第十七話 見守る男
「……おい、大丈夫か、ウィル」
青い顔をした友人は胃の辺りを押さえて、こくり、と頷いたが、何も大丈夫ではなさそうということだけしか分からなかった。
ジョシュアがいるのは、ブランレトゥの西門。それも中ではなく外だ。時刻は、昼飯の時間をすぎて、しかしおやつには早すぎるという時間だ。
そろそろユキノ一行を迎えるために専用のテントを張って待っているのだ。
護衛兼案内役であるウォルフからは、指示通り定期的に進行状況が小鳥によって送られてくる。
最後の連絡も予定通りの進行だったため、もう間もなく一行が到着する予定だ。
ジョシュアとウィルレッドのほかに第二小隊のカロリーナ、その事務官のハリエット、魔導院からアルトゥロ、そして、マヒロの息子であるサヴィラだ。
ユキノたちが到着次第、テントの中でサヴィラにユキノたちの正体を確かめるための質問をしてもらうのだ。情報の漏洩を危惧して、サヴィラとミア、サヴィラに答えだけ教えられたウィルフレッド以外にユキノへの質問の内容や答えを知る者はいない。
蒼い顔で椅子に腰かけているウィルフレッドとそれを介抱するアルトゥロも隈が酷い。兄夫婦のあれこれで彼も気が休まらないのだろう。
ウィルフレッドが用意したテントは、なかなかに広く、豪奢な応接セットと簡易式のキッチンがあり、恙なくおもてなしができるようになっている。彼の本気と気遣いが垣間見える。
「団長、ただいま戻りました」
「相変わらず、今日もすごい人でした」
ぐるりと辺りを見まわりに行っていたカロリーナとハリエット、ついて行ったサヴィラが戻って来る。
二人にはユキノの肖像画を見たことがあるというのと、女性も必要だろうという判断で来てもらっている。
「……団長、大丈夫ですか?」
ハリエットが心配そうに尋ねれば、再びウィルフレッドは、こくり、と頷いた。
彼の胃が、そのうち破裂するのではないかと心配になってしまう。
「サヴィラ、その花は?」
ジョシュアは、サヴィラが可愛らしい花束を持っていることに気が付いて首をかしげる。
「外にいた妖精族の花売りから買ったんだ。その、母様に、歓迎の気持ちを込めて、渡そうと思って」
サヴィラは、少しだけ気恥ずかしそうにしながら嬉しそうに言った。
最初は、養子であることや生い立ちから、サヴィラやミアはもっと不安がるのではと心配していたのだが、マヒロからの溢れる愛情の中で過ごしていたおかげか、楽しみという気持ちのほうが強いようだった。ミアには、真偽がはっきりしてから伝えたいというサヴィラの意向でユキノの来訪は伝えてはいないが、きっとあの小さな兎の娘も喜ぶだろう姿が目に浮かぶ。
「なるほどなぁ。喜んでもらえるといいな」
うん、と頷くサヴィラは、実年齢より幾分か幼く見えて可愛らしい。可愛いものが大好きだと公言しているカロリーナが悶えている。
ハリエットが「包み紙とリボンがありますよ」と自分の鞄を漁って、水色のお菓子の包装紙とピンク色のリボンを取り出した。サヴィラが「いいの?」と顔を輝かせて、ハリエットに花束を差し出し、ハリエットが手際よく紙で包んでリボンをまいた。それだけでぐんと見栄えがよくなる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
顔をほころばせてサヴィラが大切そうに花束を受け取る。
蒼い顔をしているウィルフレッドも微笑まし気に目を細めた。
テントの中に穏やかな空気が流れた時だった。
「団長! ユキノ夫人がいらっしゃいました!」
テントの外から見張りの騎士の声がした。
ウィルフレッドが深呼吸をしてから「お通ししろ」と返事をする。
カロリーナが、出入り口の脇に控え、ウィルフレッドが中央に、その背後にアルトゥロとハリエット、ウィルフレッドの隣にジョシュアとサヴィラが立ち、その時を迎える。
テントの入り口の幕が上げられ、最初にウォルフとカマラが入って来て、次に入って来たのは、燕尾服の獣人族の男だった。
男は、優雅に一礼して、口を開く。
「初めまして、私は真尋様ご夫妻にお仕えしております、執事の充と申します。以後、お見知りおきを」
琥珀に赤の混じる垂れ目の双眸が油断なく、ジョシュアたちとその部屋の中を見回してから、弧を描くようにして細められた。この一瞬で危険と判断された場合、どうなっていたのだろうと肝が冷える。執事と名乗ってはいるが、この青年、かなりの実力があることがうかがえる。隙が一切ないのだ。
「あ、お父さん! ただいまぁ!」
ミツルの後ろからひょっこりと顔を覗かせたジョンが、嬉しそうに駆け寄って来て飛びついてくる。それを受けとめ、ひょいと抱き上げ、おかえりのキスをその頬に贈る。
「おかえり、ジョン。良い子にしてたか?」
「ちゃんとしてたよ! お母さんは元気? リースは?」
「ああ、どっちも元気だよ。屋敷でジョンの帰りを今か今かと待ってるぞ」
「そっかぁ。あ。ちぃくん、サキくん、僕のお父さんだよ!」
くるりとジョンが振り返る。横でウィルフレッドが「小さい神父殿だ」とつぶやく声が聞こえたが、ジョシュアも全く同じことを考えていた。
ミツルの脚の陰からひょっこりとマヒロによく似た男の子が二人、顔を覗かせていた。左の子が銀に水色、右の子が銀に黄緑色の滲む目をしている。マヒロから「俺も弟たちも父親似だから、そっくりだぞ」とは言っていたが、まさかここまで似ているとは思っていなかった。
ジョシュアと目が合うと、猫みたいに肩を跳ねさせて引っ込んでしまった。
「ごめんね、二人はちょっと人見知りなんだ」
また新たな声が聞こえてそちらに顔を向ければ、かなり背の高い金髪の青年が軽やかに手を振りながらやってくる。代わりにミツルが何故か一旦、外に出て、双子はカイトの後ろに隠れてしまった。
「俺は可愛い一路のお兄ちゃんの、海斗だよ。よろしくね」
人懐こい笑みを浮かべる青年は、確かにどことなくイチロに似ているが、大きさが全く似ていない。
「それでこちらが、みんなのお待ちかねの、マヒロの奥さんのユキノだよ」
「雪乃様、足元にお気を付けください」
ミツルにエスコートされ遂にその人がやって来た。
「ごめんなさい。馬車を降りるのに少し手間取ってしまって……初めまして、マヒロ神父の妻のユキノと申します」
ふわりと落とされた微笑みにジョシュアはぱちりと目を瞬かせた。
淡い薄紫の独特な形のワンピースに身を包んだユキノは、それはそれは美しい人だった。サヴィラが見せてくれた姿絵など比ではない。
艶やかな黒髪は綺麗に結わえられている、透き通るような白い肌、鼻筋はすっと通っていて、薄紅色の唇は形よく品がある。そして、けぶるように長いまつげに縁どられた二重の瞳は、銀に紫が混じる小さな月を思わせる色をしている。たれ目がちだからか、柔らかい印象がある。
ユキノは美しくて、妙に色気のある美女だった。マヒロのあの美貌の横に立っていてもなんら遜色ない美女だ。
「まあ、貴方がもしかしてサヴィラくん?」
鈴を転がしたような柔らかな声が弾む。
名前を呼ばれたサヴィラが、はっと我に返って一歩前に出た。
「はい。俺が、サヴィラ、です。あ、あの……貴女が、本当に父様の奥さんなのか確認するために、質問、いいですか?」
少し強張った声が雪乃に問いを投げる。ユキノは、ぱちりと目を瞬かせた後、ええ、と頷いた。
サヴィラは、すーっと息を吸って、ゆっくりと吐き出すと顔を上げ、じっとユキノを見つめながら口を開いた。
「……『水無月真尋が一番好きなお味噌汁の具は何?』」
ジョシュアが聞いたこともない不思議な発音の言語がサヴィラの口から飛び出す。オミソシィルとはいったい何だろうと思いながらも、ユキノの答えを求めて彼女を見る。
ユキノは、その質問が以外だったのか、それとも、分からなかったのか、ぱちりぱちりと目を瞬かせたあと、嬉しそうに顔をほころばせた。
「『お豆腐と玉ねぎと卵のお味噌汁よ』」
ユキノは悩むこともなくすらすらと答えた。
ウィルフレッドが、ほっと息を吐き出し、サヴィラの顔がみるみるうちに輝いていくところを見るとその答えは正解だったようだ。
「『日本語上手ね。真尋さんに習ったのかしら?』」
「『はい。父様が教えてくれたです。でも、まだ勉強中。日本語、難しい』……その、えっと、これ、あ、貴女に」
見知らぬ言語が聞きなれたアーテル語に切り替わり、サヴィラがおずおずと花束を差し出した。
ユキノは、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべて、花束を受け取った。
「ありがとう、素敵なお花ね。嬉しいわ」
サヴィラは、頬を紅く染めてはにかむように笑う。マヒロがいたら、息子の可愛さに爆発していたかもしれない可愛さだ。ユキノに会えて本当に嬉しいというのが見ているだけで伝わってくる。
「ええっと、二人にはこれを」
そう言ってサヴィラが、どこからともなく棒付きのキャンディを取り出した。外で飴売りが売っているやつだ。
そのキャンディをマチとマサキに差し出すと、ユキノとカイトに促されて二人がおずおずと前に出てきた。ジョンよりほんの少し小さな二人は、瞳の色以外はそっくりだ。小さな手がおずおずとキャンディを受け取る。
二人の手にキャンディが渡るとサヴィラがほっと表情を緩めた。双子が小さな声で「ありがとう」とお礼を言えば、サヴィラは「どういたしまして」と笑った。
「すまないが、一度、ゆっくりと座って話さないか?」
ウィルフレッドが声を掛け、サヴィラが名残惜し気に傍を離れる。
ウィルフレッドは、一人掛けのソファに座り、ジョシュアはジョンを膝に乗せて、サヴィラを真ん中にアルトゥロと三人で座った。ジョシュアたちの目の前のソファにユキノと双子たちが腰かけ、カイトはウィルフレッドの向かいの一人掛けのソファに。ミツルはユキノたちの後ろに控えた。
「私は、ウィルフレッド・エルリック・フォン・アルゲンテウス。アルゲンテウス領を守るクラージュ騎士団の団長を務めている者だ。私の後ろにいるのは、アルトゥロ・ジェームズ・フォン・コシュマール治療院院長だ。私の乳兄弟でね、領内でも指折りの優秀な治癒術師だ。もし、具合が悪くなったらすぐに言ってくれ」
「僕でよろしければ診察させていただきます」
アルトゥロがぺこりと頭を下げた。
「それでこちらがジョンの父で、Aランク冒険者のジョシュアだ」
「はじめまして。俺はジョシュアだ。マヒロにはとても世話になっているんだ。何かあったら気兼ねなく頼ってくれ」
「ジョンくんから、とても強くて頼りになるお父様だと話を伺っています。どうぞこれからも主人ともどもよろしくお願いいたします」
「俺の方こそマヒロには世話になりっぱなしなんだ。こちらこそよろしく」
丁寧に頭を下げてくれたユキノにジョシュアは慌てて返す。
ユキノが顔を上げたのを見計らい、ウィルフレッドが紹介を続ける。
「こちらは、カロリーナ二級騎士。クラージュ騎士団第一師団第一大隊第三中隊第二小隊長だ。それでこちらは、ハリエット事務官。カロリーナ騎士の事務官だ」
カロリーナとハリエットが頭を下げて、こちら側の自己紹介は終わる。
「紹介ありがとう。まあ、俺たちはさっき言ったとおりだよ。ここは随分と大きい町だね、驚いたよ」
口火を切ったのは、イチロの兄のカイトだった。マヒロ兄弟のようにそっくりという訳ではないが、雰囲気がとてもよく似ている。
彼は見慣れた黒の神父服を着ていて、ユキノと双子たちは休みの日にイチロが良く着ている腰の紐で長さを調整する服だ。マヒロも時折着ているが、彼らの故郷の服なのだろうか。
「アーテル王国で三番目に大きな町なんだ。来月には収穫祭が控えていているから一年で一番、町が賑やかな時期かもしれない」
「ああ、ジョンから聞いたよ。とても大きなお祭りだそうだね。イチロと楽しめたら最高だね」
カイトは、優雅に足を組んで小首を傾げる。まるで貴族の令息のようだ。
マヒロもイチロも貴族ではないと言っていたが、その親族に会ってもやっぱり「貴族では?」と尋ねたくなる。彼らは、やっぱり立ち居振る舞いが、庶民ではないのだ。
「そういえば雪ちゃん、タマは?」
マチかマサキのどちらかがユキノの袖を引いて首を傾げた。
ウィルフレッドの肩がびくりと跳ねた。
「あのね、お父さん。タマはね、ドラゴンの子どもなんだって。でも、優しいから一緒に遊べるんだよ」
ジョンが楽しそうに教えてくれる。
うちの息子は世界で初めてヴェルデウルフと遊んだだけでは飽き足らず、ドラゴンとも遊んできたようだ。幼い頃に読んだ冒険譚を思い出すような話だが、事実なのだから頭が痛い。
「それがぐっすり眠りこんじゃって、起きなかったの。リュコスさんが起きたら連れて来てくれるって言ってたけれど」
「きゅーい!」
話をすればなんとやら、白い小さな影がテントの中に入り込んで来てユキノの膝の上に着地した。
「あら、タマちゃん。起きたのね」
ふふっと笑ってユキノが、鱗に覆われた頭を撫でた。
アルトゥロが「本当にドラゴンですね……」と呆然と呟く声が聞こえたが、応えられる者は誰もいなかった。
真珠のように輝く鱗に銀色の角、柔らかそうな白い羽に覆われた翼、それとは正反対の鋭い鉤爪、そして、吸い込まれそうなほどに澄んだアメジストを思わせる美しい瞳。小さな体に不釣り合いなほどの圧倒的な存在感がある。
だが、その美しいドラゴンは、何やら不満の様子だった。
「きゅいきゅーい」
「何度も起こしたもの。起きなかったのは、タマちゃんでしょう?」
ぶんぶんと上下に尻尾を振って何やらユキノに抗議するドラゴン――タマに、ユキノは素気無く答える。
「タマ様、今は大事なお話の最中でございますよ」
「そうだよ、静かに」
「しー」
ミツルと双子に窘められたタマは、きょろきょろとあたりを見回すと、見知らぬ人間が大勢いることに気付いたのか「きゅっ」と鳴いて、ミツルの肩へ飛んでいき、そこに座り込んで羽繕いを始めた。
「あれが、報告書のドラゴン、で間違いないか?」
ウィルフレッドが辛うじて口を開くことに成功する。
「ああ、そうだよ。驚きだよね、森で狩りをして戻ったら、ドラゴンがいるんだもの。あんな驚きは人生で早々ないと思うよ」
カイトが遠くを見つめながら言った。
「びっくりよねぇ。私も茹でたら、まさかドラゴンが出てくるなんて思わなかったもの」
ユキノは、のんびりとした調子で笑っている。
こんなにも繊細そうな見た目だというのに、言っていることとやっていることが、見た目に反して大雑把な夫にそっくりだった。
「従魔契約を結んでいる、とウォルフたちから聞いているんだが、それは本当か?」
「本当だよ」
ウィルフレッドの問いに応えてくれたのは、遠い目をしているカイトだった。
「タマが生まれた日の夜、夕食の支度をしているときに指をナイフで雪乃がうっかり切って血が出て、タマがぺろりと舐めたんだ。それで、そのあとユキノが「タマちゃん、ありがとう」ってお礼を言ったら淡く光って、その時は何か良く分からなかったんだ。でも、ウォルフたちに話したら、それは従魔契約が成立しているんじゃないかって教えてもらったんだ。それでランに調べてもらった結果、契約はきっちり成立していたんだ」
ウォルフの報告書に書いてあった通りの答えだった。
タマは、羽繕いを終えたのかミツルの肩の上にちょこんと座っている。アメジストの瞳がじいっとこちらを見つめていて、まるで品定めをされているような気分になる。
ジョシュアも名の知れた冒険者だ。これまでドラゴンの討伐クエストをこなしたこともあるが、それらは全て下位種だ。タマのような上位種に会うのは、これが初めてのことだ。
まるで自然の脅威そのものを目の前にしているような、心許ない気分になる。人がどうにかできるようなものではない、凄まじい生き物だ、と本能が訴えかけてくる。
「僕から見ている限りでも、完璧に従魔契約は成立していますよ」
アルトゥロが言った。
ナルキーサスに次いでこのアルゲンテウス領で優秀な魔導師である彼が、そう告げるとウィルフレッドは「そうか」とつぶやき、押し黙る。
悩みどころだろう。従魔契約が成立しているとは言え、ドラゴンはドラゴンだ。ユキノが本物である確証は、高まったとはいえ腹の底は分からない。マヒロがいれば、本当に簡単な話だっただろう。彼らを見て、確認してもらえばそれで済んだのだから。
だが、未曽有の大災厄を経験したばかりの町は、回復をしている最中だ。新たな脅威が万が一にでも潜り込めば、ブランレトゥは今度こそ、最悪の事態に見舞われるだろう。
しばらくして、ウィルフレッドが重い口を開いた。
「正直なところ、貴方がたはあまりに未知だ。ドラゴンを従魔にしているという点で、ありえない。我々の常識を逸しすぎている」
サヴィラが不安そうにウィルフレッドを見つめている。
「……だが、私は貴方がたを信じたいと思う」
群青色の眼差しが、ユキノたちを真っ直ぐにとらえる。
「とはいえ私はこのアルゲンテウス領の民を、このブランレトゥの町を、護ると誓っている身だ。だからもし、貴方がたがこのブランレトゥに害をなすことがあれば、私は相手が誰であろうと剣を抜く。その覚悟だけは、知っていてほしい」
「ならば、俺たちも誓うよ」
カイトが見慣れたロザリオを掲げた。それに続くようにユキノも同じものを手にしている。丸いガラス玉のような魔石の中に、彼らの目と同じ色の魔力がゆらゆらと揺れている。
「我らが愛するティーンクトゥス神と、愛しい家族のために、絶対にブランレトゥやそこに暮らす人々を傷つけることはしない、と」
「私たちは、ティーンクトゥス様の慈愛によって、この地に導かれて参りました。私たちの願いは、マヒロさんとイチロくんに会うことです。もし、不安であれば私たちは町の外に置いて下さってもかまいません。あの人が帰って来たら知らせて下されば」
「だめだよ! お兄ちゃんは、ユキノお姉ちゃんのことが大好きだからね、お外になんて置いてったら、怒って何するか分からないもん! 団長さんが可哀想だよ!」
ユキノの言葉を遮ったのは、真剣な表情をしたジョンだった。
ウィルフレッドが「ジョン……っ」と感動しているが、事実、ユキノをぞんざいに扱ったと知れば、マヒロがどうするのかは想像さえもできない。サヴィラとミアに害を為した騎士の処遇を思い出すだけでも、怖気が走るというのに、ウィルフレッドの胃が爆発するだけでは、間違いなく済まないだろう。
「ジョンの言う通り、貴女はガラス細工よりも丁寧に繊細に扱わないと、私の命が危ない」
ウィルフレッドが真顔で言った言葉を、誰も否定しなかった。ユキノも心当たりがありすぎるのか、苦笑を浮かべてなんとも曖昧な表情を浮かべている。
「マヒロ神父殿が戻るまで、町の中で暮らしてほしい。ただ、外出は控えて、そのドラゴン殿もあまり人に見られないようにしてほしい」
「ええ、もちろんです。ちぃちゃんと咲ちゃんもお約束できるわよね」
「できる、けど……ジョンくんと遊ぶのもだめ?」
銀に黄緑の混じる瞳の子の方が、寂しそうに言った。
ウィルフレッドが、ふっと表情を崩して首を横に振る。
「お友達と遊ぶのはもちろん構わないよ。その代わり、今はお祭りが近いから、遠くからも知らない人が町にたくさんやって来る季節だ。だから、外に出かけるときは必ず大人と一緒に出掛けること。分かったかい?」
「うん!」
「ありがとうございます!」
「ありがとう、団長さん!」
子どもたち嬉しそうに顔を綻ばせて、場が和む。
「俺も異論はないよ。みっちゃんは?」
「もちろん、基本的にはございません。ですが、私はマヒロ様よりユキノ様とマチ様、マサキ様の快適な生活を最優先するように申し付けられております故、私的な外出は控えますが、職務に伴う外出は許可を頂きたく存じます」
カイトに意見を求められて、ミツルが答える。ミツルの言葉にウィルフレッドは少し悩んだ後、「外出時には監視をつけさせてほしい」と提案した。ミツルは「かまいません」と即座に頷き、無事に話がまとまる。
「ハリエット事務官、説明を頼む」
「はい」
ウィルフレッドから、頼まれてハリエットがユキノたちに詳細を説明する。
マヒロが町に戻るまで過ごす予定の孤児院のことや、そこにいる職員のことなどを丁寧に説明していく。時折、カイトやミツルが質問をするがユキノは基本的に黙って聞いていた。
「これで、以上になります。何か不安な点などございましたら、いつでもお尋ねくださいね。これからマヒロ神父様のお屋敷に参りまして、その際、皆様の護衛につく騎士を紹介いたします」
「OK。じゃあ、移動しようか。……雪乃、体調は大丈夫?」
話を聞き終え、カイトがユキノに声を掛ける。
「ええ。大丈夫。ありがとう、カイトくん。お屋敷には、ミアちゃんがいるのかしら? サヴィラくんの妹なのよね」
「うん。ミアも貴女に会うのをずっと楽しみにしてたんだ。でも、会えなかったら可哀想だから、まだ教えていなくて……だからとっても驚くと思うよ」
サヴィラの言葉にユキノは「それは楽しみだわ」と笑った。
先に話は通してあるから、西門をすんなりと潜り、一行は屋敷へと向かっていた。
ジョシュアは、膝にジョンを乗せて馬で先導し、ウォルフとサヴィラが隣を同じく馬に乗ってついてくる。後ろには、リュコスが御者を詰める馬車があり、後ろからカロリーナとカマラたちが馬に乗って付いて来ている。
ウィルフレッドとアルトゥロはもう一台の馬車に乗っていて、ユキノたちの馬車にはハリエットが同乗させてもらっていた。
「どうっすか?」
少し近くに馬を寄せてウォルフが言った。
ジョシュアは、手綱をもてあそびながら「どうって言われてもなぁ」と返す。
「……とりあえず、あの執事、只者じゃないだろ」
「あ、やっぱり、分かります? 俺たちもいきなり背後取られてマジ驚いたっス。ユキノさんの護衛も兼ねてて、マヒロ神父様が直接指導していたらしいから、間違いなく強いと思うっス」
「なるほどなぁ……」
「でも、ミツルくん、優しいよ?」
ジョンが言った。そうかい、と笑って息子の頭を撫でる。
初めてマヒロに会った時のことを思い出す。
盗賊に襲われ、幼い子供たちの前で盗賊の首を刎ねるのを躊躇った結果、ジョシュアは劣勢だった。虫のごとく湧き出る盗賊に覚悟を決めようとした時、突然、現れたのはマヒロだった。
その強さもさることながら、まるで舞うように戦う姿は、とても美しく、あっけにとられたものだった。その後、顔を見てその美しさにさらに驚いたわけだが。
あの出会いからまだ一年も経っていないが、まさかここまで深く付き合うことになろうとは考えてもみなかった。いや、只者ではないと思ったから、ジョシュアは自分が見張るという意味合いも兼ねて傍にいたのだが、どうしてかマヒロの傍は居心地が良いのだ。それは多分、彼の本質が優しいからだろう。
ちらりと横を見れば、ご機嫌な様子でサヴィラが楽しそうにしている。手綱を操る手も軽やかで、心なしか彼の愛馬まで機嫌が良さそうだった。
ジョシュアの視線に気づいたサヴィラがこちらに顔を向ける。紫紺の瞳が不思議そうに瞬く。
「どうかした?」
「いいや、別に。それよりもうすぐそこだが、先に行くか? ミアたちを玄関に集めておいてもいいだろう」
ジョシュアの提案にサヴィラは「そうだね」と頷いた。
「じゃあ、先に行ってるね。行くよ、スズカゼ」
サヴィラは言うが早いか、愛馬に声を掛けて走り出す。ウォルフが心得たようにその背を追いかけていく。
賑やかな町の中で二人の背はあっという間に見えなくなる。
客人が来ることは、プリシラやクレアに伝えてはあるが、誰かと言うのは伝えていないから、驚くだろうなぁ、と思わず小さく笑いを零す。
「ねえ、お父さん。お母さん、元気になった?」
「うーん、つわりに波があるみたいで、元気な日は元気なんだがなぁ……こればっかりは薬じゃどうにもならないからな」
ジョンが心配そうに眉を下げる。
ジョンの時もリースの時もプリシラは、ほとんどつわりに悩まされなかった。よく食べて、よく寝て、よく働いて、お腹が大きくなってくると思いから動くのが大変と言っていたが、それまでは周りが驚くほど何もなかったのだ。
だが、三人目にして初めてつわりに悩まされている。男たちがおろおろしている横で、プリシラ本人もクレアやソニアなんかも「そんなもんよ」と堂々としているのだから、どうやっても彼女らには敵わない。
「でも、今日は朝から元気だったぞ。朝ごはんも食べてたし、調子がいい日のほうが長くなってるから、そろそろ落ち着くだろうな」
「そっかぁ。早くよくなるといいね」
「ああ、そうだな」
優しい息子の頭をまた撫でる。
それから間もなく、マヒロたちの屋敷が見えてきて、ジョシュアはそのまま中へ入っていく。庭師たちが何事かと興味深そうに木々の間から顔を覗かせている。
エントランスへ続くポーチには、サヴィラがいて隣にはミアが立っていた。
「あ、ミアちゃんだ! ミアちゃーん! ただいまー!」
ぴょん、とジョンが飛び降りて一目散にミアの元へ行く。馬は歩いている速度だから構わないが、そんなに好きかと遠い目になる。ジョンくん、と弾んだ声がして、再会の抱擁を交わしている。サヴィラはそれを微笑まし気に見守っているが、ジョシュアとしては息子が挑む山があまりにも高いのを知っているから何とも言えない気持ちになってしまう。
ポーチに入り、馬を降りる。
「ほら、エントランスの中で待ってな。今から馬車も来るから危ないぞ」
ジョシュアは、馬を待機していた騎士に任せて子供たちを促して中へと入る。
マヒロが施している守護魔法関連は、中でなければ効果を発揮しないのだ。
「ジョンくん、おかえり。ケガはない?」
「ないよ、大丈夫。危ないことは一つもなかったから」
ミアの問いにジョンが笑顔で答えると、ミアはほっとしたように表情を緩めた。
「おかえり、ジョン」
「あ、お母さん!」
ジョンがプリシラに気づいて、お腹に気遣いながらそっと抱き着く。プリシラは「元気そうね」と愛おし気に金茶色の髪を撫でて、スカートの陰から出てきたリースも兄に抱き着いた。
少し遅れてやってきたレオンハルトもジョンに気づいて、嬉しそうに駆け寄っていく。
「ジョンくんのお父さん」
くいっとズボンの裾を引かれて顔を向ければ、ミアと目が合う。
「お客さまは?」
「もう来るよ」
「だれが来るの? サヴィったら、いじわるして教えてくれないの!」
ぷぅとミアが頬を膨らませてサヴィラを睨むが、サヴィラはふふっと笑ってそれを受け流してしまう。
「サヴィラが内緒だっていうなら、俺も言えないなぁ。ははっ、すごい顔だ」
ぱんぱんに頬を膨らませるミアの顔を両手で包み込んでむにゅっとする。すると「いーっ」と顔をしかめられてしまったが、それはそれで可愛いらしい。
ことあるごとにミアは嫁には出さないというマヒロに呆れ気味だったジョシュアだが、いざ三人目が出来て女の子かもしれないとなると、彼の気持ちが分かってしまうような気がする。正直、男でも女でも母子ともに健康であればどちらでもいいのだが、いざ女の子だったら自分も「嫁には出さない」と言い出しそうで怖い。
「はいはい、お客様が来ますよ」
クレアの言葉にミアが、ぱっとドアを振り返る。ドアの外は先ほどから賑やかだ。
ウォルフがドアを開ければ、まずウィルフレッド、アルトゥロ、カイト、そして双子が入って来る。
「……小さい、パパ?」
ミアがきょとんとして首を傾げる。
だが、その後、ミツルにエスコートされてやってきたユキノを目に入れた瞬間、ミアが息をのんで、何故か小さな両手で口元をおおった。
プリシラやクレアは、ユキノの顔を知っているから驚いた様子で目を瞬かせジョシュアにどういうことかと目で訴えてくる。
「初めまして、マヒロの妻のユキノです。あなたが、ミアちゃん?」
ユキノが真っ先にミアのもとへやって来て、目の前に膝をついた。
問い掛けられたミアは、こくこくと頷く。
「会えて嬉しいわ。ウォルフさんに聞いて、ミアちゃんにもサヴィラくんにも会いたくてたまらなかったの」
こくこくとミアが何度も何度も頷く。
何故か両手で口を押えて喋らないミアにサヴィラが首を傾げる。
「……どうしたんだ、ミア? 喋ってもいいんだぞ?」
サヴィラが背をかがめてミアに声を掛ければ、ミアがその耳元でひそひそと何か言った。するとサヴィラが、ふっと柔らかな笑みをこぼしてミアの頭を撫で、こちらを振り返る。
「嬉しすぎて大きな声が出そうだけど、シラのお腹の中の赤ちゃんがびっくりしたら可哀想だから我慢してるんだって」
思わずプリシラと顔を見合わせ、視線を彼女のお腹に向けた。まだ膨らんでもいないお腹の中の小さな命にミアは、随分と気を使ってくれていたようだ。
「ふふっ、ありがとう、ミア。でも大丈夫よ、私がこうやって赤ちゃんお耳をふさいでおくから」
そう言ってプリシラが自分の両手をお腹に添えた。ジョンが「僕も!」と母の手に自分の手を重ね、リースがそれを真似てジョンの手に自分の手を重ねる。ならジョシュアも参加しないわけにはいかない、とプリシラを後ろから抱き締めるようにして子供たちの手ごと包み込む。
「ほら、ミア。これで大丈夫だ」
ミアの顔がぱっと輝き、勢いよくユキノを振り返る。
「ママ! ミア、ずーっとずーっとまってたの!!」
その言葉にユキノはぱちりと目を瞬かせると、嬉しそうに微笑んだ。細い手がミアの頬に延ばされる。
「ママって呼んでくれるのね? 嬉しいわ。私、ミアちゃんのママになってもいいかしら」
「いいのよ! だって、パパの大好きな奥さんだからね、だから、ミアのママなの! ミアにはね、お母さんもいるけど、ママもいるの!」
ミアがぎゅうとユキノに抱き着けば、ユキノはその小さな背中を優しく抱き締め返す。
サヴィラがすぐ傍にしゃがみこみ、気恥ずかしそうに口を開いた。
「……ねえ、俺も……その、母様って呼んでいい、ですか? へっ! うわ!」
ユキノが顔を上げて悪戯に笑うとサヴィラもその腕の中に迎え入れた。
マヒロに抱き締められることには慣れていても、女性に抱き締められることないサヴィラが顔を真っ赤にする。
「もちろんよ、サヴィラ。……会いたかった、本当に会いたかったわ」
ユキノの目じりに光るものが見えた。
微かに震えている声には、心からの喜びが感じられる。ユキノは、腕の力を緩めて、目じりを指で拭い、二人の頬を包み込むように撫でて笑う。
「ウォルフさんに聞いてから、貴方たちに会いたくて会いたくて仕方なかったのよ。ちぃちゃんと咲ちゃんも、二人に会えるのを楽しみにしていたのよ」
何故か静かに号泣しているミツルの後ろに隠れていた双子がひょっこりと顔を出す。
テントで会った時も思ったが、人見知りをしているというよりは、なんだか不安そうな顔をしているのが気にかかる。
「俺も……俺も、会いたかった。大好きな父様が、一番愛する母様に、もちろん父様が可愛いって自慢ばっかりしてた、マチとマサキにもね」
「本当にパパを小さくしたみたい! ミア、お兄ちゃんがふえるのも、楽しみにしてたのよ!」
人の心の機微に敏い兄妹は、双子の心の不安を感じ取ったようだった。紡がれた言葉に双子は顔を見合わせたあと、カイトに背を押されておずおずと二人の前にやって来た。ユキノが立ち上がり場所を譲る。
「僕は真智。こっちが弟の真咲」
「ぼ、僕たちもサヴィラくんとミアちゃんに会えるの、楽しみにしてたんだよ」
緊張しながらもにこっと笑った双子は、とても可愛らしくて、つられてミアとサヴィラも笑みを浮かべる。
「パパがねぇ、マチくんとマサキくんのお話もいっぱいしてくれたのよ。ね、サヴィ」
「うん。おかげで二人が初めて喋った言葉も、初めて歩いた日のことも、好きな食べ物も好きな遊びもなんでも知ってるよ」
二人の言葉にマチとマサキは、ぽかんとしていたが次第にその言葉を理解して今にも泣き出しそうな、安堵したような顔で不格好に笑った。
「……まぢざまぁ、まざぎざまぁ、よがっだでずねぇっ」
ハンカチをびしょびしょにしながらミツルが言った。
本当に何がどうしたというほど泣いているが、カイトもユキノも双子でさえも動じた様子はない。カイトは慣れた様子でミツルの背中をさすり、ユキノは新しいハンカチを彼に渡した。
「ごめんなさい、ミツルさんは涙腺がもろくて」
「みっちゃんは泣き虫なんだよなぁ」
ユキノとカイトが苦笑交じりに告げる。
すると泣き虫をあやすのが得意と自負しているミアが彼のもとに行く。くいくいっと彼のズボンを引いて「しゃがんで」とお願いすれば、ぐずぐずと鼻をすすりながらミツルがしゃがむ。するとミアがミツルの頭をぎゅうと抱き締めた。
「いたいのいたいのとんでけー、怖いのはないないしたから、泣いちゃだめよ?」
「ミ、ミアお嬢ざまぁっ、ああっ、真尋様に、そっくりな、その、お優しさっ! 感無量にございまずぅっっ!」
結果、ミツルはますます泣き出したのだった。
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もう少しだけブランレトゥ回が続きます!
次話もお楽しみいただければ、幸いです。




