3コマ目 祈る心と軋む心
―ガルナ様、サフィア様
どうか、どうか私の愛する人達をお守りください―
件の日から三日、普段は住人達の生活音や客人の声、騎士達の訓練の音でそこそこ賑やかな王宮は、恐ろしいくらいに閑散として静かだった。
そんな王宮の一角で、小さく控えめなノックの音が響く。
「失礼致します」
主の返事を聞く前にガチャリと開いたその扉の先には、三日の間に随分とやつれた有がいた。
有は椅子に座って手を組み、その上に額を乗せて眼を瞑っている。
それはこの三日の間ほとんど変わらない光景だった。
扉を開いた張本人であるユナサはちらとその様子を見ると、中央に一皿だけ乗せた台車を部屋に運び入れた。
「ユウ様、朝食をお持ちしましたわ」
ユナサの声に、俯いていた有の顔が上がり、口が有難うと形作られた。
しかしその声は弱々しい。
ユナサは台車からシルバーの蓋で覆われた食事を机の上に移すと有を机に招いた。
のそりと立ちあがった有は引かれた椅子に座り、困った顔でユナサを見た。
「あまり胃が受け付けないのですが・・・」
「ダメですわ。少しでもいいからお召し上がりになりませんと、骨と皮だけになってしまいますわよ」
ユナサの随分な言い様に、有は苦笑した。
「それに、今日はシェフ渾身の逸品ですから、きっとお気に召すと思いますわ」
そう言うとユナサはシルバーの蓋をそっと取り除いた。
ふわり、と良い香りが辺りに漂う。
憔悴した有の記憶を揺さぶる匂い。
「こ、れは・・・」
有の前に現れたのは大きめのカップに入れられた黄色のスープだった。
「レシピを見てシェフが作った、アナシャ様の特製スープですわ」
有の鼻を擽るその匂いは間違いなくアナシャが一番得意とするもので、森で孤独だった時に初めて差し出された温かい味がするスープである。
有の体調を考慮してミシェルがレシピ本から選んだ料理は、まさに有にとっての特別な料理だった。
有は恐る恐るその取手に手を伸ばすと、一口、カップを傾けた。
温かさと共にほんのり甘い野菜の味が口内に広がっていく。
何一つ変わらない、あのスープだった。
「ユウ様・・・」
「・・・え?」
ユナサの人差し指が有の目元を撫でる。
その指は濡れ、鈍く光りを反射していた。
その時初めて、有は自分が泣いている事に気付いた。
ユナサの指は労わる様に両方の目元から涙を掬う。
「ガルナ様とサフィア様が必ずあなたの大切な方々をお守りくださいますわ」
真っ直ぐ、不安を払うようにしっかり眼を合わせて、ユナサは言葉を放った。
「それに、国王様は言葉にした事は必ず実行してくださいます。信じましょう」
希望ではなく、確信をもったようなその声。
「だから今はどうか御自愛ください。そして、国王様方が帰還なされたら村の方に帰省なさればいいと思いますわ。村の皆さまも御元気なユウ様をご覧になりたいはずです」
だから今はこのスープをお召し上がりください、と慈愛に満ちた眼で見つめるユナサに、有は小さく頷いた。
三日前には届かなかったユナサの言葉が、スープと共に有の身体に染み渡る。
「・・・そう、ですよね」
不安が消えた訳ではないけれど、信じて帰りを待つことしかできない自分が情けないとは思うけれど。
それでも最悪の事態を考えるよりは、最良の結果にフラウ達が導いてくれることを信じて待とう。
涙で潤む有の瞳の奥に、ようやく小さな火が灯った。
「ええ、そうです」
ふわりと頬笑みを浮かべるユナサに、有は三日ぶりに笑みを浮かべた。
教師を休んでいた有はその日から再び修也の教師を始めた。
修也は三日ぶりに部屋に顔を出した有に驚きの眼差しと心配の言葉を送ったが、その時の有は幾分晴れやかな顔になっていた。
『ごめんね。心配かけちゃって』
その言葉に修也はフルフルと首を振った。
『ううん。先生が大丈夫ならそれでいいよ』
ありがとう、良い子だねと有が頭を撫でまわすと、子供扱いはやめてよと、少し顔を赤くした修也は顔をぷいと背けた。
それに対し有がくすくすと笑うと修也は更に顔を赤くして拗ねてしまい、許してもらえるまで十分ほど謝り続ける有の姿があった。
『それじゃあ今日は特別授業にしようか』
気を取り直して椅子に腰掛けた有の言葉に、修也は疑問符を浮かべる。
『特別授業?』
『そう。神子として、君が知らなきゃいけないことだよ』
修也は思う所があるのか、目を伏せた。
『もう修也くんは神子としての力が覚醒し始めているんだ。だから、ちゃんと知る必要がある。分かるよね?』
有の言葉に修也は少し間を開けた後、小さく頷く。
『それじゃあ、俺の知る限りの事を教えるよ。まず、前に神子にはこの世界の人を救う力があるって言ったのを覚えている?』
うん、と先ほどよりも力強く修也は頷いた。
『その力は大きく分けて二つあって、それが“先詠み”と“魔の浄化”なんだ』
いまいち単語だけではやはり理解しにくい様で、有は更に噛砕いて説明をした。
『まずは“先詠み”についてだね。この前修也くんが見た夢、あの化け物の夢の事だけど、それが“先詠み”、本によっては“夢見”って書かれているものなんだ。文字通り未来に起こる出来事、とりわけ近い未来のことを夢で視る事ができる能力だよ』
『未来を?』
『そう。良いことを視ることもあるらしいけど、多くはガルナ神からの警告らしいんだ。災害であったり、戦争であったり、今回のような・・・凶悪な魔獣の発生であったり』
『そう、なんだ』
修也は先の夢の内容を思い出したのか、顔を青くさせた。
『その・・・夢で見たことは現実になるの・・・?』
『いや、“先詠み”はその未来を迎えないように、先に手を打てるようにガルナ神が神子を通じて伝えてくれるものなんだよ。天災に関しては人が防げるものではないから、現実にはなるけど、予防ができるんだ。それ以外は防ぐこともできるし、でももしかしたら防げないかもしれない』
『・・・じゃあ、今回は?』
おずおずとしたその言葉に、有は顔を伏せた。
『国王様達が間に合って、魔獣を討伐できたのなら、防げるよ。でももし討伐できなかったら・・・』
メーヤもアナシャも村の皆も騎士団の人達も・・・そしてフラウも・・・。
またも最悪の光景が過りそうになって、有はかぶりを振った。
『いや、必ず国王様達が守ってくれるはずだよ』
それは修也にではなく、有自身に言い聞かせるような言葉だった。
そしてその有の様子を修也はじっと見つめていた。
この世界で孤独に包まれていた修也を救い出したのは有で。
そして修也がこの世界に少しでも早く馴染めるように尽力したのもまた有だ。
修也にとって有は何よりの恩人であり、兄のような存在でもある。
修也はこの三日間、自分が有に出来る事は何かないかとずっと考えていたのだ。
修也はずいと体を前に出して有に尋ねた。
『ねぇ、俺は神子、なんだよね?俺にできることはないの?』
修也はこの世界にまだ愛着といえるほどの関わりは無い。
それでも自分を大事にしてくれる人達の大切なものを守りたいという想いがあった。
『正直、まだこの世界のことをほとんど知らないけど、それでも俺にできることがあるなら、やりたいんだ』
その瞳にはこの世界に来て初めて、何より強い意志が宿っていた。
有はそのことに驚くと同時に、あまりに眩し過ぎる存在から目を逸らしたくもなった。
この世界の人々を守るためにガルナ神に召還された修也と、大事な人を助けたくても足手まといだと言われてしまう様な、ただ流れてきただけの有。
『・・・今はまだ無理だけど、ちゃんと覚醒したらできることがあるよ。それがもう一つの“魔の浄化”なんだ』
自分にその力があったら良かったのに。
もちろん、そんなお門違いの嫉妬を修也に対して言葉にしようなんて思わないが、それでもそんな想いが心のどこかにあるのは事実だった。
『“魔の浄化”?』
『こっちも言葉通りに、魔獣を浄化できる能力の事だよ。魔獣がどのようにして生まれるかについては色々議論があるんだけど、元々は普通の動物なんだ。“魔の浄化”を行えば、魔獣も元の動物に戻るみたいだよ』
『俺は、どれくらいでその力が使えるようになるの?』
修也の言葉には今すぐにでもその力を使いたいという強い想いが込められていた。
『もっと神子としての力が付いて、そして神殿でガルナ神との契約を行えば使えるようになるみたい。だから今はまだまだ無意識な“先詠み”しかできないみたいなんだ。力が強くなれば“先詠み”だって、夢の中でガルナ様と対話して先の情報を貰えるほどになるみたいだよ』
『そっか・・・』
有の説明に修也は分かりやすく落胆すると、前に出していた体を下げて椅子の背に凭れた。
『だから今のうちにしっかりこの世界の事と、神子の事を勉強しようか』
『・・・わかった。俺頑張るよ』
それから四時間、修也は世界と過去の神子の関わりを叩きこまれた。
夜。
有は久しぶりにまどろみながらベッドの中にいた。
現実と夢が曖昧になっていくその感覚の中、頭を過ったのは三日前の出来事だった。
剣を腰に下げた騎士たちの慌ただしく駆ける音、嘶く馬。
そして。
―・・・ならんと言っている。ただでさえ急ぎなのだ。足手まといになる人間をわざわざ連れていくことはできん―
有は頭に響くその言葉に飛び跳ねるように起き上った。
「はっ・・・はっ・・・」
事実、事実じゃないか。
何故こんなに胸が苦しいのか。
ギシギシと軋む心に、有は胸を押さえて目を閉じた。
瞼の裏に映るのはあの日のあの人の背中だった。
だいぶ難産な回でした(汗




