夜盲症
昭和二十一年八月十七日
毎日暑いので水ばかり飲む。それも泥水だ。仕事は多く飯は少い、汗は出る。一日の作業を終えて収容所まで帰ると、疲れてぐったりしてしまう。
昭和二十一年八月二十一日
病弱者が今日スラビヤンスクへ帰る 。僅か半月で最初に来た者のうち三十人程が病気になった。帰る者はみんな喜んで行ってしまった。
昭和二十一年八月二十二
今日から馬車をやめて、ターチカ(一輪車)の組へ入った。ノルマは一日3.8立方メートルの土を掘り、約五十メートル先まで運ぶのであるが、一生懸命働いても終らない量だ。
日の出と共に収容所を出ても、ノルマが終らないので暗くなるまで使われる。
この収容所の糧秣は、初めの五日間位は飯盒半分の粥であったが、麦となり雑穀となり昨日からは、うづら豆となった。パンは三百グラムも無いと思う程小さい。砂糖も少い。
油類の食物がないためか、夜盲症の者が佐藤を初め数人出た。肝油を飲めば治ることは判っていても薬がない。
昭和二十一年八月二十四日
今日は偉い人が来るからと朝から大掃除。身体も大掃除したいが、水が少いので洗濯は勿論、洗面にも苦労する。コップ一杯の水で洗面をする方法を覚えたのは、この収容所である。
十時頃ロスケの将校が五名来た。整列した私等の前で怒鳴るように、”日本人捕虜はどうして仕事をしないのだ。なぜノルマを完遂しないのか。捕虜がどうしてソ連軍の命令を聞かないのだ”と怒っている。
糧秣が少ない、ノルマが大きい。こんなことは並んでいる日本人を一目見れば判る筈だ。僅か三十日ばかりの間に、皆ゲッソリ瘦て目は奥の院へ引込んでしまっているではないか。この時、誰かが質問した。
「我々には希望がない。何時になれば日本へ帰れるのか教えてくれ」
ロスケの大尉の答によれば、”終戦後一年間を除いて、二年間日本人捕虜を使ってくれ。ということが、東京に於て行われたソ連代表テレビヤンコ中将とミカドとの会談で定められている。天皇は二年間といったが、スターリン首相は、一年七か月で帰す、といったから、日本人は今日から一年半働けば全員東京へ帰すので一生懸命働け"
ということであった。現在のままの状態があと半年続けば、全員死んでしまう、とがっくりした。(のちになって判った事だが、この東京会談の話は虚報であった)
昭和二十一年八月二十八日
今日も作業中に蛙を幾匹も切り殺した。一匹一匹に手を合わせ、「許してくれ、私が殺したのではないぞ。私を怨まずにスターリンを怨めよ」と言いながら埋めてやった。
夕方、スラビヤンスクから、先日帰った病弱者の交替として五十名来た。
こちらの様子を聞いているので、誰も希望者が無く、抽選で当った者が決死の覚悟で来たのだという。
昭和二十一年八月二十九日
連日ノルマ、ノルマとしぼられる。憎たらしい女医、作業保少尉、義眼の現場監督、うるさい歩哨、よくごまかす糧秣係、ロスケに味方しているような植田少尉等のために、営倉へ入れられる者が毎日ある。
病気になっても休養できないので、次々と倒れる者が出た。スラビヤンスクへ帰る自動車の上で死亡した者、向うへ着いて間もなく死んだ者等もいるらしい。これ程、無茶苦茶に使う処は他に無かろう。
昭和二十一年九月二十八日
月例身体検査だといわれて体重を計った。四十二キロだ。終戦少し前に六十キロ余り、輿南でも五十八キロ程あった体重が、僅か四十二キロになってしまった。全く骨と皮の人間で、昭和十八年に浦和へ帰った時に見た弟の姿を思い出す。体格等位、三と宣告された。
昭和二十一年九月二十九日
今日スラビヤンスタへ帰れることになった。一日も早く、このクレンテッシュウを離れたい為に、身体が悪くなることを皆希望している。
十時頃みんなに羨やましがられながら、ふらふらの身体で歩き始めた。
昭和二十一年九月三十日
今日から工場の作業に行くことになった。体格等位が三位の者は四時労働がソ連の規定なのに、八時間も使われた。それでも軍隊直轄の道路工事と違い,、サボルことができるので身体は楽だ。
しかし工場まで往復歩くのが辛い、足が重くてだるく、小さな石にも躓いて転ぶ。年寄が手を腰に廻して歩くようにすると、少しでも楽であることに気付いた。
昭和二十一年十月三日
身体検査があり一位となった。体重は僅か、0.5キロ増加しているだけで、三位から一位となる。全く出鱈目だ。
昭和二十一年十月十二日
工場の畑で馬鈴薯を拾って帰った。町へ来ると拾い物が有るから助かる。
山では野菜はおろかチリ紙にも困る始末であった。工場へ行けば、その日に使う紙位は拾える。今日馬詰が馬肉、といっても内臓であるが、拾って来たのを貰った。実に旨かった。
昭和二十一年十月二十八日
体格等位が二位となった。褌も取り素裸で女医の前に立ち、廻れ右、下士官が尻の肉を二本の指でつまむ。と女医が”ドワー(2) ”これで決定だ。
昭和二十一年十一月七・八日
ソ巡革命記念日で二日間作業は休み。地方人はお祭り騒ぎをしているが、柵内の私達はシラミ退治をした。




