に戻り次第すぐにでも彼女の魔力測定を実施しようと思います。
嗚呼まったくもって素晴らしい! 近年稀に見る逸材ですよ彼女は! 末は宮廷魔術師か、はたまた騎士団専属ヒーラーか……久々に歯応えのある、鍛え甲斐のありそうな方ですよ! 神よ、この出逢いに感謝致します……!」
「おい、ちょっと待て」
ランスは、最早外野など意識の外であろうカノンの独り言に近い妄言を遮った。低くかすれたドスのきいた声音に、流石に暴走モードのカノンもピタリと口をつぐむ。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァルオードにおける聖女様・勇者様事情についてちょこっと。
ヒロイン不在の幕間・中編です。
とは言え話題の中心は運命の聖女ことミオちゃんです。