17話 最後まで、あなたのものに。同じ食卓をずっと。(完)
「……いいだろう」
低く、静かな声が落ちる。
一歩、近づく。
距離が、消える。
リカルドの指が、そっと顎に触れる。
顔が、上を向く。
「最後だ」
囁くように。
「後戻りはできない」
「……はい」
迷いは、もうなかった。
ゆっくりと、目を閉じる。
首筋に、冷たい気配。
次の瞬間。
鋭い痛みが、走る。
「……っ」
短い呼吸。
けれど。
すぐに、熱に変わる。
内側から満たされるように。
何かが、流れ込んでくる。
指先まで、じんわりと痺れる。
怖くない。
むしろ。
落ち着いていく。
「いい」
低く、満足げな声。
やがて、ゆっくりと離れる。
「リディア」
名前を呼ばれる。
その声に、導かれるように目を開ける。
リカルドは、自分の指先を軽く裂いた。
滲む、濃い赤。
それを、ためらいなく差し出す。
「飲め」
短く、告げる。
命令。
でも。
それ以上に、選ばせる響き。
「……はい」
迷いは、もうなかった。
そっと、触れる。
唇に。
流れ込んでくる血は。
温かくて。
どこか、甘い。
体の奥に、広がる。
さっきとは違う。
今度は。
受け取る側として。
「……そうだ」
満足そうな声。
指先が、軽く離れる。
「これで、完成だ」
静かに、告げられる。
体の奥で、何かが結ばれる。
はっきりと。
もう、ほどけない形で。
「……リカルド様」
呼ぶ。
自然に。
「いい」
すぐに返ってくる。
その声が。
少しだけ、近くなった気がした。
「もう、お前は」
指先が、頬に触れる。
確かめるように。
「私のものだ」
やさしく。
逃げ場のない声で。
リディアは、静かに目を閉じる。
「……はい」
それで、よかった。
朝の光が、やわらかく差し込む。
テーブルの上には、いつも通りの食事。
湯気の立つスープと、焼きたてのパン。
変わらないはずの光景。
それなのに。
どこか、少しだけ違って見えた。
「座れ」
穏やかな声。
振り返ると、リカルドがいる。
当たり前みたいに。
隣に。
「……はい」
迷わず、席につく。
もう、戸惑うことはない。
ここが、自分の場所だと知っているから。
スプーンを取る。
一口、運ぶ。
優しい味。
自分で作ったもの。
でも。
前とは、違う。
視線がある。
けれど。
もう、怖くない。
「いい」
静かに、言われる。
「今日も、よくできている」
その一言で。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……ありがとうございます」
自然に、言葉が出る。
ふと、顔を上げる。
リカルドと、目が合う。
ほんのわずかに、目が細められる。
それだけで。
十分だった。
もう一口、食べる。
ゆっくりと。
確かめるように。
「リディア」
名前を呼ばれる。
「はい」
すぐに、応える。
「明日も、作れ」
当たり前みたいに。
逃げ場のない声で。
「……はい」
小さく、頷く。
それが、嬉しかった。
外の世界のことは、思い出さない。
思い出す必要もない。
ここで、食べて。
ここで、作って。
その繰り返しでいい。
それが。
望んだものだから。
静かな食卓。
同じ時間。
同じ場所。
でも。
もう、戻ることはない。
幸せだから。




