3コマ目 目覚めた神子と並んだベッド
「・・・ん」
ベッドの方から小さな声が聞こえた。
右手を少年に掴まれたまま、もう片方の手で本を読んでいた有はそれをそっと近くのテーブルに置いた。
テーブルの上には置いた本のほかには、カラ茶の入ったポットと、カップが置かれている。
カラ茶はミントに近い、スッとした香りと少し甘い味が特徴のお茶だ。
本やテーブル、ティーセットは現在の神子付きの御世話係の人が気を利かせて持ってきてくれたものだった。
ちなみにジズやシュヴァイは有と神子の事を国王に報告した後、勤務に戻っていった。
なぜなら既に昼は過ぎ、時刻は六時を指しているのだから。
有がベッドに手を掛け、少年を覗き込むと、一瞬眉を寄せた後ゆっくりとその眼が開かれた。
『おはよう』
少年は有の顔を見ると驚いたように目を開き、起き上がった。
『夢じゃない・・・』
またも泣きそうになる少年。
『うん、頬抓ってあげようか?』
そっと頬に手を伸ばすと、ぶんぶんと頭を振った。
『冗談だよ』
有はその手をそのまま、少年の頭に乗せて優しく撫でた。
籠っているから浴場にも行ってないのだろう、その黒髪は少ししっとりとしている。
『君の名前は?』
『時田 修也・・・』
久しぶりの人肌に安心しているのか、目を閉じている。
『修也くんか。修也くんは中学生?』
そういうと眼を開けてギロリと睨まれた。
あれ?
『高1だよ!15歳!』
修也は一般的な高校1年生より低い気がするが、成長期が遅く来るタイプなのだろうか。
『ごめん、ごめん』
ぷくっと頬を膨らます修也は、仕草も相まってやはり少し幼く感じる。
じーっと顔を見ていると、なんだよ、と背けられた。
『それで、あんたは?』
そう言われて名乗っていない事に初めて気づく。
『ごめん、名乗ってなかったね。俺は邊春 有。向こうでは塾講師をやっていた25歳だよ。あ、こっちの世界ではユウ=クラストって名乗っているからユウって呼んで』
その言葉に修也がピクッと反応する。
『・・・ユウさん。やっぱり、ここは異世界・・・なわけ?』
『うん、ここは地球じゃないよ』
断言すると、修也は眉を寄せた。
『そう・・・』
『あまり、驚かないんだね』
修也は小さくかぶりを振った。
『一回逃げ出した事があって、街の外に出たら、見たこともない化け物に襲われかけたんだ・・・その後すぐ連れ戻されたけど』
やはり有と同じような理由だった。
『ねぇ・・・なんで俺は、こんな大切な人みたいに扱われているの?どれだけ怒鳴っても、あの騎士みたいな人となんかおっさんが毎日来るし』
その騎士みたいな人とはきっとジズの事だろう。
修也の事を大切に思っていると感じたのは、やはり間違ってはいなかった。
『君は、この世界で神子と呼ばれる人物なんだ』
『神子・・・?』
『そう、天の神ガルナに遣わされた人々を救う力を持つ人間の事だよ』
修也は頭の上に?マークを浮かべながら有を見た。
突然こんな事を言われてもきっと処理しきれないだろう。
『それが、俺だって・・・?』
『そう、君にはこの世界の人たちを救う力があるんだ』
『そんなこと、言われても』
『無理に今考えなくても大丈夫。ゆっくり一つずつ整理して行こう』
有はニコリと微笑むと、立ち上った。
その時に一緒に手が上がってようやく気付いたのか、修也は慌てて手を離した。
そこには綺麗に手形が付いていた。
『うわ、ごめんなさい!』
『大丈夫だよ、気にしないで?』
わたわたと慌てふためく修也を宥めて、有は修也にベッドから出るように言った。
『じゃあとりあえず、お風呂に行こっか。汗かいたみたいだし、一旦すっきりして、その後夕食を取ろう』
有の言葉に、ようやく頭が空腹感に気付いたのか、修也の腹からぐーッと腹の虫が鳴く音が聞こえた。
耳まで真っ赤になった修也は微笑ましい限りだった。
有は修也と共に浴場に向かうと、修也の頭をわっしゃわっしゃ洗ってやった。
二回洗い流して、ようやく元の輝きを取り戻した髪は、この二ヶ月で伸びたのだろう、少し無造作に伸びている。
後で髪を切って貰った方が良さそうだなと考えながら、その髪をお湯でもう一度流した。
浴場にいる間に、有は自分が修也の教師である事を話した。
修也はその事を喜んでくれ、有はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
その後、この世界の食べ物の話を、少し此方の世界の言葉も混ぜながら話したり、向こうの世界の共通の話題で盛り上がったりしながら湯から上がった。
二人は服を着ると、有の部屋へと向かっていた。
というのも、修也の部屋は暴れ汚れた形跡が至る所にあるにも拘らず片付けられていなかった為、修也がようやく部屋から出た今のうちに清掃の人達が片付けているのだ。
色々修理するものもあるらしく、今日一日は有の部屋に修也が泊まる事になった。
部屋に戻ると、ユナサ、そして修也の御世話係のクワナが立っており、そして台車の前には今朝と同じコックが立っていた。
毎回コックが一人つくのだろうか?
それで人数は足りるのか。
不思議に思いながら胸元を見ると、“料理長 ミシェル”と書かれていた。
もしかして、修也の好みに合うかどうかを確認しに来ているのだろうか。
「お帰りなさいませ、お食事の御用意ができておりますわ」
ユナサとクワナがすっと頭を下げた。
それを見た修也が、ビクッと肩を揺らした。
『どうしたの?』
すると修也は申し訳なさそうになしながらも、有の後ろに隠れるような素振りをした。
『あの人、前まで俺のところに来てくれてた人で、ただ、この前イライラしてて、足元に料理の乗った皿投げちゃったんだ・・・』
修也は少し青ざめながら、有に話した。
皿を投げ付けられた人物と言うのはユナサの事だった。
『そっか、それを悪いと思っている?』
その言葉に、修也は頷いた。
『じゃあ、謝ろっか。ちゃんと謝れば許してくれるよ。言葉は俺が通訳してあげるから』
そう背中を押すと、修也は一歩踏み出してユナサに頭を下げた。
『怒鳴りつけたり、皿投げたりしてごめんなさい!』
その姿をユナサはポカンとした目で見た後、有に助けを求めるように目を向けた。
「怒鳴ったり、皿を投げたりしてごめんなさい、って謝っているんですよ」
有に内容を聞いた瞬間、ユナサは慌てた。
「そ、そんな事をわざわざ神子様がお謝りになられる必要は御座いませんわ。此方が至らなかっただけですもの。どうぞ御顔をおあげくださいな。」
って伝えてもらえますか?と此方を見てくるユナサに有はクスクスと笑った。
『まだ、怒ってる?』
『いや、気にしてないから顔を上げてくれだって』
そういうと修也は安心したように顔を上げた。
根はとてもいい子なのだろう。
うんうんとまるで息子の成長を見守る親の気持ちで、有は修也を見ていた。
「それでは折角のお料理が冷める前にお召し上がりくださいな」
そう椅子を引いてくれたユナサとクワナに目礼して、有と修也は向かい合って座った。
修也の身体を気遣ったのだろう、机には優しい料理が並べられていた。
料理長渾身の出来です、と本人が胸を張って言っていた料理に二人は舌鼓を打ちながら、楽しく料理を食べ進めた。
その様子にユナサ達は目に涙を浮かべ、口を押さえていた。
そしてその夜。
使用人の人が運び入れてくれた横並びのベッドに二人は潜り込んでいた。
ユラユラとランプの灯が小刻みに揺れ、部屋の明暗の境目が波打つ。
『ねぇ、ユウ先生は何時この世界に来たの?』
肩まで毛布に埋まりながら、身体を此方に向け尋ねてくる修也。
有が教師だと言った時から、修也は先生呼びするようになった。
『俺は五年前だよ。塾から帰宅して気付いたら森の中にいたんだ』
『五年も前・・・!?じゃあ、もしかして、この世界から元の世界に戻る方法はないってこと・・・?』
灯に照らされた瞳が不安を湛えて曇る。
『・・・ごめん、分からないんだ。異流者が元の世界に戻っていたとしても、誰もその詳細を確認できないからね。だからもしかしたら戻る方法があるかもしれない』
その言葉に修也は少し安心したようだ。
『戻る方法を探る為にも、こっちの世界の言葉を覚えないとね』
『うん、俺頑張るよ!ユウ先生がいるならすぐ覚えられる気がする!』
修也は元気良く返事した。
『買いかぶりすぎだよ』
有は苦笑いしながら、そろそろ寝ようかと、ランプの灯をフッと消した。
昼の間中寝ていた修也だが、まだまだ身体が疲れから睡眠を求めているのか、すぐに眠りについた。
スー、スーと静かに寝息を立てる修也を見る有の眼には陰りがあった。
「ごめんね・・・」
誰にも聞かれる事のない謝罪が、闇の中に消えていった。
それから一ヵ月、有は修也に付きっきりでこの世界の言葉を教えた。
両方の言葉が話せる有の指導の賜物か、修也は簡単な言葉なら話せるようになり、文字の読み書きもそこそこできるようになっていた。
もしかしたら修也は、相当賢いのかもしれない。
時田 修也 日本から来た神子
クワナ 神子の御世話係
ミシェル 料理長