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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
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第十六話 伝えられずにいる男


 雨が降ったり、止んだりと朝からどうにも安定しない天気だ。

 サヴィラは、サロンでテディをソファ代わりにシルヴィアとラビちゃんでおままごとをしているミアをぼんやりと見守っていた。二人がきゃらきゃらと笑う声やひそひそと話す声が穏やかで心地よく耳になじむ。

 膝の上に広げられた本は、先ほどから一ページだって進んでいない。頭の中に内容さえ、入って来ないままだった。

 明日の午後には、マヒロの妻だというユキノがこの屋敷にやって来る予定だ。

 だが、それをまだミアには伝えていなかった。

 ジョシュアは、約束通りマヒロが書いたユキノの似顔絵を夕食前に一度、返しに帰って来てくれた。そのあと、また慌ただしく出かけて行って、戻ったのは夜更けだと朝、クレアが教えてくれた。だが、今日も朝食を食べると慌ただしくレイと共に出かけて行って、なにやらとても忙しそうだ。屋敷には、リックが所属していた第二小隊の騎士たちが警護に立っている。

 レオンハルトは、勉強が遅れてはいけないからと今日は図書館で勉強をしている。講師は貧乏くじを引いた商業ギルドのギルドマスターでマヒロの友人でもあるクロードだ。おいそれと知らない人を屋敷に招くわけにはいかないので、身元がはっきりしていて、事情も話せて、周囲からの信頼もあるということでクロードが抜擢されたのだ。屋敷に来た彼のいつも青白い顔が、ことさら青白かった。

 不意に、コンコンとドアがノックされる。顔を上げれば、ダフネ護衛騎士が立っていた。


「シルヴィア様」


「どうしたの、ダフネ」


 シルヴィアがままごとの手を止めて首をかしげる。


「奥様がお呼びですよ。シルヴィア様のワンピースを仕立てたいので、寸法を測らせてほしいそうです」


「まあ、ほんとう? ミアちゃん、お母さまのところにいってきていいかしら?」


「うん。素敵なワンピースになるといいね」


 嬉しそうに顔をほころばせたシルヴィアにミアも嬉しそうに頷いて、友人を送り出す。シルヴィアは、マヒロ手製のウサギの人形を片腕に抱えて、ダフネと手を繋ぎサロンを出ていく。

 途端に静かになった広いサロンで、ミアがくるりとサヴィラを振り返る。珊瑚色の大きな目がじぃっとこちらを見つめている。


「サヴィ、お腹痛いの?」


「……? なんで?」


 急な問いかけにサヴィラは首をかしげる。

 ミアは、よいしょ、とラビちゃんを抱えて立ち上がるとサヴィラの元にやって来て、目の前にペタンと座った。かと思えば、膝立ちになって小さな手がサヴィラの額に触れた。じわりと獣人族特有の高めの熱が小さな手の平から伝わってくる。


「ちゃんと冷たいわ。お熱はないのね」


「ふふっ、ないよ」


 その言い方が可笑しくて、サヴィラは笑う。ちゃんと冷たいとはなんとも面白い言い方だ。


「もう、ミアは心配してるのに」


 むぅと頬を膨らませたミアに「ごめんごめん」と謝って、無意味に開かれていた本を閉じて脇に置き、妹の小さな頭を撫でる。白いウサギの耳がぴょこぴょこと不機嫌に揺れた。


「俺は元気だよ。朝だって昼だって、ちゃんとご飯を食べただろ?」


「でも、元気がないわ。ミアにはわかるもん」


 拗ねたように唇を尖らせてミアが言った。

 ああ、鋭いなぁ、とサヴィラはミアの真っ直ぐな珊瑚色の瞳から逃げるようにして、目を伏せる。

また降り出したのか、ぱらぱらと拙い雨の音が聞こえてくる。静かなサロンにその音がじわりじわりと染み込むように広がっていく。


「…………ミアは、母様に、ママに会いたい?」


 ミアを見ないまま、サヴィラは問いかけた。


「うん。だって、パパの大好きなひとだもん。サヴィだって会いたいでしょ?」


 すぐに返事が返されて面食らう。少しは悩むかと思ったのだ。


「怖いとか、嫌だとか、そういうことはないの?」


「んー? よくわかんない。でも……ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけ、心配なことがあるの」


 顔を上げるよりも早くミアが、サヴィラの膝の上にちょこんと座った。とん、と小さな背が寄りかかって来る。


「パパは、ママが大好きだからミアと一緒にねてくれないかもしれないもん。でもね、ジョンくんがパパとママと夜、べつべつにねると弟か妹が生まれるって言ってたから、ミア、がまんできるかもしれない」


 拗ねるように唇を尖らせたかと思えば、思案するようにミアが言った。

 ジョンは何をミアに言ったんだろうと、可笑しくなって笑ってしまう。


「じゃあ、その時は、今みたいに俺と一緒に寝る?」


「本当? サヴィが一緒なら、がまんできるわ!」


「ぐー」


 くるりと振り返ったミアが嬉しそうに抱き着いて来る。すると、俺もいるぞと言いたげにソファになってくれていたテディが大きな鼻でミアのほっぺをつんつんする。


「もうテディ、おはなが冷たいわ!」


 ミアがぺんぺんと鼻を撫でれば、テディはまた「ぐー」と鳴いて楽しそうに頭を揺らした

 サヴィラは、ミアの様子を見ながら、母様のことは明日、来る直前に話そうと心に決めた。

 ユキノのことは一応まだ極秘事項だ。きっとはしゃいだミアは、ジョンやシルヴィアに伝えたくなってしまうだろう。それにまだ予定の段階であって、本当に明日、ここへ来られるのかも分からない。もし来られなかったら、ミアはがっかりしてしまうだろう。父の不在で、時折、寂しそうにしている可愛い妹をむやみに悲しませるような真似をサヴィラはしたくなかった。


「ねえねえ、サヴィ。今日のおやつはなにかな?」


「さあ、なんだろうな。ミアはなにがいいんだ?」


「うーんとねぇ、昨日はリンゴだったからねー、今日はブドウがいいなぁ」


「一昨日、ブドウだったじゃん。俺はプリンとかがいいな」


「えー、ミア、果物がいいー」


「俺、乳製品がいいー」


 ぷぅっと頬を膨らませて抗議してくるミアの頬をつんつんとつついて、サヴィラは笑う。

 サヴィラにとって、最も重要なことは、大切な可愛い妹が笑顔でいてくれることだ。


「あ! おやつの時間!」


 不意にミアが顔を輝かせる。

 サヴィラよりずっと優れたミアの耳は、クレアが鳴らすベルの音を拾ったらしい。サロンの柱時計を見れば、ちょうど、午後三時。まさにおやつの時間だった。


「サヴィ、ヴィーちゃん、おむかえに行きましょ!」


「はいはい」


 ぴょんと立ち上がったミアに手を引っ張られて立ち上がる。テディが、ぐーっと伸びをしながら起き上がって後について来る。のそのそと歩くテディの首元に、ミアを抱き上げて乗せる。


「テディ、ヴィーちゃんのお部屋にしゅっぱつよ!」


「ぐー」


 のっそのっそと少し速度を上げてテディが部屋を出ていく。ミアはとても楽しそうで、その背をのんびりと追いかけながら、サヴィラはいつの間にか心の中にあった小さな不安がさらに小さくなっていることに気が付いた。きっと、会って話をしてみるまでは、この不安は消えないのだろう。

 けれど、それ以上に期待や希望が大きかった。

 ミアの言葉を借りれば、「だってパパの大好きな人だもん」という一言に尽きるのだ。

 サヴィラが大好きだと胸を張って言える愛する父が、心から愛する人がどんな人なのか、サヴィラだって楽しみにしていたのだ。


「……早く、会ってみたいな」


 ぽつりとつぶやいて、サヴィラは小さく笑みをこぼしたのだった。





 ウォルフは、くぁと大きく口を開けて欠伸を一つ零した。

 大きな木の下に置かれたガーデンチェアは、ウォルフのお気に入りの場所になっていた。

 離れでは、ユキノがせっせと明日の出立に向けて仕事をしていて、ミツルが何やら忙しそうに母屋と離れを行ったり来たりしている。カイトはお遣いに出かけていて、ジョンは村の友人たちにまた町に戻ることを伝えに行っている。

ウォルフの仲間たちも土産の到達や薬草採取、馬車の点検とそれぞれの仕事に出かけている。明け方まで、寝ずの番をしていたウォルフは、仮眠と取って、遅い昼ご飯を食べて、今はこうしてのんびりしているわけだ。

椅子に深く腰掛けて空を仰ぐ。枝葉の隙間から見える空は、雲が多く、時折太陽が顔を出してはすぐに雲にのまれて見えなくなる。

 くんっと匂いを嗅いでみれば、微かに雨の匂いが感じられる。この分だと、あと一時間もしないうちに雨が降り出すだろう。

 庭先で風に揺れている洗濯物に気づいて、取り込もうかと腰を上げかけたところで、ジョンの祖母が出てきてあっという間に洗濯物はしまわれてしまった。


「……早い」


 手を出す間もなかったな、と再び椅子に腰を下ろす。

 ざわざわっと風が吹き抜けて、ウォルフの髪を揺らす。ほんのりと湿り気を帯びた冷たい風にますます雨が降るのだという予想が現実味を帯びてくる。もうしばらくすれば、畑や牧場に出ている者たちが帰って来るのだろう。

 不思議とカロル村は、ブランレトゥよりも時間の流れが緩やかに感じられた。それは、風に乗って聞こえるボヴァンやムートンの鳴き声であったり、農夫たちが畑を耕す音であったり、町では聞こえないような音がそう思わせているのかもしれない。


「戻ったら戻ったでまた忙しいんだろうなぁ、仕方ねぇけど」


 はぁ、とため息を零して、深く椅子に腰かけて脱力する。

 頭の中でこれからすべきこと、やらなければならないこと、おそらく指名されるであろう任務、とあれこれ考える。

 ランクが上がれば上がるだけ、責任も向けられる信頼や期待も重くなる。もちろん、それに応えられるだけの実力があることは自負している。ウォルフは、ずっと冒険者として努力と研鑽を積んできたのだ。

 だが、それはそれ、これはこれだ。やっぱり自由に平原や森を仲間たちと駆けまわって、獲物を仕留めている時が一番楽しい。


「収穫祭が終わったら、イチロとクエスト行きてぇな。めっちゃ強いの俺が倒して褒めてもら……あー、でもイチロ、血生臭いの怖がるからなぁ」


 大好きなリーダーは容赦がないわりに聖職者と言うだけあって、一応冒険者登録もしているのに血生臭いのが苦手だ。小さなラスリの解体だってできないほどだ。魔獣討伐クエストは断られる可能性があるから、薬草採取クエストのほうがいいかもしれない。

 むしろ、それはそれで楽しいかも知れない。イチロとその番のティナ、ロボ一家、それで狼のしっぽのメンバーでピクニックでもかねて行けばいいのだ。ロボたちがいれば魔獣は出て来ないから、ティナの安全も守られるし、ティナが美味しいお弁当を作って来てくれる。むしろ、それはそれで楽しいかも知れない。


「ピクニックだ。収穫祭が終わったら、ご褒美にピクニックに行こう」


 ウォルフは、誰にともなくつぶやいて拳を握りしめた。

 これだけ頑張っているのだから、それくらいのご褒美があったっていいはずだ。


「よーし、そうと決まればカマラに相談……ん?」


 そろそろ帰って来るだろう最愛の恋人を思い浮かべて立ち上がったところで、ふと、家の裏手の方に続く小径の前でタマがおろおろしているのを見つけた。

 ジョンの実家の庭はとても広く、更には裏庭まである。あの小径は蔓薔薇のトンネルに覆われていて、その向こうにはまたこちらとは少し趣の違う裏庭があるのだ。


「おい、タマ、どうしたんだ?」


「きゅ? きゅーい!」


 くるりと振り返ったタマが嬉しそうに飛んでくる。ウォルフの服の袖をぱくりと咥えると、ぐいぐいっと裏庭の方へ引っ張ろうとする。どうやら、ウォルフに裏庭に行ってほしいようだ。

 出会って一週間と経っていないが、このドラゴンは非常に頭が良い。人の言葉をきちんと理解している。ロボ親子然り、テディ叱り、魔獣もランクが上がれば上がるほど、人の言葉を理解するだけの知能を有している。


「分かった、分かった。ちょっ、お前、穴開くだろ、カマラに怒られる!」


 ついていく意思を示して歩き出せば、どうにか袖を噛むのはやめてくれた。

 きゅいきゅいと鳴くタマの後について、ウォルフはつる薔薇のトンネルをくぐる。きっと、初夏のころには、美しいトンネルなのだろう。だが、今はまだ残る葉が生い茂っていて、曇り空と言うのも相まって薄暗い。

 小さな裏庭には、小さな池と木製のベンチが置かれている。そのベンチは、蔓性植物のウィスティアリアの棚の下にある。ここも初夏の頃なら、ブドウの房のような紫の花がたくさん咲いて、綺麗なのだろうが、いまはやっぱり葉に覆われて、薄暗い。

 そのベンチに双子がいた。二人ともぴったりとくっついて、膝を抱えて小さくなっている。

 ウォルフの耳は、ぐすっぐすっと二人が鼻をすする音を拾う。どうやら泣いているようだ。


「せ、専門外だ」


 ここまでウォルフを連れてきたタマに耳打ちするが、タマは「お前が行くんだよ」と尻尾でウォルフの肩を叩いた。幼獣とはいえ、相手はドラゴンだ。結構痛い。

 ウォルフは、子どもは好きだ。カマラと一緒に自ら孤児院への宿泊を申請して、子どもたちと一緒に過ごす時間を設けている。だが、なんというか、泣いている子どもにはどう接していいか未だによく分からないのだ。しかもマヒロの弟たちは、あの見た目に反して適当で大雑把な兄に似ずとても繊細そうで、ますますどうしていいか分からない。マヒロなどはすぐに拳で解決しようとして、イチロに怒られているというのに。


「ユキノさんとかミツルを呼んでくるのじゃ、だめなのか?」


 ウォルフの提案にタマはふるふると首を横に振った。


「……喧嘩でもしたのか?」


 その問いにもタマは首を横に振った。


「じゃあ、なんなんだよ……」


 いよいよ参ってしまう。

 イチロと行動することがほとんどで、マヒロとそこまで親しいわけではないが、なにやら込み入った家庭の事情があることくらいは知っている。両親が健在だというのに、幼い兄弟は兄夫婦を選んでいることもその一つだ。それに見ていると、ユキノと双子は、姉と弟には全く見えない。母と息子と言われた方がしっくりくるのだ。むしろ何も知らない人間ならば、彼らを親子だと信じて疑わないだろう。

 幼い弟妹を年が離れた兄姉が面倒みることは、多々あることだろうが、それでもやっぱり兄弟は兄弟のはずなのに、彼らはどうやっても親子のそれなのだ。


「きゅーいー!」


 タマが早く行け、としり込みするウォルフの肩をバシバシと尻尾で叩く。


「だから、痛いっ、分かった、分かったっつーの!」


 しまいには、ぐりぐりと小さな頭を押しつけられて、地味に痛い。

 ウォルフは、深呼吸を一つして止まっていた足を動かす

 ほんの十歩も歩いたところでついてしまう。心の中で、最愛のカマラを呼びながら、ウォルフは二人の前にしゃがみこんだ。


「……あー、どうしたんだ?」


 ぐすんっと鼻をすする音が二つ揃って聞こえただけで、返事はない。

 ウォルフは、必死にカマラを心の中で呼びながら、後ろを振り返る。タマが、すーっと飛んで来て、ウォルフの肩に乗った。首を伸ばして黒い髪にキスすように鼻先をくっつけ「きゅーい……」と弱弱しく鳴いた。

 多分、ウォルフが来る前もタマなりに二人を慰めてはいたのだろう。だが、どうにもならなくなってウォルフを探して呼びに来たのだ。ユキノたちを呼ばなかったということは、家族ではない誰かの方がいいと、この賢いドラゴンは判断したのだろう。


「…………マチ、マサキ。どうしたんだ? 俺で良ければ話してみろよ」


 ウォルフの出せる精一杯の優しい声で、もう一度、声を掛ける。

 よく見れば、二人はお互いの手を固く握りしめあっていた。まるで、絶対に引き離されまいとしているかのようにウォルフの目には映った。

両手を伸ばして、それぞれの小さな肩をそっと撫でた。拒否されなかったことに、ほっとする。

 最初に顔を上げたのは、マチだった。銀に黄緑色が微かに滲む瞳の色は、そっくりな双子を見分ける一番、分かりやすい。

 大きな目からぽろぽろと涙が零れて、まろい頬を濡らしている。


「そんなに泣いてると、目玉が溶けちまうぞ」


 ウォルフは、その頬を包み込むように涙をぬぐう。

それでも涙が止まることはなくて、まるで雨のように降り続け、彼らの頬やウォルフの手を濡らす。


「どっか痛いのか? 具合でも悪いとか……」


 マチがふるふると首を横に振った。

 小さな唇が、躊躇うように動くのを見つけて、ウォルフは何も言わずにマチが言葉を見つけるのを待った。


「…………おにいちゃ、ん、に……あいたい……っ」


 ささやくように小さな声だった。ウォルフが、獣人族でなければ聞こえなかったかもしれないような、本当に小さな声音で紡がれた言葉は、その音量に似合わない強い願いが込められていた。

 それと同時にユキノやミツルには言えない願いなのだろうと気づいて、眉を下げる。


『お兄ちゃんに、会いたい』


 ただそれだけの言葉は、彼らの心にあるすべての感情が詰め込まれているほどの強い願いなのだ。


「ごめんな……マヒロ神父様、きっとすぐに帰って来るからな」


 ウォルフは肩を撫でていた手を伸ばして、二人を抱き締めた。タマが、きゅーと鳴きながら二人に頭を寄せて寄り添う。


「……おにちゃ、僕たちの、こと……きらいじゃ、ないかな」


 ためらうように紡がれた言葉にウォルフは抱き締める腕に力を込めた。


「そんなわけないだろ。マヒロ神父様は、ジョンにいっぱいお前たちの話をしてたってジョンから聞いただろ? お前たちが大好きで大切だから、ジョンに話したんだよ」


 ウォルフは、彼らの故郷がどこにあるのかは知らない。イチロも遠い場所であることしか教えてくれない。

 ここへ来るまで、長い道のりだったろう。別れだって突然だったとイチロは言っていた。

ならば、この小さな子どもたちは、最愛の兄との突然の別れに、どれほどの想いをしたのだろうか。

 悲しくて、怖くて、やるせなくて、不安で。ウォルフが考え付く以上に様々な感情に心をすり減らしながら、ここへ来たのだ。ユキノやミツルと共に「ブランレトゥでマヒロは生きている」という情報だけを頼りにやって来たのだ。

 そして、ついに会えると思ったのに、マヒロは遠い東の地に旅立っていて、その落胆はどれほどのものだっただろう。もしかしたら、嘘かも知れないという不安だってあるだろう。

 だが、優しいこの子たちはきっと、その落胆や不安が自分だけのものではないこともきちんと理解している。だから、同じようにマヒロとの再会を望むユキノやミツルには、どうしても言えなかったのだ。

 ウォルフは、彼らの家庭内の複雑そうな事情は知らない。マヒロのこともイチロのことほど詳しいわけではない。

 だが、それでもマヒロがとてもとても愛情深い人だということは、知っている。


「大丈夫だよ。何にも心配することなんてないさ。お前たちの兄さんは、お前たちを嫌いになるような格好悪い兄さんなのか?」


「お兄ちゃんは、かっこいいも、ん」


 泣き過ぎてしゃくりあげながら、マチが反論してくる。


「だろう? 俺の知ってる限りでも、マヒロ神父様はとーっても格好いい男だぜ。それにまずは、お前たちが信じなきゃだめだ。な?」


 ぐしゃぐしゃと二人の頭を撫でた。

 うん、とぐずったような返事が返って来て、苦笑を零す。


「ほら、あんまり泣いてると、ユキノさんが心配するぞ」


 うんうん、と頷きながら、ウォルフの肩に目を押しつける。

 あと何日したら帰って来るぞ、と言えないことがもどかしかった。それを伝えられれば、それだけで幼い心が軽くなるだろうに。

 ウォルフは、二人を抱き締めて、時折、その背をあやすように撫でながら、マヒロが一刻も早く帰って来てくれることを切に願ったのだった。


 





 レベリオは、暗い夜の中を愛馬を急き立て駆け抜ける。

 時折、何かしらの魔獣が襲い掛かって来るが、剣と魔法でいなし只管に突き進む。怪我を負ったり、魔力が減ったりしたらマヒロがくれた聖水を飲んで無理矢理にでも治した。愛馬にも時折飲ませてやれば、健気に応えて再び力強い足取りで大地を蹴ってくれた。

 この聖水は、レベリオ個人に宛ててに届いた。ただ一言、必要だろうからと添えられた手紙には何も書かれていなかったけれど、マヒロはレベリオがこうしてナルキーサスの後を追いかけることを知っていたのかもしれない。

 レベリオがナルキーサスに出逢ったのは、今から二十数年前のことだ。

 当時、乳兄弟でもあり主でもあるジークフリートが王都にある王立の学院に籍を置いていて世話係兼護衛だったレベリオも彼と共に勉学に励んでいた。そして卒業を翌年に控えた秋の日、レベリオは運命の伴侶に出逢ったのだ。

 ナルキーサスは、当時、王立魔導院に籍を置く、優秀な魔導師で実地訓練の特別講師として招かれた彼女に一目で恋をしてしまったのだ

 どこの誰なのかを担当教官から聞きだして、次の自由休暇日には魔導院へ直接会いに行っていた。

 ジークフリートに一方的にあれやこれやと相談して、レベリオはただ只管に情熱的に真摯にナルキーサスに求婚し続けた。恋人なんて結婚した後に満喫すれば良いとさえ思っていた。美しく気高いナルキーサスを他の誰にも奪われたくなくて、必死だった。

 百歳以上年上だったため、最初の頃は男扱どころか成人していたのに大人扱いさえしてもらえなかった。花を贈っても、お菓子を贈っても、ドレスやアクセサリーの類を贈っても反応はいまひとつだった。彼女の好きなものが何か分からなくて頭を抱えたレベリオにこっそりと「骨だよ」と教えてくれたのは彼女の師匠の魔導師だった。

 だがしかし、骨とはこれ如何に。とそれはそれで頭を抱えたものだった。

 人気職人の一点もののネックレスを用意するよりもある意味難しい課題だった。まさか自分の腕を切り取る訳にもいかず、誰かに「骨をくれ」という訳にもいかない。だがこっそり彼女の同僚に行った裏付け捜査では、彼女が極度の骨愛好家であることは間違いなかった。

 だからまず、レベリオは人体解剖図を手に入れて骨の名前を覚えることに専念し、次に厨房で〆たばかりのプーレを一羽もらって丁寧に骨を外して、骨格標本を作って彼女にプレゼントした。ジークフリートはドン引きしていた。

 ナルキーサスは「私は人の骨専門だよ」と言いながらも、それを受け取ってくれた。君は変わっているな、なんて言いながらナルキーサスはその時初めて、少女のように可憐に笑ってくれたのだ。

 何百回目かの求婚に彼女が頷いてくれた時は、天にも昇る気持ちだった。

 レベリオの中に流れるエルフ族の血はたった四分の一だけれど、種族はエルフ族であることに違いないレベリオにとって運命の伴侶は彼女しかありえなかった。

 エルフ族同士の婚姻は、より子供ができにくい。

 それでも結婚して間もなく授かった命は、レベリオをますます幸せにしてくれた。

 ナルキーサスは酷い難産で治癒術師に死をも覚悟をしてくれと言われた。苦しんで、痛みに耐えて失った物も大きかっただろうに彼女はレベリオとシャマールの下に帰って来てくれた。


「……シャマール……ッ」


 ナルキーサスによく似た愛しい息子。

 髪はレベリオと同じ亜麻色だったけれど、瞳はナルキーサスとレベリオの瞳の色を足した、溌剌した新緑を思わせる黄緑色だった。

 その瞳がレベリオを映して、稚いその声に「お父様」と呼ばれることが、たったそれだけのことが何より幸せだった。

 本当に、本当に、愛していたのだ。何度、自分の命を与えられたらと願ったかなんて知れない。地位も名誉も財産も何もかもを捨て去って、例えば乳兄弟でもあるジークフリートを裏切る結果になっても、それでシャマールが助かるのならレベリオは喜んでそうしただろう。

 けれど、シャマールは死んでしまった。エルフ族の長い命をたった七年しか生きられずに、レベリオとナルキーサスを置いて逝ってしまった。

 この十三年間、思い出さない日は一日だってなかった。

 でも、それをレベリオはナルキーサスに言えなかった。

 マヒロの屋敷で盛大な喧嘩をし、久方ぶりに自宅へ夫婦そろって帰ったあの日、収束を見せない喧嘩は夫婦の寝室でも続行されて、ナルキーサスがこう叫んだ。


『君の口から、もうずっとシャマールの名前を聞いたことさえもない!! 顔を合わせれば私の生き方を否定するばかりじゃないか!! この町で、あの子のことを知っているのは、私と君とジークとウィルだけだというのに、君は……君は、私と一番愛しい想い出さえも共有してくれない……っ!!』


 レベリオは何も言えなかった。言葉が喉の奥に詰まって、出て来なかった。

 そして、何も言わない夫に失望してナルキーサスは、閉じ込めた部屋の窓から逃げるように出て行ってしまったのだ。

 追いかけて、捕まえて、何が言えるだろうか。そんなことばかりぐるぐると考えながら愛馬を走らせる。

 何を言うか、何をするべきかなどどれほど考えても考えても、正解などさっぱりと分からないのだから、今はただ一秒でも早く彼女に会いたかった。

 後のことは会ってから考えればいい、そう自分に言い聞かせてレベリオは夜を駆け抜けていくのだった。


―――――――――――――――

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません><。

その間も、感想、評価、ブクマなどなど本当に有難いです。


次のお話も楽しんでいただければ幸いです♪


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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です!待ってました!
[一言] 更新本当にありがとうございます!!!!!!! この物語が大好きで、大好きで何回読んだことか!!!!!! このご時世ですからどうぞご自愛ください。 心身の健康を願っています。 本当にこの小説を…
[良い点] 更新有難うございます‼️ 泣いたり笑ったりしながら楽しく読ませてもらってます。
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