【第351話】祝福
「うわっ」
直人たちの元へ向かおうと一歩踏み出したシリューは、着地する脚から急に力が抜けて倒れ込んでしまう。
特化タイプの『白の装備』を使った後はいつもこうだ。
「僚!?」
「ちょ、パティっ」
隣に寄り添っていたパティーユも当然支えようとしたのだが、すっかり力の抜けてしまった大人の男を支え切れるはずもない。
二人は崩れるように、しかもパティーユが下になる形で転がった。
「きゃっ」
パティーユは思わず目を閉じる。
どすっ。
草の上とはいえ、背中に相応な衝撃を覚悟していたパティーユだったが、何故か胸とお腹に軽い圧迫を受けた事に違和感を覚えて目を開く。
目の前にはシリューの顔。
だが、何かが変だ。
「え? あ、僚……?」
どうやって体勢が入れ替わったのか、いや咄嗟にシリューがそうしたのだろう。
落ち着いてよく確認してみると、パティーユは仰向けのシリューに覆い被さり、両肩を支えられていた。
「だ、大丈夫ですか!? 僚?」
庇ったつもりが、庇われていたらしい。
「大丈夫。庇われてばっかりじゃ、カッコつかないしね」
言葉ほどのゆとりはないのだろう、笑顔が少し苦しそうだ。
「そんなに、見栄っ張りでしたか?」
「そうしたい相手には、ね」
パティーユは少しの間、その意味に思いを巡らせる。
あえて答え合わせはしない。
「良い意味に、捉えておきます」
シリューの顔を挟むように、両手を地面へ下ろす。
「うん。ありがとう」
まるで時間が止まったように、二人にはお互いの声しか聞こえない。
「いつまで、二人の世界に浸ってるんですか?」
「場所を弁えた方が良いと思うのだけれど」
「気を緩めるのは、早過ぎるかな」
もちろんそれは二人の勘違い。
見上げた頭上には、腰に手を当てて仁王立ちのミリアムと、腕組みして眉をひそめたハーティアと、少し呆れたように肩を竦めるクリスの姿が。
「ひゃっ。いえ、こ、これはっ」
パティーユは顔を真っ赤にして、シリューから飛び退いた。
「や、誤解だからっ」
シリューも、誤魔化すように大慌てで首を振る。
「誤解? ふぅん、わざと転んだのは、下心があったわけじゃない、と?」
黒いオーラを纏って、ミリアムは冷たく微笑む。
「いや、だから、それが誤解で……」
あたふたとするシリューに、助け舟を出したのはクリスだった。
「皆もいる事だし、その辺りで許してあげよう? ほら、シリューくん」
そう言ってにこやかに手を差し伸べる。
「仕方ないですね。今回は特別ですっ」
「次は、もう少し上手くやりなさい?」
口を尖らせて不満を露わにするミリアムと、それを面白がって意味深に薄笑みを浮かべるハーティア。
「なんか、もういいや……」
全て言い訳になってしまうと悟ったシリューは、諦めてクリスの手を取る。
「明日見!」
直人の声が、草原を渡る風に乗って響いた。
イロウシュット撃破の報は、瞬く内に各方面へと伝達される。
一応の用心のため、一晩は戦場となった草原に待機したシリューたちだったが、これ以上は何も起こらないと判断し、後始末と魔石の回収を終えて、次の日の昼にはベナルートへの帰路についた。
「勇者様ぁぁぁ!」
「勇者様、バンザイ!!」
「ありがとう、勇者様!」
パレードではないにもかかわらず、直人たちは街道を埋める民衆から、嵐のような歓声で迎えられた。
指揮所へ着き獣車を降りた直人は歓声に手を振りつつも、ぎこちない作り笑いを浮かべて、獣車からは離れた場所に自動車を停めたシリューを振り返る。
直人の意図を察したのだろう。シリューは笑って、ひょいと手を向けた。
「また、イイとこ取り、か……」
後でシリューに謝ろう。
そう思いながら直人が天幕にはいろうとした時。
「まって!」
背後から呼び止める子供の声が響いた。
聞き覚えのあるその声に、直人は立ち止まって振り返る。
「ああ、お前か」
人ごみの中を、もみくちゃになりながら抜けて来たのだろう。髪も服も乱したトルテが、息を切らして立っていた。
「あ、えっと……」
直人が顔を向けると、トルテは慌てて俯き言葉を詰まらせる。
「ん?」
急がなくてもいい。この少年にはとことん付き合うつもりだ。
子供ながらに考えたのだろう、トルテは意を決したように顔を上げた。
「か、かたきを討ってくれて、ありがとう、ご、ざいます! 勇者さまっ」
〝「あんた」から「勇者さま」に格上げか。どういう心境の変化だよ〟
直人は思わず零れた笑みを掌で隠す。
子供の心は繊細で単純だ。直人にも似たような経験がある。
「ま、約束したからな」
「うん!」
トルテは目を輝かせて頷いた。
「おれ、大きくなったら、冒険者になる。冒険者になって、そんで、悪い魔物をやっつけるんだ!」
「そっか。なら俺は、皆が笑って暮らせる世界を作る。だからな、トルテ……」
直人はトルテの頭に、ぽんっと手を置く。
「お前は、その世界を守れ。できるか?」
「うん! 約束するっ!!」
トルテは、全身で伸び上がるように答える。
「ああ、約束だ。男と男の、な」
くしゃくしゃと、少し乱暴にトルテの頭を撫で、直人は踵を返し天幕に向かった。
入口に姿が消える直前、振り向かず右手でサムズアップした直人の姿を、トルテは一生忘れないと誓った。
◇◇◇◇◇
災厄級が滅び住人たちの戻ったベナルートは、久しぶりに平和な朝を迎えた。
朝早くから街中が喧噪に包まれているのは、今夜行われる祝勝会の準備に皆が忙しく動き回っているからだ。
「なんか、楽しそうだな」
手伝うつもりで会場となる広場へ出向いたシリューだったが、住人達から頑なに断られては大人しく引き下がるしかなかった。
「シリューさんは一番の功労者なんですから、ゆっくりしててください」
そう言ってシリューを追い返す手助けをしたのは、何故かしっかりとその輪に馴染んでいたミリアムたちだ。
「わかった、じゃあ後で」
仕方なくその場を離れたものの、特にやる事があるわけでもない。
祝勝会の開始は夕方から。
ひがな一日をどう過ごそうかと考えているうち、何となく自動車が停めてある宿の裏手へと足を向けていた。
「僚」
駆け寄ってくる足音と声。
シリューの事を「僚」と呼ぶのは一人しかいない。
「ああパティ。どうかした?」
「いえ、姿を見かけたので」
どうやら、パティーユも祝勝会の準備から弾かれたらしい。
一国の王女にそんな事は恐れ多いというところだろう。
「楽しそうでしたのに……」
パティーユは残念そうにがっくりと肩を落とす。
「じゃあ、ドライブでもしようか」
「どらいぶ……ですか?」
言葉の意味が通じるはずもなく、きょとんと首を傾げるパティーユ。
「二人だけで、こっそり出かけようって事」
「二人だけ、で……」
パティーユの頬に、ぱっと赤みがさす。
「偵察の時、ちょっと気になる景色を見つけたんだ。さ、隣に乗って」
「はい!」
自動車に乗り込み、二人は街を出る。
東への街道をしばらく進み、途中の分岐点で南へ向かう。
全開にした窓から見える田園風景は単調でも、爽やかに髪を揺らし吹き込む風が心地いい。
ちらりと助手席に目を向けると、パティーユは乱れる髪を押さえながらも、楽しそうに鼻歌を歌っている。
有希たちに教わったのだろうか。それはシリューにも聞き覚えある、美亜の好きだった曲。
〝僚ちゃんっ。免許を取ったら、この曲を聞きながらドライブしよ?〟
そんな言葉をふと思い出す。
〝死んでも隣に乗りたくないっ。ってか、隣に乗ったら死ぬ〟
今思うと、何とも思いやりのない答えだ。
その後はどちらが運転するかでちょっと揉めた。
懐かしい、そして叶わなかったささやかな夢。
「あの、僚?」
横目で見つめるシリューに気付いたパティが、少し不思議そうに尋ねる。
「もうちょっと先、この丘の向こうだよ」
思い出した事も、鼻歌の事も黙っておく。
「はい」
やがて自動車は丘を越え、一変した景色の前で止まった。
「まあ、これは……」
辺り一面に広がる、水色の花。
まだ乾ききらない朝露に煌めく日の光が、まるで水面のようにきらきらと揺らめき踊る。
「これは、アルモニーの花……。これ程の群生地は、初めて見ました……」
綺麗……。
パティーユは、吐息交じりに囁く。
「気に入ってくれた?」
「はい。とても素敵です」
ただの気まぐれでもいい。此処に連れてきてくれた事を、パティーユは心から喜んでいた。
「そっか、うん。良かった」
シリューは涼し気に目を細める。
「あ……」
前に見たのは、いつの事だったか。
もう二度と、その笑顔が向けられる事はないはずだった。
世界のためとはいえ、自分自身の手でその機会を手放し、全てを奪ったのだから。
それが今、こうして再び自分に向けられている。
「そうでした、僚……」
パティーユは思い出したように、ポケットから小さな木箱を取り出しシリューに渡した。
「これ、は……」
開いた箱の中身を見て、シリューは一瞬息を止める。
「大切な、物なのでしょう?」
「うん……」
それは、あの日シリューが残していった、ローズクォーツのネックレス。
「とても、大切な物……俺が……俺たちが、前に進むために……」
その瞳に映るのは、どんな未来だろうか。
パティーユの胸を過る。
少しの切なさとそれに勝る愛しさ。
二つの感情を同時に宿した、シリューの瞳に惹かれる。
「僚……」
シリューを見上げたまま、パティーユはそっと目を閉じた。
「パティ」
もう傷つける事は要らない。
もう苦しむ事も要らない。
二人の唇がそっと重なる。
揺蕩う水色の花たちと朝露の煌めきが、祝福を与えるように二人を包んでいた。
第九章完結です。
最終、第十章に続きます。




