幕間 ~神託の主と隊長殿・前編~
聖女を浴室に案内し、隊長の私室兼執務室に戻ってきたカノンは、何故だか赤い顔をしていた。彼は部屋の主を一瞥もせずにつかつかとキャビネットに直行すると、おもむろに茶の仕度を始めた。彼にしては珍しく、手荒な動作で。時折、木製の茶器が扱いの粗さに抗議するかのようにカタカタと音を立てた。
魔導ポット――これも何代か前の『勇者様』による発明品だ、火魔法所持者でなくても使用可能な優れものである――に水魔法を行使し直に水を投入し……どうやら平常心とは程遠い有様だろうというのに、それでも目測を誤ることなく狭い間口に直接注げるのだから大したものだ。
「随分荒れているな」
部屋の主が居ないかのように振る舞うカノンに、ランスは言った。
カノンは木製の茶箱をタン! と音を立てておき、キッとランスを睨み上げたが何も言わなかった。
「ポーションの勇者、服飾の聖女、地図のタダタカに、治水のモンド」
ランスが低いハスキーな声で歌うように呟く。茶箱を開けたカノンの手がぴたりと止まった。
「皆、黒い瞳の『英雄』だな」
ランスのターコイズブルーの三白眼が意味ありげにきらめいた。
土着したユタ民であるところのランスにとって、中央の――ヴァルハラの民が言うところの異世界からの訪問者は『勇者』や『聖女』ではなく、『英雄』である。仮にも英雄を名乗るのなら、それらしく武勲を挙げていただきたい。それがユタの定説だ。
ユタの事情は複雑だ。
元々はユタも独立した国家であった。しかし山間の、決して肥沃とは言い難い地で、頼みは竜洞が育む竜の力のみ。暮らしは貧しく、男は傭兵として他国に雇われ、女も辛い仕事に就かねばならぬ。
北に交易と王家が擁する騎士団と――強力な軍事力と資金力をバックに圧をかけてくるヴァルオード王国、東西は険しい山々に囲まれ、南は大陸有数のとも謳われる魔法兵団を抱えるフォーガルド王国。常に大国の思惑に翻弄されてきた――それがかつてのユタ自治区だった。
ユタが正式に『ヴァルオード王国のユタの街』となったのは、ほんの10年程前の話だ。
土着したユタ民が『フォーガルド大侵攻』と呼び、今でも恐れる隣国フォーガルドの魔法兵団が総力を挙げてと言っていい勢いで攻め込んで来た時、辛くもその侵略を阻んだのは、たまたま『使命』の為にユタに寄せていた『中央からのお客様』ことカノン・オラクル・ラディウス、当時若干17歳。
ユタに来てからまだ2年程、いかにもお坊ちゃん育ちの物慣れない少年、所詮はヴァルハラ貴族のボンボンだ、と、ユタ民はカノンを遠巻きにしていた。
『オラクル』の『使命』とはまた時代錯誤な、異世界からの『英雄』など、ここ百数十年も音沙汰無し。ヴァルハラでのぬくぬくとした暮らしを捨ててまでわざわざユタくんだりまでおいでになるとはまったく酔狂なことだ、と。
だがユタの民は10年前のあの戦いで、カノンへの評価をがらりと変えることとなる。
カノンは戦い方を知っていた。魔法使い(魔法に馴染みのないユタでは、魔力を武器に戦う者など所詮はその程度の扱いだった)であるカノンは、魔法大国フォーガルドの弱点を熟知していた。そして、ユタで暮らした2年程でカノンはユタの竜騎兵隊の使い方すら把握していたのだ。
カノンは大した戦略家だ。手勢が少ない時の喧嘩の買い方、敵が一番されると嫌なこと、それらを本能レベルで知っているのではないかとさえ思わせる程のやり口で――いやらしいどころかえげつないとまで言わせるぐらいの容赦なさで、彼は隣国をやり込めた。同時に、ユタの者には中央の手を借りてまで手厚くケアを施して……そしてそれは、投降してくる敵兵に対しても同様だった。
戦闘民には打撃を、非戦闘民には慰撫を。カノンの戦略は徹底していた。
結果、ユタは守られた。僅か数ヶ月ばかりの、だがとてつもなく激しい戦いだった。
あの戦いの後、ユタ自治区は正式にヴァルオードの領地となった。
中央とはいささか揉めたが(当然中央はヴァルハラ貴族をユタに送り込みたがったので)、アガリエ家を『ユタの街の領主』として続投させることを認めさせたのもカノンの手腕だ。
齢17にして、外交も内政も完璧だとは、まったく綺麗な顔してやり口がエグイ……いや、なかなかの辣腕家ではないか、あと10年もすれば権謀術数めぐらせる典型的なヴァルハラ貴族になるのだろう……と、当時のランスは空恐ろしく感じたものだ。
そして現在、あれから10年。
ランスは当時とはまた別の意味で嘆息せざるを得ない。
――今となってはユタの民の間ではカノンは生神様の扱いだからな。
その傾向は、竜騎兵隊員においてことに顕著だ。彼らは大なり小なり癒し手のカノンの世話になっている。ランス自身も戦闘員としてのカノンを頼りにしている部分もあるのでそのあたりは理解できなくもない。
だが、一般市民にまで神様竜神様カノン様と拝まれているのを見ると何とも言えない気持ちになる。ユタでは領主様や隊長殿よりカノン様の方が偉いのだ。
――まったく、カノンのおかげで俺は15も年下の、下手をすれば自分の娘かというような年頃のお嬢さんの夫だぞ。
中央貴族が婚姻を口実にユタを牛耳ろうとする恐れもある、それを封じる策ですよ、と、当時17歳のカノンは淡々と言ってのけたものだ。
いかに王家と言えど、ユタ領主アガリエの娘の相手が竜騎兵隊の長ともなれば迂闊に手出しもできますまい、グレイス嬢がヴァルオードの法で成人とされる18歳になるまでは婚約中と銘打って、後はその時にまた詰めましょう、と、まるで、隊長殿の愛竜は今日も食欲旺盛ですね、とでも言うような調子で10年前のカノンはのたまった。
当時のランスは竜騎兵隊長に就任したばかり。先代の長が『フォーガルド大侵攻』で殉職した為急遽抜擢された形で――言わばどさくさにまぎれての就任だった。
家名もなく、大した後ろ盾もない。ぽっと出の若造が、と、ヴァルハラからの風当たりは強かったがランス的にはまったくの無風だった。もっとも、ランスが無風状態でいられたのは、カノンがランスに来るはずの暴風を肩代わりして受けていてくれたからなのだが。
ちなみに、ユタの民は庶民出身のランスが竜騎兵隊を任されることについては概ね好意的だった。領主様が一番偉くて、あとはみんな一緒だ、というのが昔からのユタの考え方である。極論すれば、若かろうが年食ってようが竜に選ばれた強い者がエライ、というお土地柄なのである。
時が経つにつれ中央からの暴風が貴族からだけでなく王家由来のモノとなった時、カノンは一計を案じた。
「ユタの街に敵国フォーガルドからの干渉がなくなったのは、武勇の誉れ高きランス殿が隊長に就任したからである、ランス殿が領主となられた暁にはヴァルオード南端の国境は守られたも同然だ」という噂をそれとなく、だが意図的に流したのだ。
ランスに言わせれば、あれから10年、隣国がまったく没交渉なのは軍師カノンの指揮の下、こてんぱんにのされたフォーガルドが流石に懲りたのだろう、そして何より現領主アガリエ卿の(ランスの妻グレイスの父親だ)巧みな外交の成せる業だ、と言ったところか。
だがしかし、カノンの謀略のおかげで今ではランスも竜神扱いだ。勘弁してくれ、というのがランスの正直な気持ちである。竜騎兵隊の部下ならともかく、そこらのじーさんばーさんにまで拝まれるのは未だに慣れない。
――まったく、俺は見世物じゃないぞ。それに義父上殿の『巧みな外交』もカノンの手引きときたものだ。
『オラクル』としての『使命』を果たしたカノンはやはり中央に戻るのだろうか。
実のところ、現時点でのランスの懸念はそれである。『神託』通りに『聖女』を得たカノンは、もうユタに用などないだろう。
「英雄? ……あぁ、ユタではそう呼ぶのでしたね」
カノンは几帳面な手つきで茶葉を計量し、ふと顔を上げ、
「ランス殿、どうなさいました?」
小首をかしげ、眉根を寄せて尋ねてくるカノンにランスは、
「いや、どうもしないが」
と、返す。するとカノンは淡々と、
「顔が怖いです」
「おいおい」
酷い言われようだ。ランスは大袈裟に天を仰いでみせた。
「俺は元々こんな顔だ」
「ご自覚がおありでしたら改めて下さい」
「あのなあ……」
この青年、こんななりをして結構毒舌なのである。
皆このお綺麗な顔に騙されるんですよ! と、力説していたのはカノンの副官ポールといったか。あの男も女好きのお調子者だが腕は立つ。できればカノンと共に……は無理としても、カノンが中央から呼び寄せた出向中の騎士団員にはユタに残って欲しいものだが。
「顔の造作は変えられん。お前さんにゃわからんだろうな、この苦労は。ただ見てるだけで怖いだの不気味だの何考えてるのだの言われるんだぞ」
「お惚気は結構」
カノンはぴしゃりと遮って、
「何考えてるの、で留めて下さるグレイス嬢はお優しい。私は今貴方に、何を企んでおられるのかと訊くところでした」
「酷い言い草だな……」
形ばかり嘆いてみせたが、ランスはカノンのこの毒舌が本当に心を許した者にしか発動しないことを知っている。こう見えて甘えているのだと思えば愛いではないか。
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幕間ということで、ヒロイン不在で(現在お風呂でまったり中)今後舞台となるであろうユタの街についてさっくりと。
別名:少年カノンは辣腕家の巻。




