神々の高座と、キックオフ
——タウルス領、領主の屋敷。
執務室の窓から、広場で汗を流す若者たちの姿を眺めながら、カイトはふと、以前から胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。
「なぁ、タウルス卿。この世界じゃ……『輪廻転生』ってのは、割と普通な考え方なのか?」
デスクに向かって書類に形ばかりの署名をする領主タウルスは、不意の質問に手を止め、不思議そうに首を傾げた。
「輪廻転生……? そりゃあ、人が死ねば魂は肉体を離れ、記憶は洗い流されて新たな生命へと宿り直す。それが『神々の教え(宗教の名前)』における世界の理だ。……もっとも、記憶は魂とともに別の場所へ還るのだ、と唱える奴もあるらしいがな……カイト殿、急にどうなされた?」
「いや……」
カイトは自分の手のひらをじっと見つめた。 現代日本での体育大学での記憶、グラウンドを走り回った日々の記憶。それらは間違いなく自分のものだ。
だが同時に、女神ニケから告げられた「トロイア戦争最強の戦士アキレスの魂を持つ」という言葉が、頭の片隅から離れない。
(記憶は洗い流されるのか、でもなぜ俺はアキレスの魂なんてものを宿しているんだ……? いや、それ以前に、今の俺のこの人格やスポーツを愛する情熱は、どこから来ているんだ?)
自分が何者なのか。自分が抱くスポーツへの執着は、現代で育った経験によるものなのか、それとも魂の底に刻まれた古の記憶によるものなのか。 考えても答えなど出るはずもない。
「ま、俺は中流貴族だからな!尼さんの世界には詳しくねぇ!」
信仰心の薄いタウルス卿が知るわけもなかった。
「魂がどうあれ、今ここで生きているカイト殿が何を選ぶかは、自分自身の問題だろぉよ」
カイトは小さく苦笑いし、頭を振って思考を切り替えた。今は目の前に迫ったタウルス杯の開幕に集中すべきだ。
しかし、その疑問の種は、カイトの胸の奥で静かにくすぶり続けていた。
◇
時を同じくして、——神界の最高審議会。
広大な円卓を囲むオリュンポス十二神たちの間には、重苦しい空気が立ちこめていた。
ある下界のあちこちで、人々が互いを疑い、不信感を募らせ、小さな火種がやがて大きな争いへと発展しようとしている兆候——不和の神であるエリスの暗躍が、議題に挙げられていた。
だが、会議の結論はいつも同じだった。
「——はぁぁぁぁ……現時点での下界への直接介入は不要とす。各位動向は注視しつつ、事態の推移を見守るよぉーーに。解散!!」
議長席の最高神ゼウスから告げられたその言葉に、円卓のあちこちで不満のざわめきが起こる。
問題を認識していながら、神々の意見が割れ、議論はいつも「見守る」という名の先送りで終わる。下界の人間たちが自分たちの意志で動いている以上、神が軽々に手を出すべきではないというもっともらしい理由のもと、決断は引き延ばされていた。
その円卓の一隅。アテナの従者として同席を余儀なくされていた勝利の女神ニケは、神殿に戻ることも許されず、発言権も無いのでただ腕を組んで不機嫌そうに舌打ちをしていた。
(まったく……! エリスの野郎が下界でネチネチと争いの種をまき散らしているってのに、このお堅い神さたちたは議論ばかりで何一つ決めやしないじゃないの!)
ニケが苛立ちを募らせていると、その真横で、いつものように激しい口論が勃発した。
「だから言ったはずだ! 人間の争いを抑え込みたいなら、圧倒的な武力で有無を言わせずねじ伏せればいい! ぬるい知恵など回すから、あのような陰湿な争いが蔓延るのだ!エリスを叩ッ切ればよかろう!!」
荒々しく机を叩いたのは、戦神アレスだった。
対するアテナは、冷静冷徹な瞳を細め、冷ややかに言い返す。
「暴力でねじ伏せることが解決だと? アレス、貴様のやり方はいつも一時的な恐怖を生むだけで、根本的な亀裂を広げるだけよ。必要なのは秩序ある知恵での誘導だ」
「ほぉう、お前のその『知恵』とやらの結果、ディオメデスが、この俺に槍を突き立てたのであろう? 人間を神々の争いに引きずり込み、挙げ句の果てに神まで傷つけさせる。それが貴様の言う秩序か? 笑わせるな!」
アテナは知略と秩序を重んじ、アレスは武勇と武力による制圧を信奉する。戦争への向き合い方が根本から異なる二柱の口論は、今日も平行線をたどっていた。
アテナはカイトを召喚させた側であり、アレスはアキレスに「抹消の加護」を与えた側。二柱がそれぞれの思惑を抱えながら、肝心の場では対立しているのは、何とも皮肉なことだった。
「やれやれ……また始まった……」
ニケは二人の言い争いにすっかり慣れきった様子で大きなため息をついた。
ニケのさらに隣では、アテナのもう一人の従者であり、力と強行を司る神・クラトスが、両手で頭を抱えたまま完全に無言を貫いていた。彼の表情は「早く神殿に帰りたい」とありありと物語っている。
円卓の喧騒を眺めながら、ニケの胸の奥に、言語化できない小さな違和感が芽生えていた。
(エリスは、人間同士の疑念を煽り、争いを生み出している……。私は「勝利」を司る女神だけど、それは戦いに勝つこと……つまり争いそのものを望んでいるわけじゃない……のよね?)
これまで、カイトが戦争をせず、野球やバスケットボールといった「スポーツ」で次々と問題を解決していくたびに、ニケは頭を抱えて絶叫してきた。
神界のノルマや風当たりのせいで、最初は「戦争で勝ちなさいよ!」と本気で怒っていたはずだ。
だが、下界で人々がルールのもとで汗を流し、仲間と連携し、勝敗を競い合って成長していく姿を水晶玉で見せられ続けるうちに、ニケのなかの「勝利」の定義が、少しずつ揺らいでいた。
(エリスの生み出す「争い」と、カイトの生み出す「競技」。……一体、何が違うっていうのよ……?)
もちろん、今のニケにその答えは出ない。神々の議論が空転する中、彼女はただ、遠く下界で新たな球技に挑もうとしている一人の男の背中を、複雑な思いで見つめるしかなかった。
◇
——再び、下界。タウルス領。
神界の停滞をよそに、タウルス領のグラウンドには熱気と緊張感が満ち満ちていた。 いよいよ、半島全土を巻き込む「タウルス杯・総当たりリーグ戦」の幕が切って落とされる。
開会式を終えたピッチの中央。 第1試合の笛を鳴らすため、審判の服を身に纏ったカイトがピッチに立った。
対戦するのは—— 広大な軍用練兵場で組織的な訓練を重ねてきた、タッカー率いる【駐屯騎士団チーム】。
荒れ地を駆け回り、獣人族特有の圧倒的な身体能力とスピードを誇る、キザン率いる【獣人町チーム】。
規律と組織戦術の騎士団か、個の爆発力と野生の獣人か。 対照的なスタイルを持つ両チームが、それぞれのプライドを賭けてピッチの中央に整列する。
カイトは大きく息を吸い込み、首にかけた笛に手をかけた。 神界でどんな議論が交わされようとも、エリスがどんな陰謀を巡らせていようとも、この緑のピッチの上では、ルールとボールと自分たちの足だけがすべての真実だ。
「よし……! 第1試合、準備はいいかぁっ! キックオフだぁぁ!!」
ピィーーーー!!
カイトの力強い笛とともに、タウルス領の歴史を変える熱狂のリーグ戦が、今、動き出したのだった。
(第23話へ続く)




