エリスの決意 ー そして
夜が明ける。
いつもと変わらない朝。
窓から差し込む柔らかな光。
静かな空気。
だが——
エリスの内側だけは、違っていた。
(……今日、話す)
昨夜決めたこと。
それを、もう先延ばしにはしない。
ベッドから起き上がり、
静かに部屋を出る。
向かう先は——台所。
「……おはよう」
そこにはすでに、クラリスの姿があった。
「おはよう、エリス」
振り返ることなく、穏やかに返す。
包丁の音が、規則的に響いていた。
エリスは自然とその隣に立つ。
「手伝うね」
「ありがとう」
いつもと同じやり取り。
それなのに——
少しだけ、重い。
野菜を切りながら、
エリスはゆっくりと口を開いた。
「……ねえ、お母さん
食事が終わったら——
話したいことがあるの」
一瞬。
包丁の音が止まる。
だが、すぐに再開される。
「……そう」
クラリスは、落ち着いた声で言った。
「あなたがそういう言い方をするってことは——
大事な話なのね」
振り返らずに。
ただ、それだけを言う。
「……うん」
エリスは、小さく頷いた。
それ以上は、何も聞かない。
それが——
クラリスなりの優しさだった。
やがて——
階段を下りる音。
「おはよう」
エノクが、眠そうな声で現れる。
「おはよう」
「おはようございます」
いつも通りの、朝。
三人で食卓を囲む。
他愛のない会話。
穏やかな時間。
だがエリスの胸の中では——
言葉が、ずっと渦巻いていた。
(……今から、全部話す)
やがて食事が終わる。
食器の音が静かに響く中——
エリスは、顔を上げた。
「……お父さん、お母さん」
空気が、少しだけ変わる。
「話があるの」
その一言で——
家族の時間は、次の段階へと進んだ。
エリスは、そう言うと——
少しだけ、沈黙した。
言葉を選ぶように。
心を整えるように。
そして——
「……まず、聞いてほしいの」
エリスは、少しだけ視線を落として——
言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「実は私は天界に行って、
女神セレネ様と前任の境界の子のアテナさんに会って
セレネ様から境界の子の説明を受けたの…
……境界の子ってね
人でも、魔族でも、神でもない存在なんだって」
小さく息を吐く。
「どこにも属してないから……
全部に干渉できる、って言われた」
クラリスとエノクは、黙って聞いている。
エリスは続ける。
「役割は一つだけで……
世界のバランスを保つこと
人界と魔界と天界……その全部のバランスが崩れた時に
それを元に戻すのが、境界の子の役目なんだって」
エノクの表情が、わずかに引き締まる。
「……元に戻す、とは?」
静かな問い。
エリスは、一瞬だけ迷った。
でも——
逃げずに答える。
「……消すの」
空気が、少しだけ重くなる。
「歪みの原因になってるものを……
存在ごと、なかったことにする」
クラリスの手が、わずかに止まる。
エリスは続けた。
「ただ倒すんじゃないの
最初から、存在してなかったことになる……みたいな
傷も、出来事も……全部」
自分の手を見つめる。
「私がやってるのも……それ」
静かな声だった。
「だから……すごく危ない力なんだと思う」
少しだけ、視線が揺れる。
「だって……
間違えたら、“必要なもの”まで消しちゃうかもしれないから」
沈黙。
エノクは、ゆっくりと口を開く。
「……つまり
善悪ではなく、均衡で判断する存在……か」
「うん……そう言ってた」
エリスは頷いた。
「正しいから守る、とかじゃなくて
バランスが崩れてるかどうか、で決めるって」
クラリスは、静かにエリスを見つめている。
エリスは、少しだけ声を落とした。
「前にいた境界の子……アテナって人は
その役目をちゃんとやったって言ってた
でも……」
一瞬、言葉が詰まる。
「すごく……一人だったって」
小さく、呟く。
「全部を背負って……
全部、自分で決めて……
誰にも頼れなかったって」
その言葉に、クラリスの表情が柔らかく揺れる。
エリスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……でも、私は」
その瞳には、迷いはなかった。
「そうはなりたくない
消すんじゃなくて……
一緒にいられる道を、探したい
人も、魔族も……
ちゃんと生きていける世界を」
そして——
二人をまっすぐ見た。
「だから……
力を貸してほしいの」
その声は、震えていなかった。
それが——
エリスの願いだった。
沈黙。
言葉が消えたあと、
重く、しかし穏やかな空気が流れる。
先に口を開いたのは——
クラリスだった。
「……そう」
それだけを言う。
そして、ゆっくりと立ち上がると——
エリスの隣に来て、優しく頭を撫でた。
「あなたが決めたことなら
私は、止めないわ」
その声は、変わらず優しかった。
「だって——
あなたは、私の娘だもの」
その一言で。
エリスの胸の奥にあった不安が、少し溶けた。
次に、エノクが口を開く。
「……話は理解した」
冷静な声。
だが——
その瞳は、真剣だった。
「確かに、それは……個人で背負うには重すぎる」
一度、言葉を区切る。
「だが同時に——
目を逸らしていい話でもない」
そして、エリスをまっすぐ見る。
「お前がその役目を引き受けるなら
私も、協力しよう」
はっきりとした言葉だった。
エリスの目が、少しだけ見開かれる。
「……いいの?」
思わず、問い返す。
エノクは、わずかに息を吐いた。
「最初から、そのつもりだったのだろう?
お前は」
小さく、苦笑する。
「なら、今さら反対しても意味はない」
それは——
父としての理解だった。
エリスは、ゆっくりと俯く。
「……ありがとう」
小さく、だがはっきりと礼を言う。
そして——
ゆっくりと顔を上げた。
「それでね……
次に、やりたいことがあるの」
エノクとクラリスが、静かに耳を傾ける。
「私……王都に行こうと思う
グランヴェイルに」
その名が出た瞬間、
エノクの表情がわずかに変わる。
「……王都か」
サントス国の中心。
“不落の都”と呼ばれる場所。
エリスは頷いた。
「セレネにも言われたの
まずは人界……サントス国をまとめなさいって
そのためには、王族と関わる必要があるって」
エノクは腕を組み、静かに考える。
「……筋は通っている
だが、簡単ではないな」
当然だった。
王族に会うなど——
普通の人間では一生ない。
「うん……」
エリスも、それは分かっている。
「だから……」
少しだけ、言いにくそうにしながら続ける。
「一人じゃ無理だと思うから
マリンに、一緒に来てもらおうかなって」
その名前に、クラリスがふっと微笑む。
「そうね
あの子なら、きっと力になってくれるわ」
少し間を置いて——
クラリスは、さらに言葉を続けた。
「でもね、エリス
それだけじゃ、少し心許ないかもしれないわ」
エリスが、顔を上げる。
「……え?」
クラリスは、穏やかな口調で言った。
「ルシアンと……カイルにも、声をかけてみたら?
あの二人なら、事情もある程度知っているし
何より——経験がある」
その言葉に、エリスは少し考える。
確かに——
王都。
教会。
そして、これから起きるかもしれない戦い。
マリンだけでは、不安もある。
「……うん」
やがて、頷いた。
「お願いしてみる」
エノクも、小さく頷く。
「それがいい
信頼できる者は、多い方がいい」
そして——
エリスを見る。
「王都へ行くなら、準備も必要だ
教会への話も含めて、私も動こう」
その一言で。
計画は、現実へと変わり始めた。
エリスは、ゆっくりと息を吸う。
「……うん」
もう、迷いはない。
王都グランヴェイルへ——
その一歩が、今、踏み出されようとしていた。
最後まで読んで頂きありがとうございます
次回の更新は4月21日18時を予定してます




