12 ルーナ、公館へ向かう
「マリウス様、水を差すようで申し訳ございませんが……あまり、ここに長居をするのも良くありません。公館へ参りましょう」
ルーナの言葉に、マリウスが「あっ」と小さく声を上げた。
「いや、君が謝る必要はないよ。これは完全に僕が悪い。いくら積年の思いが叶ったとはいえ、感情に振り回されて優先順位を見誤るなんて……」
「……?」
ルーナは首を傾げた。後半の方はずいぶんと小声だったので、うまく聞き取れなかったのだ。
「い、いや何でもないよ! 何でもないんだ、それでは向かおうか」
聞き直そうかと思ったのだが、マリウスに遮られてしまい、それは叶わなかった。
妙に焦っているのを不思議に思いつつも、ルーナは頷いた。ここは、小さな疑問を解消することよりも公館に向かうことを優先するべきだろう。
(私たちにとって無難な移動手段は、各々が魔法で空を飛ぶことだとは思うのだけれど……)
ルーナの中で、ひとつのアイデアが浮かんでいた。
先程までのマリウスの様子を見ていて、思いついたことだった。
「あの、マリウス様。公館への移動手段について、私に案がございまして。ここはお任せいただいても良いでしょうか?」
「もちろん構わないよ。もし魔法を使うのであれば、必要な魔力は僕が賄うから、君は――」
「いえ、マリウス様のお手は煩わせません。実は、魔法ではなく精霊の力を借りようと思っていまして!」
マリウスの肩が少しだけ跳ねる。やや食い気味だったルーナに驚いたようだ。
「人を二人も運べるだけの精霊の力を、準備もなく借りることができるのかい……?」
「ええ、可能です。少しだけお待ちください」
にわかには信じがたい、といった様子のマリウスに対して、ルーナは自信を持って返答した。
確かに、並の精霊術師であれば難しいだろう。多くの精霊から力を借りることは、本来は多くの魔力を必要とすることだからだ。
下準備をしていなければ、魔力切れのリスクも高くなる。
精霊術士も魔導士と同様、術の行使に魔力を必要とする。
精霊術とは、言葉が通じない精霊に己の魔力を分け与え、それを対価として願いを聞いてもらうための術なのだ。
だが、それはあくまでも普通の精霊術士における話。
ルーナにとっての精霊は、言葉が通じる友人。助力を得るために必要なものは対価としての魔力ではなく、交流と信頼だ。
エルフの先祖返りであるルーナと精霊の関係性は、普通の人間とは大きく異なっている。
便宜上、精霊術と呼んでいるが、本質的には全くの別物だ。
ルーナは再び、精霊へと語りかけた。
『風の精霊たちよ、私のもとへ。なるべく多くの友達を連れてきてくれると嬉しいわ』
ルーナの言葉に応え、たくさんの淡い緑の輝きが現れる。
先触れの風を頼んだ時の比ではなかった。精霊が見える者であれば、ルーナたちの周囲が淡い緑の光で照らされ、輝いて見えただろう。
『私とこのお方――マリウス様を、ヴァルトシュタインの公館まで運んでほしいの』
集まった精霊たちはゆらゆらと揺れたり、より輝きを増したり。おのおの、ルーナの言葉に了承の意を示している様子だ。
「夜だというのに、周囲が明るくなんて。これほどの精霊が……」
マリウスはそれ以上言葉が出ないようだった。そんな様子を、ルーナは満足げに見つめる。
「力仕事ですからね。より強力な精霊たちに、たくさん来てもらいました」
精霊に興味を持ちながらも、交流の機会には恵まれていなかったであろうマリウス。彼が精霊と接する機会を少しずつ増やしていきたい、という考えと。
あわよくば少し驚かせることができれば――不意にときめかされたり、驚かされたこと対して、ちょっとした意趣返しをしたい。そんな目論見がうまくいった形だ。
ルーナとしては満足のいく結果なのだが、ひとつだけ気にかかることがあった。
集まってきた精霊たちが、妙に騒々しいのだ。端的に言えばうるさい。今は自然の活力が溢れる春先とはいえ、これまでに見たことがない程の騒がしさだった。
いつにも増して元気そうな様子の精霊たちを、不思議に思いながらルーナは見つめる。
(私以外にも精霊に友好的な人が近くにいるから、彼らも嬉しいのかしら?)
理由はよく分からないが、元気なのはいいことである。それに、マリウスが近くにいる状態でも警戒していないということは、彼が精霊たちに受け入れられている証。精霊術を学びたいというマリウスにとっては、朗報である。
とにかくいいこと尽くめなのは確かだ。
「さあマリウス様、さっそく向かいましょう」
『お願い』とルーナが精霊に指示を出すと、風がルーナとマリウスの周囲に集まり始めた。そして、二人の体をふわりと浮かび上がらせる。
すると、マリウスが少し不安そうな声を上げた。
「精霊の力を借りると言っていたけれど……まさか、このまま風で体を浮かせるのかい?」
「ええ、そうですよ?」
ルーナの言葉を聞き、マリウスが目を見開く。驚きと恐怖が入り混じったような表情だった。
「な、生身で空を飛ぶのは、自分の力で、重力魔法を使ってのものしか経験がないんだ。ちょっと、心の準備が……」
「ご心配には及びませんわ。私がお願いした精霊たちですから、悪いようにはなりません。さあ、どうぞ心穏やかに、精霊の風に身を任せてください」
ルーナが楽しそうに語る一方で、マリウスは何か思い悩んでいる様子だった。顔色も少し悪い。
この時、マリウスは恐怖心を抱いていた。いかに想い人であるルーナの提案とはいえ、いっそ拒否してしまいたいという思いがこみ上げるほどに。
だが、当のルーナにその感情は欠片も伝わっていなかった。
「精霊の風で空を飛ぶのは気持ちがいいですよ? ささ、参りましょう」
マリウスの内心とは裏腹に、乗り気のルーナが手早く精霊に指示を出している。そして、滅多に見せることのない、心からの笑顔を浮かべてマリウスの手を引く。
「風よ!」
二人の足が宙に浮く。力強さと、ほんの少しの穏やかさを感じる風の力で。
「……あら、今日の風はずいぶんと強いわね」
「えっ、そうなのかい」
マリウスの顔色がさらに悪くなった。
「想定以上に力のある精霊が来てくれたようで。多少荒くなるかもしれませんが……危険はないでしょう」
「……」
「荒風に乗るのも、スリルがあって楽しいですよ!」
「覚悟は、決めたよ……」
高度はぐんぐんと上がっていき、庭園の木々を追い越すほどの位置になる。
そして、ひときわ強い風が吹くのと同時に、二人は風に乗って勢いよく空を飛んでいった。
行き先は、王都にあるヴァルトシュタイン帝国の公館だ。
***
ルーナにも聞こえないほど小さな声で、風の精霊たちはひそひそと話す。
『るーなによんでもらえて、うれしーね』
『いつも、ぜんぜんよんでくれないもんね』
『えんりょなんか、いらないのにね』
『まりうす?がいると、るーながもっとよんでくれるのかな』
『うれしーね。きあい、はいっちゃう』
精霊たちは、ルーナに助力できることを大層喜んでいた。
ルーナのためにたくさんの力を使える、滅多にない機会。彼女を愛する精霊たちは、嬉しさのあまり頼まれた分以上に力を使っていたのだ。
張り切りすぎた精霊たちが生み出す、嵐のような風で運ばれ、ルーナとマリウスはあっという間にヴァルトシュタインの公館へとたどり着いた。
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