EP 10
黄金の敗北と、村の日常
ポポロ村の村長室は、かつてないほどの『静寂』に包まれていた。
かつてアルマディの誇る大商人として、金貨三万枚という巨大な資本を武器に、この小さな村を支配しようと目論んだ男・ゴルドー。
彼が今、床に転がっている姿は、昨日までの傲慢な覇者とは似ても似つかない、ただの「人生に疲れ果てた小汚い中年」のそれであった。
「……私の……私の商会が……」
彼は床に爪を立て、掠れた声で呟く。
彼が人生のすべてを賭けたイカサマのダイスは、フェイトの理不尽な幸運によって粉砕され、三億ポポロ相当の引換券は、フェイトの借金返済という名の強制徴収によって私の手元へ消えた。
「ああ、なんて情けない……」
私は、デスクの上の引換券をじっと見つめ、大きくため息をついた。
「ゴルドー様。貴方の執念は見事でしたが、手段が少しばかり強引すぎましたね。……アルマディへ帰る馬車代くらいは、ポポロ村の慈悲としてお貸ししましょうか?」
「だ、誰が……ッ!」
ゴルドーが顔を上げようとする。だが、その視線の先で、ルナ・シンフォニアが不思議そうに首を傾げて立っていた。
「あら。おじ様、そんなところで眠ってはいけませんわ。風邪をひいてしまいます」
ルナは、昨日ならず者たちと仲良くなった時と同じ、純粋で、悪意の欠片もない慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「あの……おじ様。お腹が空いているのでしたら、これをお召し上がりくださいな。……私の世界樹からいただいた、特別なお野菜の煮込みです」
ルナが取り出したのは、昨日、彼女が山ほど生成した『神話級野菜』をコトコトと煮込んだ、あまりにも美味しそうな鍋だった。
ゴルドーは、その芳醇な香りに抗えず、鼻をピクピクと動かした。
「な……ッ!? なんという芳醇な香りだ……! これが、あの昨日広場で見た、神話級の……ッ!」
「さあ、遠慮しないでください。これでもうお腹は空きませんわ。……食べ終わったら、おじ様も村の仕事のお手伝いをお願いしますね。皆さんと一緒に働けば、きっとおじ様の商人の心も癒やされますわ」
ゴルドーは、震える手でルナから鍋を受け取った。
彼が人生で培ってきた「損得勘定」では、このエルフの行動は理解不能だった。自分の全財産を奪い、商売を潰した相手に、なぜこれほどの優しさを向けるのか。
その純粋すぎる「善意」という名の重圧に、ゴルドーの心が音を立てて崩れていく。
「くっ……うぅ……ッ!!」
ゴルドーは、溢れ出る涙を拭うこともせず、鍋の中身を貪り食った。
それは、彼がアルマディの高級レストランで食したどんな美食よりも、甘く、温かく、そして残酷なほどに満たされる味だった。
「……美味い……美味すぎる……ッ!!」
数分後。
皿を空にしたゴルドーは、ガバッと立ち上がると、リバロンの目の前で土下座をかました。
「お、お嬢様……! 私は……私は間違っていた! アルマディの商館になど戻っても、私を待っているのは破産と、借金取りの追及だけだ! ……ポポロ村で働かせてくれ! この通りだ! 荷車でも、掃除でも、なんでもやる!!」
「……ほほう」
リバロンが、冷徹な黄金の瞳でゴルドーを見下ろす。
「我が主の慈悲に甘え、村の労働力になろうというわけですね。……いいでしょう。フェイトという『前例』もいます。貴様のような小物、こき使ってやるのは造作もない」
リバロンは、空中で優雅にターンを決めると、懐から一枚の名刺を取り出し、ゴルドーの額にピタリと貼り付けた。
「――お迎えに参りました。……といっても、村のゴミ捨て場へ行く案内係ですがね」
その瞬間、ゴルドーの身体が青白い闘気に包まれ、彼はまるで何かに吸い込まれるかのように、村のゴミ集積場(という名の、フェイトとゴルドー専用の強制労働・堆肥作り場)へと瞬間移動させられた。
「……これで一件落着、ですね」
私は、窓の外を眺めながら小さく微笑んだ。
ゴルドーが消えた後、ポポロ村には再び、穏やかな日常が戻ってきた。
フェイトは広場で荷車を引き、ゴルドーは元・ならず者たちと共に堆肥を作り、ルナは楽しそうに植物たちの世話をしている。
魔王軍が恐れをなして逃げ出し、大商人が労働力として村に定着した。
私の理想としていた「平穏なスローライフ」とは少し方向性が違う気がするが、結果として村の経済はかつてないほど潤い、治安も(別の意味で)完璧だ。
その時、背後から温かい腕が私を包み込んだ。
「オリヒメ様。騒がしい害虫はすべて排除いたしました。……さて、これからは貴女のための時間です」
振り返ると、リバロンがいつもの端正な微笑みを浮かべて立っていた。
彼の手には、ルナが生成した蜂蜜をふんだんに使った『極上のティーセット』が握られている。
「今日は王都への出荷業務も落ち着いています。……さあ、テラスで少し休息を。貴女の隣には、私がずっと控えていますから」
リバロンは私を優しくエスコートし、村長室のテラスへと連れ出した。
テラスからは、ポポロ村の広大な農地と、そこで汗を流して働く人々の活気ある姿が見える。
「……リバロンさん。本当に、ありがとう。貴方がいてくれるから、私は村長として頑張れるんです」
私が彼の胸元に頭を預けると、リバロンは私の髪に優しく口づけを落とした。
「貴女のその言葉だけで、私には十分です。……ポポロ村という小さな箱庭で、貴女がどんな夢を描こうとも。それを実現させるための力は、すべてこの私が捧げましょう」
彼の言葉には、執事としての忠誠だけでは語りきれない、深い愛情と独占欲が込められている。
前世では、誰にも頼れず一人で倒れた私。
でも今は、私の背後には最強の盾がいて、私の隣には騒がしいけれど温かい仲間たちがいる。
「さあ、次は何をしましょうか」
リバロンが穏やかに尋ねる。
私は広場の向こうで、またしても何やら騒動を起こしているキャルルとルナの姿を見て、小さく笑った。
「そうですね……。とりあえず、今度はルナさんの『純金100kg』を、どうやって村の公共事業に還元するか、計画を立てましょうか。前世の知識を活かして、村に無料の公共図書館でも作りましょう」
「ええ。貴女の望む未来を、共に築いていきましょう」
アルマディの商人の陰謀を跳ね除け、村はまた一つ大きく成長した。
けれど、このポポロ村の賑やかすぎる日常は、まだまだ終わらない。
砂漠の商業国家アルマディの王城では、ゴルドーの失踪(と、彼から送られてきた『ポポロ村の野菜は美味すぎる』という謎の絶賛手紙)を受けて、次なる刺客……いや、新たな視察団の準備が密かに進められているとも知らずに。
私たちは、ルナが生成したハチミツの甘い香りに包まれながら、二人だけの静かなティータイムを楽しんだ。
読んでいただきありがとうございます。
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