6コマ目 レシピ本と凄い人
ハイキングから帰り、城下町に戻ったのは午後四時を回った頃だった。
夕食まではまだしばしの時間があった為、有と修也はわざわざ一度部屋に戻った後、再び町に下りて商店街に来ていた。
何故一旦部屋に戻ったのか、それにはとても、とても大事な理由があった。
元々川で泳ぐ予定はなかった有は、汗を拭く為のタオルは持っていっても、替えの服など持って行かなかった。
では、濡れた下着はどうしたのか。
ただ一つだけ言える事は、間にワンクッションないと、ズボンの感触はとてつもなく気持ち悪いということだった。
『パンツってこんな絶対的な安心感があるものなんだ・・・』
『うん・・・俺たちは今までずっと守られながら育ってきたんだね・・』
二人はパンツの有難味を噛みしめながら、夕食のメニューに悩む奥様方の間を縫って進んでいた。
朝の商店街ほどではないが、この時間帯の商店街もかなり賑やかだ。
色々な店からいらっしゃい!という掛け声が飛び交っている。
特に此処ら一体は食料品を扱っている為、それが顕著なようだ。
たまに腕を引かれつつも断りながら進んでいると、有の目があるものを捉えた。
「あ、ルコラの実」
店の前に陳列されているザルに盛られた握り拳大の赤い実は、タール村の名産物の一つだった。
「ルコラ?」
有が興味を示したものが気になるのか、修也は身を乗り出す。
『そ。この実は俺がいた村の名産物でね、御世話になっている人がよくパイにしてくれたんだ。皮には疲労回復効果がある成分も入っていて、疲れているときには持って来いなんだよ。まあ、そのままだと渋くて食べられないから、干して乾燥させたものが一般的なんだけど』
有の説明に修也はへぇとその実をジロジロ見ている。
『ユウ先生は作れないの?』
『パイを?一人暮らしをする前に叩きこまれたから一応出来るよ』
レシピ本もあるし。
そう言うと修也は眼をパァッと輝かせて有を見た。
『俺そのパイ食べてみたい!』
『うん、いいよ。その為には材料集めないと』
『やった!それじゃあ早く買いに行こう!』
早速ルコラの実の入ったザルを持って店内に入っていく修也の行動力に苦笑しながら、有もその後をついて中に入っていった。
『いっぱい買ったね!』
二時間後、修也は横を歩く有の持つ布袋を見ながら笑った。
どの店に何があるのか手探りだった為、随分と時間が掛かってしまった。
『修也くんが混ぜ込んだお菓子もいっぱいあるけどね』
『う、』
パンパンに張った袋の8割が材料、2割が修也のお菓子だ。
というより修也の為にパイを作るのだから10割が修也のお菓子だ。
『今から夕食なんだからあんまり食べない様にね?』
『分かってるよ!』
修也は頬を膨らませながらぷいとあらぬ方向を向いた。
正直男子高校生の反応じゃない気がするけど、似合うものは似合う。
顔がいいと何しても絵になるんだなぁと思いながら、有は今日の戦利品を持ち替えて握り直した。
翌日、有は朝食を取って早速厨房を訪れていた。
手には昨日の袋とアナシャのレシピ本が握られている。
「すみません、ミシェルさんはいらっしゃいますか?」
すると奥の方からミシェルがタオルで手を拭きながら出てきた。
「お早うございます、ユウ様」
「お早うございます。お仕事中すみません・・・」
軽く頭を下げると、ミシェルはいえ、と返した。
「ちょうど昼食の下拵えが終わった所ですので、お気になさらないでください。それで、どうされたのですか?」
「少しパイを作りたくて、よければ少し厨房を貸して頂けませんか?」
ミシェルは目尻の下がった目をパチパチとさせる。
「構いませんが・・・何のパイを御作りになるのですか?」
「ルコラのパイです」
袋に入れている赤い実を見せると、ミシェルは驚いたようにそれを見た。
「そのままのルコラを使われるのですか!?」
「ええと、ルコラとコクの葉、サフィアレスカの花弁を一緒に煮たものを使うんです。御存じありませんか?」
「いいえ、そのような方法は存じておりません」
フルフルとミシェルは首を振った。
クラスト家では普通に使われていた方法だったので、ミシェルが知らない事に逆に有が驚いた。
「あの、もしよければ調理するのを横で見させては頂けませんか?」
「え、と、私なんかが作るところで良ければ」
すると是非!と返され、ささ、どうぞどうぞと厨房の中へと招かれた。
まさかの料理長に見られながらの作業に、有は内心ドキドキしながらルコラの実を洗うところから始めた。
洗って艶々になったルコラの実をまな板に置き、真ん中の種をよけるように真っ二つに切り、それを縦に薄切りにしていく。
鍋に水をいれ、砂糖の代りになるシュギの木の根の粉とサフィアレスカの花弁をいれ、少しとろみが出るまで煮ると、一旦火を止め、有はそこに切ったルコラを敷き並べた。
「あとは、コクの葉が・・・、何枚だったかな?」
有は手を拭った後、レシピ本を手に取ると、栞の挿してあるそのページを開いた。
「この分量だと・・・五枚ぐらいかな?」
「ユウ様」
するとミシェルに話しかけられたので、有ははい?と振り返った。
「その本はいったい?」
「あ、これはレシピ本です」
ミシェルは顎に手を当てて少し考えた後、口を開く。
「あの、宜しければその本を見せて頂けませんか?」
「いいですよ」
有はレシピ本を渡すと、先ほど決めた分量のコクの葉を鍋に入れ、再び火に掛けた。
しばらくはルコラから灰汁が出てくるので、それを取り除いていると、ようやく灰汁が出なくなる。
後は焦げないように注意して煮詰めるだけなので、有は次の作業に移った。
しかし何やら後ろが騒がしい。
何かと振り返るといつの間にミシェル以外の料理人たちも集まってきていて、囲むようにアナシャのレシピ本を凝視していた。
「あ、あの、どうされたのですか?」
するとミシェルが興奮した様子で、有に詰め寄った。
「ユウ様!この本は一体どなたが!?」
鬼気迫る様子に、有は一歩後ずさる。
一体何事かと思いながらも、その質問に答えた。
「え、えと、私が御世話になっているアナシャさんという方が書いて渡してくれたものなのですが・・・何か、問題でもありましたか?」
一人暮らしをする有の為に、わざわざ分量から調理方法まで書いてくれたのだ。
そのレシピ数は優に100を超える。
「問題なんてとんでもない!これを書いた方は天才ですよ!!」
有は訳が分からず、感極まった様子で声を荒げるミシェルにたじたじだった。
「え、どういうこと、ですか?」
「どういう事も何も、この本!私たちの誰もが知らない画期的な処理の仕方や調理法、食材の組み合わせ、まるで宝の山の様です!」
ミシェルの様子を見るにそれは嘘でも誇張でも無さそうで。
有は驚愕に目を見開いた。
「そんなにすごいんですか・・・?」
「ええ、私が生涯をかけても思いつかない様なものばかりですよ!!ああ!是非とも私はこの人に師事したい!何処に住んでいらっしゃる方なのですか!?」
余りのテンションの高さについていけない有は、タール村ですと言った後、調理の方に避難した。
ちなみにレシピ本はそのままミシェルに貸し出された。
昼の授業前にパイを出そうと考えていた有だが、慣れない器材に手間取り、結局パイを焼くのは夜になってしまった。
晩の調理を邪魔する訳にもいかず、晩飯を取った後、急いで焼きに行った有。
竈の準備から始めたので、焼きあがるのは結局九時過ぎになってしまった。
出来たパイの半分を手伝ってくれた料理人の人達に、残り半分を修也やユナサ達と分けて、カラ茶と一緒に夜の御茶会を楽しんだ。
ほんのり甘酸っぱいサクサクのルコラのパイは大盛況だった。
さすがは料理長に天才と称されたアナシャの料理である。
そしてお茶会が終わり十時、有は自室へと戻っていた。
「朝ごはんにでもしようかな」
有は二切れほど余った手元のパイを見て呟いた。
「何をだ?」
ビクゥッ!
思わず有は手放しそうになったお皿をもう片方の手で支える。
後ろからはククク、と押し殺したような笑い声が聞こえた。
「毎回気配を消しながら現れるのを止めてもらえませんかね・・・、国王様。心臓がそのうち止まりそうです・・・」
声の主は図書館での予期せぬ遭遇から二週間ほどの間に、同じ場所で二度も出会ったフラウだった。
その登場はどれも本から顔を上げた有の目前にいつの間にか座っているというものだった。
「いつもそなたが気付かないだけであろう?」
確かに本に没頭しすぎて、近づいてきても気付かない有にその責任があるのだが。
「国お、「フラウ」・・・フ、フラウ様は何故こんな所に?」
いまだ慣れぬその呼び方に、有は声を詰まらせた。
「ちょうど仕事が終わったのでな、自室に帰るところだ」
「そうだったのですか」
そう納得しようとした時、有は違和感を覚えた。
「・・・あれ?フラウ様の部屋は執務室のすぐ真下じゃ・・・?」
今有が歩いている場所は一階で、フラウの寝室があるのは二階だった。
どう遠回りしたら一階を歩くことになるのか。
ちなみに神子の部屋は一階左奥であり、有の部屋は一階右手前である。
有が疑問を口にするとフラウは顔を逸らした。
「・・・まぁ、気にするな。所でその手に持っているのは何だ?」
明らかに話を逸らされた気がするが、それ以上追及するのもどうかと思われたので有は素直に質問に答えた。
「これはルコナのパイですよ。神子様が召し上がりたいと仰ったので作ってみました」
やはり国王に丁寧語というこの状況はおかしいと感じてしまうし、実際おかしい。
しかしそれを口にしても、休憩中の一言で返されるのは二度の遭遇でよーく学んだ。
「ルコナの?」
有が余計な事を考えているとフラウが手元を覗き込んできた。
「ええ。このパイは甘いですし、皮も使っているので疲れた時にもとてもいいんですよ」
フラウはほぉ・・・と興味深そうに有の手元を見ている。
ジッと見つめるその眼が外れる事はない。
「あの、冷めてしまっていますが、冷めてもおいしい様に出来ているので食べますか・・・?」
有がおずおずと口を出すと、フラウの眼にわずかに喜色が浮かんだ。
「ふむ、頂こう」
「それなら、お部屋に持っていきましょうか?」
「いや、良い。そのまま受け取ろう」
フラウが手を伸ばしてくるので有はそれを手渡した。
その後有達はその場で少し話し込んだ。
十分ほど話して御休みの挨拶をすると、フラウは踵を返した。
「あれ、そっちから来たのでは・・・?」
「気が変わったのだ。気にするな」
フラウは背を向けたまま軽く手を振ると、そのまま去っていった。
“君を教えて”ご覧いただきありがとうございます!
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とりあえず全24話を予定しているのでこの話がちょうど折り返し地点になります。
最後までお目通しいただく為にも、これからはより面白くなる様に頑張っていきたいと思います。
次章のタイトルは“変化”です!
ここまでの登場人物
邊春 有{ユウ=クラスト} 一年で受け持ち生徒が倍に成る、ちょっとしたカリスマ講師
時田 修也 日本から来た神子
メーヤ=クラスト 聖水を汲みに行ったところ、有を見つけた男性
アナシャ=クラスト メーヤの妻
フラウ=ルスファーナ=パウルス ルスファーナ王国現国王
ジズ ルスファーナ王宮騎士団団長
シュヴァイ 王宮騎士団副団長
ウェルヅ 王宮騎士団団員
ユナサ 有のお世話係
クワナ 神子の御世話係
ミシェル 料理長
デュラハ 王国の大臣
リビナム 王宮図書管理人の老人




